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伊達の唯一の詩友であった広田修氏。もし、私達夫婦がこの方に出合えなかったら、我が子(伊達風人)が詩人であった事も、このようなブログを立ち上げる事もあり得ませんでした。この方と我が子との関係は切っても切れないものがあります。広田氏は我々にとっては當に「恩人」そのものなのです。
詳細は詩集「風の詩音」の“あとがき”やこのブログで、度々紹介しているので此度は省略させて戴きたいと思いますが、本日は広田氏が昨年(2017年6月)に発行した第二詩集『Vary』の中に態々入れて下さった「挽詩」二篇の中から『報告ーD.K.へ』を参考迄に掲載いたします。
『 報告 ーD.K.へ 』 広田 修
あなたは穏やかな光の輪を、都市の人々の瞳の裏側から見つけ出しては、一つ
一つ連ねて一冊の純粋な本を作った。始まりも終わりもない劇のクライマックスで、錯綜した青春の夏日は次々と終わっていったが、青春の残照はいつまでも人々の血流に波動として干渉していくのだった。あなたは人間の青春の目撃者であり、被害者であり、加害者であった。青春というこの緩やかな事件にあなたは深くかかわり、詩集という自白を行ったのだ。
だがあなたは美しく柔らかなものについて記述を重ねながら、厳しく硬いものについてはほとんど記述しなかった。社会や組織や暴力といった咀嚼を拒むものについて、繊細なあなたは厳密に感光しながらも、その得られた肖像について何事も語らなかった。あなたの空間には社会や組織のカラー写真が夥しく散らばっていたが、それらは詳細すぎて却って語るべき余白を持たなかったのだ。私には、深く感じながらも表現する次元が見当たらず戸惑っているあなたの顔が見える。
私の青春はあなたが代わりに歌ってくれた。今度は私があなたの代わりに社会や組織や暴力について詩を綴っていこう。あなたはそれを禁じるかもしれない、それは詩の領土の外側にあり、詩の管轄の外側にあり、詩の権限の外側にある、と。だが、青春があなたの実存に深く食い入ったように、社会という生硬なものも私の実存をもみくちゃにしたのだ。私は人間の社会の目撃者であり、被害者であり、加害者であり、詩集の中で自白しなければならない。また、私は人間の組織の分析者であり、勝利者であり、敗北者であり、詩集とともに祝祭を執り行わなければならない。
私はあなたが佇んでいる丘で風を浴びながら腰を下ろそう。私とあなたは対になり、互いに互いを乗り越えて行く。あなたが若い草の花を歌えば私は労働の本質を語ろう。あなたが淡い恋を歌えば私は組織の矛盾を語ろう。あなたが甘い苦悩を歌えば私は制度の機能を語ろう。このようにして、柔らかい世界と硬い世界は互いを乗り越えていき、終わりのない螺旋の上を滑っていく。そしていつの間にかこの二重螺旋は一本の螺旋になる。柔らかさも硬さも混じり合った人間と社会の真実の表現に向かって。
以上。
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