連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

関東・大手私鉄

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 東京で下宿生活を開始した昭和441969〕年当時、京浜急行の平和島駅は上り線高架工事が完了して、下り線の高架工事が進捗中であったと思い込んでおりました。
 今回、お見せする写真を取り込んだ時、「鮫洲で撮影した写真だー」と思ってしまいました。改めてノート記録を眺めると平和島と書き込んであります。「へーっ、地表駅時代の平和島が撮影してあった!?」。記憶は微塵も残っていません。昭和441969〕年の秋に撮影したカットが、上り線高架工事が完了して、下り線の高架工事が進捗中であったのかも知れません?。
 昭和441969〕年春には、京浜急行の北品川〜六郷土手間は、電車が地表区間を走行していたことになります。但し、立会川〜大森海岸間、鈴ケ森処刑場跡付近だけは、鉄橋で第一京浜国道をオーバークロスしておりました。建て込んだ住宅密集地帯をお構いなしにかっ飛ばす京急電車は、田舎都市から上京した人間には、驚き以外の何物でもありませんでした。「速いねー!。速いねー!!。どこが駅だか分からない」。乗降扉の窓から外を眺めていた小さな女の子の言葉だけは、今でも記憶から消えることはありません。
 
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 写真1枚目、地表時代の鮫洲駅は、相対式ホームで中央2本の線路が通過線として使用されていました。東海道新幹線の浜松駅・静岡駅の構内配線に同じといった感じです。高架化された鮫洲駅は、島式ホームが1本で外側2本の線路が通過列車専用。東海道新幹線三島駅のような構内配線に変わってしまいました。この写真は2本の島式ホームですから、やはり平和島駅です。写真は旧600629他なのですが、運転室窓上部の表記は、特急86D、久里浜。でも前面に掲げられた円形プレートは快特〔快速特急〕。重厚な走行音で平和島を通過するクロスシートの快速特急久里浜行です。前面にビームの影が写ってしまいました。撮影したことすら覚えていませんので、高架工事開始間近のため移設されたプラットホームなのか、元来のホームであったのかは分かりません。ホームは板張りです。No.7826・昭和441969〕年53日(1253)撮影。
 
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 写真2枚目、旧10001167他の特急三浦海岸行。特急は平和島に停車しますので減速していると思いますが、ホーム直前でブレーキ操作して、停車位置をオーバーランする電車もしばしば眺めていますので、何とも言えません。三崎口までのレールはまだ無く、クーラーも搭載されていない時代でした。写真後方に見えるのが大森神社の屋根。写真右手はボンネットトラックのようです。No.7827・昭和441969〕年53日(1301)撮影。
 小田原駅で東海道新幹線「こだま」から下車した時点までは、以前、紹介した通りです。消滅した客先会社OB会の会場は、箱根登山鉄道大平台駅から徒歩約5分。昔であれば、小田原駅から箱根登山鉄道電車に乗車すれば乗り換え無しで目的地へ辿り着くことが可能でした。しかし、現在は事情が変わってしまいました。
 
 改めて検索してみましょう。箱根登山鉄道の路線総延長は15.0km。ゲージは1435mm。箱根湯本〜強羅間は直流600Vで運転、小田原駅〜箱根湯本間は直流1500Vで運転されます。私がこの世に生まれて間も無い、昭和251950〕年81日、小田原駅〜箱根湯本間に小田急車両が乗り入れ開始。小田急電鉄のゲージは1067mmです。小田急車両乗り入れに当って実施されたのが三線軌条化。600Vであった電圧は1500Vに昇圧されました。このため箱根登山鉄道の車両も600V/1500V対応の複電圧車に改造されています。
 以上が、昔乗車した頃の箱根登山鉄道の印象です。小田原で乗り換える短い登山電車は、2両連結でも車内は乗客で満員。とても車窓を楽しめる様な電車ではありませんでした。長い編成の小田急車両に乗車して箱根湯本までの途中駅で下車する場合には、先頭車両に乗車しなければなりません。車掌さんがドアコックを使用して先頭車両の乗降扉を開閉します。急行の最後部に乗車しようものならば、短いホームの風祭駅では降ろして貰えませんでした。
 
 時世の移り変わりに伴って、箱根登山鉄道も様変わりしてしまった感じです。以下はウィキペディアから。
 
     平成51993〕年714日、箱根湯本〜強羅間の架線電圧を600Vから750Vに昇圧。同時に3両編成の運用が開始される。
     平成121993〕年122日、日中の小田原〜箱根湯本間の運用は全て小田急電鉄からの片乗り入り車両のみとなり、自社車両による運用は朝と夕方以降のみとなる。
     平成182006〕年318日、小田原〜箱根湯本間での自社車両の運行を取り止め、小田急の乗り入れ車両のみとなる。
     平成182006〕年9月、小田原〜入生田間、三線軌条の標準軌部分のレールを撤去。
     平成202008〕年315日、小田原〜箱根湯本間での小田急の乗り入れは、特急と4両編成の各停のみとなる(ただし急行の後4両の各停での乗り入れは残る)。
     平成212009〕年314日、小田原〜箱根湯本間で箱根登山〔レーティッシュ鉄道〕色の小田急1000形が運行を開始する。
 
 小田原〜入生田間、三線軌条の内、箱根登山鉄道車両が走行に使用していたレールは撤去されてしまいました。箱根登山鉄道の小田原〜入生田間4.2kmは廃線といった感じです。現在の登山電車は箱根湯本〜強羅間8.9km区間のみの運転です。それ故、箱根湯本までは小田急に乗車せざるを得ません。
 
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 写真1枚目、小田原駅から箱根湯本まで乗車した各停4連箱根湯本行です。箱根登山色の小田急10001059F〔クハ1059+デハ1009+デハ1109+クハ1151〕の先頭車クハ1151〔写真奥〕に乗車しました。7DNo.3136・以下全て、平成232011〕年620日撮影(1601)。
 
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 写真2枚目、クハ1151前面展望。小田原を発車すると間も無く小峰トンネルへ突入します。レールの写真左手には三線軌条の名残が感じ取れます。7DNo.31391604撮影。
 
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 写真3枚目、トンネルを抜けるとJR東海道本線と僅かな区間平行し、国道1号線をオーバークロス。その後、右方向へグイと曲り勾配を下った所が箱根板橋駅。7DNo.31401605撮影。
 
 
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 写真4枚目、箱根板橋駅到着間近です。写真左手、「使用禁止」と表記された短いプラットホームが箱根登山鉄道専用ホームであったと思います。三線軌条の名残が残っていますから。写真右手は、箱根登山色の小田急10001060F〔クハ1060+デハ1010+デハ1110+クハ1161〕の新松田行。こちらの線路には三線軌条の名残が見付かりません。プラットホームと一緒に改修されてしまったものと思われます。7DNo.31421606撮影。
 
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 写真5枚目、箱根板橋駅を発車すると再び築堤を駆け上がり、斜めに架設されたポニートラス橋梁で、またまた国道1号線をオーバークロス。かつては橋梁上に5本のレールが並んでいたようです。7DNo.31441607撮影。
 
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 写真6枚目、箱根登山鉄道の入生田車庫横を走行中。入生田駅到着間近です。ここまで来ると三線軌条が姿を現します。今では三線軌条区間は、入生田〜箱根湯本間1.9kmのみになってしまいました。三線軌条を走行する箱根登山鉄道車両は回送電車をゲットするしか術がありません。7DNo.31461612撮影。
 
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 写真7枚目、入生田駅ですれ違った5258〔クハ5558+デハ5508+デハ5408+クハ5258編成?〕他4連各停小田原行。このスタイル・塗色がやはり懐かしいです。7DNo.31501613撮影。
 
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 写真8枚目、脱線ポイントも複雑な三線軌条のポイントも切り替わりました。入生田駅を発車した各停箱根湯本行は、この後、三線軌条区間を走行します。踏切手前から38.5‰〔パーミル〕の勾配が存在します。7DNo.31511614撮影。
 
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 写真9枚目、小田原駅からアップダウンを繰り返して箱根湯本に到着。写真左が乗車した小田急10001059F。写真右手は、初めてお目に掛かった小田急60000形ロマンスカーMSE。もう少々撮影したいと思っていましたが発車してしまいました。7DNo.31611619撮影。

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 東京での生活。青春時代のスタートは、この駅から始まります。下宿先は京浜急行雑色〔ぞうしき〕駅で下車して、水門通りを六郷川〔多摩川〕水門方向へ7分程歩いた場所でした。「ぞうしき?。変な駅名」と最初に思ったものです。生活してみると、東京は実に生活し易い街でした。水門通り商店街を1往復すれば、必要な品物は、あらかた入手が可能でした。少々横道へ入れば、葬儀屋さんやペットショップまでもが軒を連ねています。下宿のトイレはまだ汲み取り式で、2階から1階までの直下型。大家さん台所横にトイレの直通土管が設置されていましたので、食事準備中の用足しは避けたものでした。狭い路地を抜ければ、銭湯までは2分と掛かりません。風呂桶持参で定食屋さんに立ち寄り。食事を済ませ、向え付近の銭湯で入浴してから帰るなどといった事は何度も繰り返したものです。下宿から3分も歩かない所に鉄道模型専門店も存在します。知る人は知る、あの模型店です。以降、何度も足を運ぶことになります。購入したHOの真鍮製キット。7割程は手を付けないままです。
 近年、年に一度の東京行きは、忘年会へ出席するためでした。客先業者集めての忘年会翌日が、事務所忘年会という運びになっていました。ところが、客先会社解散のため、忘年会も消滅。昨年は事務所の忘年会にのみ声が掛かりましたが、豊橋鉄道田口線廃線跡撮影ロケ日と重なってしまったため、ついに欠席。この23日の事務所忘年会へは向う予定です。昔の雑色駅スライドを眺めたことで、久々、雑色駅に下車してみたい気持も起こりますが、おそらく通過して終わりと思っています。

 写真1枚目、雑色駅に到着する1033他4両編成普通逗子行。1000形初期タイプで湘南顔です。クーラーも搭載されていません。写真手前の踏切が駅構内踏切で、その奥が水門通り商店街の踏切です。この日、これから都電の撮影に向います。No.78−25・昭和44〔1969〕年5月3日(12:32)撮影。

 写真2枚目、400形の荷物電車を撮影した記憶は残っていますが、230形の荷物電車は記憶から消滅していました。4両編成普通電車の一部をロープで仕切り、荷物室として使用していた編成には乗車したことがあります。写真右手は工場であったようです。後に大型スーパー“シャンボ・サガン”が建設されました。最上階はボーリング場でした。初めてボーリングにトライした場所です。水門通りの踏切は警手が遮断機を操作していた事などすっかり忘れています。京急の名車と呼ばれた230形は、下宿開始当時、大師線や空港線で使用されていました。後に仕事のため空港線では何度も乗車しています。本線を昼間走行する230形の写真は、このカットのみと思います。腰板が低く、窓がワイドのためインパクトの強い車両でした。真鍮製エッチング板を購入して、両運転台の230形を1両組み上げました。豊橋鉄道渥美線の黄色に太い赤帯塗装で仕上げたものです。写真は238+237の2連荷物電車。写真右手の雑色駅は通過したものと想像します。写真奥が京浜蒲田。京急蒲田と改名されるのは、もっと後の事です。No.79−4・昭和44〔1969〕年5月5日(12:12)撮影。

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 昨年、ブログに載せた京急八ツ山橋の写真は、今から40年前に撮影したものです。今回は、今年9月に撮影した八ツ山橋での写真です。豊橋から新幹線「こだま」を利用して品川駅下車。品川駅で京浜急行へ乗換え、京急蒲田の事務所へ向うのが、通常のパターンなのですが、現在の京急蒲田駅は高架工事が進捗中で、とても写真など撮影出来る状態ではありません。事務所へ向う前40分程、久々に八ツ山橋を訪ねています。
 昔、趣味誌で京浜急行の写真を眺め、特に印象が強かったのは八ツ山橋周辺の光景でした。品川を発車した電車は八ツ山鉄橋で東海道本線等を越えると、グイと右手にカーブして北品川駅進入手前までは路上を走行する区間でした。
 初めて京浜急行を撮影した時は、既に併用軌道は専用軌道へ移設された後のことです。それでも、八ツ山の鉄橋を渡り、広い踏切をカーブしながら徐行して電車が進むシーンは、かつての併用軌道を彷彿させる光景と思っておりました。その後、踏切には遮断機が設置されます。以降、八ツ山橋へ出向く機会は少なくなりました。久々に眺める八ツ山橋周辺の光景。大井競馬場へ続く道路は中央分離帯で仕切られ、踏切には様々な保安設備も建設され、より撮影し辛くなってしまった感じです。
 鉄道ダイヤ情報No.306(2009−10)に、2009年の“通勤型電車の両数比”と題された円グラフが掲載されています。京浜急行2000形〔両数比9%〕は、今回撮影出来ませんでした。青い京急は眺めたのみ。

 写真1枚目、八ツ山橋を渡る、2100形〔両数比10%〕2117快速特急京急久里浜行。DNo.304−34・平成21〔2009〕年9月15日(14:45)撮影。

 写真2枚目、八ツ山橋を渡る、800形〔両数比17%〕819−1普通品川行と、1000形〔両数比7%〕1243普通新逗子行。東京生活晩年の頃、よく乗車したのが、これらの車両です。800形は、急行運用や空港線での3両編成に乗車しています。快速特急は通過してしまう、当時の京急蒲田駅で乗車する特急の多くは1000形でした。1000形もそろそろ終焉を迎える時期にきているようです。DNo.304−39・平成21〔2009〕年9月15日(14:47)撮影。

 写真3枚目、八ツ山橋を渡る、1500形〔両数比22%〕1631普通品川行と、600形〔両数比12%〕603−1快速特急三崎口行。新600形は馴染みが薄い形式。快速特急として、かっ飛ばしていた旧600形が懐かしいです。DNo.304−53・平成21〔2009〕年9月15日(14:55)撮影。

 写真4枚目、八ツ山橋を渡り、北品川駅を通過する、2100形2116快速特急京急久里浜行後追いカット。DNo.304−67・平成21〔2009〕年9月15日(15:06)撮影。

 写真5枚目、八ツ山橋を渡る、新1000形〔両数比23%〕1485(ステンレス車)普通品川行と、1500形1707快速特急三崎口行。DNo.304−80・平成21〔2009〕年9月15日(15:15)撮影。

 写真6枚目、八ツ山橋を渡る、1000形1237特急三浦海岸行。昔、八ツ山橋へ出向く目的は、この踏切を撮影することでした。今では橋梁の撮影が主体になります。白黒No.579−4・昭和46〔1971〕年12月11日(13:16)撮影。

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 人生で最もお世話になった鉄道車両は、名鉄パノラマカーでも、新幹線でもなくて、京浜急行1000形と思います。乗車した電車が普通乗用車と衝突したのも京急1000形でした。
 中学校の修学旅行でバスの中から少々撮影したのが、都電北千住終点・東武鉄道日光軌道線。高校3年生の時には廃線となっています。もう一度、撮影したい思いは叶いませんでした。以前にも書き込みましたが、「大学受験、失敗しても来年がある。都電の姿、今年撮影しておかないと来年は見られない」 大学受験に東京の学校を選んだのは、以上のような理由からです。
 高校をドベの成績で卒業して、東京の大学受験は3校であったと思います。カラーポジフィルムを充填したハーフ判カメラを所持して東京へ向いました。雨降る中、数寄屋橋交差点から本郷辺りまで都電沿線を歩いて撮影。夕方、疲れ果てて予約してあった宿に到着すると、若い仲居〔当時は女中〕さんが、宿帳を置いて部屋を一旦出て行きます。5分程して、仲居さんがお茶を届けてくれた時、既に畳の上で寝ていました。
 受験結果は全滅。「これからは学校へは行かなくても良い」という気持ちで、悠悠自適の浪人生活。この年、仕事に向う父親の車に便乗して、飯田線や豊橋鉄道田口線を撮影する結果となります。父親が使用していた6×6版2眼レフ、アサヒペンタックスSPは、父親から奪い取ってしまいました。これで、鉄道車両の撮影に拍車が掛かりました。
 1浪して再び受験。第1希望を昼間。第2希望は夜間部として3校を受験。この時は、カラーポジフィルムを充填したアサヒペンタックスSPを1台所持しました。
 入学試験前に撮影していたのが、京浜急行の八ツ山橋でした。次から次へとやって来る車両を撮影。諦めて試験会場へ向うのですが、目の前に見える品川駅、歩くと予想以上に時間を費やし、途中からは走る結果となってしまいました。駅構内が想像以上に広い。やっと試験会場のテーブルに着席した時は遅刻。息をゼイゼイさせながら氏名を記入。この時の試験で、何とか夜学部に拾って貰いました。
 苦学生どころか、不届き者の生活が始まることになります。学費、生活費は親からの仕送り。昼間は8時間、しっかりアルバイト。稼いだお金はストックしておき、春・夏・冬の休みに、全国私鉄行脚で全て使い果たしました。6年間も学校へ通い、発行される学生割引は全て貰いました。「地位も、名誉も、金も無い。生きた人生に悔いも無い」 現在の生活の原点が、京急八ツ山橋を撮影した「この日」です。23年間の東京生活は、雑色〔ぞうしき〕・南蒲田・糀谷〔こうじや〕と京浜急行沿線ばかり。以降、好き勝手に歩んだ人生も、そろそろ40年を迎えます。

 写真1枚目、八ツ山橋を渡る1097他、特急押上行後追いカット。京急1000形は、昭和34〔1959〕年12月に登場しています。名鉄7000系パノラマカーが登場するのは、昭和36〔1961〕年。東京で利用する電車、故郷へ戻って利用する電車、共に赤い電車でした。昭和43年6月21日、品川〜泉岳寺間が開通し、京急は都営地下鉄へ乗り入れ開始して間もない頃です。写真の1000形は、正面2枚窓の初期タイプで、地下鉄乗り入れA−A基準を満たすため、後に運転台に貫通扉が備えられることになります。古くは東京市電と高輪駅で接続していたこともあり、北品川〜高輪間、開業時には写真左手の道路橋を渡る路面区間でした。No.63−20・昭和44〔1969〕年2月20日(8:29)撮影。

 写真2枚目、八ツ山橋を渡る1179他、特急三浦海岸行。まだ三崎口までの路線が開通していない時代です。現在も年に一度は、東京を訪ねて京急蒲田駅に降り立ちます。新しい京急車両を眺めてみたいと思うのですが、カメラを構えると、何故かやって来るのは1000形であることが多いです。名鉄パノラマカー以上に、京急1000形は息の長い電車になってしまいました。No.63−22・昭和44〔1969〕年2月20日(8:35)撮影。

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