連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

江ノ電+湘南モノレール

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江ノ電107号単行運転

 江ノ電はハーフ版カメラにカラーポジフィルムを充填して撮影したことがあります。三島の母親実家に出向いたついでに藤沢まで遠征したものと思います。高校時代でした。藤沢駅から何処まで歩いたものかは覚えておりません。連接車とは別に連結車を撮影した記憶は残っております。
 
 2度目は、昭和441969〕年331日。この日の目的は、まず川崎市電最終日を撮影すること。川崎駅前から川崎市電沿線を歩き、昼過ぎには終点へ到着してしまいました。市電に乗車して川崎駅前へ戻り、午後は鎌倉駅へと移動しております。鎌倉駅付近で最初に撮影したのが江ノ電107号単行運転でした。100形ボギー車1両による通常単行運転を撮影出来たのは、この時だけです。
 
 “さよならタンコロ”と表記されたヘッドマークを掲げて107号がラストランした時には、アサヒペンタックス67も所持して数回撮影に出向きました。それとて、昭和551980〕年12月のことです。“さよならタンコロ”運行から既に36年が経過していたのですね。
 
 江ノ島駅側線に留置されていた100形ボギー車は何度も撮影しましたが、100形ボギー車走行シーンを撮影したカットは微々たるものです。豊橋市内の模型店で江ノ島電鉄100形プラモデルを見付け、クリーム色塗料共々購入しましたが、手付かずのまま。オーバーハングの長い電車です。
 
 
 
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 写真は、鎌倉を発車して藤沢へ向かう107号単行電車。横須賀線を貨物列車が走行中。ク5000が写っております。写真右手はオートバイ屋さんのお宅なのでしょうか?。洗濯物の干し方に時代を感じます。No.7210・昭和441969〕年331日(1449)撮影。

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 新旧の写真で、江ノ電藤沢駅を比較してみたいと思います。白黒写真を撮影した頃は、東京での学生生活が始まった年で夢多かりし時代。カラー写真を撮影した時は、客先会社が消滅する経緯を、東京まで聞きに出向いた翌日のことで、お先真っ暗な気分。40年の歳月が流れると、風景も己の心境も、随分様変わりすることを実感することになりました。
 とは言え、藤沢駅白黒写真を撮影した当時の状況など、今となっては思い出せません。記録したメモを眺めたことで、少々当時を振り返ることが出来ました。日々の記録は、僅かでも記録すべきだと思います。昭和44〔1969〕年、東京大田区に下宿先を決めたものの、学園紛争のため、学校はバリケード封鎖され授業にならず。豊橋実家暮らしで岡崎までアルバイトへ通う毎日でした。稼いだお金で東北周遊したのが、この年でした。目標とした福島交通軌道線、花巻電鉄を白黒撮影したのはハーフ判カメラで、現像ミスにカメラの不具合が重なり、満足な白黒写真が残せませんでした。そこで、35mm版コニカC35を購入。連写2眼2号機を製作することになります。2号機が完成した直後の10月、5歳年上の叔母さんが結婚することになりました。両親共々、豊橋から三島へ向い、結婚式の写真撮影を担当する事になります。その翌日、江ノ電の撮影に向かっています。藤沢駅から極楽寺までの間を歩いておりました。11月からは、やっと授業が開始。本格的な東京での下宿生活が始まりました。5ヶ月程学校へ通って1年生は終了。学校へ通う主目的の学生割引証明書だけは全て受け取り。5ヶ月程の授業で単位を貰えましたので、良き昭和44年でした。勉学を目指す気持ちなど、全く持ち合わせていませんでした。

 写真1枚目、地表駅時代の藤沢駅へ到着する300形301+351連接車。ウインドーシルが波打って見えます。昭和56〔1981〕年9月1日、江ノ島電鉄に社名が変更。写真は江ノ島鎌倉観光と言われていた時代です。踏切の中で撮影?。決してその様なことはありません。白黒No.66−36・昭和44〔1969〕年10月21日(8:56)撮影。

 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。地表時代の藤沢駅は、2線どころか車両留置線まで存在したようです。木製柵で封鎖されていますので、この頃、留置線は使用されていないようです。江ノ電ホーム写真後方に国鉄藤沢駅の跨線橋と駅舎らしきものが確認出来ます。地表駅が何時まで存在した?。ウィキペディアを調べても表記はありませんでした。昭和60〔1985〕年9月15日発行“江ノ電賛歌 編著者 吉川文夫”に記述を見付けました。江ノ電百貨店内の高架藤沢駅は、昭和49〔1974〕年6月7日より使用開始。高架工事の際、営業キロが100m短縮したため、江ノ電全線距離は10.1kmから10.0kmに変更されています。地表駅時代の藤沢駅を撮影したのは、この時だけです。白黒No.66−37・昭和44〔1969〕年10月21日(8:56)撮影。

 写真3枚目、1線2面ホームの駅ビル内、高架藤沢駅。21+61+22+62、レトロ調車両の4両編成。橋上駅舎の現JR東海道本線藤沢駅の改札口を出ると、ペデストリアンデッキを使用して同じフロアーで江ノ電藤沢駅まで移動可能です。デッキから見下ろす藤沢駅南口駅前道路辺りに、地表時代の藤沢駅が存在したものと思います。DNo.306−121・平成21〔2009〕年9月16日(14:34)撮影。

 写真4枚目、自動改札機越しに眺める高架藤沢駅の21+61+22+62、レトロ調編成。DNo.306−124・平成21〔2009〕年9月16日(14:35)撮影。

江ノ島電鉄、今昔

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 今年9月16日〔水〕、久々に江ノ島から腰越までの併用軌道区間を歩いてみました。デジカメ1台を所持しておりました。何度、訪ねても撮り方は毎回同じです。撮影した画像を確認してみますが、「何故か、上手く撮影出来ない?」。疑問を抱いたまま自宅へ戻っています。
 昔、江ノ電沿線を歩いた時は、まだデジカメなど普及以前の時代です。フィルムカメラで使用するレンズは50mm標準レンズが主体で、時に135mmの望遠レンズを使用する程度でした。デジカメで撮影するのは今回が初めて。パソコンへ取り込んだ画像を眺めて、電線が目障りなことに気付きました。望遠域で撮影すると、無秩序に張り巡らされた電線ばかりが目立つ写真になっています。

 写真1枚目、501+551+305+355の4連鎌倉行。写真右手の魚屋さんを入れて何度も撮影したものです。355号のパンタグラフ後方の電線、随分本数が増えてしまいました。江ノ島〜腰越間の併用軌道にて。DNo.306−1−54・平成21〔2009〕年9月16日(12:48)撮影。

 写真2枚目、1枚目写真を撮影した場所付近から腰越方向を見ています。40年程昔の光景です。306+356の2連かまくら行後追いカット。空が広く感じられます。江ノ島〜腰越間にて。白黒No.67−35・昭和44〔1969〕年10月21日(12:01)撮影。

 写真3枚目、腰越駅を発車して併用軌道区間へ出て来る2051+2001+1000形プラレール号の4連藤沢行。写真奥、商店街の雰囲気を電柱・電線が、ぶち壊している感じです。腰越〜江ノ島間にて。DNo.306−2−92・平成21〔2009〕年9月16日(13:57)撮影。

 写真4枚目、以上の写真は、併用軌道区間の道路海側から撮影したものです。この写真は道路山側から撮影。この角度でも電線は目障りでした。腰越魚勝商店前を355+305+551+501の4連鎌倉行がのんびり通過します。腰越〜江ノ島間にて。DNo.306−2−100・平成21〔2009〕年9月16日(14:01)撮影。

 写真5枚目、鵠沼駅を発車した鎌倉行電車は、急カーブを曲がると境川橋梁です。305+355の2連かまくら行後追いカット。この頃、冷房装置は搭載されていません。ヘッドライトは、オデコに1灯でした。Zパンタが305号に載せられています。模型化したいと思った車両です。個性的な東急製TS418形〔連接部TS419形〕台車が表現出来ないため断念。鵠沼〜湘南海岸公園間にて。白黒No.67−18・昭和44〔1969〕年10月21日(10:34)撮影。

 写真6枚目、藤沢行21号車内から撮影した最近の境川橋梁。橋梁と架線柱がセットになっています。コンクリート製でなく、鋼製であるところが嬉しい限りです。橋梁を渡り終えた所が鵠沼駅。DNo.306−2−120・平成21〔2009〕年9月16日(14:27)撮影。

 写真7枚目、我が家の門柱傍らに立っている電柱上部。表に出て空模様を眺める際には、嫌でも目に入る代物です。場当たり的に工事を繰り返したため、この様な姿に変わっています。美的な要素は微塵も感じられません。DNo.349−4・平成21〔2009〕年12月1日(12:09)撮影。

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 京急蒲田界隈が生活の拠点であった当時、たまに、江ノ電の撮影に出向いております。この時、良く利用したのが湘南モノレールでした。主に元京浜急行のバス専用道路上に建設されたモノレール線で、大船〜湘南江の島間、全線6.6km。丘陵地帯を抜けるため、カーブ、アップダウンを繰り返します。途中区間には2本のトンネルも存在します。
 大船から乗車すれば、毎回、運転台後方に立ち前方を眺めておりました。電車に乗車しているというより、航空機で低空飛行している様な感覚で、バスや車の屋根を眺めながら、宙を舞っている雰囲気には独特のものがあります。地表すれすれ、車両の腹を擦りそうな状態でトンネルを抜けると、突然、崖から飛びだして終点の湘南江の島に到着。初めて乗車した時には、恐怖を覚えたものです。
 鉄道ファン誌、No.583号〔2009−11〕には、“再発見!!モノレールの魅力 最終回 単線の路線をゆく「一本道」”で湘南モノレールが紹介されています。それとは別に、“鉄道ファンフォトサロン 君のいた湘南の夏 …江ノ電沿線、ひと夏の想い出…”と題されたカラーグラフ6頁の綺麗な写真も紹介されています。

 写真1枚目、大船駅から湘南モノレール軌道に沿って、富士見町駅まで1区間を歩いてみました。大船を発車して湘南江の島へ向う、550形555+○+556後追いカット。550形は3連6編成が在籍。軌道桁を支えるのは、主に逆L字形の支柱なのですが、写真の様な支柱も存在します。DNo.305−47・平成21〔2009〕年9月16日(11:00)撮影。

 写真2枚目、富士見町〜大船間、大船へ向う550形558+○+557後追いカット。大船を発車したモノレールに乗車しますと、このカーブを通過する際、前方には空が開けます。乗車して最初に感動する区間です。DNo.305−55・平成21〔2009〕年9月16日(11:10)撮影。

 写真3枚目、元バス専用道路が横須賀線を跨ぐ区間。モノレールは跨線道路と平行して横須賀線を越えます。この区間では、がっしりとした門形支柱を採用。モノレールがこの区間で停車した場合を想定し、非難用のホームが設置されています。車両は、5000系5302+○+5301大船行。DNo.305−68・平成21〔2009〕年9月16日(11:25)撮影。

 写真4枚目、横須賀線を越えて富士見町駅に接近する550形556+○+555湘南江の島行。再び、軌道は道路上に変わります。八の字形の支柱が採用されています。何処から何処までがモノレール線の境界に当るものか判断出来ません。DNo.305−78・平成21〔2009〕年9月16日(11:38)撮影。

 写真5枚目、唯一相対式ホームの富士見町駅で列車交換を済ませた550形560+529+559大船行。横須賀線と大船工場を結んでいた短絡線を跨ぎます。現在では、踏切区間のレールは撤去されていました。前後のレールと架線は健在です。DNo.305−84・平成21〔2009〕年9月16日(11:39)撮影。

江ノ島電鉄、龍口寺前

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 10代の頃、1畳程のHOゲージレイアウトを2度製作しています。何れも完成には至りませんでした。2作目は、トンネル・鉄橋・ストラクチャー等も製作して、それなりの形にしてありました。高価であったポイントマシンも取り付け、遠隔操作でポイント切り替えが可能でした。東海形153系の先頭車両1両をペーパーで自作。この車両が動力車です。連結するのは、短い豊橋鉄道渥美線の制御車です。これ以上長い編成はホームに収まりませんでした。お手頃サイズであったのが、福島交通飯坂西線の連接車でした。運転時刻表まで作成して名鉄パノラマカー2両編成も走らせたものです。東京で生活している間に、このレイアウトは実家裏の物置へ移されてしまいました。雨に当り、結局はヨレヨレになってしまったため解体。小学生の頃買ってもらったGG−1ブリキのオモチャを捨てられた事。レイアウトを壊されてしまった事。この2点に関して、母親には今でも根に持っています。
 東京での間借り部屋時代、3度目の小さなレイアウトを製作。これは、ナローゲージの車両を走らせるのが目的でした。花巻電鉄馬面電車は、少々速度を上げると必ず横転します。未完のレイアウト3作には、併用軌道区間を設けています。自分でイメージしたレイアウトに併用軌道は不可欠でした。
 レイアウトで描いたイメージの実在路線版が江ノ電でした。海が見えます。小高い山をトンネルで抜けます。鉄橋・トンネルのみならず、併用軌道までもが存在します。古い鉄道ファン誌には、「消え行く路線を訪ねて」と題されたシリーズが連載されました。ポールカー時代の江ノ島鎌倉観光が取り上げられています。廃線話が取り沙汰された時代を経た後、新造車両1000形がデビュー。この車両は、昭和55〔1980〕年の鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞します。短い2両編成の連接車が、ブルーリボン賞受賞。信じ難い快挙でした。

 写真1枚目、龍口寺〔写真後方のお寺さん名称〕前で久々に撮影した江ノ電501+551+305+355の4連藤沢行。写真の501+551連接車は、平成18〔2006〕年3月にデビューした2代目。昔の501+551編成スタイルを受け継いでいます。江ノ島〜腰越間の併用軌道にて。DNo.306−1−33・平成21〔2009〕年9月16日(12:23)撮影。

 写真2枚目、龍口寺前、昔の501+551。この頃は、501号にのみZパンタが搭載されていました。後に2機のパンタグラフを搭載。平成14〔2002〕年1月に廃車になっています。40年前の光景ですが、現在風景と比較してみても、大きく変化していない点は喜ばしい限りです。架線周りが仰々しくなった感じです。江ノ島〜腰越間にて。白黒No.67−35・昭和44〔1969〕年10月21日(11:59)撮影。

 写真3枚目、1枚目写真編成と江ノ島駅で列車交換したのが、この編成。21+61+22+62の4連鎌倉行。新501+551編成共々、初めて眺めた車両です。シングルアーム式パンタを搭載していますため、昔の江ノ電に戻った様な印象をうけます。江ノ島〜腰越間にて。DNo.287−2−173・平成21〔2009〕年9月16日(12:25)撮影。

 写真4枚目、2枚目白黒写真左手にラビットスクーターが写っています。我が家でも両親が使用していました。父親が最初の中古車購入後も暫らく物置に置いてありました。19歳で普通運転免許証を取得しましたが、この免許証では運転することが出来なかったスクーターです。昭和43〔1968〕年6月に生産終了とあります。先日、豊橋鉄道市内線の「花電車」を撮影するため駅前へ出向いた際、偶然見掛けたのが写真のラビットです。いまだに健在!!。懐かしい。豊橋広小路通りにて。DNo.315−17・平成21〔2009〕年10月4日(13:42)撮影。

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