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本日は十二月八日。
大東亜戦争開戦の日です。 六十九年前の今日、日本政府は真珠湾を攻撃し、英米に宣戦を布告したのです。 大東亜戦争開戦の日本人の立場をはっきり宣言しているものとして、開戦の詔書ほど重要な文章はないでしょう。 当時の日本人はこの詔書を拳々服膺して、古今未曾有の国難に立ち向かっていったのです。これを素直に受け取れるか否かで、東京裁判史観に、あるいはシナの宣伝工作に毒されていないかが分かるのではないでしょうか。 以下に全文を掲げます。 なお( )内は読み仮名です。・・・以下は意味です。 詔書 天佑(てんゆう)を保有し、萬世一系の皇祚(こうそ)を踐(ふ)める大日本帝国天皇は昭(あきらか)に忠誠勇武なる汝(なんじ)有衆に示す。 朕(ちん)、茲(ここ)に米国及英国に対して戦を宣す。朕が陸海将兵は全力を奮て交戦に従事し、朕が百僚有司は 励精職務を奉行し、朕が衆庶は各々其の本分を尽し、億兆一心国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成するに遺算なからむことを期せよ。 抑々(そもそも)東亜の安定を確保し、以て世界の平和に寄与するは丕顕(ひけん・・・大いに明らかなる徳を有すること)なる皇祖、考丕承(こうひしょう・・・考えを大いに承けること)なる皇考の作述せる遠猷(えんゆう・・・遠いはかりごと)にして、朕が挙々(けんけん)措かざる所、而(しこう)して列国との交誼を篤くし、万邦共栄の楽を偕(とも)にするは、之亦(これまた)帝国が常に国交の要義と為す所なり。今や不幸にして米英両国と釁端(きんたん)を開くに至る、洵(まこと)に巳むを得ざるものあり。豈(あに)朕が志ならむや。 中華民国政府(…国民党)、曩(さき)に帝国の真意を解せず、濫(みだり)に事を構へて東亜の平和を攪乱し、遂に帝国をして 干戈(かんか)を執るに至らしめ、茲に四年有余を経たり。幸に国民政府更新するあり(…汪兆銘の南京政府のことを指す)。帝国は之と善隣の誼(よしみ)を結び、相提携するに至れるも、重慶に残存する政権は、米英の庇蔭(ひいん)を恃(たの)みて、兄弟尚未だ牆(かき)に相鬩(あいせめ)く(…『詩経』の言葉)を悛(あらた)めず。 米英両国は、残存政権を支援して東亜の禍乱を助長し、平和の美名に匿れて、東洋制覇の非望を逞(たくまし)うせむとす。剰(あまつさ)へ与国を誘ひ、帝国の周辺に於て武備を増強して我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有らゆる妨害を与へ、遂に経済断交を敢てし、帝国の生存に重大なる脅威を加ふ。朕は政府をして事態を平和の裡に回復せしめんとし、隠忍久しきに彌(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も交譲の精神なく、徒(いたずら)に時局の解決を遷延せしめて、此の間却つて益々経済上軍事上の脅威を増大し、以て我を屈従せしめむとす。斯(かく)の如くにして推移せむか、東亜安定に関する帝国積年の努力は、悉く水泡に帰し、帝国の存立亦(また)正に危殆(きたい)に瀕(ひん)せり。事既に此に至る。帝国は今や自存自衛の為、蹶然(けつぜん)起つて一切の障礙(しょうがい)を破砕するの外なきなり。 皇祖皇宗の神霊上(かみ)に在り。朕は汝有衆の忠誠勇武に信倚(しんい)し、祖宗の遺業を恢弘(かいこう)し、速に禍根を芟除(せんじょ)して、東亜永遠の平和を確立し、以て帝国の光栄を保全せむことを期す。 御 名 御 璽 昭和十六年十二月八日 各国務大臣副書 当時霧の中にあったコミンテルンの暗躍については触れられていませんが、これを加えれば日本の立場は鮮明になりますがいかがでしたでしょうか。古格で大変味わい深い名文です。読めば読むほど、知れば知るほど、当時の日本人の真情が現されていると思わざるを得ません。 大東亜共栄圏の構想も、自存自衛の戦争であるということも、当初から日本国民は分かって戦っていたのです。道理で必死になって戦ったはずです。 そして、そこにはどうしても白色人種による人種差別を乗り越えるという世界史的意義が内包しておりました。 十二月八日は日本人にとって、また有色人種にとって忘るべからざる記念すべき一日です。 |
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その通りです!白人によるアジア植民地化が進んでいたときに、アジアのため、日本を守るために戦ったのですよね。渡部昇一氏とかの文書や講演を聞いて、目からうろこでした。転載させていただきます。ぽち。
2010/12/10(金) 午後 6:53 [ butinkachan ]
はじめまして。
コメントありがとうございました。
私も渡部先生のご著書からは多く学ばせていただいております。
これからも宜しくお願いいたします。
2010/12/10(金) 午後 11:14 [ 稲垣秀哉 ]