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先月、1月27日(日)の午後、詩人の広田修さんが福島(南相馬市)から山形の我が家に綺麗な新婦さんと同伴で、結婚の挨拶と2011年2月に亡くなった我が子(伊達)への慰霊を兼ねて態々訪ねて来て下さいました。入籍は12月に行ったのだそうですがその後の同居や手続き関係で多忙だったようです。広田さんの事はこのブログでも此れ迄幾度か紹介させて戴いておりますが、我々夫婦にとっては當に「恩人」そのものなのであります。
2011年2月12日の夕刻に東京の板橋で駅近くの路上で突然死した我が子。火葬式を終えて
アパートの遺品整理をしている時に多くの詩に関する本や文書の中に埋もれていた古びた詩集らしき文集と同人誌「kader0d」を数冊発見し、妻がその裏表紙に記載されていた発行人の名前(伊達風人と広田修)を見つけて、思わず電話した事で、我が子が「詩人」であった事が分かったのでした。その時の広田氏の一言が「伊達さんの詩は素晴らしいです。伊達さんの詩や文集、パソコン等が残っていたら捨てないで是非遺して居て下さい・・・。」という内容の事を言ってくれたのでした。あの時、その言葉を無視して捨てていたら、我が子の事は全く消えてしまって、取り戻すこともできなかったと思われます。その後も、詩集「風の詩音」の発行に至る迄、出版社の事や編集についてなど、多々
貴重なアドバイスや助言を戴いたのでした。
そうした中で、伊達の死後の丁度1か月後に起きたあの「3.11大震災」。広田さん
のご実家が福島市飯坂町で果樹農家をされているという状況で、震災後の原発爆発事故と放射能汚染の不安で大変な状況の中、5月中旬に、独り、山形の我が家に弔問に訪ねて下さり、色々な話を伺った後に、上山市の久昌寺に建てた「伊達の墓」迄、足を運んで下さったのでした。
何という律義さ、誠実さでありましょうか。私達はその時、地獄に仏が現れたような深い喜びと感動を覚えたのでありました。
その後、2012年の2月12頃。伊達の命日に併せる形で、詩集「風の詩音」は思潮社から刊行されたのでした。
広田さんは、その後も毎年のように、山形の我が家へ訪ねて下さり、伊達との出会いや交流の経過、伊達の人柄などを我々夫婦に色々と語って下さったのでした。
広田さんは我々遺された家族にとって當に「若き恩人」なのであります。
先日、1月27日(日)の午後2時頃、新婚の報告を兼ねて、福島美人の奥様と同伴で態々
訪ねて下さった事。このような現代に於いて、本当に古風で律義な方は居ないと思っています。私達も、広田さんに少しばかりの「お祝い」を差し上げましたが、これも、我が子
「伊達風人」との、詩を通した「絆」が如何に深かった事の顕れだと思っています。
私は、広田さんに言いました。
「広田さん、今日は本当に寒い中、遠い所からお出で戴き有難うございました。私達夫婦は共に、間もなく古稀を迎える事になります。我が子の事を忘れず、何時までも思って(供養)できるのは精々、10年くらいでしょう。その後は、遠く離れて暮らす長男だけになるけれど、伊達の詩や人柄を、このように思って(思いだして)下さる方は、恐らく広田さんだけだと思います。ご迷惑かもしれませんが今後も此れ迄同様、伊達の事、どうぞ宜しくお願いします。そして今後も気が向いた時で構いません。どうぞお気軽にお訪ね下さい・・・。」と・・・・。
☆ 福島の 若き恩人 訪ね来て 風の詩音は 灯(ともしび)揺らす
2019年 2月 8日(金)21時5分 野川秀行。
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