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本日は、伊達が遺した詩集「慣性の法則」の中から、私が好きな詩の一つ、
『風と光』を再掲します。
(NO.16) 『 風と光 』
風が吹き
花は揺れる
たゆたう花影に
人は夢を重ねる
風はどこから吹くのか
ーーきっと愛から
春の陽炎は
いつも不安げで
沢の蛍はむしろ
人の魂に見える
光はどこから来るのか
ーーきっと愛から
ゆらぐ姿は
光る姿は
きれいだった
そこには必ず
確かなものがあるから
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(追記)
我が子(伊達)は昭和52年の5月4日に生まれました。
出産は二回目という事で、長男の時と比べて割とすんなり生まれてくれました。生まれた病院は山形市の県立中央病院。この病院は当時山形市桜町にあり、霞城公園の真東に位置し、私のかつての職場(NHK山形放送局)の直ぐ近くという事と、妻の母親が高校2年の時に既に他界していていた事もあり、私は、1歳9か月になる長男を連れて出産に立ち遭ったのでした。その日は職場に休暇をもらい、急ぎマイカーで長男と一緒に分娩室の控室で出産を見守りました。それから33年9か月の短い人生。東京の大学(学習院)に入学してからずっと独り暮らしを続けていました。
それでも、大学時代は時折帰郷していたのですが、就職氷河期時代の憂き目にあってからは何故か我々親を拒むようになってしまいました。
我々の知らない都会の生活の中で、「詩」を書く事が唯一の楽しみであったとは、アパートの遺品整理をしている中で気付いた事でした。
遺された「kader0d」(カデロード)という詩の同人誌。この共同発行人の名前に記された「広田修」という方の名前と連絡先。後日、思い切ってこの方に電話してから、我が子が「伊達風人」というペンネームでネットで活動していた事が分かったのでした。
その広田修さんは、福島県福島市飯坂町出身で、所在を知った直後に「3.11」が起こり、ご実家が果樹農家という事もあってとても大変な状況だったようでした。ですが広田さんは、我が子の訃報を知って、その年の5月中旬に
山形の我が家に弔問にお出で下さったのでした。そして、「伊達さんの詩は素晴らしいです。ですから、できれば詩集を出して上げて下さいませんか」と、強い口調で仰って下さったのでした。広田さんには、それからずっとお世話になり、2012年の2月には念願の詩集「風の詩音」をは発行する事ができたのです。本当に今も感謝しかありません。その後も毎年、数回、我が家に訪ねて下さり、私達を慰め、そして心の支えになって下さって頂いております。
明後日、5月3日には再び山形に訪ねて下さる予定になっています。
広田さんも、昨年に第一詩集を出し、中央の詩壇でも相当高い評価をされておられています。そして今年第二詩集を出されるとの事だそうです。
我々夫婦にとって、勝手な思い込みながら、もう一人の「我が子」のような存在であります。
2017年5月1日(月)21時25分 野川秀行。
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