連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

豊川放水路周辺にて

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 学生時代、豊橋の実家は日本列島西側の撮影拠点でありました。東京の下宿が日本列島北側の撮影拠点。仕事に就き、時間的制約を受けるようになると、東京から豊橋を素通りして九州へ向かうこともありました。寝台特急や東海道新幹線「ひかり」に乗車して豊橋駅を通過してしまうのですが、不思議と豊橋駅を通過するまでは寝られませんでした。
 
 学生時代、豊橋へ帰省して豊橋鉄道市内線・渥美線を撮影するのは年に数回。豊川放水路周辺へ出向くのも同じことでした。「たまには放水路へでも出向きましょう」。特に目的はありません。豊川放水路周辺に立って見慣れた列車を2時間程撮影して自宅へ戻るだけのことです。成り行きで撮影しただけの写真ですから、印象強い写真の記憶はほとんどありません。ところが、今になって当時の写真を見返すと全てが懐かしいです。現在に至って感動することの方が多いです。「昔は良かったー!!」。
 
 標準レンズを装着した2段カメラとは別に135mm望遠レンズ装着用1眼レフを購入したことで、連写2眼×1.5の時代到来。今回の写真は、その頃撮影したカットです。連写2眼×2の時代は、これから後のこと。よって、今回撮影画像のカラー写真はありません。
 
 
 
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 写真1枚目、豊川放水路を渡り終え豊橋へと向かう国鉄飯田線のED17 15牽引貨物列車。撮影場所、飯田線では小坂井−下地間なのですが、同じレール上を走る名鉄電車では、伊奈−豊橋間。東海道本線では、西小坂井−豊橋間。列車毎に撮影場所を表記するのは面倒なため、全てひっくるめて撮影場所は放水路南方〔厳密には放水路南東方向〕としてあります。白黒No.29143)・以下全て、昭和451970〕年1227日撮影。1025撮影。
 
 
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 写真2枚目、東海道本線を上るEF65 15牽引貨物列車。白黒No.29176)・1050撮影。
 
 
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 写真3枚目、東海道本線を下るEF65 65牽引貨物列車。延々と連結された2軸貨車の通過音、懐かしい限りです。中間に連結されたボギー貨車はレールジョイントを刻む音が2軸貨車とは異なります。白黒No.29187)・1050撮影。

湘南色時代の流電

 国鉄飯田線の旧型国電、湘南色で走っていた時代は、あまり撮影してありません。白井良和先生の写真集によれば、飯田線旧国スカ色化は、昭和431968〕年から始まったそうです。旧塗装で検査入場し、検査終了時にはスカ色に塗り替えられるといった作業の繰り返しであったようです。豊橋鉄道田口線が廃線になったのは、昭和431968〕年。この頃健在であったチョコレート色、湘南色の旧型国電が、暫くするとスカ色編成に統一されてしまったことになります。
 
 
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 写真1枚目、豊川橋梁を走る流電クモハ520034連の豊橋行642M。中間にはスカ色車両が挟まっています。たまに帰省して東海道本線・名鉄・飯田線車両を撮影する場合には、豊川放水路南方の築堤に登りゴソッと撮影していましたので、豊川橋梁へ撮影に出向くことは少なかったです。No.585・昭和441969〕年16日(1015)撮影。
 
 
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 写真2枚目、豊川放水路南方、飯田線に関しては、平井信号所〜下地間を走行するクモハ52002+++++クモハ51027。豊川稲荷初詣編成6連が、豊川より戻ってまいりました。先頭のクモハ51027は、昭和441969〕年に大糸線より転入。大糸色のまま、暫く走行しましたので、この様な編成が実現しました。最後尾の流電クモハ52002は、まだ湘南色の時代です。No.15126・昭和451970〕年11日(1456)撮影。
 ビジネス特急「こだま」が東海道本線にデビューしたのは、昭和331958〕年11月の事ですか。当時は小学生でした。中学2年生になった昭和391964〕年101日、東海道新幹線が開業。「こだま」の愛称名は新幹線に受け継がれ、在来線特急「こだま」は、昭和391964〕年930日をもって運転終了。
 
 豊橋付近の東海道本線で活躍する“こだま形特急電車”の記憶はオボロゲです。我が家から東海道本線までは、小学生の足では遠過ぎました。同級生と一緒に、一度だけ眺めに出向きました。子供用自転車使用であったと思います。向った先は、現在の向山アピタ南方辺りです。水田の中の砂利道を走ったはずです。線路脇の柵に腰掛けて、通過する列車運転士さんに手を振りました。EF15形牽引貨物列車の機関士さんは、手を振り返してくれましたが、“こだま形特急電車”運転士さんは、手を振ってくれませんでした。今にして思うと、子供目線では、運転台が高過ぎて運転士さんの姿が良く見えなかったという事なのでしょう。
 
 東海道新幹線開業後、豊川放水路南方築堤に立っていても在来線特急電車などはやって来ません。優等列車として撮影出来たのは、僅かばかり残っていた急行列車でした。
 
 
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 写真1枚目、「東海形」と呼ばれた153系の上り急行「東海」304M。学生時代、周遊券を利用して豊橋と東京を行き来するには、ほど良い電車でした。くたびれた感じのヘッドマークを掲げています。No.40925・昭和471972〕年314日(1419)撮影。
 
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 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。グリーン車2両を挟んだ12両編成。後には165系が連結されていましたか。No.40926・昭和471969〕年314日(1419)撮影。
 
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 写真3枚目、1654連、国鉄飯田線の下り急行「伊那」。急行「伊那」と言えば、80300番台の印象が強かったのですが、既に、この時には165系に置き換えられていたようです。HMが無いのは寂しい限りです。No.40936・昭和471969〕年314日(1458)撮影。
 
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 写真4枚目、3枚目写真の後追いカット。後部車両の方向幕には、「急行」の表示すらありません。No.40937・昭和471969〕年314日(1458)撮影。 
 豊川放水路南方で撮影した写真、たまたま取り出したカラースライド1本分をスキャナーで取り込みましたが、レタッチ作業は遅々として進みません。カビを発生させてしまったため、カビをまず除去するのですが、しつこいカビの箇所は、どうしても変色してしまいます。カビ変色箇所のレタッチが実に辛いです。10分も手掛けると嫌になります。
 
 今回は処理した80系湘南電車の写真2カットです。正面2枚窓のデザインは、後に誕生する私鉄車両にも多く採用されましたので、一世を風靡した電車であることは間違いありません。機関車牽引の客車列車を刷新してしまった国鉄電車です。見方を変えると、チョコレート色の急行用客車に、運転台・自動扉・モーター・パンタグラフを備え、緑とオレンジで塗装しただけの電車といった感がしないでもありません。80系は「国鉄における吊り掛け駆動方式旧形電車の集大成」だそうです。
 
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 写真1枚目、当時の撮影メモから、クハ86034と表記したカットと思います。これが「湘南顔」です。同じ80系でも正面3枚窓の先頭車両は「湘南顔」とは呼ばれません。東海道本線優等列車として活躍していた時代の記憶は定かではありませんが、母親の実家へ向う際、乗車した準急「東海」は80系?。やはり153系であったような気がします。No.40930・昭和471972〕年314日(1433)撮影。
 
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 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。こちらはクハ85304と思います。サロ85形、サハ85300番台の改造車で、クハ85300番台に属する車両です。当時、普通電車に連結されていたクモユニ74同様の顔に改造された元中間車両です。「湘南顔」でなく「103系顔」といった印象でした。No.40931・昭和471969〕年314日(1433)撮影。
 
n7a*o7*8i7 さんより頂いたコメントを追記としておきます。平成26〔2014〕年11月30日
 
豊川放水路付近、クハ86の写真はジャンパ栓受けがある奇数車だから、クハ86034ではあり得ず、車体の形状やへこみの状況からみて、まず間違いなくクハ86037であろう。

また、昭和40年代半ばまで、静岡に前面がHゴム化されていないクハ86が2両(86059・86060)あった。これは、昭和26年度製で、更新修繕の対象外となり、戸袋窓と共にHゴム化されなかったもの。
2両とも山陽地区に40年代半ばに転出(86059岡山・86060広島)して、最終的にはHゴム化された。 

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 タイトルに「その4」と表記しますが、特に意味合いはありません。処理済の写真を任意で載せているだけのことです。前回の続編と思って下さい。

 写真1枚目、この日撮影したカットの中では、珍しい写真です。東海道本線上り線をキハ10 34が単行で走り去りました。回送列車です。「国鉄二俣線で使用されていた車両であろう」と思っていますが、確信は持てません。写真右端に名鉄パノラマカーの姿が確認出来ますので、豊橋までパノラマカーと併走したものと思います。後方が撮影してあれば、多少スピードの違いが判別可能なのですが、下り列車に邪魔されてしまったのか、後追いカットはありません。No.409−27・昭和47〔1972〕年3月14日(14:25)撮影。

 写真2枚目、前回掲載した飯田線流電の編成後追いカットです。改めて当時のノートを調べ直すと、クモハ52004〔流電広窓車〕+サハ48+サハ75103+クモハ42008と記録してありました。当時は、編成車号がソコソコ記憶出来ていたようです。最近は1両の車号すら覚えられません。歳は取りたくないものです。No.409−29・昭和47〔1969〕年3月14日(14:29)撮影。

 写真3枚目、豊橋発特急新岐阜行名鉄7500系〔7507と記録〕パノラマカー。36枚撮りカラースライド1本の中で、名鉄パノラマカーを撮影したのは、2カットのみ。豊橋発着の特急は、あらかたがパノラマカーばかりでしたから、気休めに撮影したカットです。「もう少々、引き付けて撮影したかった」。No.409−33・昭和47〔1969〕年3月14日(14:37)撮影。

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