連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

山形交通

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山形交通尾花沢線−3

 撮影枚数が11カットのみの山形交通尾花沢線。50年前の夕方、沿線をドタバタで1往復歩いて見納めとなってしまった距離の短い路線で、乗車することはありませんでした。僅かな滞在時間であったため、記憶は何も残っておりません。
 
 改めて、どのような路線であったかを確認するため、“山形交通尾花沢線”で画像検索。尾花沢線列車走行シーンを撮影した画像は数枚しか表示されません。検索画像の多くは尾花沢駅構内で撮影されたものです。全線2.6kmで途中駅無し。田畑の中に続く平坦な路線は実に単調で、短い鉄橋位は存在したであろうと思います。最急勾配は11.4‰と記されています。山形交通尾花沢線−1で掲載した画像2枚目、列車が進む前方が、少々、下り勾配になっています。ここが11.4‰の勾配と判断しました。
 
 尾花沢線の列車がワンマン運転であったとは記されておりません。車掌さんは何をしていたのでしょう?。私が撮影した尾花沢線の列車には、必ずワフ1が連結されておりました。尾花沢駅には立派な駅舎が存在。乗車券の販売・改札は駅員さんの仕事であったであろうと思われます。反面、大石田駅は国鉄ホームと平行したプラットホームが存在。国鉄列車から尾花沢線に乗り換える乗客に乗車券を発売するのが、車掌さんの仕事であったのでしょう。それと荷物を貨車へ積み込むことも。あくまでも想像で書き込んでいますから、間違っていたらゴメンナサイ。
 
 
 イメージ 1
 写真1枚目、尾花沢駅に留置されていたトラ9058を連結。ハフ4+ハフ3+ワフ1+トラ9058+DB152〔画像の向きに合わせて〕の編成で大石田へ向かう列車。扉を開け広げた小さなDB1524車両を牽引するのですから、スピードは決して速くなかったと思います。ハーフ版カメラで同時撮影した白黒写真はプリントしたことがあります。尾花沢線を撮影した中で、この1カットがお気に入りであったと思います。No.938・以下全て、昭和441969〕年624日撮影。1705撮影。
 
 イメージ 2
 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。車掌さんはワフ1に乗務していたのでしょうか?。No.9391705撮影。

山形交通尾花沢線−2

 山形交通尾花沢線を撮影したカラースライドは11カットのみ。311カットが尾花沢駅構内での撮影でした。今回は、この3カットを掲載します。
 
 東北周遊券を使用した人生で初めての周遊撮影旅行で、昭和446月当時は19歳。寝袋や着替えを入れた大きなリュッサックを担いでおりました。所持したフィルムが少なくメチャ撮りは出来なかったと思います。撮影結果を記録するミニノートには、123……181920といった具合に所持フィルム本数を書き込み。未撮影の残りフィルムの本数を気にしながら撮影していたと思います。僅かばかりの撮影枚数でも撮影出来ただけ良し。47年前のカラー画像取り込みは悲願でした。
 
 
 
イメージ 1
 写真1枚目、DB152が牽引して尾花沢へ向かったハフ4+ハフ3+ワフ13両が尾花沢駅ホームに停車中。尾花沢には車庫も存在したであろうと考えられますが、残念ながら撮影してありません。撮影場所の近くにポイントが見えますので、背中側が車庫であったのかも?。No.935・以下全て、昭和441969〕年624日撮影。1644撮影。
 
 
イメージ 2
 写真2枚目、DB152はトラ9058と連結。この後、ハフ4+ハフ3+ワフ1+トラ9058+DB152の編成で尾花沢を発車することになります。No.9361646撮影。
 
 
イメージ 3
 写真3枚目、1枚目写真より車両に近付いて撮影。駅舎も撮影しておきたかったです。No.9371647撮影。

山形交通尾花沢線−1

 久々に衣装缶を開け、昭和451970〕年に広島で撮影したカラースライドを引っ張り出したところ、カビが酷くスキャナーでの取り込みに苦労したことは先に述べた通りです。それならばと思い、昭和44年〔1969〕、東北周遊の際に撮影したフィルムも取り出してみました。こちらのフィルムにカビはありませんでした。マウントの糊による変色も見受けられません。同じ衣装缶に40年以上も入れたままにしてあったカラースライド、カビ有無の原因は何なのでしょう?。
 
 山形交通尾花沢線等を撮影したカラースライドを取り出しました。尾花沢線の撮影枚数は11枚のみ。国鉄奥羽本線の大石田駅に到着したのは夕方でした。日没までの僅かな時間で大石田−尾花沢間を1往復歩いております。「停車している車両をもう少々撮影しておくべきであった」と後悔しております。大石田駅から移動する列車の時刻を気にしていたのかも?。同時撮影した白黒フィルムはハーフ版カメラで撮影。それ故、保存状態の良いカラースライドを優先してスキャンし、何とか眺められる状態にしましょう。
 
 山形交通尾花沢線は、国鉄奥羽本線の大石田駅と尾花沢駅を結んだ全線2.6kmの短い路線で、途中駅が存在しません。入換機として使用されるような小さなディーゼル機関車が客車・貨車を牽引しておりました。僅かばかりの距離を走行して終着駅に到着するたび機回しをしなければなりません。撮影日は、昭和441969〕年624日。再び撮影することなく廃線になってしまいました。ウィキペディアによれば、『昭和441969〕年1217日−列車を運休し、バス代行運転を実施(翌年331日まで)。昭和451970〕年910日−廃止。当初の廃止予定日は91日であった。914日−閉業式を実施。記念列車を運転する。』とあります。
 
 
 
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 写真1枚目、小さなDL、DB152がハフ4+ハフ3+ワフ1を牽引。撮影場所は、何処で撮影しても尾花沢−大石田間。2.6km区間のどの辺りで撮影したものかは覚えておりません。1603には大石田駅におりましたので、大石田に近い場所であろうと思います。No.933・昭和441969〕年624日(1615)撮影。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。客車に乗車した男子学生は、乗降扉を開け広げ外を眺めております。この後は、尾花沢駅構内を1645に撮影しておりました。全線2.6kmは30分あれば歩き通せる距離でした。No.934・昭和441969〕年624日(1615)撮影。

羽前高松駅舎、2題

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 テレビ番組を録画するため、長年、S−VHSビデオカセットレコーダーを使用しています。最初に購入した機種は、使用不能となってしまったため、現在は中古で購入した2台目の機種を使用しています。録画済のS−VHSビデオカセットも随分増えました。ところが、S−VHSビデオテープは製造中止となってしまい、今では入手困難なため、やむを得ず、VHSビデオテープを使用してS−VHSモードで録画する昨今となってしまいました。NHK朝の連続テレビ小説を録画して、昼頃眺めるのが主目的です。
 現在使用中の中古S−VHSビデオカセットレコーダーが故障すれば、録画済のS−VHS映像を眺めることも出来ません。それで、DVDレコーダーを購入し、「録画済S−VHS映像をDVDにダビングし直したい」との思いが強くなるのですが、景気悪化で稼ぎを落とす身の上では、中々決断には至りませんでした。
 田口線番組を録画するため、ブルーレイディスクレコーダーを購入。田口線番組ロケにお付き合いしたことが、良いキッカケとなりました。録画済S−VHS映像は、DVDを飛び越して、ブルーレイディスクに少しづつダビングしています。当初はリモコンの操作に梃子摺りました。パソコンのキーボードと同じです。ブルーレイディスクレコーダー購入から2ヵ月強。リモコン操作にやや馴染んだ感じです。しかし、細部まではとても把握出来ていません。
 未だに理解出来ないのが、おまかせ予約です。レコーダーの使用者は、「この様な番組を眺めたいのでは?」とレコーダーが判断して録画する機能です。ある番組を録画すると、「次回も眺めるのであろう」と機械が判断して次回分を勝手に録画します。寝て起きたら、予定外の番組2本が録画されていることもありました。おまかせ条件でジャンル「鉄道」は登録してあります。1週間先までの予約リストが羅列されます。不要な番組は削除するのですが、消しても消しても別番組が補充されます。便利な機能なのですが、迷惑な機能でもあります。寝て起きたら、NHK教育テレビの「にっぽん木造駅舎の旅」が4回分録画されていることもありました。これは、ブルーレイディスクにダビングして残すことにしました。S−VHSレコーダー使用時代に比べ、ブルーレイディスクレコーダーは、毎日1時間のタイムロスという結果になっています。
 若い頃巡った鉄道の駅舎は、木造が当たり前。現在では、「にっぽん木造駅舎の旅」なる番組が放映されますので、随分時代が変わったものと思いつつ、5分番組を眺めています。

 写真1枚目、「にっぽん木造駅舎の旅」を眺めてしまった影響で、つい取り込んでしまった国鉄左沢〔あてらざわ〕線の羽前高松駅舎。当時の駅舎形状などは覚えておりません。「この駅に降り立ったのだー!」。白黒No.1144−2・昭和49〔1974〕年7月29日(16:35頃と思う)撮影。

 写真2枚目、これも国鉄左沢線羽前高松駅舎。白黒No.1144−3・昭和49〔1974〕年7月29日(16:35頃と思う)撮影。

 写真3枚目、こちらは、山形交通三山線の羽前高松駅舎。チラリと見える電車は、後に琴電へ旅立つことになります。すっかり忘れていた記憶が蘇りました。三山線は、昭和49〔1974〕年11月17日限りで廃線。廃線前に撮影に向ったのですが、白黒用カメラ、Canon EX EEのシャッター幕〔布製常時閉の幕〕に小さな穴が開いていたため、フィルムに光が入っています〔写真中央右下〕。そのため、悔しくて、後日撮り直しに向っています。白黒No.1144−4・昭和49〔1974〕年7月29日(16:35頃と思う)撮影。

 写真4枚目、こちらも光入り、山形交通三山線の羽前高松駅舎。駅舎の造りは、国鉄駅舎に比較しますと、やや質素といった感じですが、駅舎入口に掲げられた駅名看板は、国鉄駅舎の物より趣があります。カラーポジで撮影してあれば、その写真から光入り箇所も修正可能と思いますが、駅舎まではカラー撮影しなかったと思います。白黒No.1144−4・昭和49〔1974〕年7月29日(16:35頃と思う)撮影。

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イメージ 3

 仙台市電の白黒写真を取り込む際、一緒に取り込んだハーフ判写真2枚です。

 写真1枚目、山形交通高畠線竹ノ森駅付近の雪上車。豊橋での生活から、東京下宿生活に変わって間も無くの頃です。人生で一度だけ撮影した雪上車の写真です。南極観測船“宗谷”の横に写る雪上車の写真等は眺めた記憶が残っています。豊橋や東京での生活では、普段、雪上車を目にする機会は全くありませんので、感動して写した1カットです。残念ながらカラーポジフィルムでは撮影しませんでした。白黒No.29−71・昭和44〔1969〕年6月19日(8:55)撮影。

 写真2枚目、撮影当時、山形交通高畠線終点であった高畠駅舎。廃線となった高畠〜二井宿間は、山形交通のバスへ乗り換えることになります。当時のお母さん達の服装は、昭和初期を思わせる出で立ちです。高畠駅舎は、一部の保存車両と共に、残されているようです。レタッチ作業で梃子摺った写真です。白黒No.29−75・昭和44〔1969〕年6月19日(10:00頃)撮影。

 写真3枚目、2枚目写真の元画像。これでも取り込んだ後、細かな傷等は除去しています。乳剤をえぐってしまった箇所と横スジは、この画像を参考にしながら少しづつ修正を加えています。駅舎石の模様等は、実際とは異なってしまったものと思いますが、それなりに見られる状態には仕上ったと思っています。

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