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孟子は覇道と王道について次のように言っている。
「力を以て仁を仮る者は覇たり。覇は必ず大国を有(たも)つ。徳を以て仁を行う者は王たり。王は大を待たず」
「力を以て仁を仮る者」とはもちろんアメリカに当てはまるだろう。自由や民主主義といった仁政にかこつけながら、彼らが現実にしていることを見れば、国益に基づいた覇権主義でしかない。外交はもちろんのこと、国内に眼を向けても、その民主主義的・自由主義的社会とやらは、実質的に、富裕層と貧困層の格差と、白人によるアフリカ系を中心とする有色人種への差別を前提に成り立っている。その掲げている理念と実態は大きくかけ離れたものとなっているのである。
孟子はまたこうも言っている。
「力を以て人を服する者は、心服せしむるに非ざるなり。力贍(た)らざればなり。徳を以て人を服せしむる者は、中心より悦びて誠に服せしむるなり。七十子の孔子に服せるが如し。詩に、『西より東より、南より北より、服せざる無し』と云えるは、此れこの謂いなり。」(共に「公孫丑章句上」)
世界をいつまでも力で押さえつけることは出来ない。最近ではイラクでの失敗がそれを証明している。
かつてアメリカの文明史家で国際政治学者のサミュエル・ハンチントンは、『文明の衝突』を書いて、アメリカの普遍主義的覇権外交と、国内の多文化主義に警鐘を鳴らした。世界が多文明で成り立っていることと、アメリカという国が西欧普遍主義的価値観で成り立っていることを認めよ、そうでなければ現在他文明に対し比較的優位を保っている西欧文明の優位性は早期に覆されることになるだろうと。これはアメリカの長期的国益に基づいた、透徹した洞察だったと言いうるだろう。その警鐘を無視したブッシュ政権の世界戦略により、アメリカの現在維持している覇権は意外と早く崩れることになるかも知れないのである。それがいつ来るのか分からないが、我々はその時に備えておく必要がある。
孟子は言った。
「天下に道あるときは、小徳は大徳に役せられ、小賢は大賢に役せられる。天下に道なきときは、小は大に役せられ、弱は強に役せらる。この二者は天なり。天に順(したが)う者は存し、天に逆(さから)う者は亡ぶ。」(「離婁章句上」)
現在の日本が置かれている状況がまさにこれだ。しかもこれは戦前の大日本帝国にも当てはまる。大東亜共栄圏という、近代国家日本の成立の過程と当時の安全保障上の見地から見て、正当かつ純粋な理想は、アメリカの覇権主義的かつ人種差別的非道の前に儚く敗れ去った。彼らアメリカ人はその目的を達し、その欲望を満たすために、日本の都市への無差別爆撃と原爆の投下という、民間人の大量虐殺という非道を敢えて行った。その非道行為はナチスの行ったそれとほとんど変わりないといえる。彼らアメリカ人の非人道性は、その後の戦争でも繰り返し行われ、現在イラクでも続けられている。
今天下に道はなく、混沌と無秩序が世界を覆おうとしている。そんな中で我々日本がアメリカの意志に従わざるを得ないのは、『孟子』によれば天の意志なのである。
ではそれでよいのか。この後孟子は次のような趣旨のことを言っている。
今小国が大国の悪いところばかり見習いながら、その命令を受けるのを恥じるのは、弟子の身でありながら師匠の教えや指示を受けるのを恥じるようなものである。もしそれを恥じる心があるなら、文王を師とすべきである(つまり孟子の主張する王道・仁政を行うべきである)。文王を師とするなら大国は五年で、小国は七年で、必ず天下に政を為すことが出来るだろう。
現実の国際政治は孟子が言うような、そんな単純なものではないだろう。しかしほとんどの日本人に覇権主義的な欲望や国家観がないのは確かだ。その点で孟子の描く世界像は、これからの日本が進むべき道を探求する上で、大きな参考になる。
いずれアメリカはその力の衰えのために、世界への影響力を弱め、自信を失い、自らの理念に疑問を抱くに違いない。それがいつのことかは分からない。
だが、その時が来たとき、我々は逆にアメリカに教えてやるのだ。歴史が浅く、未熟で独善的な彼らに本当の民主主義というものを。
そのためにも我々は伝統的な王道的人民民主主義に今から目覚め、自らを正しておく必要があるのである。それを天下に行いうる高貴なる資格と責務を有するのは世界中で日本文明しかないことを、我々はもっと肝に銘じておくべきなのである。
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