連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

関西の路面電車

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大阪の路面電車2カット

 フィルムスキャナーを購入。早速、取り込んだ画像は、満足に白黒写真が記録出来なかった時代のカラースライドばかりです。これら画像のレタッチ作業が徒労であった事に気付いたのは2年後のことです。改めてスキャンし直し。カラースライドは1枚毎マウントに取り付けられています。マウント付きの状態ですと画像の回りがケラれてしまいますので、最近はマウントを外して画像フルサイズで取り込むことにしています。
 マウント装着状態で取り込んだ画像は、一部は処理しましたが、残りは断念して再度マウントを外してフル画面で取り込むつもりでおりました。結局、決起には至らないまま気付けば18年近くが経過。18年前に取り込んだ画像を急遽レタッチしたのが、今回の写真です。
 
 東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸。6大都市と呼ばれた、これらの街には公営の路面電車が網の目の様に敷設されておりました。この中で全線廃止が最も早かったのが大阪市電です。昭和441969〕年331日限りで大阪市電は完全消滅。同じ日には、川崎市電も全線廃線。東京での下宿生活が始まる前に無くなってしまった路面電車でした。その後、各都市の路面電車も次々と廃線が繰り返され、6大都市の公営路電では、都電荒川線のみが残された形です。
 
 全廃間近の大阪市電の撮影に向いました。44年前の事になります。当時、どの様に行動したかは、撮影したカラースライド全てを取り込まないと判明しませんが、はっきり記憶に残る思い出が2つあります。
 
 深夜の夜行列車へ乗車するため豊橋駅へ向いました。駅舎待合室入口付近で背広姿の男性に声を掛けられました。刑事さんだったのでしょう。19歳にして初の職務質問。「こんな時間に何処へ行くのですか?」と聞かれましたので、「大阪へ市電を撮りに行ってきます」と答えました。すると刑事さん、「市電を取りに行く?。トラックか何かで持って来るのですか?」。これには私の方が驚きました。「大阪へ市電の写真を撮りに行ってきます」と言い直したことで解放されました。
 
 撮影機材は、父親から奪い取った標準レンズ装着のアサヒペンタックスSP。SPの上に載せたのが、ハーフ判カメラのミノルタ・レポ。豊橋鉄道田口線廃線時の撮影機材に同じですが、父親に買って貰った135mmの望遠レンズも所持したものと思います。ミノルタ・レポで撮影した白黒フィルムの現像は、“日の出カメラ”にお願いしました。後日、ネガの受け取りに出向くと、「ゴメーン、フィルム1本残っていたのを気付かず、電気点けちゃった。カラーがあるからイイヨねー」と“日の出カメラ”のオバちゃん。白黒画像72カットは全滅。これはショックでした。大阪市電は、田口線同様カラースライドだけが残る結末となってしまいました。「白黒フィルムの現像は自ら処理する」と決断する1つの要因でした。
 
 タケさんへ伝言。暫しの大阪での生活、頑張ってやー。もし、天六へでも繰り出す機会があれば、昔の画像の現在風景を撮っといてくれへんかー。
 
 
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 写真1枚目、阪急東口〜中崎町間を走行する大阪市電3005号。この道路をトロリーバスも走っておりました。国鉄大阪環状線を走行しているのは、オレンジ色の101系?。写真奥が大阪駅方向になると思います。オート三輪を四輪にデザインし直したようなマツダのトラックが路肩駐車。豊橋の青果市場にやって来る同タイプ車を撮影しましたので、印象に残る車両です。撮影から44年目にして初めて処理した大阪市電の1カットです。No.6535・昭和441969〕年318日(901)撮影。
 
 
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 写真2枚目、阪神電鉄北大阪線の終点・天神橋筋六丁目に到着する23号。大阪市電のレールが続く道路を背にして撮影した1カット。写真奥を走行する車は、写真奥〔十三方向〕に向って走っているようです。電停周辺だけが一方通行であったのでしょうか?。No.661・昭和441969〕年318日(931)撮影。
 
 
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 画像3枚目、最近のマピオン地図。地図中央を斜めに横切る黄色の道路が、市電を撮影しながら歩いた道路です。幹線道路から路地へ進入すると複雑な狭い道路であることは変わっていないようです。 
  神戸駅付近で撮影した神戸市電の写真。現像を失敗していたのみならず予想以上に擦り傷が多く、少々取り込んだだけで断念しております。今回お見せする神戸市電1153号の白黒ネガは傷があるもののソコソコの仕上がりでした。1153号が写っていますが、全線廃止間近に垣間見ただけの神戸市電の中にあって、どの様な車両であったものかは全く知りません。
 
 1150形は、神戸市電のPCCカーでしたか。確かに、当時としてはモダンなスタイルであったと思います。以下はウィキペデアの記事を借用させて貰います。
 
昭和301955〕年1月にまず2両(11511152号)が登場した。この2両は言わば試作車であり、川崎車輌で製造された1151号は、前面窓枠の隅部に丸みが付き、さらに窓ガラスがHゴム支持化された。主制御器は東芝製PC201A、台車は同じく東芝製TT−102で、直角カルダン駆動を採用している。一方、ナニワ工機で製造された1152号は、車体は1101形の 11011103 とほぼ同型で、側面窓の上部と戸袋窓、乗降扉にHゴムが採用されている。主制御器は三菱電機製MU−5113A、台車は住友金属製FS−352で、平行カルダン駆動である。
 
交通局では、この2両を使用して比較検討を行った結果、車体は1151号を、床下機器は1152号をベースに増備される事になり、昭和31〔1956〕年10月に川崎車輌で6両(1153−1158号)が増備された。また1151号は1152号と同様の電装機器に変更された。しかし、増備してみたものの、初期故障を含む故障の多発に保守陣が手を焼き、またPCCカーの電気制動に運転士が不慣れだった事もあって殆ど使用されない日々が続いたこのことから、その後の増備は1100形に戻された。また、1150形についても直接制御・吊り掛け駆動に変更する事を決定し、昭和39〔1964〕年に大阪市交通局より801形・901形の足回りを譲り受けて交換。台車もブリル77E形になった。
 
昭和43〔1965〕年には、僚車の1101形とともに大阪車輌工業にてワンマン改造されたが、1155号のみは改造対象から外され、ツーマンカーのまま残された。8両ともに昭和461971〕年3月の神戸市電全廃まで使用された。
 
廃止後、ツーマンカーの1155号を除く7両が広島電鉄に譲渡される事になり、廃止翌日から広島へ輸送され、整備終了してものから1150形として順次使用開始した。
 
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 写真1枚目、1系統1153号は神戸駅前止まり。神戸駅前電停から渡り線へ向う後追いカット。車両前面は随分賑やかです。2箇所に「ワンマン」と表示されています。方向指示器と思われる物まで備えられています。白黒No.345−(19)・昭和461971〕年310日撮影。
 
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 写真2枚目、渡り線で折り返し駅前電停へ戻る1系統1153号。方向幕は「ワンマン」から「板宿」に変更。Zパンタは他都市と異なりスリムな感じがします。電気を供給する架線も直接吊下式ながら独特の構造と思われます。白黒No.345−(18)・昭和461971〕年310日撮影。
 
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 写真3枚目、神戸駅前電停の1系統1153号。バス乗り場は、駅前から離れた場所に存在したようです。白黒No.345−(17)・昭和461971〕年310日撮影。

神戸市電、神戸駅前

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 昨年撮影した白黒フィルムの現像が、やっと終了しました。今年撮影した白黒フィルムの現像は、まだこれからです。薬剤が変更されるたび、処理にまごつき、何年経っても失敗は付き物です。速やかに現像しておけば、カメラの不具合に気付かないまま撮影する事もありませんでした。同時撮影したものの、白黒フィルムの現像を失敗したためカラースライドだけが残ったケースは侭あります。昨年撮影した白黒フィルム10本程は、ケチが付いています。

 既に廃線が進んでいたため、あまり撮影することが叶わなかった神戸市電。同じ日に撮影したものの、現像を失敗したことで白黒ネガ数本を駄目にしてしまいました。ネガケースには「現像かぶり」と赤字で表記してありました。「現像かぶり」の表記が正しいか否かは定かではありません。要するに、白黒フィルムの現像時間を超過させてしまったか、あるいは、現像中に予想以上に液温が上がってしまった結果と思われます。2本纏めてタンク現像しますので、失敗すれば2本を駄目にしてしまいます。スキャナーで取り込んで、デジタル化することで補正可能と思っていましたが、今回は、取り込んでも上手く処理出来ませんでした。

 日の出カメラのオバちゃんに、この話をしたところ、「昔、せっけつえんで処理した男性の本が、何処かにある。探しておくよ」と話します。「せっけつえんって何?」。「現像かぶり」、「せっけつえん」をネット検索。赤血塩→フェリシアン塩酸〔フェリシアン化カリウム〕とありました。
 ウィキペディアによれば、『写真技法として、フェリシアン化カリウムの酸化力を利用すると、金属銀を銀イオンに酸化させることが出来る。これを利用して、臭化カリウムなどの適当なハロゲン化イオンを含むフェリシアン化カリウムの水溶液(濃度は20g/L程度)に、現像済の白黒フィルムないし印画紙を浸漬すると、銀像が薄くなる。酸化された銀はそのまま臭化銀として塗布された乳剤層のゼラチン中に析出する。フェリシアン化カリウムはこのような「再ハロゲン化」減力剤ないし漂白剤として使いやすく、昔から白黒処理で使われている』とあります。化学は苦手でして、何となく分かる様な、分からない様な。ただ、現像済の白黒フィルムを再度処理することで、ネガの状態を変化させることは可能のようです。新たな課題が増えてしまいました。

 写真1枚目、神戸市電、神戸駅前の5系統592号東尻池5丁目行。白黒No.345−(16)・昭和46〔1971〕年3月10日撮影。

 写真2枚目、神戸市電、神戸駅前〜相生町4丁目間、5系統のお別れ装飾電車。市電の写真後方が国鉄神戸駅で、装飾電車はこの後専用軌道区間へ入ります。「さよなら神戸市電」と表記されていますが、「さようなら」と表記されることが多い時代で、「さよなら」表記で、しかも行書体の神戸市電表記は珍しいと思います。1枚目写真の電停位置は、写真左手“たからや食堂”の後方になります。現像を失敗しなければ、1枚目同様の写真になったハズなのです。白黒No.347−(7)・昭和46〔1971〕年3月10日撮影。

 写真2枚目をアドビ・フォトショップ、色調補正→平均化〔イコライズ〕を初めて使用して補正してみました。空はザラついてしまった感じですが、コントラストは好転したようです。

 平成23〔2011〕年6月29日追記:MYMYさんのご教示に従って、2枚目写真を再度補正してみました。何とか見られそうです。別の写真で悩んでおりましたので感謝です。

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 京阪電鉄大津線、京津〔けいしん〕線(三条−浜大津間11.1km)と石山坂本線(石山寺−坂本間14.1km)の路線で構成されていた時代、随分昔の写真です。当時、どのように1日を行動したものか、記憶はいたって曖昧です。
 この日の撮影主目的は、廃線間近の江若〔こうじゃく〕鉄道でした。国鉄大津駅から、琵琶湖に向って浜大津まで歩きます。必然的に目にするのは、ポール終電の京阪路面電車です。これはこれで撮影することとしましょう。続いて浜大津駅から江若鉄道に沿って歩きます。どちらかと言えば路面電車の方が好きのため、江若鉄道の列車が来ない合間に、平行している石山坂本線を撮影していたものと思います。当時は単線区間であった穴太〔あのお〕〜坂本間も撮影していますので、坂本付近まで歩いて1日が終了してしまいました。
 浜大津へ戻る際、京阪坂本線を利用したものと思います。錦織車庫を撮影してあるということは、近江神宮前で下車したことになります。江若鉄道の乗車体験はありません。改めて撮影したスライドを眺めて、「この様な物、撮影してあった!!」

 写真1枚目、3022号電動貨車。錦織車庫にて。No.124−29・昭和44〔1969〕年9月23日(16:20)撮影。

 写真2枚目、63号と278号。写真左の60形は「びわこ号」。鉄道線と軌道線を走行可能な日本最初の連接車。流線形で、集電装置もポールとパンタの二刀流です。錦織車庫にて。この日、最後の撮影カットでした。No.124−32・昭和44〔1969〕年9月23日(16:35)撮影。

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