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皆さん、明けましておめでとうございます。
今年二月には、今度は金融危機第二波として、ヨーロッパ発の危機がほぼ確実に来るようで、日本にとって、長い目で見て、大変重要な年になることは間違いないでしょう。
時代状況は、一巡りして、昭和のあの時代に大変似てきています。
昨年のアメリカ発の金融危機は言わずもがな、田母神論文の事件は、さながら昭和十年に起きた憲法学者美濃部達吉博士の天皇機関説の問題のようでした。ともに日本の国体にまつわる大変重要な問題で、常識的見解が言論弾圧の犠牲になったという点で、大変よく似ていました。
田母神論文をきっかけに、左翼は自衛隊内の思想統制を強めようとしているようで、まるで政治将校を置いて兵隊の思想統制を行ったスターリンや北朝鮮の軍隊のようだとの批判がなされています。
戦前、統帥権の問題が軍部による政治統制の端緒を作ったというなら、田母神論文事件は今後の左翼の暴走の端緒を作ったといえるかもしれません。
こういった中で民主党への政権交代が実現すれば、あの党にいる本物の左翼政治家がさまざまな行動を起こすはずで、大変憂慮すべき事態です。
本来こういった事態に対処しなければならない保守政治家が、国際協調の名の下に、全く堕落しきってしまっており、政治が歴史問題などの国の根幹にかかわる重要な問題で全く腐敗しきって対応できないでいるのも、昭和五年前後の状況と全く同じです。
私は昭和の教訓として、ここでひとつの言挙げをしておきたい。
ちょうど六十三年前の、昭和二十一年元旦、昭和天皇は「新日本建設に関する詔書」(いわゆる人間宣言。これが人間宣言ではないことは既に触れました。)を掲げられました。それに倣って、今上陛下に今後の日本の国是として再び「五箇条のご誓文」を掲げてほしいと思うのです。思想的大混乱の始まった今こそ、日本の伝統に基づいた、こういった指針が掲げられる必要があると強く思うのです。
「新日本建設に関する詔書」の冒頭に掲げられたのは、明治維新の際、明治天皇が祖神を前に自ら誓いを立てた「五箇条のご誓文」でした。
昭和天皇は君主として、明治天皇を模範とされていました。
学習院時代の倫理学の授業を担当し、帝王学を授けた杉浦重剛は、皇太子の祖父に当たる明治天皇を君主としての手本とされるよう教育いたしました。
特に三つの点について教育しています。
一つは、国体の淵源である天孫以来伝えられている三種の神器、すなわち知を象徴する鏡、仁を象徴する勾玉、勇を象徴する剣、を皇道の精神として守り、体現すること。
一つは、五箇条のご誓文を以て将来の標準とすること。
一つは、教育勅語の御旨趣を以て貫徹すること。
以上三点です。
これを踏まえれば、例のいわゆる人間宣言など戦後神話に過ぎないことは明らかなのですが、これを説明するのは、ここ数回、記事に書いてきたことでもあるので省略いたします。
つまり昭和天皇が目指しておられたのは天照大神から連綿と受け継がれてきた皇道の精神ですが、皇室と神話のつながりはあくまでも国民にとって間接的なものであり、直接的には知仁勇に集約される儒教的徳義の体現によるということです。
これは「五箇条のご誓文」(ホームページ inagaki-hideya.jp 『王道のすゝめ』参照)にも書きましたが、実は「五箇条のご誓文」の背景にあるのが儒教のいわゆる四書の思想でした。起草者である越前福井藩士三岡八郎(後の由利公正)の談話で、三岡自身がそう言っております。
そして明治維新自体が、四書の規範に則って行われたことは、拙著『(新)西郷南洲伝』で詳細に検証しました。つまり明治維新の中心人物であった西郷南洲翁がこの規範に則って、王政復古の事業を行ったのです。
しかし、それは明治維新以来の浅い伝統だったわけではなく、遡れば、少なくとも聖徳太子の十七条憲法にまで遡ることが出来る重く長い伝統なのでした。
また「五箇条のご誓文」が、明治天皇自らが祖神に誓約する形で行われたというのも、伝統的な見地からは重要です。
これは天皇が群臣に誓うというかたちでは、支那の皇帝流であるという反論が公家の中からあって、あえて皇室のあり方を踏まえた形で儀式が行われたのです。すなわち群臣と祖神の関係はあくまでも間接的です。
このように「五箇条のご誓文」は、さまざまな面で日本の伝統に則ったものなのです。
ですから昭和天皇の「新日本建設の詔書」における趣旨が、当時の国民の耳にどの程度届いたかわからないにもかかわらず、またあんないびつな粗製濫造の憲法を押し付けられ、それにがんじがらめにされてきたにもかかわらず、「五箇条のご誓文」の文言のいくらかは、現在、達成とまではいかなくとも、方向性が確実に受け継がれているのは、それが古い、この国の根幹にかかわる伝統に則ったものであるからです。
中にはそれを戦後アメリカからもらったものと勘違いしている御仁も少なからずおられますが。
ともかく昭和天皇は祖父である明治天皇を君主としての鑑とされ、その明治天皇が祖神に誓った「五箇条のご誓文」の精神を受け継いでおられました。 昭和天皇は英国流の立憲君主としてのあり方を理想化し、これを律儀に守りすぎて、昭和初期の思想的混乱状況を収束せしめることが出来ず、全てが終わった後になって事の重大性にようやくお気づきになり、敗戦後初めての正月元旦の詔書で、伝統に基づく国家の指針をお示しになられましたが、安全保障上の危機が迫り、日本人全般が思想的混迷状態にある今こそ、昭和天皇が日本国民に対し新日本建設の指針として示された明治維新の精神が見直されなければならない、そう思われて仕方ないのです。
以下は「五箇条のご誓文」です。
一、広く会議を興し万機公論に決すべし
一、上下心を一にして盛に経綸を行ふべし
一、官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す
一、旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし
一、智識を世界に求め大に皇基を振起すべし
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