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☆本日は詩集「風の詩音」に載らなかった詩の中から『原風景』を再掲します。
『 原 風 景 』
人の心には懐かしい風景がある
その風景は決して「記憶」ではなくて
ある種の「感覚」に属している
青い香りを感じ取り青い季節を追う感覚
曖昧且つ確かで極めて個人的な感覚
センスデータの重層的触発に耐えられずに
その風景は立ち現れる
晴れた日はジョウロで紫陽花に虹を架け
雨の日はかたつむりを探した
素直に好きと言えずにあの子を泣かせて
友達とケンカしては仲直りをした
兄と腹を抱えて笑い合って
疲れ果ててはベッドで眠りに就き
父の帰宅を寝ぼけ眼で確認し
母の手のぬくもりに心を安らげ・・・
ただそれだけだった
それが全てだった
そんな時代があったと思う
自分がなにものであるかなど知る由もなく
もがきながらも喜怒哀楽に溺れ
それでも幸せだったあの頃
あの風景のどこを切り取っても
その切り口は美しく輝いていて
天然色の幸せが零れ落ちてくるから
時折僕は忘我の楽しみさえも忘れて
「感覚」の訪れを待っている
〜伊達風人〜 (詩の作成時期不詳)
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(追記)
☆今日の昼頃、私達(夫婦)は久し振りに上山市牧野にある久昌寺に墓参りに行ってき
ました。当初、我が子の生誕日である5月4日に行く予定にしていたのですが、昨日、
テレビで「令和時代の到来」を伝える番組をずっと見続けている内に、何故か時の流
れの速さや、全てが過去になってしまう、とてつもない寂寥感に突然襲われてしまっ
たからなのでした。確かに存在していたもの(我が子)が、あっという間にこの世か
ら消えて次第に確実に「忘れさられて行く・・・・・」という恐怖にも似た感覚。
「幸せであったあの頃の懐かしい想い出・・・・」。
伊達が遺したこの詩のように、私達の家族の幸せだった原風景が、今、走馬燈のよう
に、私の瞼の中を駆け巡っている・・・・。
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人にはそれぞれ原風景があるようですね。やはり子供のころの事が多いのではと思われます。思えば、わたしも自我が芽生えるころのことが原風景として想い出されてきます。
風人さんも、両親のあたかい掌の中ですくすくと育てられ、その頃の想い出がいちばんの原風景となったのでしょう。ナイス!です。
2019/5/13(月) 午前 0:28 [ eijirou03 ]