連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

長野の私鉄

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 循環器内科医師の話では、心臓に張り付いている3本の太い動脈に狭くなっている箇所が存在すると、手術は危険ということでした。検査結果により心臓の太い動脈が狭くなっている場合には、血管を押し広げる治療が先になるといったニュアンス。「手術前に、そんなことをしなければならない?」。気持ちを切り替えなければなりません。
 
 526日〔木〕の心臓CT検査結果を531日〔火〕に聞いてまいりました。CT画像を眺めながら、「綺麗な血管をしています。枝分かれした先の細い血管には、多少の凸凹はありますが、これは手術には問題ありません」。循環器内科医師の診断には拍子抜けした感じです。「呼吸器外科の次の予約は決まっていますか?」と聞かれましたので、「決まっていません」と答えると、即、呼吸器外科の先生のところへ電話。急遽、午後予約。一旦、自宅へ戻り豊橋市民病院へは出直しています。結果、67日〔火〕入院。68日〔水〕手術確定。一旦延期されたことで、6月中旬以降の手術と思っていたのですが、「わーっ、来週かよー」。
 
 531日〔火〕は「心臓動脈で、どうなることやら」と思って午前、市民豊橋病院へ出向いています。午後、出直して呼吸器外科へ。狭心症の疑いがないことで、再び入院・手術に関する注意事項を聞かされ自宅へ戻ったのは夕方でした。午前と午後の気持ちは別物。夜は久々にやって来た息子と呑みに出ました。「知らん。やってられない」。
 
 現在は、何かしようという気持ちも起こりません。手術日に備えて、「ぼぉーッ」としていたいだけです。
 
 
 前回ブログを更新したのが、上田交通の丸窓電車。少し離れた場所に凸型電気機関車が留置されていましたので、続編として上田交通の凸型電機ED25 1の画像を載せておきます。たまたま見掛けて撮影しただけのELなのですが、それなりの履歴を保有していたようです。私個人としては、印象に残らない電機でした。後日、別所線を訪ねた時、再度撮影したものかも覚えておりません。残念ながら貨車を牽引して活躍する姿は撮影出来ませんでした。ED25 1に関してウィキペディアの内容を抜粋しておきます。
 
 昭和121937〕年、日本鉄道自動車工業(現・東洋工機)で、宇部電気鉄道デキ11形電気機関車として新製。昭和161941〕年、宇部電気鉄道は宇部鉄道と合併。昭和181943〕年、戦時買収されたことで、国鉄買収電機となる。昭和271952〕年、改番によりED25 1。昭和251950〕年頃、宇部線昇圧で、同系機(富岩鉄道ロコ2→ED26 1)の在籍する富山港線に転属し、同線の貨物列車牽引用としてED26 1とともに運用された。後に富山港線についても昇圧が行われたため、ED26 1とともに国鉄から昭和361961〕年除籍。同年、上田丸子電鉄丸子線に入線。昭和441969〕年4月、上田丸子電鉄丸子線廃線後は別所線に転属。
 別所線では、昭和501975〕年頃まで本線定期貨物列車牽引を主体に用いられていたが、同年に定期貨物運用がなくなった。このため、それ以降は、昭和581983〕年11日の上田原−別所温泉間、昭和591984〕年111日の上田−上田原間と2度に分けて実施された貨物営業の廃止まで本線貨物列車牽引の機会はほとんどないまま、上田原の車庫で待機状態に置かれ続け、時折構内の入換と保線列車牽引に使用されるに留まっていた。結局、昭和611986〕年の同線昇圧により廃車となった。
 廃車後は丸子線ゆかりの長野県丸子町(現・上田市)に寄贈され、工業百年公園において静態保存されている。
 
 
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 写真1枚目、国鉄信越本線上田駅。留置されていたED25 1+202。ワ202には“上田丸子電鉄”・“社線使用”と表記されています。2軸の車輪形状が異なります。白黒No.4322122)・以下白黒画像全て、昭和461971〕年55日撮影。1230撮影。
 
 
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 写真2枚目、別の留置車両のため、ED25 1は、このような形でしか撮影出来ませんでした。ED25 1の後方に見える国鉄合造客車画像を下に添付しておきます。白黒No.4322324)。1230撮影。
 
 
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 写真3枚目、国鉄信越本線上田駅に停車中の国鉄客車。スユニ60 2042とオハ47 21732両は形式番号が読み取れます。スユニ60形について、『鋼体化改造によれ製造された郵便荷物合造車で、1954年から1955年の間に67両が製造された。荷物は、郵便室4t・荷物室6tである。20両(212−218・301−302)は、北海道向け車として製作された。全車が車体強度の点で有利な魚腹台枠を備える車両を種車としている。台枠は301−302を除き、UF15形を改造したUF219形である。301−302は、オハニ25760形から流用した特殊魚腹台枠のUF16形を改造したUF220形である』と記されています。白黒No.4322021)。1225撮影。
 呼吸器外科医師の判断で、豊橋市民病院での入院・手術は延期になってしまいました。入院予定日であった524日〔火〕は診察に変更。狭心症の疑いが晴れないと手術には掛かれないそうです。呼吸器外科から循環器内科へ戻されました。心電図に異常があるため、526日〔木〕は心臓のCT検査。結果が判明するのは531日です。モヤモヤした心境で、先の見えない生活が6月に入ってからも続きそうです。
 
 学生時代、東京で購入する北陸周遊券の有効期間は1週間。これが5月の連休に北陸へ出向いた理由です。長い休みが続く時期には、15日間有効の周遊券を購入しています。東北・北海道・九州を巡るのは主に夏休みでした。北陸での撮影は新緑の季節でしたので、鮮やかなカラー写真が残せたと自負したものです。寒からず暑からずで行動し易かった分、撮影当時の印象は何も残っておりません。
 
 尾小屋鉄道を撮影して、その日の夜行列車で東京へ向かう。途中下車したのが国鉄信越本線上田駅でした。初めて上田交通を撮影しております。気ままに下車して撮影しただけの1日でしたが、暫くすると消滅してしまう物を記録する結果となってしまいました。取り合えず、白黒画像をスキャンして再確認したいと思っているのですが、市民病院通いに時間を割かれ画像の取り込みも侭なりません。
 
 上田交通と言えば、やはり丸窓電車。モハ5250形に関して、ウィキペディア1文を拝借致します。
 
19285月に日本車両製造でデナ2002012033両が製造された。15m級3扉両運転台の丸屋根半鋼製車で、日本車両製造が同時期に製造した類似車は高松琴平電気鉄道、一畑電気鉄道、京福電気鉄道、福井鉄道などにも在籍した。初期の半鋼製車であり、床下には木造車同様に台枠中央の垂下を防ぐターンバックル付きのトラスバーが組まれ、屋上にはお椀を伏せたような形のベンチレーターが載せられていた。
最大の特徴である楕円形の戸袋窓は、大正時代の木造電車を中心に少なからぬ類例が見られたが、多くの場合戦後の早い時期までに車両自体が廃車されるか、通常型の角窓に改造されるなどの措置で淘汰された。はるか後年(1980年代)までこの形態の窓を残していたのは、本形式以外には名鉄モ510形電車(1926年製)ぐらいで、非常に貴重な存在であった。
新造時のデナ200という形式番号は1943年の上田丸子電鉄(上田温泉電軌→上田電鉄→上田丸子電鉄→上田交通⇒現:上田電鉄)発足時もそのまま使用され、1950年の一斉改番でモハ525052515253となった。
集電装置は当初トロリーポールであったが、1945年にパンタグラフ化されている。しかしトラス棒などは撤去されずに最後まで残り、その他基本的な形状も1500V昇圧まで変わらず、昭和初期の雰囲気をよく留めていた。丸窓はこの車両のチャームポイントとして広く親しまれ、別所線の看板車両となっていた。また、鉄道友の会が制定したエバーグリーン賞において、本形式は第一回目の受賞形式となった。
 
 
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 写真1枚目、国鉄信越本線上田駅。発車待ちのモハ5251丸窓電車。写真奥には凸型電機も留置されております。白黒No.4321617)・以下白黒画像全て、昭和461971〕年55日(1220)撮影。
 
 
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 写真2枚目、発車待ちのモハ5251丸窓電車。丸窓電車を最後に撮影したのは、昭和611986〕年になると思います。事務所社長のシビックを借用し、カミサン連れて糀谷から上田まで1往復しております。野生の猿を眺めながら碓氷峠を越えて上田へ。小海線沿いで東京へ戻ったのですが、前の車が猫をはね、道路で飛び跳ねていた猫を咄嗟のハンドル操作でかわしたことが印象強い思い出です。当時、長男はカミサンの腹の中でした。白黒No.4321718)。
 
 
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 写真3枚目、発車待ちのモハ5251丸窓電車。少々移動して反対側も撮影。白黒No.4321819)。
 
 
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 写真4枚目、珊瑚製真鍮キットを購入して組み立てた丸窓電車。完成に近い未完成品。製作期間は、昭和581983〕年78日〜昭和611986〕年76日と記してありました。30年前に手掛けた第45作品目。雑色のピノチオ模型でパーツ入手が容易だったため30代半ばまでは、模型製作にもトライしておりました。HOモデルでは晩年の作品です。7DNo.56373
 日本車輌製、高性能オリジナル車2000系が特急として活躍。0系OSカーがデビューした時には、鉄道ファン誌表紙を飾った。湯田中まで国鉄DC・ECが乗り入れた。若い頃の印象、長野電鉄は富山地方鉄道同様の中堅私鉄といった感が強いです。
 
 河東線の一部区間〔通称:木島線〕が廃線と知った時は、「長野電鉄でも廃線!?」。予想外でした。それまで長野電鉄の撮影に出向いたのは、昭和501975〕年8月の1度だけ。2000系が特急として活躍し、OSカーも走っておりました。須坂の車庫には、後に豊橋鉄道渥美線を走行することになる3連電車の姿もありました。遠目で撮影したと思います。長野駅は地下化される前の時代でしたが、残念なことに長野駅では撮影しておりません。木島線・屋代線も撮影することはありませんでした。
 
 「ワゴン車で木島線の見納めに行くぞ」と決起しましたが、木島平は新潟県に近い所で豊橋からでは遠かったです。既に木島線廃線から13年以上が経過して、撮影当時の記憶も曖昧になってしまいました。
 
 ブログネタが無い。以前、無作為に取り込んだ画像を物色。「こんなこともありましたので、今回はコレ」。
 
 長野電鉄木島線、赤岩〜四ケ郷間の夜間瀬川鉄橋はソコソコ撮影しましたので、信州中野へ向かいワゴン車を走らせます。四ケ郷〜北中野の間は、果樹園の中をレールが続く区間で、程好い撮影場所が見付かりません。気付けば北中野駅が見える場所まで走ってしまいました。踏切を左折。少々走ると更に左折。道路は行き止まりのため、会社ブロック塀横にバネットコーチを留め置き。撮影機材を担いで踏切方向へ戻ります。四ケ郷〜北中野間はレールと道路が並行する場所で通過電車を待ちます。目の前の畑で男性が廃材を燃やし始めました。風が少々強い1日でした。火の手が大きくなりましたので、「随分、派手に燃やすなー」などと思って傍観しておりました。間も無く、近在お宅の男性が出て来て、「えらい事してくれたなー。アアー、向こうの桃の木は、もう駄目だ」と話します。「廃材を燃やしているのではないのですか?」と質問。長期に渡り廃材を集めていた男性による失火のようです。暫くするとサイレンが聞こえ消防車が到着。電車の撮影は済ませましたので移動することにします。ワゴン車を留め置いた路地は消防車で塞がれておりました。諦めて消火活動中の消防車の撮影に。待機していた消防車両を含め8台を撮影。バネットコーチを出すまでに随分のタイムロスになってしまいました。お陰で長野線夜間瀬川鉄橋撮影再びの目論見は断念。
 
 時間を掛けて掻き集めた廃材は、僅かの時間で木炭と化してしまいました。呆然としていた男性の姿が目に焼き付いております。人生の虚しさを眺める結果となってしまいました。稼いだ金は全てフィルムに置き換えてしまった我が人生。自宅消失、フィルム全滅などといった事態になれば、立ち直る術はありません。
 
 
 
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 写真1枚目、「マッコウクジラ」3500系O2編成〔モハ3522+モハ3532〕の木島行後追いカット。「さようなら木島線 77年間」と表示されたヘッドマークを掲げております。No.193223・平成142002〕年317日(1539)撮影。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真を撮影した直後、カメラを右方向へ回して撮影したのが、このカット。標準レンズでは電車と炎が一緒には写し込めませんでした。高社山をバックに燃え盛る廃材の炎と黒煙。No.193225・平成142002〕年317日(1539)撮影。
 昨年9月、新潟県糸魚川までの走行、下準備に少々手間取りました。糸魚川周辺には私鉄路線がありませんので、糸魚川は夜中に通過するだけの街でした。大糸線に関しても、昔はブルーの旧型国電が走行した路線程度の認識しかありません。大糸線が糸魚川へ続いていた事。しかも、糸魚川寄りが非電化区間であった事などは、今回初めて気付きました。「暫し息子が生活する糸魚川へ出向いても撮影目標が定まりませんので、JR大糸線でも撮影してみましょう」。
 
 JTBの時刻表を基にして、JR大糸線の列車ダイヤを作成します。廃業から9ヶ月が経過。久々のキャド作業。作図作業に1週間程を費やしてしまいました。「今まで良くぞ、この様に面倒な作業を仕事にしていたものだ!!」と痛感したものです。
 
 平成242012〕年927日〔木〕、ワゴン車での自宅出発は1811。東名高速道路、東海環状道、中央自動車道、長野自動車道と走行して、みどり湖PA到着が2201。ここで車中泊。
 一夜明け、928日〔金〕、みどり湖PA出発は645。松本ICで一般道に下りて松本電鉄を目指します。松本電鉄は、昭和471972〕年812日に新島々〜新村間を1度だけ歩いています。以来、約40年。松本まで辿り着いたら、今回は松本電鉄を外せません。この日、仕事明けの息子は、大糸線428Dに乗車。南小谷で5328Mに乗り換えます。下車する駅を当方から指示するのは、松本電鉄次第です。
 
 
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 写真1枚目、長野自動車道松本ICを出て間近の場所。下新〜大庭間を走行するモハ3001+クハ30022連、新島々行3レ。京王電鉄井の頭線を走った元3000系ステンレスカー。やはり、昔の日車標準形車両時代が懐かしい。7DNo.14329・以下全て、平成242012〕年928日撮影。724撮影。
 
 
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 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。北アルプスの山並みをバックに走り去ります。車体に描かれた湾曲した斜めのストライプは、何をイメージしているのでしょう?。7DNo.14330724撮影。
 
 
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 写真3枚目、北新・松本大学前〜下新間を走行するモハ3007+クハ30082連、松本行8レ。クハ3008には霜取りパンタが搭載されています。若き日の父親が撮影した上高地カラースライドが残っており、河童橋・大正池・焼岳・ボンネットバスを眺めた記憶があります。写真後方に見えるのが焼岳なのでは?。7DNo.14332757撮影。
 
 
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 写真4枚目、3枚目写真に同じの松本行8レ。40年前、これといった印象が残っていない松本電鉄なのですが、「駅名が何か変!」とは思ったものです。新島々→「しんしましま」。渕東→「えんどう」。下島→「しもじま」。三溝→「さみぞ」。新村→「にいむら」。北新→「きたにい」。下新→「しもにい」。大学が建設されたことで、北新駅は「きたにいまつもとだいがくまえ」と改名されたようです。7DNo.14339758撮影。
 
 
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 写真5枚目、新村駅舎。新旧の駅舎が並んでおりました。昔撮影した白黒ネガを確認しましたが、駅舎の写真は撮影してありませんでした。当時の記憶は、ほとんど残っておりません。7DNo.14342822撮影。
 
 
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 写真6枚目、新村車庫西側に留置されている2両の木造貨車廃車体。40年前、車庫の凸型電機は撮影していますが、貨物列車を撮影することはありませんでした。「この貨車バッファー付きだった‥?。よくぞ残っておりました!!」。7DNo.14348825撮影。
 
 
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 写真7枚目、松本電鉄の撮影を終えて大糸線沿線道路を目指します。新村交差点で信号待ちしている時、「なにわ」ナンバーの阪急貸切バスが通過します。6号車です。野麦街道158号線を走行して上高地へ向うものと思われます。新村交差点から暫し北進すると梓川を越えます。その先で右折。大糸線梓川橋梁を眺め終えた頃、息子から電話。信濃大町下車を指示します。これで1300頃には、信濃大町駅へ到着しなければなりません。7DNo.14396909撮影。

 目指すのは、最初で最後の長野電鉄屋代線。木島線廃線間近の頃にも訪ねていますので、やはり屋代線も外す訳にはまいりません。豊橋から木島は遠い所でした。長野県北部で新潟県が程近い場所でもありました。帰りの高速道、名古屋より東京の方が近いと知って驚いたのが、約10年前ということになります。あの高速道を再び。
 豊橋を夕方17時頃出立。長野自動車道の姨捨SA到着は22時頃。翌朝6時に目覚めれば、長野電鉄屋代線の屋代付近には、午前7時代に到着可能と目論んでおりました。
 
 平成242012〕年312日〔月〕、少々予定遅れの1745自宅を出発。長野自動車道みどり湖PA到着は2131。このPAに立ち寄るのは3度目です。「富山は雪。長野から富山へ来るのは、時間と諸経費が無駄では?」と息子からメール。今更、後には引けませんので、「屋代線撮影後は富山へ向う」と息子に電話し、2218みどり湖PAを出発。松本を過ぎた豊科ICで道路会社係員さんがタイヤチェック。チェーン規制に引っ掛かってしまいました。
 所持しているタイヤチェーンは20年前に購入して、これまで4回装着したバネットコーチ用の代物です。現在のワゴン車は、バネットコーチより幅広のタイヤを履いていますが、1度試しに装着してみました。「何とか使えそう……」。古いタイヤチェーンを装着した結果は、豊科ICから姨捨SAまでの32.4kmを走行する間に5回トラブル。側道へ止めたり、トンネル側道でチェーンの状況を確認します。揚句の果て、片側のタイヤチェーンフックが折れてしまい走行時はバタバタと喧しいです。騙し騙し走行して姨捨SAへの到着は040。寒さと疲労でヘトヘトでした。
 平成242012〕年313日〔火〕、目覚し時計は600にセットしておきましたが、聞いた記憶はありません。姨捨SAの売店が開いておりましたので、“きのこおろしそば”で朝食。NHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」が始まってしまいました。姨捨SAの出発は814。更埴ICを出たのが835。高速道でスリップ事故が多発したようで、更埴IC以北は通行止めでした。その分、一般道は渋滞しております。トロトロ走行している間にタイヤチェーンは更に異音を発します。コンビニの駐車場へワゴン車を入れたところ、タイヤチェーンは内側へずれてしまった状態でした。ここでタイヤチェーンを外します。下道に雪はありませんので、以降は普段通りに走行して、たまたま辿り着いたのが屋代線の雨宮駅でした。920頃の到着です。この日の午後は、新しいタイヤチェーンを探して403号線を行きつ戻りつの繰り返し。全く想定外の1日で終ってしまいました。
 
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 写真1枚目、長野自動車道豊科ICの追い越し車線上が、俄か誂えのチェーン装着場。灯りがありませんので、懐中電灯だけが頼りです。ジャッキアップして50分を要し何とかタイヤチェーンを装着。右肩と腰の痛みは整形外科でリハビリ中。寒いこともあり、シンドイ50分でした。7DNo.818・平成242012〕年312日(2319)撮影。
 
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 写真2枚目、寝場所と決めた長野自動車道姨捨SAの我が車。車が走行する高速道路に積雪はありませんでしたが、サービスエリアに暫らく留め置くと、この様な状態です。7DNo.8232・平成242012〕年313日(204)撮影。
 
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 写真3枚目、我が車にはカーナビもETCも備えてありません。その代わり補助席には、ハイビジョンのレンタルビデオカメラをセット。主要ポイント通過の際、時間と走行距離を記録するのが目的です。積んできた布団に潜り込めば寒くはありません。7DNo.8213・平成242012〕年313日(151)撮影。
 
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 写真4枚目、夜が明けた長野自動車道姨捨SAの我が車。この辺りからは、千曲川と千曲市が見下ろせます。毎回、「長野までやって来た」と思うサービスエリアです。7DNo.8238・平成242012〕年313日(740)撮影。
 
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 写真5枚目、長野電鉄屋代線の雨宮駅へ到着。電車撮影前に長野朝日放送スタッフさんのインタビューを受ける結果となってしまいました。何を話していたかは覚えておりません。途中から雑談になってしまったと思います。取り出した連写2眼の13号機を女性に手渡し。我が身を撮影して貰いました。カメラ構える女性の姿をカメラマン氏が撮影します。7DNo.8244・平成242012〕年313日(926)撮影。
 
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 写真6枚目、平澤幸子さんが、2段カメラから目を離すと、カメラマン氏は我がカメラを撮影しています。7DNo.8244・平成242012〕年313日(926)撮影。
 
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 写真7枚目、頂いた名刺から、長野朝日放送アナウンサーの平澤幸子さんでした。ブログでの使用許可を頂きましたので紹介致します。ネット検索しましたところ、「ザ・駅前テレビ」を担当されているようです。平成242012〕年324日放送予定で、番組概要が紹介されておりました。冒頭の箇所を拝借致します。
 

屋代線ロマン紀行!レールの上の想い出

 長く伸びたレール。平沢はシャッターを切る。電車が走り去る。ここは長野電鉄屋代線。あの電車は来月にはもうここを走ることはない。
 平沢は今日、屋代線の電車を見収めに来た。屋代駅。平沢はここから電車に乗ったことがなかった。屋代駅から電車に乗る。長野電鉄屋代線はかつて河東線と呼ばれた。1922610日(大正11年)開通。地域住民の足として活躍してきた。急行「志賀」が上野駅から湯田中駅まで乗り入れた時期もあった。今、屋代・須坂間の90年間に幕を下ろそうとしている。車窓から見るこの景色ももうすぐ見られなくなる。

 
 上記番組のためのロケであったと推測しております。番組を眺めたくとも、当地では長野朝日放送を視聴することは出来ません。「連写2眼の13号機を構える平澤幸子さん、オンエアーなりませんかねー」。何はともあれ、テレビ内で活躍する女性アナウンサーと会話して、直に撮影させて頂く事自体初めての経験です。タイヤチェーンに感謝です。7DNo.8246・平成242012〕年313日(933)撮影。
 
イメージ 8
 写真8枚目、屋代線雨宮駅ホームから最初の電車撮影が、この編成でした。3536+35262連ワンマン運転の屋代行。写真右手は一丁田排水ポンプ場。7DNo.8255・平成242012〕年313日(957)撮影。
 
イメージ 9
 写真9枚目、屋代線雨宮駅を発車する3536+3526屋代行後追いカット。車中泊した姨捨SAは、写真左手を外れた辺りになると思います。7DNo.8260・平成242012〕年313日(958)撮影。
 
イメージ 10
 写真10枚目、屋代線雨宮駅で、長野朝日放送ディレクター氏より頂いたボールペン。7DNo.861・平成242012〕年320日(1130)撮影。

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