連写2眼×2.5・ローカル私鉄を訪ねた日々

ビデオウォークマン入手。DVテープ(11/200)巻をダビング。白黒フィルムの現像もしなければ…。頭痛い。

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神岡鉄道

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 息子のアパートを初めて訪ねた時、ちょっと遠出して撮影したのが神岡鉄道でした。
 昭和41〔1966〕年、国鉄神岡線として開業していますので、比較的新しい国鉄路線でありました。昭和59〔1984〕年10月1日には、第三セクター鉄道へ転換。三井金属鉱業が株式の半分程を保有していましたが、神岡鉱山からの硫酸輸送が、平成16〔2004〕年10月に廃止となったことをきっかけに、平成18〔2006〕年11月31日限りで廃線の運命を辿っています。
 全線19.9kmの路線の内、トンネル区間が全線の7割程にもなります。ワゴン車で沿線を走行していますが、撮影ポイントが限られてしまう路線でした。翌日、改めて息子と一緒に全線を乗車して運転台越しビデオ撮影にも挑戦しています。トンネル区間が多いため、撮影するのは窓ガラスに映る己の姿ばかり。帰りはボックスシートに座り、窓を開いて側窓越しにビデオ撮影することにしました。
 2日共、天気は曇り。山深い神岡鉄道。使用カラーフィルムがコダクローム64ですと、シャッター速度1/60・絞り4が限界でした。走行シーンの車両写真は、全て流れています。この時だけは、「デジカメを保有していれば良かった」と後悔しております。

 写真1枚目、猪谷駅に到着したKM−101“おくひだ1号”。他の第三セクター鉄道車両とは、一味異なるディーゼルカーです。当時、高山本線の途中区間は運休状態で、富山からの列車は猪谷止まり。不通区間には代行バスが運転されていました。No.2114−3・平成17〔2005〕年10月1日(8:45)撮影。

 写真2枚目、神岡鉱山前に停車中のKM−101“おくひだ1号”。写真右手は任務を終了してしまったKMDD132。No.2114−16・平成17〔2005〕年10月1日(10:05)撮影。

樽見鉄道の貨物列車

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 高校時代に模型店で知り合うことになった友人。お付き合いも40年を超えました。保有している鉄道模型の種類で好みの違いが分ります。彼は、機関車・機関車に牽引される車両が多いです。それに対して、私は路面電車や短い電車が主流で、やや、へそ曲がりの性格のため、実際の塗装と異なる塗料を噴き付けたりしています。
 機関車大好きの友人宅を訪ねて、樽見鉄道で撮影した写真を見せて貰いました。セメント輸送の重連貨物や、住友大阪セメントヤードのDL等が撮影されています。
 彼が行動を起こすと、刺激され、私も決起するということは何度もあります。ワゴン車で樽見鉄道を目指したのは、平成17〔2005〕年2月11日の夜。岐阜に近いサービスエリアで車中泊。目覚めると早朝から撮影開始。まずは、岐阜市内線のモ570形狙い。鏡島線跡の道路を走行して樽見鉄道沿線へ。ところが、樽見鉄道には架線が有りませんので、知らぬ間に線路を潜ってしまったようです。Uターンして、程好い場所で重連貨物を待つことにします。
 大垣へ向う貨物列車を撮影すると、場所移動して次のポイントを探索。友人が昔、国鉄樽見線時代にSL重連列車を撮影した揖斐川の築堤でも眺めてみようと思っていましたが、今度は東海道本線を潜ってしまいました。どの様な場所なのかと、東海道線築堤を上がってみると、前方で2人のマニアが待機しています。「ジョイフルトレインでもやって来る?」 カメラを取りに戻ると、通過したのは石灰石専用貨物でした。
 揖斐川築堤は諦めることとして、本巣方面へ向うことにしました。やって来るディーゼルカーを撮影しつつ北進。「戻ってくる貨物を何処で撮影?」 沿線をウロウロしている内に本巣駅に辿り着いてしまいました。住友大阪セメントから出場した専用線貨物が、本巣駅ヤード手前で待機しています。動き出した専用線貨物を撮影。専用線DLが工場へ戻ると、大垣から戻ってくる貨物列車撮影のため、場所移動を考えていました。ところが、再び、セメント工場から貨物が出てきました。やむなく、これも撮影。お陰で、樽見鉄道貨物列車は本巣駅に到着してしまいました。
 後日、友人に専用線から出てくる貨物列車の時間を報告しますと、専用線での撮影が叶わなかった友人を刺激してしまったようです。その後、彼は2度撮影に向かいました。結果報告、「専用線貨物は来なかった」 こうなると意地だったのでしょう。4度目で、やっと撮影出来たようです。更に、もう1度出向いてダメ押し撮影。私にとっては、1度出向いて撮影しただけの樽見鉄道セメント貨物輸送、平成18〔2006〕年3月18日限りで運転を終了しています。

 写真1枚目、DL重連で大垣へ向かうセメント貨物。しばらく、この場所周辺で撮影していましたが、貨物通過時間には、道路工事が始まってしまいました。十九条〜恵美寺間にて。No.2058−28・平成17〔2005〕年2月12日(8:54)撮影。

 写真2枚目、東海道本線を上って行くEF65 1045牽引ホキ貨物。前方写真左手マニアの姿を入れないように撮影した結果です。大垣〜穂積間にて。No.2056−20・平成17〔2005〕年2月12日(9:21)撮影。

 写真3枚目、樽見鉄道重連DLが牽引してきた3両の貨車を工場へ運ぶ住友大阪セメントのD102凸型DL。本巣にて。友人宅でDLの写真を眺めた時、「どこかで見たような?」 当時、取り込んだばかりの南部縦貫鉄道の日立笠戸工場製45tDLと同型機でした。No.2059−33・平成17〔2005〕年2月12日(12:45)撮影。

京福電気鉄道越前線

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 今回は、昭和47〔1972〕年8月4日に撮影した京福電鉄越前線です。当日は勝山まで乗車して、福井に向って歩いています。その後、昭和49〔1974〕年8月12日限りで、勝山〜京福大野間8.6kmが廃線。この間を撮影出来なかった事には悔いが残ります。
 2度の正面衝突事故を起こした際、京福福井支社廃線が頭をよぎりましたが、第三セクター・えちぜん鉄道として復活し、電車が再び走行出来た事は喜ばしい限りです。

 写真1枚目、ホデハ12急行勝山行後追いカット。比島〜勝山間。No.434−4(11:23)。

 写真2枚目、比島駅に到着する旧塗装時代のホデハ261+ホデハ262の2連、京福大野行。狭い道路脇に敷設された軌道の光景は、現在でも、それ程変化はありません。えちぜん鉄道となってからは撮影していませんが。発坂〜比島間。No.434−8(12:04)。

日立電鉄・大橋架道橋

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 日立電鉄、常北太田〜鮎川間18.1km。平成17〔2005〕年3月31日限りで全線廃止となってしまいました。常磐線の大甕〔おおみか〕駅を接続駅とし、以前は雑多な短い電車が活躍した路線でした。地方私鉄の鉄道線としては、早くからワンマン運転が実施された路線でもあります。大甕〜常北太田間は、のどかな風景の中を走行する区間。常北太田駅は、水郡線の枝線終点、常陸太田駅に隣接していました。大甕〜鮎川間は、築堤・切り通しが存在し、建て込んだ場所も多く撮影し辛い区間でもありました。主に常磐線の海岸寄りにレールが敷設された大甕〜鮎川間、終点鮎川は、常磐線レール脇ながら、常磐線に接続駅が無い場所に位置していました。今になって気付くと、日立電鉄に貨物列車は存在しません。3ヶ所で国鉄レールに接近するのですが、国鉄レールと接続されることのなかった路線です。古い写真で電動貨車が存在したのみです。
 大甕駅で下車すると、必然的に常北太田方面へ向ったものです。鉄道趣味誌で発表される写真では、常北太田に近い里川橋梁(158.1m)が良く紹介されました。川原に放牧された牛と一緒に撮影された里川橋梁写真は、日立電鉄を象徴する光景でした。廃線の話が流れるようになると、日立電鉄未撮影の友人が日立電鉄を目指し、牛のいる橋梁を撮影したいと話ます。私は里川橋梁より、大橋の架道橋を勧めました。鉄道趣味誌では、車両中心の写真が多く、この架道橋が登場する写真は、あまり目にすることがありません。
 大橋〜川中子間に存在する大橋架道橋。大橋駅を発車した常北太田行電車。築堤を上ると195.8mのアンダーガーダー橋梁を徐行運転で渡って行きます。それ程広くない主要道路を跨ぐと、橋梁区間が終了。築堤を下り田畑の続く中を川中子駅に向います。「何故、この様な橋梁が建設されたものか?」 未だに謎は解けません。川が存在する訳でも無く、住宅が集まる中、地表の線路で踏み切りでも良かったと思える区間です。日本のローカル私鉄の中にあっては、特異な存在の架道橋です。

 写真1枚目、モハ12単行ワンマンカーが橋梁を通過して行きます。この頃は、まだ、藁葺屋根の家屋が存在しました。白黒No.1346−14・昭和52〔1977〕年2月27日撮影。

 写真2枚目、廃線間近の大橋架道橋を通過する2007サイドビュー。No.2048−29・平成16〔2004〕12月11日(13:00頃)撮影。

 写真3枚目、2216+2007。No.2058−7・平成16〔2004〕年12月11日(13:00頃)撮影。

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 桃花台〔とうかだい〕新交通桃花台線(ピーチライナー)。新交通システムとして、平成3〔1991〕年3月25日開業。そして、平成18〔2006〕年9月30日の運転を最後に営業廃止。莫大な赤字を抱えた新交通システムは、16年に満たない歴史を閉じてしまいました。
 ワゴン車に撮影機材を載せて、初めて“ピーチライナー”を訪ねたのは、平成17〔2005〕年3月17日。廃線間近の名鉄美濃町を目指す途中で立ち寄りました。仕事で春日井浄水場へ出向いたこともあり、数回走行した道路を僅かばかり北上すれば、桃花台センター駅へ辿り着けます。ところが、大型店“アピタ”付近で軌道を探すのですが、見つかりません。当然、コンクリート製高架軌道と想像して探していた付近は、たまたま、トンネル区間でした。やっと見つけた歩道橋上から、ビデオと写真撮影。ビデオが撮影出来ず。車へ戻ってヘッドクリーニングして再トライ。やはり、撮影出来ず。
 ビデオ撮影するために、再び、“ピーチライナー”の撮影に向ったのは、廃止決定後の平成18〔2006〕年7月22日です。ワゴン車は“アピタ”駐車場に留置き。最初で最後の“ピーチライナー”へ乗車することになります。桃花台センター→小牧。小牧→桃花台東と乗車。運転士さんと並んで座る最前席は、見晴らしも良く、ゴムタイヤ車両の乗車体験は格別なものがありました。
 桃花台東駅に着くと、まずはホームから撮影。ホームドアが設置されていますので、車両が発車すれば、ホームの扉は閉じられます。換気のため、上部に僅かばかりの開口はありますが、全面ガラス張りで風も入らず。温室状態です。ループ線を走行する車両撮影も、当然ガラス越し。予想以上にガラスが汚れているため、窓拭きをしなければなりません。ホームの位置は、ビルの4階位の場所になります。外へ出るためには、撮影機材を担いで階段を下りるしかありませんでした。以降、撮影ポイントを探しながら、桃花台センター駅までの1駅間を歩いて戻りましたが、アピタに戻った時は、グロッキーです。暑い1日で、歩いた区間は、元々が丘陵地帯。アップダウンの繰り返しばかりでした。環境には優しい“ピーチライナー”。高齢者にとって、乗車するまでがシンドイ乗り物でした。

 写真1枚目、駅以外で、車両の全体像が撮影出来る場所は、この歩道橋付近しかありませんでした。トンネル内の桃花台センター駅に到着間近の4連車両後追いカット。エンドレス軌道を、グルグル時計回りに走行するため、客室扉は進行方向右手に1両1ヵ所が設けられているのみ。車庫から出場する時は、バック運転になるため、後部車両にもヘッドライト・ワイパー・簡易運転台が備えられています。No.2065−30・平成17〔2005〕年3月17日撮影。

 写真2枚目、車庫内を撮影した1コマ。トラックのような保線車両後方が会社ビル。更に後方には、本線の高架軌道が確認出来ます。DNo.45−5・平成18〔2006〕7月22日(16:24)撮影。

 写真3枚目、桃花台東駅を発車した車両。列車後方が桃花台東駅ホーム。更に後方がループ線。車両は中央高速道路上を横切っています。写真手前の軌道をグルリと回って、本線軌道下をトンネルで抜け、写真左方向に進んだ所が車庫。赤土の斜面上から撮影しましたが、蚊の多さには閉口しました。DNo.45−6・平成18〔2006〕年7月22日(17:15)撮影。

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