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伊達が生まれた山形市のほぼ中央にある「霞城公園」。かつて最上氏の居城だったこの城跡には、堀の内側に巡らした土手には桜の古木が数多く植えられている。今年は他県同様、例年に無い早さ(4月4日)で開花となりました。
 我が家はこの公園の直ぐ近く(城南町)にあり、冬以外は私達夫婦の散歩コースにもなっています。7年前に亡くなった我が子(伊達)も高校時代の通学路としてもこの公園内を通っていたようです。昨日夫婦で散歩がてらにこの公園の桜の咲き具合を見て歩きましたが、桜の花のように「短い命」だった我が子の事が急に思い出されて、二人して少し涙ぐんでしまいました。




      
           『 桜 』       
 

    
     邂逅は   いつも   桜に似ている


        別れは   いつも  桜に似ている


          想い出は  殊に  桜に酷似している  



  
          
          
          ☆伊達風人(2003年3月執筆)



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伊達は詩の他にも「自然ということ」というテーマで、38ページに及ぶ長文(エッセー)を残している。
その文章の中には3篇の挿入詩が記載されているが、本日はその中から最終節に載っている詩を再掲します。




     エッセー『自然ということ』から



手を合わせて心をいっぱいに祈るとき、
その人の心というのは、身体全体に行き渡っている。


生まれたての赤ん坊を両腕で抱くとき、
その人の心というのは、身体全体に行き渡っている。


生きる事に悩み、考え、もがいているとき、
その人の心というのは、身体全体に行き渡っている。


てのひらにも、胸の奥にも、細胞の一つ一つにも、
その苦しみにも、あなたのその一滴の涙にさえも、
心は満ち溢れている。


      
       2004年12月1日   伊達風人


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本日は、伊達が遺した詩の中から『沈黙の歌』を再掲します。



       『 沈 黙 の 詩 』
 

  
     声にならない、歌がある。

     黙して語ろうとしない、歌がある。

     歌は、本当の悲しみを知っているのだ。

     その瞳が見つめるものは、いつも凄惨な悲哀ばかりで、

     それでも、全ての底にある美しい魂を信じ、

     目を凝らし続け、沈黙し続ける事によって
   
     真実が響き出すという事を、歌は知っているのだ。

     

    
     少しの間、僕も黙ってみようかと思う。

     沈黙が歌いだすから。

     世界が輝き出すから。

                   kazato.D


           (作成時期不明)


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本日は伊達が過去に遺していたweb投稿詩誌「めろめろ」から、
『詩的オブジェ』を再掲します。




    『 詩的オブジェ 』



いつでも問題なのは
木や石や草や蟲たちあって
記号や概念なんかじゃない



自然というものは
全て愛に満ちていて
つまりそれ自体が神である



僕らは ただ神様の前で
素直に心を合わせて祈るか
もしくは この揺さぶられた魂のままに
自分の奥深くにある愛を神として
祈る代わりに 詩うしかない



  「めろめろ63号」(2003年12月31日発行)


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(追記)

この詩は伊達が25歳頃に書いたものである。
私もそうだったが、若い頃は誰しも一度くらいは「自然」と「神」の関係について考える時がありますね。学校では一律に「進化論」を教わるのだが、伊達は本当にそうだろうかなと、宗教、特にキリスト教関係の書物に触れて少し進化論に対して疑問を持ったのかもしれません。そして考え抜いた末に、「大自然に溢れている愛こそ、神である。」という、自分なりの結論に達したのでは無いだろうか。
 私も若かりし頃(高校生)に一度クリスチャンの友達に紹介されて山形市内のプロテスタント系の小さな教会に行った事があり、そこで当時の牧師から、『貴方は神様というものをどう思っていますか?』という質問を受け、その時私は『この世界にある自然そのものが神では無いのか?』と、確かに答えた記憶があります。偶々伊達と似た考えを持っていた事が不思議に思えてなりません。ただ、伊達はその上で「自然の一部である人間(含む自分)の心の奥深く存在する「大いなる愛」こそが「神」である。なので、他の人が祈る代わりに、自分は揺さぶられた魂のままに「愛を詩う」事しか無いのだと、確信をもって詩で表現したのであろう。

           2018年2月19日(月)20時43分
                  
                          野川秀行
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日本現代詩人会員の近江正人さんが、本日の山形新聞文化欄の(やまがた名詩散歩のコーナー)に、伊達の詩集『風の詩音』の中から「感覚に付随するいくつかの真実」という詩を掲載して下さいました。近江さんは此れまでにも、2015年の5月26日付けの山形新聞紙上で伊達の詩「いまを生きたい」を、また、ご自身が所属している「山形詩人」という同人誌の紙上でも伊達の遺稿詩集「風の詩音を読んで」というタイトルで「グラジオラスの咲く丘」を中心に幾つかの詩を取り上げながら、伊達の詩行について長文の解説記事を掲載して下さった事があります。我が子が亡くなって間もなく7年目(2011年2月12日死去)になろうとしているこの時期に、我々夫婦にとって思い掛けない嬉しいプレゼントを戴いたような気が致しました。
 近江様、此度は本当に有難うございました。

そして、早速ながらこのブログで、新聞で紹介戴いた近江様の全ての文章をそのまま掲載させて戴きたいと思います。

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   「やまがた名詩散歩」NO.97  近江正人

     
   
   『感覚に付随するいくつかの真実』 伊達風人


       触れたことのない大地や
       色彩も芳香も抱かない花や
       風を知らないアゲハや
       雨粒に打たれないテントウムシや
       誰にも蹴飛ばされない空缶や
       草むらに消えない野球ボールや
       抜き差しならない駆け引きや
       利己心が秘められた優しさや
       虚栄心に満ちている言葉や
       情念を喪失したこころや
       純度を失ったそれら一切に付随する   
       いくつかの美徳の何者でも
       わたしを満たすことは
       決してできないだろう


       したがって
       わたくしは からっぽである
       しかし
       からっぽであるがゆえに


       水分の滑らかに滴るてのひらや
       アスファルトを泳いでいく鳥影や
       腹を抉られている 干からびた魚や
       サイレンに呼応する犬の遠吠えや
       プールに飛び込む前の子供のためらいや
       水門に辿り着いた長靴の旅の物語や
       朽ち果てたあとで咲き誇る花の情熱や
       優しいがゆえに拭われることのない涙や
       それでも 人間として正直に生きようとする
       人の率直さや 強さや 美しさや
       言葉に還元されえず しかし嘘のない
       それら一切が与えてくれる
       確かな感覚に付随するいくつかの真実の
       何もかもが このからっぽのわたしを
       十全に満たしてゆく


       川を歩けば 川になる
       空を仰げば 空になる
       いま あなたを思うから
       わたしは あなたになる
       そして満たされた数々の瞬間
       わたしのこころに溢れているもの
       それが わたしの詩になる


       こうして
       からっぽのわたしは
       からっぽであるがゆえに
       真実の魂に触れた あらゆる瞬間
       そこにおける美しい世界で
       限りなく満たされている
                   (詩集「風の詩音」より)

       
       

 詩とは何だろう、詩はいつどのようにして生まれてくるのか。そのことを懸命に追求し苦闘することは、詩人にとって自分が生きることの意味を深く考えること、自分が大切なものや愛おしいものを見つけ、十全に生きようとすることと同義である。33歳という若さで夭折した詩人伊達風人(本名野川洋二)は、そのように生きた。
 この作品は3連までは、後半2連の美しいフレーズを歌いだすための序章と
言ってもよい。伊達の詩行は未知なる自分の思いの真実に触れようとして、懸命に言葉を掘り出す求道的な過程そのものである。
 1連めは日常の生活の中で自分の心を決して満たすことのないものを印象的に連ねてゆく。色彩も芳香もない花、利己心や虚栄心、情念や純度を失った一切のものや美徳を否定する。ところが3連目では逆に素直なからっぽの心に還る時、否定した物事と同じくらい心を満たす世界が見えてくる。
 水の滑らかに滴るてのひら、水門に流れ着いた長靴の物語、正直に生きようとしても報われない涙など、どんなにささやかで小さくとも、言葉には還元できない真心、率直さ、強さ、美しさに出会う時こそ、自己の感覚の真実に触れる瞬間である。そのようにして川を、空を、あなたを思う時、心に溢れてくる思いこそ「詩」に成るのだと。
 たとえそれが蹴飛ばされる空き缶や、消えゆく野球ボールであっても、空虚でなく張りつめたもの、一生懸命に存在しようとした命を掬い取ってゆく優しい視線がそこにある。伊達が敬愛した詩人八木重吉の「素朴な事」のような、無心の愛の世界が明るくうるんで広がる。
 伊達の詩に触れ目を閉じると、風に揺れる樹の葉の葉脈の隅々まで行き渡る
鋭敏な感覚と若く繊細な詩句の輝きを感じる。地上の生活から離れずに、日常の虚偽と真実を凝視し、自分の美意識の壺に溢れてくる真実の言葉を探し、映像的音楽的に表現しようとした粘り強い魂が見えてくる。時代の老獪さと浮薄なデジタル社会の喧騒の中で自己を見失いがちな日々、ふと人間の素朴な詩の魂について思い起こさせてくれるのだ。
                  (日本現代詩人会議会員、新庄市)

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(追記)
 
掲載された紙面の右上部には、職場の同僚達との食事会と思しき席で談笑する伊達のスナップ写真が貼付されています。
今朝、この記事を一気に読み終えた後、私と妻は早速電話で、近江さんにお礼を申し上げました。
 近江さん、此度は本当に有難うございました。  以上。

   2018年 1月9日(火)21時20分  野川秀行。
 
           


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