連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

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山形交通尾花沢線−4

 スキャナーで取り込んだ画像は、今でもMOに残しています。図面屋家業で作図したデータや初めて購入したデジカメデータも全てMOに保存したものです。パソコン本体のハードディスクにデータを残すことはしませんでした。
 
 ところが、重宝していたMOは店頭から消滅。MOドライブも同様に市場から消えてしまいました。使用している外付けMOドライブが故障してしまえば、MOに残したデータを開くことは出来ません。止む無く、パソコン用外付けHDを購入。MOデータをCD−Rや外付けHDに移すことにしたのですが、この作業がバカになりませんでした。
 
 データを移したことで、空になったMOが増えてしまいましたので、スキャン画像は取り合えずMOに保存。画像を取り込んでレタッチするのには、やはりMOが好都合です。レタッチ作業が終了した画像はPC外付けHDでバックアップ。ブログに掲載する画像は今でもMOデータから選んでいます。
 
 小腸腫瘍切除手術以降は、琴電画像をスキャンしました。琴電での記憶は、「種々雑多な電車が走っていた」。白黒フィルム3本分をスキャン・レタッチ。撮影当時の状況が少々見えてきました。そろそろ一部画像をブログに掲載しようと思っていた矢先、MOデータが突然消滅。バックアップしてありませんでしたので、これはショックです。MOに残したデータの多くが瞬時で消滅してしまったのは初めてです。一部画像は残っていますが、琴電に関しては、スキャンからやり直し。デジタルデータの保存は常に頭痛の種です。
 
 11カットのみ記録した山形交通尾花沢線の画像2枚を掲載しておきます。残り2枚〔レタッチ前、大石田での画像〕を掲載すれば、尾花沢線画像は全て掲載することになります。レタッチ済画像データが消滅しないよう尾花沢線等のフォルダも取り合えず外付けHDへ保存し直しておきましょう。
 
 
 イメージ 1
 写真1枚目、尾花沢駅に留置されていたトラ9058は大石田駅へ移動、切り離し。大石田から尾花沢へ向かうDB152+ハフ4+ハフ3+ワフ1の編成。撮影場所は、何処で撮影しても尾花沢−大石田。3度撮影した走行写真、最後の2カットです。No.9310・昭和441969〕年624日(1722)撮影。
 
 イメージ 2
 写真2枚目、1枚目写真の後追いカット。車掌さんはワフ1に乗務しているようです。No.9311・昭和441969〕年624日(1722)撮影。
 またまた1年ぶりにになってしまいました。土佐電気鉄道の画像を添付します。撮影場所の記録は“学校前”と書き残しています。日本の路面電車ハンドブックの路線図では“伊野商業前”と記されています。
 ウィキペディアによれば『当停留場は1907年(明治40年)、伊野線の枝川−伊野間の開通に合わせて狭間橋停留場の名で開業した。伊野商業前に改称するのは、高知県立伊野商業高等学校が開校した1963年(昭和38年)のことである』と表記されています。
 
 伊野線沿線を歩いていて“伊野商業前”と表記されている電停名を“学校前”と記録することはないと思います。“学校前”なる電停名が実在したか否かは確定出来ませんでしたが、撮影場所の表記は前回ならえで“学校前”としておきます。
 
 
 イメージ 1
 写真1枚目、学校前電停越しに撮影した国鉄土讃線のDF50牽引客車列車。高知へ向かっています。この辺りでは、にわか雨に見舞われました。白黒No.8951719)・以下全て、昭和481973〕年731日撮影。840?撮影。
 
 イメージ 2
 画像2枚目、学校前電停の608号知寄町行。電車と手摺の間に乗客が電車から降車出来る余裕があるのでしょうか?。線路脇から電停だけでも撮影しておけば良かったと後悔しております。白黒No.8951820)・843撮影。
 
 イメージ 3
 写真3枚目、学校前電停を発車した608号知寄町行。写真左手の戸梶食堂さん、まだ周辺に住宅が少なかった当時、電車の乗客や伊野商業高等学校の生徒さん等が立ち寄った店と勝手に判断しました。手動絞り機が備えられた洗濯機は懐かしいです。ストリートビューで現状を眺めてみましたが、現存しないようです。白黒No.8951921)・843撮影。
 
 イメージ 4
 画像4枚目、枝川−学校前〔付近〕を走行する215号伊野行。白黒No.8952022)・845撮影。
 昭和451970〕年、広島で撮影したカラースライドはカビが酷いです。レタッチ作業途中でメゲてしまい画像処理は遅々として進みません。何とか処理した広電広島駅前で撮影した600形電車の画像を載せることにします。
 
 画像をスキャンした時、600形電車は「大阪市電のお古?」と思ったものです。調べてみると意外にも広島電鉄オリジナル車両で3両在籍した被爆電車とありました。
 
 ウィキペディアの一文を拝借します。
『広島電鉄600形電車は、1942年に広島電鉄で登場、以前在籍していた路面電車車両である。現在活躍中の600形については広島電鉄600形電車・(2代)を参照のこと。広島市への原子爆弾投下で被災したことより被爆電車でもある』。
1942年に加藤車両で3両製造された。650形に次ぐ、広島電鉄の新製ボギー車になった。高床の3戸車で、中央戸は片開きになっている。1945年の原爆投下で、広電宮島口駅(当時の駅名は「電車宮島駅」)にあった、601を除く2両が被害を受けたが、194611月までに全て復旧された。650形の様に低床化されずに、1972年に廃車された』。194212月竣工。1972331日廃車。
 
 改めて画像を眺めると一味違うスタイルであったと思います。運転台窓が側窓と比べて小さいのですが、両サイド窓上部の小窓は何のための窓なのでしょう?。救助網も独特の物が装着されています。方向幕周りとオデコの前照灯を1枚の平鋼で固定してあるのもユニークです。ビューゲルも他では見ないような代物です。撮影から2年後には廃車になってしまったようです。
 
 
 イメージ 1
 写真1枚目、広島駅前を発車する5系統601号宇品行後追いカット。No.17628・以下全て、昭和451970〕年321日撮影。1355撮影。
 
 イメージ 2
 写真2枚目、1枚目写真と同時撮影したコニカC35白黒画像(タイミングが合っていません)。白黒No.13344)・1355撮影。
 
 イメージ 3
 写真3枚目、広島駅前に到着する5系統602号。江波近辺で被爆大破した車両とあります。No.176371407撮影。

野口駅の同時発車

 随分以前に無作為に取り込んだ画像1カットのみを紹介します。別府〔べふ〕鉄道を初めて訪ねた時に撮影したカットです。別府鉄道は、野口線4.3km〔野口−別府港〕と土山線4.1km〔別府港−土山〕の2路線で形成されておりましたが、初回は野口線のみを撮影したものと思います。
 
 後に土山線の撮影にも出向いております。ディーゼル機関車が貨車を牽引し、最後尾に2軸客車1両を連結した混合列車を撮影しました。後方を走る山陽新幹線が一緒に写ったカットも撮影したと思います。新幹線と2軸客車はミスマッチでしたので、印象強い思い出ではありました。土山線列車の走らない時間帯は、少々北側の山陽電鉄を撮影。その他の事は画像を取り込まないと思い出せません。
 
 
 
イメージ 1
 写真は、加古川駅から国鉄高砂線気動車に乗車して野口駅下車。プラットホーム端へ移動して撮影。写真左手、野口駅を発車した別府鉄道キハ2。三岐鉄道から譲り受けたバスケットDCです。末期の塗装とは異なります。写真右手、野口駅を発車した国鉄高砂線のキハ20 87〔先頭〕+キハ30 52〔後部〕2連。何れも後追いカットです。野口駅の同時発車は、趣味誌では有名でした。別府鉄道は、昭和591984〕年131日限りで廃線。国鉄高砂線も昭和591984〕年1130日限りで廃線。2路線のレールが剥がされてしまえば、当然駅も不要となってしまいます。この光景の現在は全く想像も出来ません。No.1792・昭和451970〕年324日(827)撮影。

南海電鉄の移動変電所

 たまたま撮影してあった移動変電所の写真です。カラーでは撮影してありませんでしたので、色合いは判明しません。撮影場所は南海電鉄の住吉東。撮影記録には移動変電車MS1502と記録してありました。
 
 どの様に使用された車両なのか、さっぱり分かりません。鉄道車両の中にあっても、実に稀な車両で地味な存在であった思われます。ウィキペディアの説明書きをそっくり拝借することにします。
 
 移動変電所とは、変電所の一種で、事故や工事などで常設変電所の機能が停止する場合や、一時的に電力需要が増加する場合に用いられる可搬式の変電設備である。
 
 南海電気鉄道については、「列車の長大編成化や増発で変電所の増強が相次いでいた1950年代中盤と、昇圧工事に伴う変電所の機器更新中の機能代行に必要となった1960年代中盤に、移動変電所各1セット合計2セットが順次製造・運用された」。
 
 MS1501・MS15021954年(昭和29年)に三菱電機伊丹製作所で製造された。いずれも台車としてサハ3801形(初代:元阪和電気鉄道クタ800形)に由来するTR14を装着する2軸ボギー車である。開閉器・変圧器などの高圧交流機器を搭載する無蓋車のMS1501と、整流器やき電設備を搭載する有蓋車のMS1502よりなり、水銀整流器による600V 2,500A 1,500kWの変電能力を備え、形式称号はこれに由来する。当初は機器操作係員が常時MS1502に乗務して操作を行っていたが、機器室内は高温となるため、後に緩急車のワブ501形522を連結、係員詰所として使用した。南海本線と高野線の昇圧工事が完了した後の1974年(昭和49年)9月28日付けで除籍・解体された。
 
 
 
イメージ 1
 写真は、現像時間超過のため、やや粒子の粗いフィルムに仕上がってしまいました。写真右手の車両には、形式プレートが掲げられているようですが読み取れません。おそらく撮影時に車号MS1502を記録したものと思います。結果、MS1501+MS1502編成。MS1502は、機関車のような雰囲気ですが、上記説明書きより機関車ではなさそうです。移動する場合には、別の機関車が牽引したものと想像します。頻繁に移動を繰り返す車両ではないようです。画像を取り込んだ時、MS1502の写真右手にナショナルの文字が読み取れました。「家電メーカーが製造?」。丁度、この箇所がデッキのように見えましたが、偶然ナショナル広告板が重なった結果であったと思います。白黒No.3541618)・昭和461971〕年311日(1033)撮影。

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