連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

四国の私鉄

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 国鉄土讃線伊野駅で下車したところまでは紹介しましたので、その続きを少々。土讃線伊野駅舎を背にして撮影した土佐電鉄600617+6162連伊野行を追って伊野駅前電停から1区間歩けば伊野終点でした。
 当時撮影した写真と、ネット検索した最近のマピオン地図を見比べて、伊野電停周辺の変貌ぶりを想像してみようと思うのですが、近年の状況までは、とても把握出来ません。ネット上で紹介された写真数カットを眺めると、撮影当時の雰囲気は残っているようですが、それとて数年前の写真です。時代の変化と共に、周辺の建造物が少しづつ様変わりしたのであろうといった印象です。可能ならば、道路端軌道沿線をもう一度歩いてみたいのですが、出向ける状況ではありません。
 
 
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 写真1枚目、伊野電停に停車中の600616+6172連知寄町行。写真右手は土佐電鉄伊野待合所。詰所を兼ねた駅舎のような雰囲気ですが、建て替えられてしまったようです。白黒No.8932022)・昭和481973〕年731日(720頃)撮影。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真の奥に移動して撮影。レール末端の架線柱越しに撮影した616+6172連知寄町行。白黒No.8932527)・昭和481973〕年731日(720頃)撮影。
 
 
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 写真3枚目、2枚目写真に近い場所から撮影。写真中央、「ホンダ」の看板を掲げた屋根の高い総2階建て店舗は健在のようです。「明神ハイヤー」、「おおた靴店」の看板を掲げた建物は建て替えられたようです。模型屋さんもありましたか。白黒No.8932628)・昭和481973〕年731日(720頃)撮影。
 
 
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 写真4枚目、知寄町行617号後正面。電車の写真右手に小さくダイハツのオート三輪が写っています。道路向い側にはマツダのオート三輪も写っておりました。「2台のオート三輪、セットで撮影しておけばよかったのに…」。写してありませんでした。白黒No.8932729)・昭和481973〕年731日(720頃)撮影。

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 撮影した写真や、記録したミニノートを開いても、当時の状況が何も蘇りません。高松駅4番線を059に発車する急行「うわじま」最後部車両「青いさんご礁」に乗車し、国鉄土讃線伊野駅下車。
 撮影目的地は、土佐電鉄伊野線であった事は確かのようです。四国内を走る夜行急行は、長時間寝られる列車ではありませんでした。高松から「青いさんご礁」に乗車して伊野到着までの間、何時間寝ることが出来た?。伊野で下車したものの、まだ撮影可能な時間帯ではなかったため、戻る形で、伊野発555の列車で高知へ向ったものと思います。
 高知駅に到着すると300円の釜飯で腹ごしらえ。駅のトイレ借用。トイレで男性に声を掛けられましたが、その気はありませんのでお断りしています。この事こそが、消えることの無い高知唯一の記憶なのです。当然、フィルム、着替え等詰め込んだリュックサックを背負っていたものと思いますが、荷物を預けた記録も残っていません。しかも、夕刻には高知駅前で女性2人組と合流することになっていました。当時のアルバイト先、SONY姉御肌の怖いおネーちゃん2人連れでした。この日の夜は宿屋〔2100円也〕で1泊して、翌日は彼女達と桂浜へ出向いています。2方共々、お元気であれば、今頃はイケズ婆さんをやっているものと想像しております。
 
 高知駅前で640頃撮影した土佐電鉄の2車両写真は、前回お見せしたとおりです。その続編です。高知発654の国鉄土讃線列車で再び伊野駅へ向いました。
 
 
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 写真1枚目、歩道橋上から撮影した土佐電鉄高知駅前電停乗車場の200208号。白黒No.8931517)・昭和481973〕年731日(641)撮影。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真撮影場所で、体を90度左回転させると、この光景。当時の高知駅舎です。松山へ向う国鉄バスが存在したようですが、国鉄バスが写っていないのは残念。白黒No.8931618)・昭和481973〕年731日(641)撮影。
 
 
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 写真3枚目、ヘッドマークがありませんので、普通列車と思います。下車した国鉄伊野駅ホームで撮影。キハ58  96とだけ記録してありました。白黒No.8931719)・昭和481973〕年731日(715)撮影。
 
 
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 写真4枚目、国鉄土讃線伊野駅舎。「この駅舎で時間潰すのは、辛かったのかなー?」。白黒No.8931921)・昭和481973〕年731日(718頃?)撮影。
 
 
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 写真5枚目、国鉄土讃線伊野駅舎を背にして撮影した土佐電鉄600617+6162連伊野行。土佐電気鉄道路線の多くは土讃線南側に敷設されていますが、伊野線途中区間で土讃線がオーバークロス。終点伊野は土讃線北側に位置します。写真の2連電車は伊野駅前電停付近を走行中。写真左方向へ少々走れば終点の伊野です。白黒No.8931820)・昭和481973〕年731日(718頃?)撮影。 
  四国へ渡ったのは2回だけです。高校2年生時の修学旅行が初回。だいぶ以前にハーフ判カラースライドを眺め、栗林公園・屋島を訪ねている事に気付きました。四国へ渡ったことなどすっかり忘れていました。2度目は私鉄を追い求めて自ら決起していますが、これとて昭和481973〕年の事で38年前になります。「○○線のあの辺りを歩いた」程度の記憶しか残っておりません。土佐電鉄安芸線が廃線になってしまうための決起でした。2回共、宇高連絡船のお世話になっております。撮影し損じた区間、白黒現像を失敗した区間、改めて撮り直しも考えましたが、決起には至っておりません。現在の生活状況では3度目の四国は叶わないものと諦めております。プリントすることもなかった白黒写真でも眺めて当時を偲んでみたいと思います。
 
 記録したミニノートを開いてみました。昭和481973〕年730日は、京都市電を1日撮影しておりました。京都発1746網干行で新大阪まで乗車。新大阪発1858の臨時ひかり415号に乗車して岡山到着2015。岡山発2036の快速〔モハ15372〕に乗車して宇野到着2113。宇野発2124の宇高連絡船に乗船。高松到着??:??。高松駅待合所は、2400300まで封鎖とノートに記録してありました。青森駅青函連絡船待合室は何度も寝場所として利用したものです。それ故、宇高連絡船待合所で1晩明かす事も考えていたものと思いますが、結果は寝場所として利用出来なかったことになります。時刻表を開いて夜行列車を調べる。高松駅3番線を020に発車する快速乗車を断念して、高松駅4番線を059に発車する急行「うわじま」最後部車両「青いさんご礁」に乗車。その後の記録は、国鉄土讃線伊野駅で下車とだけ記してありました。夜が明け、伊野発555で高知へ向ったようです。
 
 高松駅3番線020発〔入線2345〕の快速は、高松寄りから4号普通車+5号グリーン車+67号普通車2+8号荷物車の5両編成。高松駅4番線059発〔入線2330〕の急行「うわじま」は、高松寄りから1号自由席車+2号指定席車+3号グリーン車+46号自由席車3+7号自由席車の7両編成。16号車が宇和島行。7号車は中村行「青いさんご礁」と、編成まで記録してありました。寝場所を探して高松駅で頭を悩ませていたことだけは確かのようです。当時の時刻表を調べないと、現地で何を考えていたものかは判断出来ません。
 
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写真1枚目、高知駅前電停の降車場に到着した200212号。桟橋線を走行する高知駅前行電車は国鉄高知駅目前で右折して高知駅前電停。平成132001〕年41日、高知駅前をJR四国高知駅の駅前ロータリーへ移設とあります。現在は写真右手の32号線を横切って線路は直進。高松駅舎に近い場所が高知駅前電停のようです。白黒No.89335)・昭和481973〕年731日(635)撮影。
 
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 写真2枚目、高知駅前電停の乗車場に移動した200212号。212号は連結器を備え鉄道線の安芸線へも乗り入れていたと記されていますが、撮影時点では既に連結器は外されていました。パンタグラフ搭載で、台車は600形同様と思います。もう少々画像を取り込まないと確信は持てません。電車後方にはボンネットバスが写っております。方向幕高知驛のまま発車しましたので回送電車と思います。白黒No.89346)・昭和481973〕年731日(635)撮影。
 
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 写真3枚目、高知駅前電停へ進入する200208号。Zパンタを搭載しています。白黒No.893810)・昭和481973〕年731日(641)撮影。
 
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 写真4枚目、高知駅前電停降車場の200208号。歩道橋を潜った写真奥が乗車場。現在の地図を眺めても歩道橋は記載されています。白黒No.8931012)・昭和481973〕年731日(641)撮影。
 
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 写真5枚目、4枚目写真を別角度から撮影。写真後方が当時の国鉄高知駅舎。白黒No.8931113)・昭和481973〕年731日(641)撮影。
 
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 写真6枚目、高知駅前電停乗車場へ移動した200208号。4箇所設置のバックミラーは固定式ですね。電停横のシュロの木は印象強いものでした。2両の電車を撮影すると、高知駅から土讃線列車に乗車して再び伊野駅へ向っていました。白黒No.8931214)・昭和481973〕年731日(641)撮影。

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 四国を訪ねた時の写真から、伊予鉄道古町車庫で稼動中の電動貨車モニ30形30号の白黒写真3枚を載せてみます。
 高校時代の修学旅行で高松栗林公園と屋島を訪ねていますが、私鉄を求めて四国へ渡ったのは、昭和48〔1973〕年の夏のみです。土佐電気鉄道の鉄道線が廃線となってしまった以外、当時撮影した私鉄路線に変化は無いはずです。趣味誌の中に路線廃止記事でも見付ければ、出向くこともあったのでしょうが、その様なこともありませんので、再度訪れる機会を逸してしまいました。

 写真1枚目、電動貨車モニ30形30号と軌道線車両81号。写真左手の特異車両は、単なる車庫内の牽引車と思っていましたが、改めて写真を眺めると30と表記されています。ウィキペディアより、「当初は、客車の回送に使用されていたが、伊予鉄道線の全面電化後は古町工場の入換え車となった」とあります。写真の風体から「モニ」のイメージはありません。模型化された姿を眺めることもありましたので、「今でも現役では…」などと思っておりました。平成19〔2007〕年3月31日付で廃車除籍扱いとなり、現在はアントに交換されたようです。比較的近年まで使用されていたことになります。写真右手の81号は、元南海和歌山軌道線から昭和46〔1971〕年に譲り受けた車両。走行シーンを撮影出来なかったことが残念でした。白黒No.946−25・昭和48〔1973〕年8月8日撮影。

 写真2枚目、仮台車に載せられた鉄道線用モハ300形302号を牽引する30号。古町車庫は、鉄道線・軌道線車両が同居する広い工場です。古町駅付近では、鉄道線と軌道線が平面交差していたと記憶しています。もう一度訪ねたとしても、現在では、この様な写真が撮影可能なものか否かは知りません。白黒No.946−28・昭和48〔1973〕年8月8日撮影。

 写真3枚目、牽引中の30号。牽引には連結棒を使用していたようですが、自連とどの様に接続していたものかは判断不能です。救助網風の排障器がユニークです。白黒No.946−28・昭和48〔1973〕年8月8日撮影。

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