連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

万葉線、簡易旅館みゆき

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 加越能鉄道高岡軌道線〔現:万葉線株式会社〕は、当初、富山地方鉄道が開業した路線であったこともあり、走行する車両は富山地鉄市内線車両と相通じるところがありました。でも沿線風景は、変化に富んでいて富山地鉄市内線よりも面白いと思っています。途中区間のみが複線なのも楽しいです。
 
 高岡軌道線魅力の一つは、貨物専用線との平面交差でした。国鉄氷見線能町から分岐して日本曹達能町工場へと続く専用線は、作業キロ1.8kmと紹介されています。初めて高岡軌道線を訪ねた時、現地で存在を知りました。平面交差付近を走行する軌道線電車を撮影。その後も訪ねていますが、毎度ながらの写真を撮影するのみでした。レイル・マガジン誌、「模景を歩く」で、日本曹達専用線を走る貨物列車の写真が紹介され、通過時刻も表記されました。可能であれば、平面交差を通過する11往復の専用線貨物列車も撮影したいと思いましたが、出向くチャンスに恵まれず専用線は廃線。
 
 上記、日本曹達への専用線とは別の場所に貨物専用線との平面交差が存在しました。今回は、こちらの平面交差箇所を紹介します。
 
 
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 写真1枚目、能町口〔写真後方、杉本建具店付近が電停〕〜新吉久間を走行し、間も無く川を越える7062号越ノ潟行。「まるせんチケット」広告電車。写真右手、道路に対して斜めに建つ2階建て木造建造物は学校のようです。道路側の小ぶりな建物がトイレなのでしょう。風車を載せた臭突が確認出来ますので、時代を考えれば、トイレと言うよりは汲み取り式便所。昨今の地図を確認すると、同じ場所に学校は存在しません。移転したのでしょうか?。白黒No.4261213)・昭和461971〕年53日(1315)撮影。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。平面交差を通過する「まるせんチケット」広告電車。警報機が道路脇に備えられています。白黒No.4261314)・昭和461971〕年53日(1315)撮影。
 
 
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 写真3枚目、高岡軌道線を横切る専用線貨物列車。牽引する機関車は、貨物線車庫で撮影した専用線用DLではなく、国鉄の移動機と思います。12枚目写真より、このカットを先に撮影しています。警報機が鳴り始めたので偶然撮影出来ました。この専用線写真は保有している趣味誌でも眺めた記憶はありません。それ故、消滅した時期も不明です。白黒No.4261112)・昭和461971〕年53日(1310)撮影。
 
 
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 写真4枚目、JR氷見線を撮影した後、万葉線の撮影に向いました。雨晴海岸を出発すると、来た道を戻り米島交差点左折。万葉線と平行する対港橋〔跨線橋〕でJR氷見線と貨物線をオーバークロスします。丁度、この時、眼下の貨物線を走る貨物列車を眺めました。跨線橋スロープを下った交差点脇が能町口電停。ここから単線併用軌道区間を走行して新吉久電停方向を目指します。直ぐに「アイトラム」高岡駅前行とすれ違いましたので、息子の運転するワゴン車助手席から撮影。1枚目写真の7062号とほぼ同じ場所を「アイトラム」が逆方向に走行するシーンを撮影する結果となりました。橋のコンクリート製欄干は、1枚目写真当時のままのようです。この向きですと、昔は写真左手に学校が存在したのですが、現在は駐車場なのでしょうか?。この先100m程走れば専用線警報機が存在した場所辺りになると思います。ND100No.288146・平成212009〕年810日(1407)撮影。
 
 
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 画像5枚目、保有している昭和451970〕年1228日発行、富山15万地図の一部。米島口から伏木港へ続く高岡軌道線が表示されています。日本曹達専用線も表示。国鉄氷見線や貨物線から枝分かれする専用線も所々書き込まれています。でも、3枚目写真の専用線は表示されていません。貨物線横から「のうまちぐち」電停の北東、川に沿って「東化工」へ向う道路に相当する場所が、写真の専用線位置になると思います。地図では軌道線を潜る表記です。レイル・マガジン誌、「模景を歩く」には、高岡軌道線・JR氷見線・貨物線の配線路線図も表記されていますが、新湊貨物駅付近から分岐する専用線は、この地図同様、併用軌道区間を潜る形で「日本重化学工場」へ続いています。地形を考えると、いささか腑に落ちません。
 戦後間も無い、昭和231948〕年410日、高岡駅前−伏木間7.2kmが富山地方鉄道高伏軌道線として全線単線で開業。昭和251950〕年10月、富山地方鉄道から分離され、加越能鉄道高岡軌道線に名称変更。その後、昭和261951〕年41日、米島−新湊間3.7kmが開通することで、当時の富山地方鉄道射水線新湊−新富山間に接続され、新富山−高岡駅前間に直通電車が運転されたと記されています。この際には、広小路−米島口間2.8kmの複線化も完成。
 しかし、昭和431968〕年には富山新港の完成により射水線は分断され、新港東口−新富山間14.4kmのみの運転となってしまいます。そして、昭和551980〕年331日限りで射水線は全線廃線。
 
 加越能鉄道高岡軌道線は、全線が富山地方鉄道により開業したものと思っていたのは勘違いでした。米島−新湊間3.7kmの区間は、加越能鉄道時代の開業でした。
 
 加越能鉄道高岡軌道線を初めて訪ねたのは、昭和461971〕年53日。射水線が分断され新湊−越ノ潟間を加越能鉄道が引継いだ3年後になります。加越能鉄道高岡軌道線→現万葉線の歴史は、今日まで64年ということになりますから、41年前に撮影した写真と現在風景では、かなり状況も異なっております。少々スキャンした写真をスタートに、折りを見て別の写真も取り込んでみようと考えております。
 
 
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 写真1枚目、加越能軌道線は、沿線風景がバラエティーに富み興味深い路線でありました。その一つが新高岡から暫らくの間は単線区間であることです。途中区間のみが複線といった路線は、他都市には無かったはずです。当時、国鉄高岡駅前から単線軌道沿いを歩き、右折した場所に位置する最初の電停が片原町。列車交換可能な電停なのですが、安全地帯はありません。現万葉線でも同じです。写真は、伏木港よりやって来た5021号の新高岡行。連結器を装着しています。昭和44年発刊の鉄道ピクトリアル誌223号によれば、5010形式は、50215026が在籍。P誌発刊時点でも、あまり走行することのなかった車両のようです。富山地鉄600Vの標準車デ5000系の一統とありますが、地鉄車両とは排障器が異なります。白黒No.4233410)・昭和461971〕年53日(1000)撮影。
 
 
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 写真2枚目、中新湊よりやって来た7073号新高岡行。片原町〜城下町間の単線区間を走行中。P誌223号では、7000系は、705070517053)・707070717076)・706070617062)の3種に分類されています。富山地鉄市内線デ7000形と似たスタイルですが、乗降扉の位置が異なる程度の認識しかありません。白黒No.423368)・昭和461971〕年53日(1006)撮影。
 
 
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 写真3枚目、新高岡より戻って来た5021号伏木港行。片原町〜城下町間にて。この日、新高岡−伏木港間を行き来する電車の中で、唯一走行していた5010形式でした。ところが、撮影から4ヶ月程後、昭和461971〕年91日、米島口−伏木港間2.9kmは廃線。伏木港へ続く路線を撮影出来なかった点が悔やまれてなりません。5010形式走行シーンを撮影したのも、この日のみです。撮影当時は気付きませんでしたが、今になって写真を眺め異様に感じるのが、鋼製の電柱です。名鉄本線、国鉄飯田線でも昔は、当然の如く眺めていた鋼製架線柱と同様の造りと思います。最初は「架線柱?」と思いましたが、トランスが備えられていますので、やはり電柱なのでしょう。しかも蝿叩き風。以上の3カットを撮影した中に数本写っているのみです。現在でも残っていれば、電車より電柱を撮影したいですが、もう無いでしょうね。白黒No.423386)・昭和461971〕年53日(1009)撮影。

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 ある方のブログを拝見しましたところ、懐かしい電気機関車の写真が掲載されています。それならばと思って取り込んだのが今回の白黒写真です。今になって考えると、「この電気機関車は何をしていた?」。
 
 ウィキペディアによれば、『庄川水力電気庄水3号形電気機関車は、電力会社の庄川水力電気により、専用鉄道での資材輸送列車牽引用に製造された電気機関車である。庄川水系の小牧ダム建設工事に伴い、1925年に製造され、工事資材輸送に充当された。ダム工事の終了後は、順次北陸地方の各私鉄へ譲渡されて後年まで長く使用されたことと、凸型車体前後のボンネット中央部に通路を設けた独特の車体形状で世に知られる。』と表記されています。4両製造され、内1両が加越能鉄道の電気機関車として廃車になったようです。
 機関車誕生の経緯は、現在活躍中の岳南鉄道ED402403と似た感じです。でも今春には、岳南鉄道の貨物列車は運転を終了してしまいます。十和田観光電鉄も廃線。ローカル私鉄で活躍する電気機関車の台数は如何程になりますかね?。
 
 鉄道ピクトリアル誌通巻223号<昭和441969〕年4月臨時増刊・全日本路面電車現勢>を開いてみました。加越能鉄道軌道線デキ6501に関しては、「新湊港線・新湊〔現:六渡寺〕−越ノ潟間は、貨物輸送も行なっているので、駅舎がある」と表記されています。更に、車両の現勢として「鉄道線の貨物輸送用として、6500形式6501なるBB凸型の電機があるが、米島口の基地へは入ってこない」とも記されています。路面電車の特集のためかデキ6501の写真は掲載されておりません。
 
 初めて加越能鉄道高岡軌道線を訪ねた折、新湊〔現:六渡寺〕留置のデキ6501を撮影しましたが、その次訪ねた時には、デキ6501の姿はありませんでした。誠に摩訶不思議な加越能の電機でした。製造直後は庄川上流で活躍し、晩年は庄川河口付近で活躍して生涯を閉じたようです。
 
平成25〔2013〕年6月11日〔火〕追記:ある方のHPを拝見したところ、米島口車庫に留置されたデキ6501の写真を見付けました。納得し難いP誌の記述でしたが、やはり検査時には、米島口車庫へ入場したものと思われます。1〜2枚目写真の単線併用軌道上を特異な凸型電機がゴロゴロと走行したことになります。
 
 
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 写真1枚目、万葉線、中伏木〜新吉久間を走行するMLRV1006−AB越ノ潟行後部。息子に運転を任せ、「電車の後を付いて行って…」と話し、ワゴン車の中から撮影したカットです。D100No.288150・平成212009〕年810日(1409)撮影。
 
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 写真2枚目、1枚目写真から少々走った所。万葉線、中伏木〜新吉久間を走行するMLRV1006−AB越ノ潟行後部。単線併用軌道区間が終了する場所です。この先、終点の越ノ潟までは専用軌道を走行することになります。左にカーブして専用軌道へ進入すると、次は右方向にカーブします。昔、このS字区間を走行し終えると、軌道線レールは新湊〔現:六渡寺〕まで貨物線と平行する区間でした。D100No.288153・平成212009〕年810日(1409)撮影。
 
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 写真3枚目、六渡寺〔旧:新湊〕で列車交換するMLRV1006−AB越ノ潟行とMLRV1004−AB高岡駅前行。六渡寺を発車したMLRV1006−AB越ノ潟行は、右方向にカーブした後、勾配を駆け上がり長い鉄橋で庄川を越えて行きます。六渡寺停車中MLRV1006−AB越ノ潟行の写真奥に側線が存在し、そこに留置されていたのが次の白黒写真です。D100No.288220・平成212009〕年810日(1542)撮影。
 
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 写真4枚目、加越能鉄道高岡軌道線の新湊〔現:六渡寺〕に留置されていた凸型電機デキ6501。白黒No.428442)・昭和461971〕年53撮影。
 
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 写真5枚目、135mmの望遠レンズで撮影した新湊〔現:六渡寺〕留置のデキ6501。堤防道路辺りから撮影したものと思います。写真左手、フェンスで仕切られた工場内へも貨物線が延びていました。写真右手は貨物線ヤードでした。このヤードから分岐して、更に港の埠頭へ延びる貨物線も存在。八島倉庫横の廃線跡は、「高岡のDL貨物」で紹介済です。貨物ヤードへ到着した貨車の一部を越ノ潟まで牽引する役目を凸型電機が担っていたものと想像しています。臨時増刊P誌の「BB凸型の電機があるが、米島口の基地へは入ってこない」の表記、「車両検査は、何処で実施された?」。米島口車庫へ向うのであれば、デキ650112枚目写真の併用軌道を走行することになります。中伏木電停付近には貨物専用線の車庫も存在し、専用線DLの写真も撮影してありました。これら写真を取り込まないと、当時の状況は見えてきません。「デキ6501の検査を貨物専用線車庫で行なうかなー????」。白黒No.427−(41)・昭和461971〕年53撮影。
 
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 写真6枚目、万葉線庄川口〜六渡寺間の庄川橋梁を走行するMLRV1004−AB越ノ潟行。六渡寺〔旧:新湊〕電停は写真右端辺りです。凸型電機デキ6501が数両の貨車を牽引して、この鉄橋を行き来したものと思います。デキ6501を撮影して暫らくすると、庄川橋梁の一部は水害により流されてしまいました。新湊〜越ノ潟間は廃線の危機を迎えることになります。デキ6501は活躍の場を失ってしまったため廃車になってしまったのでは…?。D100No.288191・平成212009〕年810日(1513)撮影。
 
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 写真7枚目、万葉線越ノ潟終点の7073号。凸型電機デキ6501が越ノ潟まで貨車を牽引したのであれば、越ノ潟には機回し線が存在したものと思われます。使用されず撤去された線路を眺めてもデキ6501が、やって来たであろう当時の光景はイメージ出来ません。D100No.288243・平成212009〕年810日(1629)撮影。

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 今回の富山行き目的の1つは、4年前に知り合った青年、岩瀬君と再会することです。彼を引き連れて、息子と一緒に鯰温泉の共同湯へ入浴して以来会っていません。今回は、岩瀬君を誘って“簡易旅館みゆき”に1泊し、海鮮料理を肴に酒を呑むことを企てました。息子の勤務状況、岩瀬君の都合も確認し、3人で1泊するお膳立ては整いました。
 “簡易旅館みゆき”に予約の電話。意外にも、「お客様のお掛けになった電話番号は現在使われておりません」という結果でした。改めて、“簡易旅館みゆき”で検索。つい先日まで開けたHPが開けません。「そんなー。“簡易旅館みゆき”は閉店してしまった?」
 息子にワゴン車の運転を任せた金沢からの帰り道、“簡易旅館みゆき”へ向かっています。薄暗くなった夕刻に到着。“簡易旅館みゆき”の前に立つのは14年ぶりのことです。看板は残っていますが灯りは消えています。玄関脇に立てられていたであろうビール看板も室内へ寝かせた状態でした。「無念。もう少々早く訪ねていれば、1泊出来たのに…」
 実状を確認するため、玄関を開けてみました。「何でしょうか?」と奥さんが出て来られました。「旅館はやめてしまったのですか」と質問。「やっていますよ」と予想外な答えが返ってきました。電話予約しようと思ったものの、電話が繋がらなかった事などを伝えました。「子供さん連れて、電車を撮りに来られた人け」と姫野喜美子さんは覚えていてくれました。電話番号は1年前に切り替えたそうです。HPの事は知らないと話されます。看板は蛍光灯が切れているだけの事でした。茨城から戻った息子さんが、きときとの海鮮料理を用意してくれるものと思っていましたが、料理は知人の魚屋さんに依頼しているそうです。1人1泊5000円で、料理は別料金。現在の電話番号、更に携帯電話の番号まで教えて頂くことになりました。この次、富山へ出向く際は、意地でも“簡易旅館みゆき”さんに1泊し、海鮮料理をお願いしようと思っています。
 “簡易旅館みゆき”で検索すると、つい先日までは、“簡易旅館みゆき”HPの下に、我がブログが続く形であったのですが、現在は逆転してしまいました。“簡易旅館みゆき”さんを宣伝しておきましょう。

    〒934−0024 富山県射水市越の潟町〔現在は海王町?〕8−8 簡易旅館みゆき
              TEL0766−82−8768

 写真1枚目、越ノ潟を発車して高岡駅前へ向かう万葉線MLRV1006−AB。片傾斜屋根の建物が“簡易旅館みゆき”さん。西側には新しい住宅が建設されました。写真後方は、建設中の臨港道路富山新港東西線。斜張橋主塔は海面からの高さが127mと表記されています。1年後には、この景観も随分様変わりするものと思われます。DNo.288−4−228・平成21〔2009〕年8月10日(16:01)撮影。

 写真2枚目、“簡易旅館みゆき”さんの東側を撮影。線路側2階の部屋に宿泊すれば、昔のように越ノ潟側は撮影可能のようです。DNo.288−4−231・平成21〔2009〕年8月10日(16:13)撮影。

 写真3枚目、“簡易旅館みゆき”さんの玄関側。DNo.288−4−238・平成21〔2009〕年8月10日(16:21)撮影。

 写真4枚目、“簡易旅館みゆき”さんの横辺りから撮影。越ノ潟を発車して高岡へ向かうMLRV1003−AB。写真後方に立山連峰が眺められました。DNo.288−4−232・平成21〔2009〕年8月10日(16:16)撮影。

 写真5枚目、越ノ潟電停横に設立された臨港道路富山新港東西線完成予想図。このイラスト、写真右手が万葉線側。富山新港を隔てた写真左手は、かつて富山地方鉄道射水線が存在した側になります。DNo.288−4−296・平成21〔2009〕年8月10日(17:19)撮影。

 写真6枚目、“簡易旅館みゆき”さんの所在地地図。

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 加越能鉄道高岡軌道線〔万葉線〕の撮影に出向き、料理旅館“鯰温泉”に宿泊した事は、前回表記したとおりです。“鯰温泉”へ宿泊予約が叶ったことで、以降は安心して万葉線を撮影しています。その際、終点の越ノ潟付近に1軒の簡易旅館を見付けましたが、時既に遅し。そこで、翌日の宿泊を“簡易旅館みゆき”に予約することにしました。
 話は戻って“鯰温泉”。5月4日、“鯰温泉”を出発すると富山市五福の知人宅を訪ねています。父親の趣味仲間が原点で、その後、お互いに行き来する間柄となっていました。そのお宅へ勝手に押し掛けたのは、私が20歳の頃でした。以来、北陸地区の撮影拠点として何度もお世話になっています。この日は、実に20数年ぶりの訪問となりました。午後1時過ぎまでお邪魔して、昔同様、お宅の前を走る地鉄市内線も撮影しました。
 ワゴン車で高岡駅前へ戻り、万葉線に1往復乗車してビデオ撮影。夕方6時、“簡易旅館みゆき”に到着しています。旅館の駐車場へ車を入れようとバック。松並木越しに見える“海王丸”を眺めつつ後進させたため、ワゴン車左後輪を側溝へ落としてしまいました。到着早々、旅館の奥さん、宿泊客男性2人のお手を煩わす結果となりました。ジャッキアップして後輪を浮かせ、側溝のグレーチング1枚を外して車輪下に設置。これで何とか側溝からワゴン車を出すことが出来ました。
 “簡易旅館みゆき”の奥さん、「体がキツイから、晩飯は用意出来ません」との事。そこで、その後は新湊へ出向いて中華料理店で食事を済ませています。缶ビールも購入して旅館へ戻り、宿泊客の男性2人に手渡しました。当地建設作業のため宿泊している男性のようです。
 宿泊に使用させて頂いた部屋は、万葉線軌道側、2階の2間〔10畳間?×2室〕でした。「他のお客がいませんから、2部屋を自由に使って下さい」と言われました。翌朝は、この2間の窓を全て開け広げて万葉線を撮影しています。越ノ潟を発車した電車を東側窓から撮影。部屋の中を駆け抜けて、西側窓から後追い撮影。越ノ潟へ向かう電車は、この逆。用意して頂いた朝食を済ませると出発しています。
 その後、みゆき旅館の姫野喜美子さんからは、年賀状を頂き、しばらく年賀状を交換していましたが、何時か年賀状も届かなくなりました。当時の写真を取り込んだことで思い出が甦りました。“簡易旅館みゆき”で検索したところ、当時と電話番号が異なるものの、“簡易旅館みゆき”は健在でした。夕食も用意してくれるようです。確か、息子さんが茨城在住と姫野喜美子さんから伺いましたので、「代替わりして、息子さんが営業されているのかも?」 チャンスがあれば、また訪ねてみたいお宿です。
 平成21〔2009〕年8月4日追記:8月9日、息子と一緒に宿泊予約しようと思い“簡易旅館みゆき”に電話。「お掛けになった電話番号は現在使われておりません」という結果でした。つい先日まで開けていたHPも開けませんでした。

 写真1枚目、越ノ潟を発車して高岡駅前へ向かう万葉線デ7060形デ7061〔既に廃車〕。“簡易旅館みゆき”さんの2階部屋東側窓から長男が撮影した写真。後方に薄っすらと立山連峰が眺められたようです。電車の屋根に搭載されているのは、Zパンタのみ。写真を眺めて初めて気付きました。NCNo.541−13・平成7〔1995〕年5月5日(7:48)撮影。

 写真2枚目、越ノ潟を発車して高岡駅前へ向かうデ7070形デ7076後追いカット。“簡易旅館みゆき”さんの2階部屋西側窓から撮影。後方に見えるホームは、かつての越ノ潟口? 海王丸電停が別の場所に開業したことで使用しなくなった電停と記憶しています。NCNo.541−14・平成7〔1995〕年5月5日(8:21)撮影。

 写真3枚目、“簡易旅館みゆき”さんを裏側から撮影。海王丸〜越ノ潟間。NCNo.541−34・平成7〔1995〕年5月5日(9:55)撮影。

 写真4枚目、海王丸〜越ノ潟間を越ノ潟へ向うデ7070形デ7075後追いカット。“簡易旅館みゆき”さんの建物と重なってしまいました。かつては富山地鉄の路線。射水線の新港東口〜四方間と沿線風景が似ています。NCNo.541−36・平成7〔1995〕年5月5日(9:57)撮影。

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