国体学のすゝめ

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読者の皆様へ

 12月15日のYahoo!ブログ閉鎖に伴い、本日8月31日をもちまして、記事の新規投稿、コメントの投稿サービスなどが凍結されます。

 そもそも当ブログは筆者が『(新)西郷南洲伝(上)』(高城書房)を上梓した際、宣伝のために開設したブログで、2006年の1月まで遡ります。
 13年半継続したことになりますが、本の宣伝にあまり熱心になれなかったこともあって、「代表的日本人」あるいは「日本を象徴する人物」とされる西郷南洲翁の研究で踏み出した執筆活動をそのまま、日本及び日本人とは一体何なのか、日本の正気とは、古い言葉で言えば國體とは、・・・そういった深淵にして広大なテーマにまで推し広げていく過程で、気づいたこと、感じたことなどをエッセイとして記事にしていきました。

 それらについては、kindleの電子書籍やアマゾンのオンデマンド・サービスで紙の書籍としてまとめて読めるようにしていきます。

 すでに『十人の侍』上中巻(下は未刊)として出版しております。
 また『西郷南洲翁遺訓と超近代的解説』『織田信長とニーチェと論語』(電子書籍では『神になった悲劇人 最晩年のニーチェ』『織田信長伝』)もそれに付随する内容です。

 また、その日本的なるもの、日本人的なるものが、何に脅かされ、どのように解体されて今日に至っているか、その脅威についても書いてきましたが、最後に連載した『皇室と論語』でようやく、國體の敵の正体にたどりついた。そのように感じています。

 筆者は歴史において、あるいは国際情勢において、『孫子』の格言「彼を知り、己を知れば、百戦して殆うからず」を座右の銘の一つとしています。善悪の彼岸に立たなければ、歴史の真実の重い扉はなかなか開くことが出来ません。
 己を知る深い洞察が同時に、彼を知る深い洞察を生むのではないでしょうか。

 戦前の日本人が特攻という玉砕を選んでまで守ろうとした何か、それが國體ですが、何から守ろうとしたのか、敵の正体は一体何だったのか。
 ここにきてようやくその扉が開いたように思います。

 筆者の知識・認識はかなりその近くまで来ていました。
 しかし、本当の意味でこのパンドラの箱が開いたのは、そのエピローグで紹介したヒトラーの遺言、そして『わが闘争』におけるヒトラーの日本に対する予言でした。最近読んだモルデカイ・モーゼというユダヤ人が書いた『日本人に謝りたい』という書籍、そしてホロコーストに関する学術的論争は完全にこの扉を開け放った感じがいたします。

 絶対悪は絶対善の立場がなければ生まれません。
 ヒトラーが絶対悪とするならば、誰が絶対善の立場につくものであるか、絶対悪の唱道者をたどれば容易に想像がつくはずです。
 最近は勃発の経緯に謎が多い第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、彼らの企画ではないか、そう思えるようになってきました。
 彼らは神に選ばれた民として絶対善の立場ですから罪悪感はないでしょう。
 ただ、この壮大な計画を実行に移せば、諸民族から悪の立場に立たされるということは、これまで彼らが歩んできた苦難の歴史から容易に想像することが出来たから、彼らが握るマスコミなどを通じて用意周到に事を運んだ。

 この件に関しては元ウクライナ大使馬淵睦夫氏や戦史研究家の林千勝氏が優れた研究を発表され、かなり広く知られるようになってきています。日本文化チャンネル桜その他のユウチュウブ動画で発言を簡単に知ることが出来るので、是非検索して見てください。
 簡単に言うなら、ディープ・ステイトと言われるアメリカのウォール・ストリートやイギリスのシティに巣くう、ロック・フェラーやロス・チャイルドなどに代表される、ユダヤ人を中心とする金融資本家たち。
 彼らは民間銀行であるFRB(連邦準備銀行)が発行する紙幣を通じて、世界をコントロールしています。民主制度下における政治家は金に弱い。日本の紙幣を発行する日本銀行も実は政府の一機関ではなく、株式の五五%は財務省が保有していますのが、残りは公表されていません。財務省自体が敗戦以来、ウォール・ストリートの支配下にありますから、日本銀行は彼らの支配下にあるも同然です。
 だからこそ緊縮財政路線、そしてデフレを堅持し、消費税増税などで日本国民の富を収奪するのです。この二十年間、経済成長率が世界最低の日本のGNPはほぼ横ばい状態です。

 さて、現在の千円札の肖像である野口英世が、ロックフェラー財団の医学研究所に勤めていたのは有名ですが、妻はメアリーというユダヤ系の女性です。ちなみに前の紙幣の肖像であった新渡戸稲造も、妻はメアリーという同名のユダヤ系の女性でした。
 新札の肖像になる渋沢栄一は筆者の尊敬する人物ですが、彼が幕府使節団の一員として渡仏した際、一行の世話をし、会計係であった彼に財政や金融を教え、多大な影響を与えたポール・フリュリ=エラールはロスチャイルド系の銀行家でした。維新関連で言えば、長崎を拠点に討幕派に武器を調達したトーマス・グラバーもまたロスチャイルド系でした。
 さらに日露戦争の際、日本の戦費調達に協力したアメリカのクーン・ローブ商会のヤコブ・シフは、ロスチャイルドとの関係の深い人物で、ロンドンでの債券募集にロスチャイルド家は協力しました。もちろんユダヤ人を虐げるロシア皇帝をやっつけるためです。シフは日本を「神の杖」と称賛しましたが、もちろんこれは慈善ではなく貸付でしたから、この戦争で彼らは儲けてもいるのです。
 関東大震災後の復興を支援したのもロスチャイルド家でした。戦前の日本銀行の大株主に、皇室、三井財閥に並んで、ロスチャイルド家が名を連ねていたとも伝えられています。
 こういった歴史的経緯を考えれば、現在の日銀の非公開株主の一つはロスチャイルド系金融資本である可能性は高いでしょう。ちなみに令和最初のトランプ大統領訪日時の宮中晩餐会では、ロートシルト(ロスチャイルドのドイツ読み)銘柄の高級ワインが供されています。

 昭和天皇もまた、訪米時にロックフェラー家に数日間滞在されたことが、デイヴィッド・ロックフェラーの回顧録(新潮文庫)に出てきますが、彼もまたワン・ワールドを理想とする、いわばグローバリストとして活躍した人物です。彼は二〇一七年に死去しましたが、それと同時にイスラエルというナショナル・ユダヤとの関係が深いトランプ大統領という、アメリカン・ナショナリストが国際政治の舞台に登場し、国際金融資本勢力が反中国に転じ、議会はトランプ以上の対中強硬姿勢に転じた、というのは単なる偶然とも思えません。

 アメリカのFRBが発行するドル紙幣の裏側には「プロヴィデンスの眼」と言われる、ピラミッドの頂上に目が描かれている、全能の神「ヤハウェ」を表象する図像がありますが、そこにはラテン語で「ニュー・ワールド・オーダー」すなわち「新世界秩序」と書かれています。
 前から言われてきたことですが、アメリカの紙幣にユダヤの表象「ダヴィデの星」が隠されているとの噂がまことしやかに囁かれてきたように、日本銀行発行の紙幣にもさまざまな都市伝説があり、現在の千円札の野口英世の肖像を透かしてみると、左目が富士山の頂上にくる(三角形の頂上にくる)ように見えることはともかく、富士山の絵は湖に映る影が別の山であることは一目瞭然です。ひっくり返してみると、モーゼが十戒を授けられたと伝えられるシナイ山に似ているという説もありますが、ノアの箱舟が漂着したとされるトルコのアララト山だという説もあります。雪が富士山より多く積もっているところを見ると、雪が降らない赤道近くの前者よりも後者のように思えますが、確かなことはわかりません。
 荒唐無稽な話のようですが、金融制度の仕組みを知るにつれ、これらの都市伝説のいくつかは真を穿っていると思うようになりました。フリー・メイソンなども単なる陰謀説では片づけられなくなっているように思えます。

 新元号の「令和」もまた、イギリスの国営放送BBCやロイターが「令」の字を命令(オーダーあるいはコマンド)の意味で捉えて「オーダー・アンド・ハーモニー」との解釈を示していたことを、また、これにこだわった安倍首相の政治姿勢、また新札の肖像の一つに、文明開化の明治日本にユダヤ仕込みの資本主義制度を導入し、時代が進むにつれて荒廃した日本人の精神秩序を再興する為に『論語』の復権を唱えた渋沢栄一が選ばれたことを併せて考えると、この玉虫色の「令和」という元号が示唆する意味は深長に思えます。

 すでにシティとの協調関係にあるイギリス王朝は、現在女王ですから、次代のチャールズ皇太子が即位すると女系継承になり、ギリシャ系に王統が変わり、マウントバッテン王朝と呼ばれる事になります。
 現在の皇室が国際協調を掲げ、イギリスの立憲君主制を模範とすることは、おそらく国際金融資本勢力との協調の意思表示かとも思えますが、女系継承まで受け入れてしまうと取り返しのつかない事になります。
 例えば、畏れ多いことながら、愛子内親王が女性天皇として即位し、何らかの力が働いて、シナや朝鮮系の男性と結婚するような事態にでもなれば、次代で王朝は血統が変わり、皇統は途絶えることになるのです。

 彼らが狙っている日本解体の最終段階、皇室に対する王手から逃れるには、こう言った危機意識を日本国民が広く共有するしかありません。そして、それは行き着くところ、彼らが望む女系天皇の実現を阻止し、皇室の男系男子による継承を保守することによって辛うじて成されるのです。

 最近はペースが落ちてきていますが、今後は、同じ目的で当ブログと同じ時期に開設したウェブリブログ『西郷隆盛』(https://saigou.at.webry.info/)の方で、発信を継続してまいりますので、そちらの方をお訪ねください。

 最後に長い間、本ブログを支えていただいた読者の皆様に厚くお礼を申し上げたいと思います。
 ありがとうございました。
 
七月六日の朝、麻原彰晃こと松本智津夫をはじめとするオウム真理教幹部七名の死刑が執行されました。

 オウム真理教と言えば、言わずと知れた地下鉄サリン事件をはじめとする数々の凶悪犯罪を犯した、まさに異形のカルト集団で、阪神淡路大震災の直後に起きた地下鉄サリン事件の発生から、教団施設の強制捜査によって明るみに出た悪事の数々に至るまで、異様な報道の数々に目が釘付けになったのを覚えています。

 個々の事件については多くの人が論じ、かなり真相が解明されていますので、ここでは一つの大きな疑問を提示しておきたいと思います。それはなぜこの時期になってようやく刑が執行されたのか、ということです。
 三月の死刑囚の移送から、刑が執行されるのではないか、との観測は流れていましたが、それも含めて、この時期に処刑執行に向けて急速に事が運んだのは一体なぜか、ということです。


 オウム真理教は首都中枢でテロを起こしてクーデターをもくろんでいたわけで、この日本を麻原彰晃の王国にしようと考えていたわけですが、問題はその背後にあった勢力です。

 オウム真理教が北朝鮮と緊密な関係を築いていて、クーデター実行に当たって、旧ソ連の兵器を入手するためにしきりにロシア入りしてた事実は当時の報道にもありました。ソ連崩壊後、混乱期にあったロシアに多くの信徒を獲得していたのです。
 ソ連軍正式自動小銃カラシニコフAK47その他の武器やヘリコプターまで入手しようとしていたことが報道されていました。後者は主に生物兵器散布のためでしょうか。

 近年では昨年に二月、マレーシアの空港で起きた北朝鮮による金正男暗殺に使われたのは、オウム真理教によって使用されたVXガスであったのも記憶に新しいところです。

 当時の筆者から見て、これらの事件の真の闇は、日本社会の心の闇のみならず、この背後に大きく広がる底知れぬ暗闇の部分に、かなりの恐怖を伴って感じられたものです。


 端的に言うと、筆者が直観的に感じるのは、今回なかなか執行に至らなかったオウム真理教主犯格の死刑が行われたのは、6月12日に行われた米朝首脳会談に象徴される対北朝鮮問題の進展と関係があるのではないかということです。

 直観ですから仮説の提示にとどまりますが、事件当時、ソ連をはじめとする共産主義勢力の崩壊によって、内外の共産主義者やシンパが危機感を感じていたことは確かで、暴力と混乱をこよなく愛する彼らが、じり貧状態にあって、金満でありながら、アメリカの従属国家であり続けた結果、独立国家としては脆弱な日本政府転覆に共感し、協力したとしても不思議ではありませんでした。

 アメリカもいち早く地下鉄サリン事件などオウム事件に強い関心を示し、調査を行いましたが、これはテロ対策としてのみならず、こうしたソ連崩壊後の国際情勢に対する関心からであったかもしれません。

 独立国家として脆弱極まりなく、国家意識が限りなく薄められてきた戦後の日本において、自国の安全保障をありもしない諸国間の平和の意志に委ねることを謳った「平和憲法」を奉じ、国民の生命財産、そして国益を守るという強い意識を持つ政治家は至って少なく、利権をえさに他国のエージェントとしての役割を演じる政治家は多い。歴代首相としても小泉純一郎元首相と今を時めくその息子もアメリカ、特に石油メジャーのエージェントとして脱原発運動を推進しています。
 同じ元首相でも、旧民主党の鳩山由紀夫や自民党の福田康夫などは完全に親中国政治家で、菅直人は親北朝鮮政治家でした。菅に至っては北朝鮮訪問時に、金の延べ棒を贈られたときの嬉しそうな写真がネット上流布され、首相辞任間際にはどさくさに紛れて朝鮮学校への援助を指示しています。
 最近でも安倍首相の後継者と目される自民党の石破、岸田、野田など各氏は親中派で、党幹事長で実力者の二階氏はずぶずぶの親中派です。すでに触れたように若手人気政治家の小泉進次郎は親米で、石油利権と繋がっています。
 この自民党が手を組んでいる公明党もまた、ずぶずぶの親中と言っていいでしょう。

 彼らが日本の政治に影響力を行使する限り、日本の国力を根本的に回復増進することは望めません。独立国家の政治家としての意識も持ち得ないのですから、日本を自主独立国家にするための遠略を持ち得ないのは当然のことです。

 さて、そういった自民党および野党を基盤に政党政治を行っていかなければならない安倍首相とそのスタッフが、彼らへの強い配慮から、不本意な政策を採用しなければならないのは無理もなく、移民政策など、国民経済にとって何の益にもならない政策を採らねばならないのも、経団連やこれらの政治家への配慮からではないかと推察されます。

 安倍首相が日本の国益に沿って、まさに獅子奮迅の活躍をされているのがまさに外交の分野で、すでにトランプ大統領と良好な関係を築いて、中国包囲網を着実に形成することに成功しつつあります。
 今回の北朝鮮問題もその一環としてとらえられるべきもので、トランプ大統領は安倍首相の助言に基づいて、自己の政治信条であるアメリカン・ファースト(アンチ・グローバリズム)を推し進めるべく、中国問題の前哨戦として北朝鮮との会談を行ったのです。
 
 こういった関係ですから、会談直後のG7では、日本では暴言として報道されましたが、「私が(日本に)メキシコ人を2500万人送れば、君はすぐ退陣することになるぞ」(ロイター)との発言は、安倍首相に対する冗談めかした忠告であり、また各国のリーダーに対する痛烈な当てこすりであったと受け止めるべきでしょう。

 移民政策はグローバル企業を儲けさせるだけで、労働者の賃金を低く抑え、貧富の格差を拡大する上、GDPの増大には何ら寄与しないのです。これではデフレ脱却もままなりません。そして何より文化摩擦、治安不安定化の要因ともなり、なにもいいことがないことはEUの現状を見て見れば明らかなことです。
 トランプ大統領の先の冗談めかした忠告はグローバリストにとっての許しがたい暴言に他ならないのです。

 さて、こういった情勢下でのオウム真理教幹部の処刑は、再来年の東京五輪に向けて日本を根底から揺さぶるであろうテロ行為に対する断固たる決意を示す意味合いを持つでしょう。
 もちろん、それを背後にあって使嗾するかもしれない中国や北朝鮮、そしてこれに心を寄せる日本人に対してです。

 日本と北朝鮮の間には、拉致問題があり、安倍政権は北朝鮮との外交における最優先課題と位置付けています。この拉致問題が北朝鮮の工作のみならず、日本国内の内応者によって行われたことは周知の事実です。その内応者の中心は朝鮮総連だったでしょうが、その息のかかった人物が警視庁や外務省などの官庁、政治家にいたからこそ、この問題は長く解決することがなかったのです。

 オウム真理教幹部の処刑は平成二十四年に一度予定されていて、逃亡犯が新たに逮捕されたことで延期されていたといいますが、その裁判も本年一月終了し、実行されることになったという手続き的必然性は確かにあるでしょうが、強い批判が想定されることに関しては何とでも理由を付けて延期することは可能です。これまでも政治家、もとい政事家たちはそのようにしてきたではありませんか。オウム真理教に対する破防法の適用がまさにそうでした。

 処刑が信者によって殉教と受け止められ、彼らが神格化される恐れがある中で(つい最近もゴールデンウィークに後継団体「アレフ」の女性信者が麻原のいる東京拘置所の周りを巡礼する姿が報道されています)、速やかに執行された背景に、安倍首相の拉致問題に取り組む決然たる意志が存在したと見るのは贔屓目に過ぎる見方でしょうか。

 そして、それは日本国民の生命と安全、国益を守る決然たる意志と固く結びついている、というのが筆者の見方です。

一方で、麻原らの処刑が北朝鮮とのつながりの追及を永遠に封印してしまう側面を考えると、この件はこれ以上追及しない、終わったこととする、だから拉致問題だけはしっかり応じよ、という内外に向けての政治的メッセージだともとれるのですが。

 今後の経過を見守りましょう。

母の日について

 今年の母の日は五月十三日(日)です。
 日本では五月の第二日曜日に祝うことになっていますが、日付に関しては各国で事情が異なるようです。

 ウィキペディアでは次のように説明されています。

 【母の日(ははのひ)は、日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日。日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝うが、その起源は世界中で様々であり日付も異なる。例えばスペインでは5月第1日曜日、北欧スウェーデンでは5月の最後の日曜日に当たる。】

 日本が五月の第二日曜日に祝うのは、アメリカの習慣に倣ったからであるらしい。
 つまり、アメリカナイズされた結果、ということになります。
 ウィキペディアの日本における「母の日」の項目には、次のようにあります。

【 1913年に青山学院で、母の日礼拝が行われた。アンナ・ジャービスから青山学院にメッセージが届き、当時青山学院にいた女性宣教師たちの熱心な働きかけで、日本で「母の日」が定着していくきっかけとなったとされる。

大日本連合婦人会が1931年(昭和6年)に結成された。その際、同組織は皇后(香淳皇后)の誕生日である3月6日(地久節)を「母の日」としたが、普及しなかった。

1937年(昭和12年)5月8日に、第1回「森永母の日大会」(森永母を讃へる会主催、母の日中央委員会協賛)が豊島園で開催された。その後、1949年(昭和24年)ごろからアメリカに倣って5月の第2日曜日に行われるようになった。

母の日には、カーネーションなどを贈るのが一般的である。

なお、あまり知られていないが、5月5日のこどもの日は、国民の祝日に関する法律第2条によると「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」が趣旨となっている。】

 もっとも古い起源はキリスト教系の学校である青山学院のキリスト教宣教師
の推進によるものとのことですが、戦前の日本でその趣旨が取り入れられた際、当時の皇后の御生誕日に定めようとの動きがあったのは、それを推し進めた人たちが、日本人であることの矜持と自覚を強く持っていたからでしょう。
 戦後アメリカの習慣をそのまま受け入れるようになったのは、占領期間中の事でもあり、占領当局による宣撫工作、日本人キリスト教化政策の結果のようにも思われますが、それが継続して定着に至ったのは、日本人がアメリカに対する抵抗感を失って、これに追従するようになってしまったからのように思われます。
 筆者は子供の頃から、何かよそよそしさと実感のなさから、この習慣を行った経験がありませんし、今後も行うことはないでしょう。

 もちろん母に感謝を捧げる日という趣旨には大賛成ですので、もっと意義ある日にこういった習慣が普及することに異議はありません。むしろ積極的にこれを行うべきだと思っています。

 五月五日のこどもの日が、国民の祝日に関する法律第2条で「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝すること」と定められていることは初めて知りましたが、母に感謝を捧げると言っても、それは個別性の高い行為であり、法律で定めるのにそぐわないからでしょうか、いくら法律で定めたところで、子供の日に子供が母に感謝を捧げる光景を、筆者は目にしたことがありませんし、聞いたこともありません。

筆者は母子の関係ということを根源的に考えて、子供の誕生日こそ、母に感謝を捧げる日として最もふさわしいのではないかと思ってきました。
 つまり、子供の数が一人なら年一回、二人なら年二回、三人なら年三回…と、各家庭固有の母に感謝を捧げる日が一年の内に子供の数だけある、ということです。
 家族が子供の誕生日を祝うと同時に、その誕生を祝われる子供本人は母に感謝を意を捧げる。感謝の言葉でも、プレゼントでも、それこそカーネーションに限らず花束でもいいですが、何か感謝の意を表す贈り物をする。

 これはわが子の出産に立ち会って感じた、考えてみればごくごく当然な事なのですが、女性が母になるのは意識においては子供を身ごもり、それを認識した時からですが、これは準備期間というべきであって、それがはっきりとするのはやはり出産のときです。
 出産は激しい痛みと喜びを伴った、命がけの尊い行為なのであり、その母の尊い犠牲によって自分はこの世に存在し、その愛情によってここまで成長できたのだ、という厳然たる事実を確認しうる絶好の日だと思われるのです。

 昔なら、自分の出生は自我の生まれるはるか以前の出来事で、母の苦労に感謝を捧げるべき事は教条的にしか理解しえず、自分が親になって初めてその苦労を知ることになるものですが、今は出産を映像に残すことが容易な時代であり、誕生日にでもそれを見せることで、自分の存在と母の愛情以前の、人間が有史以前から繰り返してきた、出産というゆるぎない尊い行為が、自己の生存・成長と背中合わせの一体のものであることを認識するとともに(背中合わせだから普段は自分で振り返ることはできない)、その生れたばかりで泣くだけの無力な赤子の自分の姿と年を経て成長した自分との対比で、その自分が、濃淡個人差ははあっても、母の愛情なしに、今のように存立し得なかった事を再確認することになるはずです。

 もちろんこれは一般論であって、例外的な、例えば母の日常的な愛情や苦労を身近に感じることのできない不幸な境遇に育つ場合もあります。そういった母子の良好な関係性を感じられない不幸な環境に育った人はえてして自分の子供にも同じことをして不幸の再生産をしてしまいがちですが、親としての人格はともかく、生命のサイクルの結節をなす尊い自己犠牲を自覚することが出来れば、生命の尊さを知り、不幸の連鎖を断ち切ることも可能なはずです。
 
 ここで一応、「不幸」と書きましたが、生命のサイクルを過去に遡って、これを尊重することが「孝」ですから、「不幸の連鎖」はむしろ「不孝の連鎖」と表記したほうがいいでしょう。
 過去に遡って自己の生命のサイクルを尊重することは、未来に向けても生命のサイクルが継続するよう尊重することですから、やはり「不孝の連鎖」を断ち切ることになるのです。

 自分は、眼には見えないかもしれませんが、過去と未来をつなぐ生命のサイクルの現在という結節点である、という自覚を持つことが、社会の永続的発展繁栄の基礎となります。
 日本は祖先崇拝の感情が強いといわれますが、日本社会が長い年月をかけて、古いものを大事に残しながら、新しいものを取り入れて社会秩序を発展的に継続してこれたことを考えると、その感情を持つことの大事さが分かります。
 それを最も端的に表した言の葉が「和」であり、それを最も象徴する存在が皇室の御存在です。皇室の本質はその祖先崇拝にあることは周知の事であります。

 日本は先進国が軒並み直面する少子高齢化社会に突入して久しいですが、その根本的解決策は、この当たり前の意識を国民規模で回復することです。
 子供を育てるのは大変で、お金がかかるから、一人でいいとか、要らないとかいう、エゴに基づく損得勘定は卑しい根性で、恥ずかしいものだ、という一般常識が普及することが大事ではないでしょうか。
 好きなことをしていたいし、好きなものが欲しい、そのためにはお金のかかる子供が邪魔で要らないというのは短絡的な浅ましい考えです。
また、だからお金を手当すれば子供が増えるというのは対処療法的で、少子高齢化の本質的解決策とは言えません。
 ここでやはり教育の重要性が浮き彫りになりますが、これは時間のかかることでもあり、なかなか即効性は期待できませんし、今の文部科学省の体たらくを見ているととても期待できそうにありません。

 さて、子どもにとって自分の誕生日は、ケーキに象徴される美味しいものが食べられる日であり、また欲しいものが買ってもらえる日であったりしますが、もっと大きくは、家族や友人に自己の存在を祝福してもらえる日でもあります。

 しかし一方で、その年を重ねるごとに大きく重くなっていく存在の陰には寄り添うように父母の存在があるのであり、特に子供の頃は母の存在なしに成長はあり得ないほど絶対的な存在であるはずです。
 いや、この世に生れ出ること自体、へその緒でつながり、そこから母の栄養を分け与えられながら、十月十日を母の胎内で過ごし、そこから生まれ出るのであり、父はこの誕生劇の脇役でしかありません。

 誕生日を単なる子供のエゴイズム増長の日としないためにも、その生存の光には寄り添うように陰が存在し、これに感謝することを怠ってはならないということを習慣を通じて体得するいい機会になるでしょう。日本人が何気なくよく使う「お陰さまで」という言葉は、人生経験に基づく、実に豊富な内容を含んでいるのです。
 
 江戸時代、伊勢参りの事を御蔭参りと言い、現在でも近くにある商店街を御蔭横丁と言いますが、伊勢神宮に祀られている天照大神という日神の御蔭という逆説的表現は、日の光を直視し得ない人間の側からの相互関係を確認した、面白い表現だと思われます。
 奇しくもこの日神は女性神であります。

 子供の誕生日に母に「御蔭様」としての感謝を捧げる、というのは実に日本的な祝祭日の在り方ではないでしょうか。
 そして、屋内で母子のドラマが始まったその日も、この母なる日神はそのお蔭の向こうの屋外では天を照らしていたのです。すなわち天照大神です。

 天皇陛下は毎朝、この偉大な万物生長の母たる天照大神を中心とする皇祖神に祈りを捧げておられます。
 日本はよく、君民共治の国体である、と言われますが、根底において、この君民における世界観、自然観の共有こそ、日本の本来的な在り方なのです。

 一年365日ある無数の子供達の誕生日すなわち母の日というのはこの日々欠かさず昇る日神信仰を中心とした世界観の中に見事に溶け込んでいるのではないでしょうか。

西部邁氏の自決

去る一月二十一日、保守思想家にして評論家の西部邁氏が多摩川に投身自殺されました。昨年の渡部昇一氏に続き、戦後保守の重鎮がまた一人亡くなられたことになります。

 慎んで御冥福をお祈りするとともに、筆者が氏の言論から受けた学恩についてここで少し触れてみたいと思います。

 氏の自殺については、かなり前から自説として述べておられて、筆者の記憶では二十年近く前からそのような考えであることを告白されていたように記憶しています。

 また、最近でも、日本文化チャンネル桜の水島総氏との年末対談で、十月頃、自殺する予定だったが、衆院選の只中でもあり、水島氏の説得もあって思い止まったと述べていて、いずれ自殺されるのだろうとは漠然と思っていたので、自殺のニュースに接した時も、衝撃はなかったとは言いませんが、決して大きいものではありませんでした。

 自殺の背景には、三年半ほど前に長年連れ添った奥方が亡くなられたことに加えて、老衰や体調不良、日本社会に対する絶望など色々あったようですが、それはあくまでもこの時期に実行された背景となった事情であって、氏が真正の保守思想家たらんとされていた以上、その早くから説かれていた自決の哲学、あるいは志の実践だったと考えるのが、旅立たれた人を送り出す上での礼儀でしょう。

 筆者は西部氏の著作を10冊ぐらい所持しています。あまり熱心な読者であったとは言えませんが、西欧の真正の保守思想による、大衆化された現在の日本社会に対する批判として信頼を寄せていたことは確かです。西欧保守思想に関する知識を学ばせていただいたほか、討論や対談などは何度も拝見させていただきましたが、いつも同じ趣旨の批判に感じられるようになって、近年はあまり熱心には聞かなくなっていました。
 
 氏はその批判精神の行き着くところで、現代日本社会に対し深く絶望しました。筆者もまた氏の絶望に共感するところがかなりありますが、一方で希望を見出すものでもあります。
 大衆社会批判で世に出た西部氏ですが、大衆社会で大衆相手に大衆批判を繰り返したところで、大衆社会そのものの本質を変えることはできません。
 しかし、氏はその分かりやすい語り口とユーモアと巧みなレトリック、また人懐っこい愛嬌ある笑顔とやんちゃな人柄で、多くの読者、視聴者に愛されたのも事実で、多くの常識(コモン・センス)を具えた賢明な庶民をこの大衆社会に誕生させたはずです。そういった意味ではむしろ成功者と言っていいのではないでしょうか。著書がこれだけ出版されたのも、それを読む読者が多く存在したからです。
 著書のみならず、インターネット上にも多くの出演映像が遺されていますので、自決により思想家として本物であったことを示した以上、これからもその見識は多くの日本人に受け継がれていくでしょう。


 ただ、一方で、そのどこまでも大衆社会を相手にする態度に、正そうとする態度に、氏の絶望や思想的限界が胚胎していたようにも思えます。それは氏が日本の近代というものに踏みとどまり、日本の保守思想の源流を遡って、福沢諭吉や中江兆民にまでしかたどり着けなかったことに端的に表れているのではないかと思います。

 筆者としては、氏の議論を受け止めて、希望をつなぐべきものが何であるか、自己の方向性の正しさや日本の中にある希望を再確認できた経験があり、それが氏から得た最大の学恩であると考えています。

 それが六年余り前に書いた次の記事なので再掲載することにしたいと思います。
 



『絶望の果てのかすかな希望』

「以下の討論番組を見て感じた事を書いておくことにする。

『日本よ、今・・・闘論!倒論!討論!2011』

表現者スペシャル「戦後保守の意味を問う」[桜H23/10/15]


 この討論の軸となっているのは、とにかくしゃべりまくる西部邁氏の存在であろう。
 ちょっと聴いた所、西部氏の言論は西洋保守思想の翻訳のようにしか聞こえないが、その現代日本への適用という点では徹底している。
 彼はこの討論における一つの重要な役回りを果たしている。

 彼は戦後保守に蔓延するあやふやで曖昧なものに対する懐疑を突きつける。これを西洋保守思想の言葉で語るのだ。
 その基底にあるものは、戦後日本というものに対する絶望である。
 自称保守の中途半端な者達は、現在の窮状を脱するために、藁にもすがる焦りがある。
 本物は窮して却って保守の本道を歩むはずだが、偽者は乱れる。
 自身がこれまで何となく信じてきた価値に確信が持てず、揺らいで、怪しげな主張に吸い寄せられたり、本質的に保守の思想に反する政治勢力に取り込まれてしまったりする。

 西部氏は、それは藁だ、そんなものにすがるな、そういった警鐘を鳴らす立場を徹底しているのである。もちろん西部氏はそれを西洋の保守思想の言葉で語っているわけだから、何が本物かを語ることは出来ない。
 しかし、否定、懐疑という形で、ないところは指し示している訳だから、探すべきところを示唆している事になる。
 彼は逆説的に、絶望の果てにあるはずの希望を語ろうとしているのだ。

 彼は保守思想家としての自身の役割を弁えて、あらゆる言説に懐疑を突きつける。それはあたかも、希望を見出し、これを再生するのは後進の仕事として、彼らの手に委ねようとしているかのようだ。 
 おそらく西部氏は、自分に出来る仕事はここまでである、次に続く仕事は自分とはまた別の器を必要としていると達観しているのだろう。
 

 この討論への参加者は、皆、西部氏の教え子達と言ってよいと思われるが、やはり優秀な弟子たちなのだろう。番組の第三部に至って、絶望の果ての希望を見出すべき場所が、あるいは、その手がかりがぽつぽつと語られ始めるのである。
 
 もちろん究極的には、御皇室の存在にそれは行き着くことになるのであるが、西部氏は安易にそれを語る事を戒めている。これは当然そうあるべきことだ。

 そこで西部氏の教え子達が語り始めたのが次のことである。

 第三部の11分頃。

 水島総氏の発言。

「大東亜戦争は、世界に対する西南の役だった、という江藤淳さんの言葉。」

「反近代の戦いだった。」

 実は本質的な議論はそこから始まらなければならないのだが、議論はその周辺をうろうろして終わってしまう。西南戦の役に関して言えば、、始めから負けるとわかっていた戦争という、保守お決まりの議論で終わってしまう。
 水島氏の禅の話も、自己の見解に止まって議論は深まらない。

 20分45秒位から始まる富岡幸一郎氏の発言を受けて展開する特攻隊、延いては大東亜戦争に関する議論も、そこから深化はしないのである。

 とは言え、西部氏の懐疑が軸となって、全編大変有意義な討論であることに変わりはないのだが、最後に出てくる安岡直氏の発言(55分頃)。

「最終的に社会を支えているバイタルな力というのは言語活動から生まれてくる。」

 これもどこに手がかりがあるか、希望があるか、指し示している。

 あるいは第四部があれば、そういった見識を手がかりに議論が進んだのかもしれない。時間の制約でそこまで行かなかったのは残念であるが、仮にそうなったところで、西部氏のまぜっかえしで、議論は常に入り口に戻されていたかもしれない。
 それをものともせず、議論を深く進化させていく力を持った論客が「表現者」の論客の中にいるように思われないのだが、強いて言うなら、「表現者」の一員ではないが、司会である水島氏の活動の中に、氏の活動を支える思想の中に、それはある、と言えるかもしれない。

 今後、「表現者」のメンバーでの討論を行うのなら、この近代日本の立脚点を見つめなおすところから議論を始めて欲しいものだ。
 キーワードは、近代合理主義思想と反近代、大東亜戦争、西南の役、明治維新、つまり大日本帝国の草創と守成。
 そして、さらには、言語の問題である。

 ということになれば、一種のルネッサンスであった江戸期の学問ということに行き着かざるを得なくなるはずだ。つまり儒学と国学だ。
 明治維新の思想的背骨となった学問である。


 以前、西部氏も出席していた日本文化チャンネル桜の討論で、戦後民主主義の当否が議論の俎上にあがったことがあった。西部氏は今回同様、戦後民主主義に対する懐疑、否定を述べたのだが、やはり、それを掘り下げる事は出来なかったのである。誰かが「五箇条の御誓文」の重要性を指摘したが、そこどまりであった。


 万機公論に決す、との理想を掲げた「五箇条の御誓文」の精神は、いわゆる四書をその背骨としている。四書とは『論語』『孟子』『大学』『中庸』の事だ。起草者の由利公正(三岡八郎)自身が自伝の中でそのように述べている。

 この由利公正は、坂本龍馬の盟友であると共に、横井小楠の弟子でもあった。
 勝海舟がこの横井と並び称した西郷南洲翁もまた、同じ思想に則って王政復古維新の偉業を推し進めた。

 儒学や国学といった江戸期の学問的成果を背景にして、維新の指導者達は日本古来の伝統をその脳裏に描きながら、困難に対処して行ったのである。
 公議政体に対し、ある者は理想として聖徳太子の十七条憲法を想起していたし、ある者は、この国の遠い神話時代に思いを馳せ、高天原に神々が集って、言霊を交し合っている姿を投影していた。 

 戦後生まれた保守論壇は、左翼との論争に精力を費やして、この根源を見つめなおして、言語化する仕事が十分になされてこなかったように思えるがどうだろう。
 それは、重層構造をなす日本の伝統精神の、その深層と表層の間に、文明開化の浮薄な風潮の中で移入された近代合理主義思想によって、生じた断層を修復する、という大変困難な仕事である。

 保守論壇が左翼の論争に精力を費やしたとは、この重層構造をなす伝統そのものを、表層から浸潤して、これを解体しようとした左翼思想の侵食を食い止めようとした、ということであるが、それはまた、近代合理主義や西洋の保守思想を有効な武器にして戦う、という矛盾をはらんだものでもあったのである。

 日本の歴史に推参して、先人達の優れた精神から何かを汲みだし、伝統を救い出すには、争いに必要な精神力とはまた違った、別の深度の内省力を必要としている。

 それは、伝統、伝統、と殊更言い立てなくとも、次の境地から生まれるものだろう。

 「世上の毀誉軽きこと塵に似たり、眼前の百事偽か真か、追思す孤島幽囚の楽しみ、今人に在らず古人に在り。」(西郷南洲)

 「これを好み、これを信じ、且つ、これを楽しむ。」(本居宣長)


 先人達はこういった態度を、孔子から学んだ。

 「述べて作らず。信じて古を好む。」

あるいは、

 「故きを温めて新しきを知る。」

 現代社会にあってこの態度を徹底するのはよほど困難な事だ。」


 引用は以上です。

 筆者が『十人の侍』を手始めに世に問うていこうとしていることは、この態度の実践報告です。
 西部氏は既に自分にやれることはやりつくしたという想いがあり、それが絶望に繋がっていた、という一面もあったのではないでしょうか。。
 西部氏の遺志はそれぞれの受け止められ方で、弟子たちや私淑者に、また批判者にも受け継がれて発展していくはずです。

渡部昇一氏の業績

去る四月十七日、保守派知識人の重鎮として活躍された渡部昇一氏が逝去された。八十六歳であった。

渡部氏の本職は英文学者であったが、大変な読書家で、その該博な知識を駆使しての洗練されたエッセイで多くの読者を獲得した。
 また、その知性は常識的で、保守は保守でもヨーロッパ、なかんづくイギリスの保守知識人の良き伝統を身につけた、芯の強いジェントルマンであったように思われる。ユーモアとウィットに富んだ、洗練された文章を書かれたが、その本領は該博な知識とそこに張り巡らされたコモンセンスにあり、偏向に満ちた戦後の「閉ざされた言語空間」に風穴を開けた功績は計り知れないほど大きい。

 カトリックに入信しておられたようだが、神秘体験はお持ちではなかったようで、その信仰がどのようなものであったのかは面識のなかった筆者の知るところではない。

 筆者は西郷南洲翁の史伝を上梓した後、なぜか本居宣長という不思議な人物に興味がわいて、小林秀雄の『本居宣長』を読み、渡部氏がこの有名な書を取り上げた読書エッセイ「古事記・宣長・小林秀雄」(『新常識主義のすすめ』所収)を読む機会があって、これに前後する時期に書かれた渡部氏のエッセイを蒐集し、愛読するようになった。筆者と同年代の頃に氏が書かれたエッセイは面白く、それまでも氏のエッセイを読んだことはあったが、この頃になってようやく、氏のエッセイの真味を解するようになったというだろう。
 
 氏が論壇にデビューした四十代の頃のエッセイは落ち着いた文章の中にも緊張感や勢いがあって、筆者にとっては啓発的であり、後の円熟老熟期の啓蒙的な著作より、年齢的なものから来る感覚に合致するものがあるのだろう。

 氏のように生涯を通じて知的研鑽を積まれた方の業績を総合的に批評する力量など筆者にはないが、それでも氏の知力のある面での一つのピークがこの時期のエッセイには表れているような気がしてならない。

 筆者がこの時期の氏のエッセイで興味深く読んでいるのは、認識の問題であり、とくに氏のオカルティズムに関する見識は非常に啓発的であった。

 渡部氏によれば、われわれにとって奇怪な印象を持つ言葉である「オカルト」という英単語は、ラテン語の「オクレレ」の過去分詞を起源とする言葉で、本来は隠されたものを意味する言葉だという。つまり、一般の目から隠されているからオカルトで、人に心を開かないことや下心も隠された動機を持っていることであるからここに含まれることになり、日常にありふれた行為を指す言葉であった。

 宗教は神秘体験をその起源に持つからすべてオカルトである。その範囲はキリスト教のような世界的普遍主義的宗教や土俗信仰・アニミズムから淫祀邪教、カルト教団に至るまで幅広い。
 氏はその他にも、オカルティズムとして陽明学を挙げ、オカルティストとして、晩年の三島由紀夫や本居宣長を挙げ、本居宣長を深く論じた小林秀雄をオカルティズムがわかる資質の人であったとしている。
 『古事記』はオカルティズムのテキストであり、この発想から言えば、仏教神道のみならず、陽明学以外の朱子学やそれ以前の儒教もまた、合理主義的側面を持ちながら、その根底にはオカルティズムが横たわっていることになる。

 氏は一九七三・七四年に書いた「文科の時代」「オカルトについて」などのエッセイで、近代文明が曲がり角に差し掛かっていて、「オカルト」という闇をこの世から駆逐しそうな勢いであった近代文明という光が、再びたちこめはじめた闇に後退を余儀なくされていることを様々な例を挙げて考証している。その一つとして、当時悪魔祓いをテーマにした『エクソシスト』というアメリカ映画が世界的に大ヒットしたことを挙げているが、その後の社会事象や流行現象を今振り返ると思い当たることが多い。例えば『エクソシスト』の四年後に世界的流行となったSF映画『スター・ウォーズ』シリーズは超近代的な兵器が登場する宇宙戦争の話であるが、物語の骨格は、闇に飲み込まれた絶大な力を持つ主人公が新たな光を宿した息子によって、闇の世界から抜け出し、銀河を闇の支配から救うという話であった。このシリーズの生みの親であるジョージ・ルーカスとスピルバーグが組んで世界的に大ヒットした『インディ・ジョーンズ』シリーズのテーマはそのものずばり、オカルトである。

 日本でも光に満ちた高度経済成長期にありながら、折伏で世間を騒がせたカルト教団が政界に進出して、日本の支配をもくろみ、今も政権与党の位置にあるし(会長はまさに隠された存在である)、バブルの崩壊期にはオウム真理教の一連のテロ事件が社会を震撼させた。
 これらの背景にあった国際情勢として考えられるのは米ソ冷戦で、キリスト教という光と闇を抱えた近代文明であるアメリカと、内面に虚無を抱えた超近代主義である唯物論という共産主義イデオロギーを掲げたソ連を中心とする共産主義国が、世界を席巻する勢いであったが、その勢いが曲がり角に差し掛かりつつあったことと関係があるのだろう。両イデオロギーに対する幻想が失望に変わりつつある時代に氏のエッセイは書かれたことになる。
 氏が留学したのが、比較的伝統を重んじる傾向のあるイギリスやドイツであったことも、これらのイデオロギーと距離を置く上で、好都合であった。


 光(善)と闇(悪)の対立という二元対立論はいかにもキリスト教的な感じがするが、渡部氏はゲーテの言葉を次の引用している。

「暁の薄暗いうちから早く起き出して、太陽を待ち焦がれていたのに、太陽が上がってくると目が眩んでしまうような人の気持ちを私は学問において味わった。」

 自然の一部である人間は光と闇の織りなす自然の中を生きていて、光だけの中にも、闇だけの中にも、長くとどまっていることはできない。闇あっての光であり、光あっての闇である。白昼、木陰に憩う一時、日暮れに灯をともして憩う一時は人生の楽しみの一つであろう。つまり人間とは光と陰の調和のとれた運動の中でやっと長く落ち着くことが出来るという性を持って生まれているのである。

 氏は次のような優れた比喩をしている。

 ヒマワリの葉や花は日を指向するが、それが存在しうるのは日に背を向けて地中という闇を指向する根が深く張っているからである。 
 そして、人の生存にとって本質的に重要なのは、光よりむしろ闇の方でないのか、と問いかけるのである。
 
 では、われわれ現代人はこのオカルトとどのように向き合ったらよいのか。

 クリスチャンである氏はイエス・キリストの言葉「樹はその果実によって知られる」を引用し、ある樹がよい樹であるか、それとも悪い樹であるかは、その果実によって判断されるべきだとしている。
 その果実によって西洋文明をよき樹と判断した氏は、だからキリスト教に入信されたのであろう。西洋文明を担った優れた知識人を見、ハイエクやカール・シュナイダーに師事し、多くの優れた人物に出会ったことが判断の根拠となったものと思われる。
 その点、内村鑑三の弟子というプロテスタントの家に生まれ、クリスチャンであることを宿命として受け入れた山本七平とは異なる。

 「オカルトについて」というエッセイは、オカルトに向かう態度について、ゲーテの次の箴言を引用して締めくくられている。

「考える人間の最も美しい幸福は、窮め得るものを究めて、窮め得ないものを静かに崇めることである」

 これが学者・知識人としての氏の生涯を通じての態度になったものと思われるのである。

 しかし、これだけでは、窮め得ようとした第一級の知識人であったとはいえ、われわれ日本人という立場から見れば、西洋かぶれの一知識人でしかない。
 氏を、そういった西洋かぶれの知識人から一線を画した、われわれにとって特別な存在にしたのは、日本に対する愛国心であり、その矜持である。

 ここからは氏の日本人としての根について考察してみたい。

 氏は昭和五年、山形県鶴岡の生まれである。
 山形と言えば江戸時代は庄内藩だったところで、氏が学んだ小学校は藩校の致道館跡であったという。藩校の伝統は戦前でも生きていて、小学6年生の時に、素読を習ったという。素読は古くからの漢籍の学習法だ。
 最初に習ったのが楠木正成の「壁書」で、次いで「西郷南洲翁遺訓」であったという。この学習は氏の血肉になって、還暦を過ぎても、大西郷の有名な「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し、丈夫玉砕して甎全を愧ず、一家の遺事人知るや否や、児孫の為に美田を買わず」の漢詩を暗誦できたという。

 庄内藩は佐幕勢力で、戊辰戦争を賊軍として戦った歴史を持つが、頑強な抵抗の後降伏し、本来なら屈辱的な城の明け渡しに際し、この方面の官軍が大西郷の指導下にあったこともあって、武士としての礼を尽くした寛大な処分を行ったことから、藩士たちは大変感激して、大の西郷びいきとなった。
 維新後も、遠路はるばる鹿児島を訪れ、西郷の薫陶を受けたものも多く、彼が西南の役で非業の最期を遂げた後もその熱は冷めやらず、大日本帝国憲法発布に伴って西郷の名誉が回復されたことを機に、旧藩士たちが受けた教えをまとめた『西郷南洲翁遺訓』を編纂し、これを全国に頒布した歴史を持つ。
 王政復古維新の精神が厚く沈殿した土地が庄内であり、渡部氏もその影響を強く受けたようだ。これが彼の思想の根が育った土壌という事になる。
 
 氏が高等学校時代の恩師で、「格物致知の権化」と表現した英語教師佐藤順太先生の知的生活の感化を受けて英文学を志し、キリスト教系の私立大学である上智大学に進学し、日本のエリートコースの主流とは一線を画す、独立した言論活動を行ったのも、こういった出自にその源泉があったのだろう。

 氏は戦後上智大学に進学し、二年生への進級を控えた春休みに帰郷した際、隠居して晴猟雨読のような生活を送っていた佐藤先生の元を訪れ、その示唆をきっかけに、それまで単なる「時局便乗の右翼爺い」ぐらいにしか思っていなかった戦前の大言論人・徳富蘇峰への認識を大いに改めるに至ったという。

 「真の戦闘者・徳富蘇峰」というエッセイで紹介されている昭和二十五年頃のエピソードだが、老師は氏に対し、庄内藩の官軍との目覚ましい戦いを詳細に書いた歴史書は徳富蘇峰の『近世日本国民史』くらいしかないが、その信憑性はどれくらいのものなのか、君の大学に出向されている辻先生(善之助;戦前の国史学の大家)のお考えを知りたいので一つ聞いてきてくれないか、と頼んだという。
氏は休暇を終えて大学に戻ると、さっそく辻の元を訪れた。先の問いに、辻は50%だな、と不愉快そうに即答したというが、その表向きの理由は、蘇峰は多くの助手を使い、史料編纂所の史料も使っているから、とのことであった。 

 実は戦前、辻は蘇峰の文章報国五十年祝賀会で『近世日本国民史』に対する講演を行い、この書を大絶賛したことがあった。これに対し、講演の後を受けて挨拶を行った蘇峰自身が謙遜して、辻先生が花を持たせてくださった、五割引きぐらいが相応だ、と言った経緯があったのである。 
 渡部氏が辻に質問した昭和二十五年頃の日本はまだ米軍の占領下にあり、戦前戦中に活躍した人々が公職追放令に怯えていた時代であり、自由な言論空間は奪われていた。だから、『近世日本国民史』の信憑性が50%との見解は、引用された史料については100%の信憑性ということだが、蘇峰の歴史叙述については判断を留保するという意味合いが込められていたと受け止めるべきだろう。

 このことがあってから、渡部氏は徳富蘇峰を興味を以て読むようになって、すっかり見直したという。

 また次のようなことがあった。
 大学三年の時の英詩のゼミで、指導教官から、ミルトンの『失楽園』とケンブリッジの碩学であるクイラ・クーチ教授のミルトン研究を読んでゼミでレポートするように、という課題を与えられた氏は、これらの書を精読するとともに、古本屋で手に入れたばかりの八百頁を超える蘇峰の力作『杜甫と弥耳敦(ミルトン)』を併せ読んだが、ケンブリッジの碩学が書いた本よりも、こちらの方から学ぶことが多かったという。

 徳富蘇峰は熊本県出身で、その父は横井小楠の弟子であり、維新の精神を受け継いだ、敗戦までの明治・大正・昭和を、すなわち大日本帝国を代表する教養人であり、ジャーナリストであり、歴史家であった。
 少年期にキリスト教に興味を持ち、創立したばかりの新島襄の同志社で学んだこともあり、後に内村鑑三の『代表的日本人』の出版に関わるなど、西洋文明の理解者でもあった。復古的側面を持ちながらも同時に開明的でもあるという、その教養の垂直軸の高低、水平軸の広がりを考えれば大いなる知性であったことは間違いない。
 
 これは戦前戦中を少年として過ごした渡部氏が、戦前を支えた言論、価値観歴史観を、批判精神を保ちながらも、受け継ぐきっかけとなったものだろう。蘇峰を読むようになったことは少年期という渡部氏の人間の基礎と、青年期に学んだ西洋的教養の間に生ずるギャップを埋めると同時に、これらを大きく支える知性を得る経験になったと拝察されるのである。言わば、国産のまだ育ち切っていない木に、異国産の竹を継ぐような、無理のあるバランスの悪い知性とならなかったのは、ひとえにその間を継ぐこの経験がものをいったのだろう。
 この経験が日本人としてのコモンセンスを育む上で重要なものであったと筆者はみている。 

 渡部氏が戦前の少年期の記憶を大事にしていたのは、彼の著作を読めば明らかで、戦後の手のひらを返したかのような知識人主導の歪な教育やマスメディアのこれまた歪な言論の深刻な影響を受けることがなかったのも、この少年期の経験学習と、まずはアメリカではなく、当時没落していた、伝統の色濃く残るヨーロッパに留学した経験、および戦前の日本にも一流の知識人がいて、世論に大きな影響を与えていたことを認識したことが大きかったのだと拝察される。

 氏はこれらの経験を基礎に留学先でヨーロッパの歴史と伝統の問題に深く思いを凝らした。
 肩身の狭い敗戦国からの留学生ではあったが、またカトリックに入信した氏であったが、日本人であるとの自覚を捨てたことはない。
 氏が西欧文明に見出した光で逆に日本の出来事を照射するようになったについては主に二つの経験があったようだ。

 小中学校で教えられたままに、日本を天皇を仰ぐ万邦無比の國體であると信じてきた氏は、中学三年生で敗戦を迎えたが、二十六歳頃、ドイツはミュンスター大学への留学中に、古英語のルーン文字詩を比較言語学・比較宗教学の見地から解読し、それまで解読不可能であったフランクス・カスケット(ドイツ北東部で発掘された七世紀のもので、鯨骨にルーン文字が彫られている)の右面を解読するなどの業績を上げた学者カール・シュナイダーの講義を受けた。
 講義の内容はキリスト教が入る前のゲルマン人の宗教や文字についてであった。日本で言えば、漢字が入ってくる前のこの国の宗教(古神道)や言葉について、本居宣長やその仕事を受け継いだ国学者から講義を受けるような経験である。
 シュナイダー教授の講義で氏は、古代のゲルマンやギリシャの諸部族の長の系図をたどると、途切れることなく神の系図に連なることを知り、神に連なる系図を持つ日本の天皇が古代においてはありふれたものであったことを知った。万邦無比という固定観念はこれによって相対化された。なんだ、万邦無比でもなんでもないではないか、ということだ。
 
一方で、ドイツ人学生との何気ない会話から、戦前戦後を通じて同じ天皇(昭和天皇)が在位していることが彼らにとって驚きであることを知って、認識を改めることになる。よく考えてみれば、ヨーロッパにおいてはその系図を遡って神に連なる王家など既に存在しない。そこで、あらためて、神に連なる系図を持つ天皇を戴く日本の國體が万邦無比であることを再認識したのである。
 件のドイツ人学生は「日本人は重厚な民族である」と言ったそうだが、そのことがあってから渡部氏は、ドイツ人に会えば、当時の昭和天皇は第百二十四代天皇であり、日本の國體は例えるなら、創造神ゼウスに連なるアガメムノン王の子孫が現在でもギリシャ王として国を治めているようなものだ、と自慢した。
 この自慢に対し、少しでも教養のあるドイツ人は例外なく電撃的なショックを受けている様子であったという。
 
 戦後の日本社会の表層において確認できる事象は軽薄そのものであるが、その下において重厚に物事が推移していくのは現在も看取しうるが、その根源はこれらドイツ人の直観にも認めうるのではないだろうか。

 それはさておき、続けてイギリスに留学した氏は、ここでも先の自慢を繰り返したが、やはり十分に通用したという。というのは、古いと言っても、イギリスの王家でさえ、二百数十年しか遡ることは出来ず、しかもその王朝でさえ、ドイツのハノーヴァから渡来してきた異民族王朝なのだ。
 これに対して、日本の皇室は皇紀で言えば二千六百以上を遡って神に連なることになる。文字通り桁違いなのだ。

 ということは、背負っている伝統の重みも桁違いということであり、読者によく推移を見守っていてもらいたいのは、昨今マスメディアを騒がせている今上陛下の御高齢による「退位」問題である。
 軽薄な輩は女系天皇への道を開くために、雅子皇太子妃殿下の問題を利用し、女性宮家創設などの新儀を言い立ててやまないが、それらは日本文明の重厚な根幹を覆そうとしていることになるということで、今後、これらの問題がどのように推移するかによって、敗戦によって大きく傷つけらたわが文明が本当の意味での復興を成し遂げることが出来るのか、それとも衰亡するのか、その分かれ目になるはずである。

 日本文明が敗戦とその後の占領政策により深刻な傷を受けたことを強く認識しておられた昭和天皇が、わが国の本当の復興は二百五十年はかかるだろう、と予言されたと伝えられることを想起されたい。
 桁違いの重みを背負って言うのなら、「退位」は「譲位」であるべきはずだし、重要なのは「公務」より祭祀であるし、「女性宮家」創設よりも旧宮家復活であるし、「新天皇御即位」よりもまずは皇太子殿下に摂政に就任していただくことである。皇室への忠誠心に欠ける宮内庁のリーク情報などに惑わされてはならない。


 氏の晩年の主張もこれらに則っておられたが、先の留学中のエピソードは、少年期に教育によって植え付けられた種が、一つの知性となって芽を出し、その枝葉を広く伸ばす一方で、深く広く根を張っていく様を表しているようだ。 

 氏は留学から帰国するに際して、ギリシャを経由し、パルテノン神殿の遺跡を見たが、日本に帰国してから日本の一地方でその土地の人々によって神社の祭りが盛大に行われているのを見て、古代ギリシャの神々は死んでいてパルテノン神殿は廃墟だが、日本の神々は生きているということを実感された、という趣旨のことを、出典は忘れたが、どこかで書かれていた。
 『貞永式目』に「神は人の敬いによって威を増す」とあるが、それを想起させるエピソードである。そういった日本人の伝統的な宗教感覚を再認識する体験だったように思われる。
 こうして見ていくと、氏はカトリックへ入信していたとはいえ、イザヤ・ベンダサンが言っていたような、「日本教徒キリスト派」というのが近かったのかもしれない。

 これは西洋文明の果実を見て、よい樹と判断し、そこに実際に暮らし、その文明が持つ根幹、光と闇を認識するところまで学んだが、その光で日本という文明を逆照射し、また闇に浮かび上がらせることで、むしろ、わが国こそよき樹である、と再認識されたと理解してよいのではないだろうか。
 少なくとも氏の言論がそういったベクトルを持つものであることは年々顕著になっていったように思われる。

 氏はそういった貴重な経験を経て、考える人間の最も美しい幸福、すなわち窮め得るものを究めて、窮め得ないものを静かに崇めるという、ゲーテ流の知的態度を貫かれたのだろう。

 その模範となったのが、一つは高校時代の恩師佐藤順太であり、もう一つが英国の歴史を学ぶ過程で知った、『人間本性論』の不可知論者で『英国史』で知られる英國體論の草分けであるデイヴィッド・ヒュームの生き方であったように思われる。

 それが四十代からのエッセイによる日本人に対する啓蒙的言論となっていったのだろう。少なくとも、氏はこのような言論を、英文学者ではありながら、英語圏の人間に発信していくことは、その必要性は認めながらも、積極的ではなかったようだ。
 幕末以来、英国式の議会制民主主義を理想としてきた日本の政党政治に、その歴史を本場で学んできたものとして、それを支える世論に正しい知識とそれに基づく常識を与えようと苦心してきたのが、渡部氏の業績と言えるのではないか。敗戦により歪んだ日本の言語空間において、渡部氏はそれに最もふさわしい経歴を持つ草莽の人物であったといえるだろう。

 氏の業績の中で後世に受け継いでいくべき最大のものは、戦前の日本をめぐる朝日新聞を中心とするマスメディアの意図的な偏向報道に断固立ち向かい、東京裁判史観を払拭すべく、「閉ざされた言語空間」に風穴を開け続けてきたことだろう。いわゆる「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」など、事実に基づき、事件自体を否定する論陣を張ってきた。
 そういった孤独な闘いの中で、先に紹介した大西郷の漢詩の一節「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し、丈夫玉砕して甎全を愧ず」などは少なからず心の支えになっていたようだ。(もっとも詩の後半部については違和感があったと告白しておられる。この違和感は時勢の違いと目指す所、すなわち志の違いの一つの表れであろう。)


 氏の昭和史に対する見識は、昭和天皇の崩御、すなわち昭和という時代が終わったのを機に、『日本人から見た日本人』【昭和編】にそれまでの言論の集大成としてまとめられているが、その後、新たな史料の発掘があって初めて明らかにされた真相も多く、また、まだどこかに眠っている史料も多くあると推測され、この「昭和史」と呼ばれる分野は、新たな史料の発見とともに常に書き換えが必要な分野で、氏自身も後に出版した書籍でそれを行ってきた。
 還暦を目の前にしたときに書かれた前掲書が一つの契機となったと思われるが、そのさらにあと、七十五歳のときに書いた『昭和史―松本清張と私』の中で、「私の場合、特に老齢になってよかったと思うことは、昭和史の太い流れが、疑問の余地なく見えるようになってきたことである」と述べておられ、たゆまない知的研鑽を積んでこられたこの碩学にしてようやく見えるようになった、この「昭和史の太い流れ」と表現された歴史認識こそ、日本人が受け継いでいくべき遺業の一つであろう。 
『論語』に「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」とあるが、氏の昭和史に対する語りに、筆者はこの孔子の言葉を想起する。
 流れ行くものを見究める内に、不動の山の姿が見えるようになった氏の、鋭い論理的な文章から一般人に向けた啓蒙的な語り口への変化を表現するのにふさわしいように思える。


 以上は渡部氏の言論に対する一つの見方を示したに過ぎない。
 すべての著書を読破したわけでもなく、また古今東西、該博な知識を駆使して思考した氏であれば、他の視点からの切り口はいくらでもあり得ようが、何か理解の手がかりになるようなものが必要であり、筆者としては自分にとってのそれを明らかにしておきたかった。
 氏は日本という文明の根幹を強くし、枝葉を繁らせ、より多くの良質な果実を稔らせることを念願していたであろう。
 その志を継ぐことこそが氏の学恩に報いることになるのではないかと強く思う次第である。

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