|
東京水産大学、古武道部は母体が、東京水産大学合気道部で私が主導で合気道部の流派を養神館に変更したり、古武道部を島津先生の許可で創設した。初代主将は元林幹聡、二代は原田輝久(太気拳、意拳)、三代目は小見山秀樹(竹内流)である。十代で古武道部は廃部になった。普通、柳生心眼流は、空手や日本拳法、キックボクシングから来ている。心眼流は打撃だと思っているが、心眼流は柔術なのである。吉田さんは空手、塩沢さんはキックボクシング、重松さん、横瀬さんは日本拳法である。私は柔道初段、合気道二段で、大阪では渋川流を水田益男師範、水田進師範に、大学では合気会ではない気のでない合気道をやり、火曜日、木曜日、日曜日は西五反田の島津先生に柳生心眼流を学んでいたが、奥義、小具足の沈みの技を身につけて空手に対抗できるようになるのであった。一度、忍者の初見先生の所から来た外人が後ろからモデルガンを突きつけてきて襟取りでモデルガンをすっとばした。オーストラリアでは、居並ぶ小錦みたいな外人を関西伝の前捨て身で端から順番に十人以上、全員頭から投げ飛ばした。柳生心眼流は一子相伝の秘伝であり、当時は門弟も少なくて、関さん、塩沢さん、横瀬さんがいた。吉田さんは伝説的な存在で、一度か二度お会いしたが、目つきがおかしく異様だった。イメージ先行タイプだった。素振りを見せてもらったが、車取りは扇風機のように回転して、腕は鋼鉄のようだった。実力は一番あったが、心眼流の使い方には苦悩したようだった。島津先生は隠して教えなかったが、実力は既に上だった。形は多田輝夫氏には、全くかなわなかった。子供の時からやっている本当の内弟子が居て多田さんなんかはそうで、受け身一つとっても多田さんには全くかなわなかった。私は外弟子である。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用





