連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

関東・大手私鉄

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ ]

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 東京での生活、晩年の頃撮影した相模鉄道です。「新型車両が導入されたから、少々撮影にでも」と思い立ち出向いたものと思います。撮影してプリントアウトした白黒写真、海老名付近の単線区間を走行する旧塗装の6000系。天王町を通過する重連電機牽引貨物列車。西横浜の荷物電車程度です。ローカルな雰囲気で撮影した時代から、都会の電車へと変貌してゆく相模鉄道でしたが、撮影ポイントが定まらず、強烈な印象が残っていない路線です。

 写真1枚目、急行横浜行7001他。相模鉄道も随分長い編成になりました。天王町。No.1517−14・平成4〔1992〕年12月13日(13:00頃)撮影。

 写真2枚目、急行横浜行8705他。この電車がターゲットではなかったのかな? 天王町。No.1517−16・平成4〔1992〕年12月13日(13:03)撮影。

 写真3枚目、急行横浜行6021他。星川。No.1517−20・平成4〔1992〕年12月13日(13:44)撮影。

東武鉄道、業平橋界隈

イメージ 1

イメージ 2

 昭和47年7月9日の撮影です。この日の目的は、都電柳島車庫へ続く線路沿線を歩くことでした。押上付近で、横道に外れ、東武鉄道を撮影したものと思います。柳島電停の白黒写真は、少々プリントしたこともあり、何となく記憶は持続しています。東武鉄道の撮影、記憶が残っていませんでした。カラースライドを取り込んで、「こんな写真、撮影してあったんだ!」
 業平橋〜曳舟間の踏切で撮影した写真。この場所の現状は、全く知りません。東武鉄道一般車両の塗色、DRC〔デラックスロマンスカー〕“きぬ”、東武の電機。全てが懐かしいです。何よりも懐かしいのは、踏切番詰所横に置かれた、コンクリート製の流しと、その中に置かれたブリキのバケツです。
 小学校の帰り道、商店街の福引で当ったのが、大きなブリキのバケツでした。もう1点は、フジペット形のラジオ。「これが、ラジオではなく、カメラであったらなー」と思ったものです。宝くじ等を含めて、当ったものと言えば、この2つしか思い付きません。

 写真1枚目、踏切を通過したDRC“きぬ”の後部、1706。墨田川の鉄橋を渡れば、終点浅草です。No.428−35・昭和47〔1972〕年7月9日(13:37)撮影。

 写真2枚目、踏切を通過する東武の凸型電機、ED4012。警手の男性、機関車に旗を振っています。No.428−36・昭和47〔1972〕年7月9日(13:38)撮影。

イメージ 1

イメージ 2

 今年も忘年会のため、2晩は東京蒲田泊まり。帰路は小田原で途中下車することにしました。目的地は、小田急電鉄開成〜栢山〔かやま〕間としました。鉄道趣味誌ではお馴染の場所ながら、未だに撮影したこと無い区間です。陽の低い冬の日差し、陰を気にすることなく撮影出来そうだからです。
 新しくなった橋上小田原駅も初体験。酒匂川鉄橋の今を見たくて、小田急新松田までの乗車券を購入。途中区間がトラス橋に変わった現在の橋梁は、ペンキ塗り替え作業のため足場が組まれた状態でした。やむなく、開成駅まで戻ります。
 開成駅舎を撮影していると、若い女性から声を掛けられました。「こんなカメラがあるんですか?」 首からぶら下げた2段フィルムカメラが目に留まったようです。専門学校で写真の勉強中との事です。2段カメラを彼女に手渡し、ついでにM・Mさんをデジカメで撮影させてもらいました。素敵な笑顔が記録出来ました。レール脇で、我が2段カメラを眺めた男性から、何度も声を掛けられましたが、女性は今回が初めてです。
 開成駅前から栢山方向に向って水田脇の農道を歩きます。この辺りがポイントと思われる場所には、先客有り。やむなく、鉄研所属の大学院生さん横に立ち撮影。しばらくすると、高校1年生の彼も到着。以降は、撮影したデジカメ画像を見せ合いながら、3人で鉄道談議。気が付けば、日は傾いてしまいました。目的地の開成〜栢山〔かやま〕間、想像していた光景とは異なるイメージでした。会話しながらの撮影のため、車両番号の読み取りが疎かになってしまいました。10代、20代の若者との会話、だいぶギャップがあり、歳とったことを実感した次第です。

 写真1枚目、EXEとすれ違ったVSE〔Vault Super Express〕。2層式駐輪場の金物を潜って、線路脇柵と駐輪場パイプに挟まれる形で撮影。体の回転がままなりませんでした。最近の電車はスピードが速く、標準レンズでの撮影は難しいです。新松田〜開成間にて。No.2221−20・平成19〔2007〕年12月9日(12:14)撮影。

 写真2枚目、大学院生さんと一緒に、唯一線路脇で撮影したVSE。角ばった電車の多くを見てきた私からは、電車というイメージが湧きません。展望室乗客の表情も見えず。模型で自作するのも難しい電車です。開成〜栢山間にて。DNo.130−144・平成19〔2007〕年12月9日(14:46)撮影。

ああ、惨め!!

イメージ 1

イメージ 2

 朝のニュースで、京浜急行空港線の電車がトラックと衝突したことを知りました。当時は隣駅の雑色〔ぞうしき〕で下宿生活時代。そこで京浜蒲田〔後に京急蒲田と改称〕まで現場を見に向いました。
 第1京浜国道の踏切を通過中3連電車の横腹に大型ダンプカーが突っ込んだ状態でした。京浜蒲田の上り線ではデトが待機していました。衝突された車両は廃車の運命を辿ったものと記憶しています。
 羽田空港へのアクセス路線として飛躍的な発展を遂げた京浜急行空港線。産業道路の踏切は消滅しましたが、第1京浜国道の踏切は健在です。京成・都営・北総・住都整備公団の車両が空港線を走行することなど、全く想像の出来なかった時代の1コマです。昭和45〔1970〕年5月10日、6×6版2眼レフで撮影。

 写真1枚目、ダンプカーに衝突され、傾いてしまった261号。白黒No.154−3(7:20)。

 写真2枚目、京浜蒲田駅空港線ホームで待機するデト21。白黒No.154−4(7:44)。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ ]


.
hideki_kobyakawa
hideki_kobyakawa
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Yahoo!からのお知らせ

友だち(18)
  • bel*646**4
  • 東三指令
  • いんぱるす209号
  • しら
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事