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私は山形市内の神尾歯科医院さんに長年、歯の治療と検診でお世話になっております。そうした縁で、詩に触れるのが好きだという神尾先生のご厚意により、我が子の詩集「風の詩音」と関連資料を平成24年頃から待合室の「図書コーナー」の一角に特別のスペースを新設して戴き、来院者が自由に閲覧できるようにして頂いております。
そうした中で、「川柳やまがた」という地域文芸誌の編集長をされている舟山智恵さんという方が、定期治療で来院された際に我が子の詩集に目を留めて下さり、去年、2016年の5月号に「いまを生きたい」という詩とその読んだ感想を「山せんサロン・ざっくばらん」という欄で紹介して下さった事がありました。
その時私は、直ぐにこのブログで紹介させて戴いたのでしたが、今月の13日(木)に再び定期検診で訪れた際に、若い看護師さんから、「舟山さんから『川柳やまがた』をお預りしています。どうぞお持ち下さい。」と、声を掛けられ、最新号(2017年7月号)を二冊、戴いて来たのでした。
家に戻り、早速そのページを開いてみると、何と、今回も同じコーナーで、伊達の詩「水のように」が、舟山さんの感想文と共に掲載されていたのでした。
私達(夫婦)は食い入るようにその文面を読み終え、急ぎ、位牌壇の我が子に「洋二、良かったね。」と、嬉しい報告をしたのでした。
少し前置きが長くなってしまいましたが、本日は参考迄に舟山智恵さんの書いて下さった「山せんサロン、ざっくばらん」の文章をその儘紹介したいと思います。
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ー詩を読むー
「水のように」 伊達風人
水は 接する全ての生命に
偉大な恵みを与えながら
それを誇ろうともしない。
傲慢な人間が欲するような
高い場所や地位を避けて
大自然の法則に決して逆らわず
低い方へ 低い方へと流れて行く
全てをあるがままに受け入れながら
それでいて 岩をも砕くほどの
本当の強さを持っている
道標など準備しなくていい
ただ溢れる程の意志さえ持つならば
ただ水のように 美しく生きさえすれば
溢れ続ける水は道標などなくとも
自分で自然な道を作り出し やがて
愛の海へと必ず流れ付くよ
33歳(平成23年)で早世した現代詩人「伊達風人」の詩を、この項で一度
紹介したが、もう一篇拾ってみたい。紙面の関係で長い詩篇は載せられず残念だが、上記の老子の第八章を元に、彼の感性で書いた詩も私は好きだ。
詩の世界でひたすら言葉を紡ぎ出し、生涯を閉じた彼、素朴で、純粋に心に溢れ出る言葉を感知して書いていったのだ。
彼はコラム欄で言っている。
詩の世界にのめり込んで行ったのは、詩という落とし穴に、リアルに思い切り落ちてしまった人にしか解らないほどに、貴重なものだと知ってしまったから、その落ちる経験は「生きる」という経験そのものだということを。詩には
生命の遠い内部にある何かを、美しく揺るがす力を持っている。・・・・と。
私は詩を批評することも解説することも出来ない。しかし、彼が詩という落とし穴に落ちてしまったという、その言葉に感ずるものがあった。五七五の川柳という世界に落ちてしまった私達も、同じ感慨のように思えるのである。
詩の世界、川柳の世界、またその他の世界で、人はそれぞれに「生きる」という意味を考えて模索しているのではないだろうか。
美しく心を揺るがす句を紡いでいきたいものである。
(舟山 智恵)
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(追記)
このような特別な配慮を再度に渡ってなさって下さった舟山様、
そしていつもお世話になっている神尾歯科医院様に改めてお礼を
申し上げます。此度は本当に有難うございました。
2017年7月20日(木) 野川秀行。
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