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大東亜戦争

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終戦の日

本日、平成三十年八月十五日は七十三回目の終戦の日。

 この時期が来ると毎年、日本国中であの戦争に関する様々な回顧がなされています。
 今朝も、女性議員か、議員の卵か知りませんが、共産党の中年女性が近所の団地で街頭演説を行っていましたが、二千万のアジア人、三百万の日本人の尊い命が日本のせいで犠牲になったとして、強引に安倍政権批判に結びつけていました。お決まりのセリフです。

 党につけられたセリフなのは明らかで、自己の政治信条を語るにしてはたどたどしく、演説の訓練も兼ねてであろうことは容易に忖度できたのですが、唯物論の立場に立つ輩に、命の尊さを説教されることほど片腹痛いことはありません。

 多くの人々が犠牲になったと言うなら、これらの多くの尊い命が何の犠牲になったのかが問われなければならないでしょう。

 彼らは階級闘争史観の徒ですから、当然、彼らが敵とみなす相手との対立を煽る目的でこれらの演説を行っているわけで、つまり、日本国民の分断工作なわけで、戦前も戦後も、日本国政府が糾弾の対象となっています。
 共産党に言論の自由はありませんから、先の女性議員もまた、党是をオウムのように繰り返すだけなのです。

 彼ら彼女らは党の細胞でしかありません。
 驚くべき単細胞ですが、これに騙される人々がまだいるとしたら、彼らもまた驚くべき単細胞と化していることになるでしょう。

 あの戦争の意義は複雑深刻で、ちょっとやそっと学んだくらいでは理解し兼ねるところがあるのは確かで、馬鹿は馬鹿なりに、利口者は利口者なりにしか理解できないところがあり、マスコミを通じた世論工作はそこにつけこんで行われてきたのが現状です。

 しかし、少しでも興味を持って、矛盾対立する色んな論点を自分で学んでみて、世間で言われているものとはちょっと違うのではないか、判らなくなってきた、と感じられたら、それは実は理解が一歩深まった証拠です。

 例えば終戦=敗戦と思っている人はこんな議論をどう思うでしょう。

 クラウセヴィッツの『戦争論』的発想から見れば、すなわち戦争は政治の延長であり、戦争目的、戦略目的を達成した方が勝者である、との発想から言えば、日本は大きな犠牲を払ったものの、自存自衛、国体護持、そしてそれを達成するため、西洋の植民地支配からの大東亜の解放を達成したのですから、戦争の勝者であるとも言えるのです。

 その証拠に戦後三十年もすると日本は目覚ましい復興を遂げ、冷戦で疲弊したアメリカ経済を追い越す勢いを示し、勝者のつもりであったアメリカはようやくその事に気づき、ソ連崩壊後は明確に日本を敵視するようになったのです。残念ながら、そのことを忘れていたのは、敗戦国根性を叩きこまれ、平和ボケに陥っていた日本人の方で、その後、アメリカにいいようにやられ、日本緒経済成長は止まってすでに二十年以上を経過しています。

 かつて、日本は昭和天皇の御聖断により、国家意志を以て、天皇を中心とする国民国家という国体を護持するために、ギリギリのところで戦争終結を決断し、有条件降服を行いました。
 無条件だったのは大日本帝国陸海軍の武装解除についてです。

 これを、武装解除して抵抗力を失ったのをいいことに、日本国の無条件降伏にすり替えて、日本国民を彼らの都合のいい史観で洗脳し、憲法まで制定してしまったのが、アメリカ政府の狡猾なところです。
 日本国民は情報が統制され、政府と国民の分断工作が施される中で、やがて、彼らの主張を信じ込むようになってしまったのです。

 そもそも大日本帝国を中国との泥沼の戦争状態に陥らせ、次いで南進政策による対米英戦争に導いたのは、敗戦革命論に基づくスターリンの指示に基づいて、日本の近衛内閣および米・ルーズベルト政権に潜り込んで誘導工作を行ったソ連コミンテルンのスパイ網だったわけですから、戦争で失われた尊い命は、一面において、敗戦革命工作の犠牲になったことになります。

 共産主義者が、日本で三百万、アジアで二千万の尊い命が日本の悪行の犠牲になったとの主張が、いかに偽善的で、欺瞞に満ちたものであるか、分かろうというものです。

 地上波ではあまりこういった視点で語られることはありませんが、終戦記念日を前に行われた日本文化チャンネル桜の次の討論は、最新の研究成果を踏まえ、あの戦争の真相、意義を多角的に捉えた非常に刺激的な内容です。


もし大東亜戦争の開戦が無かったら」


 実はわからなくなってくるというのは、それまでの自分の中で一番理解が深まっている状態である証拠なのだと弁えた上で、あの終戦を、尊い犠牲の深刻な意義を自分の頭で考えてほしいと思います。

 昔も今も歴史は人間の生に関するあらゆる要素を内包した学問の王道であることに変わりがないのですから。
 大東亜戦争はその意味で日本人の認識を広め、深め、高める上で、格好のテーマだと思われます。

 終戦記念日は、犠牲者に哀悼の祈りを捧げるとともに、英霊たちに感謝し、あの戦争の意義を問い直す日でありたいものです。
「端的に言えば、大東亜戦争は罪悪なのではなく、失敗だった」

保守思想家の福田恒存はそう言った。

 大東亜戦争の道義性についてはすでに触れたが、一方で、当時の世界が、列強が生き残りを懸けて合従連衡を行い、サバイバルを展開する、いわば戦国時代であった、という見方をするならば、日本は降伏した以上、敗北したわけだから、戦略的には過ちがあったということになる。
 確かにあれだけの人的・物的損害を出した以上、自存自衛の戦争目的という点から言って、戦略的には失敗があったと認めざるをえないだろう。
 この部分には確かに反省があってしかるべきである。
 もちろん、それは自存自衛の問題として同じ過ちを犯さないという意味においてである。
 
 福田恒存は先に引用した部分に続けて「失敗とわかっていなければならぬ戦争を起こした事に過ちがあったのに過ぎない」と言っているが、私が言う過ちとはその意味においてではない。
 というのは、戦略次第では、勝てるとまでは言わなくとも、少なくとも負けずに済む戦争だったと思っているからだ。
 福田氏の発言は、歴史的惨敗を喫したという後知恵から来る発言ではなかったか。

 同じ後知恵で言うなら、アメリカ政府は何が何でも日本と戦争をしてこれを叩き潰す腹づもりだったのであり(その動機の一つが「人種的憎悪」にあったことは前回触れた)、狡猾な罠を張り巡らしつつあったのだから、イニシアティブを握っていたのは、日本ではなく、明らかにアメリカであった。
 日本は政治的に守勢に立たされていたのであり、「戦争を起こした」という自発的表現が適当であったとは思われないのである。

 二・二六事件以降、政治家は軍部に対するシヴィリアン・コントロールを放棄していた。
 なぜなら、予算がなければ軍は莫大な人的・物的財産を消費する戦争など出来ない。
 その予算を握っているのは帝国議会であり、だから、軍の統制は明らかに政治の責任ということになるのである。
 三島由紀夫が「檄文」で言ったように、そもそもシヴィリアン・コントロールとは「軍政に関する財政上のコントロール」を指す言葉なのである。

 日本政府は基本的に英米との協調路線を取っていたが、満州事変以降、国民は軍部の行動を熱烈に支持し、これは米英との対立を促した。
 こうした中で、軍の予算を握っている政治こそが、本来の役割である意思決定機能を果さなければならなかったが、当時の政治家はそれを果しえなかった。国民世論と結びついた軍部と対立してまで、政治家がその所信を貫徹しようと思えば、テロを覚悟しなければならなかったのである。

 しからずんば妥協、協調、迎合。
 これがうまく行かなかった。
 そういった政治の意思決定能力の喪失が、日本に次々と襲い掛かる国際的難問に対症療法的にしか対処できなかった要因である。
 それがジリ貧となった段階での決起へと繋がった。
 ここにおいてようやく、戦い方はともかく、戦うという一点において、政治的意思は統一されたのであって、「失敗とわかっていなければならぬ戦争を起こした」というような主体的なものではなかったのである。
 むしろ政治的主体性を取り戻すための戦争であったといえるだろう。

 早い段階で、アメリカの首脳が人種的憎悪による日本人種の絶滅という狂気の虜になっている、と日本の首脳陣が達観していたならともかく、当時の日本人は問題がそこまで深刻なものであるとまで思っていなかったし、その狂気の結実である、B29による民間人の無差別殺戮や二つの原爆投下という、ホロコーストを経験した今となっても、その深刻さを受け止め切れていない日本人の国際政治に対する甘さを見れば、誰が先人達の過ちを咎めることが出来るというのか。
 その甘さが、半世紀以上前、アメリカという大津波に国土を洗われ、今だにその傷が回復せぬままに、今度は米中の両方からの津波に国土を再び根こそぎに洗われかねない状況となって現れているのである。

 今、東北沖大地震で発生した大津波は東北の太平洋沿岸部を洗って、福島第一原発の問題となって日本列島を揺さぶっている。
 私は日本人を襲っているこの問題に、戦後日本というものが音を立てて崩壊していくような感覚を持っているのであるが、これが次の津波、すなわち太平洋の向こうから、そして、日本海および東シナ海の向こうからの津波を誘発することを懸念しているのである。
 いい気になって先人を貶めている場合ではない。

 先人に輪をかけて認識が甘い上に、国難に立ち向かう気概も弱い現代の日本人が、同等か、あるいはそれ以上に苛酷な国際環境を果敢に乗り切ろうとした先人をあざ笑う図は滑稽以外の何物でもないのである。

 
 昔も今も政治が本質的に命懸けの仕事であることに変わりがない。
 今でも政治家が、一切その気がなくとも、ポーズだけであっても、「命懸けで取り組む所存であります」とか、「政治生命を懸けて」とか言うのはその名残だろう。
 現代においてはそのような政治家の発言は、ルーピーと呼ばれた総理大臣でさえ言えるのだから、紙切れ一枚の価値もないが、その代償として実際の政治がまったく駄目になってしまっているのだ。

 もちろん今をときめく政治家に、そのような覚悟、責任感を本気で持っている人などほとんど皆無だろう。この発言を受ける有権者も、本当に彼らが命懸けであるなどと思っていないのではないか。 
 政治が馴れ合いのお遊びになってしまっている。
 ここに戦後日本の悲喜劇は胚胎している。

 そんな遊びを繰り返す子供たちが、真剣だった戦前の日本を安易に断罪しているのだから始末が悪いのである。

 
 戦前の日本は出来るかぎり米英に妥協し、これ以上譲歩すれば、戦わずして敗れるという、ぎりぎりの所まで追い詰められた。
 つまり、開戦は、勝ちを見込めるぎりぎりのところでなされたのであり、後知恵で、「失敗とわかっていなければならぬ戦争」と切り捨ててよいものなのだろうか。そんなことを言えば、日露戦争だって決して開戦すべき戦争ではなかったということになるだろう。
 問題は、そうでありながら、開戦後、見込んだはずの勝つための数少ない戦略を日本が選択できなかったというところにあるのではなかろうか。

 とはいえ、私は福田恒存の思想に精しいわけではなく、たまたま知っていた先の言葉を叩き台にして大東亜戦争を論ったに過ぎないので、その辺のところはご理解いただきたい。 



 「えんだんじ」先生の『大東亜戦争は、アメリカが悪い』は大東亜戦争勃発までの過程を追った著作であるから、開戦後のことについては必要最小限しか触れていないが、少なくとも開戦に至るまでの過程における外交的失敗については触れている。
 しかも、それは常識に基づいた、かなり鋭い視点である。

第二十章『日独伊三国同盟』

 第二節「日独伊三国同盟は正しい選択であったか」

 が、それである。

 ここで先生は、当時の日本の選択肢として、

一、米英と仲よくする。
二、ソ連と仲よくする。
三、独伊と仲よくする。
四、孤立外交を貫く。

 の四つを挙げ、最上の策は一であるが、事実上そういった選択肢がありえなかったことを考察している。
 理由は満州をめぐる政策で日米間における政治的妥協が限りなく不可能にちかかったこと。後知恵として、アメリカがすでに日本を叩き潰す腹づもりであったことを挙げている。これは客観的に見てその通りである。
 この策を成しうるとすればそれは天才的な手腕を有する英雄だけであろう。
 しかし、そのような人物がその時代にいるとは限らない。
 
 四の孤立外交については、日本が物資を自給自足できる国でなく、現実的に、物資を依存している相手のアメリカが、石油の禁輸をちらつかせている以上、無理であったとする。後知恵となるが、日本を戦争に踏み切らせたのが、米英による石油の禁輸にあったことを思えば、これもその通りである。

 そこで先生は現実的な選択肢として二と三を挙げる。
 すなわちソ連および独伊との合従である。
 これに着眼し、推進したのが外交官の松岡洋介であった。

 すでにドイツは戦争を遂行していて、第二次欧州大戦は始まっていたから、これとの同盟には不安定要素があった。
 欧州戦線におけるドイツの勝敗という不安定要素である。
 しかし緒戦におけるドイツの快進撃は、そういった不安定要素に対する配慮を疎かなものにしてしまったのである。
 
 そこにソ連との同盟を加えるわけであるが、それを可能にするには前提条件があった。当時独ソ間で結ばれていた不可侵条約である。
 日ソの合従はその前提の上に成り立って初めてアメリカに対する戦略性を帯びてくるのである。

 この条件下で、松岡洋介は日独伊三国同盟を結び、帰路モスクワに赴いてスターリンと不可侵条約を結んできた。
 「えんだんじ」先生は常識的に判断して、この戦略構想自体は間違ってはいなかったとしているが、私も松岡のこの構想は、地政学的に見て、間違いではなかったと思う。
 
 しかし、戦国時代であった当時の国際情勢はまったく先が読めないものであった。
 運の悪いことに、構想の前提条件は、日ソ中立条約締結後わずか二ヵ月後の昭和十六年六月二十二日、独ソ開戦であっけなく崩れてしまったのである。
 しかし、構想者である松岡は、当時まだ十分展開されていなかったが、地政学というものをよく理解していたらしい。
 松岡外相は、昭和天皇に、速やかにソ連を討つことを建言したのである。

 『大東亜戦争は、アメリカが悪い』によれば、昭和天皇は「これは明らかに国際信義を無視するもので、こんな大臣困るから私は近衛に松岡を罷めるように言った」と後に語られたそうである。また「彼の言を用いなかったは手柄であった」とも語られたとのことである。
 つまり、松岡のこの献策を国際信義を理由に退けられたのである。

 昭和天皇は戦国時代を果敢に生きようとした日本に道徳的規制をかけられたのだ。

 「えんだんじ」先生はこの事について、

「戦前の昭和天皇の最良の決断は、二・二六事件のとき、陸軍が犯人に同情的であったのに、終始一貫犯人を逆賊扱いしたことです。最悪の決断は、松岡外相の提案を拒否してしまったことです。」

 と、勇気ある批判をされている。

 昭和天皇は、英国流の立憲君主として、自己を厳しく律しておられたが、このように天皇のご意見が近衛首相に伝われば、当然影響力を行使せずには置かない。
 昭和天皇は後々まで、二・二六事件および終戦のご聖断のときに、自ら立憲君主としての戒めを破られたことを気にされていたが、天皇のご意向が戦前・戦中の日本の政治を左右したのは、何もこの二つのときばかりではなかったのである。

 戦略的見地から見て、日独伊三国同盟を結んでしまっている以上、昭和天皇のご判断の誤りは明らかだが、米英との協調を希望しておられた昭和天皇がどのような腹案をお持ちになられていたかよくわからない。
 少なくとも昭和天皇は道義の問題を以てこれにお応えになられた。

 徳を以て怨みに報えば、何を以て徳に報いん。直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報ゆ。

(『論語』「憲問」要約)

 孔夫子はそういうのである。

 徳を以て人種的憎悪という怨みに報いるとすれば、何を以て徳に報いるというのか。
 直きを以て怨みに報い、徳を以て徳に報いるということでなければならない。
 
 大東亜戦争の持つ意義は、アメリカの日本人に対する人種的憎悪に直き態度で報いようとした。
 そういうことではなかったか。

 これも後知恵ということになるが、ソ連は言わずもがな、英米の不義(昭和天皇の意識にあったのは英米を中心とする国際社会に対する信義にあったと思われる)を思えば、合従連衡の世界における戦略の問題に、信義という徳義上の問題を以てお応えになられた昭和天皇が、その面において「えんだんじ」先生の言うように、最悪の判断をされた、と受け止めるなら、日本の敗戦とそれに続く占領による伝統の破壊は、故事にある「宋襄の仁」であったということになる。

 「宋襄の仁」とは、道義を重んずる宋の襄公が、義憤から大国楚に泓水のほとりで決戦を挑んだが、道義にこだわって勝機を逸したために大敗を喫して、軍門に下らざるをえなかった、という故事である。

 (「泓水の戦い」ウィキ解説; http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%93%E6%B0%B4%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

 「宋襄の仁」について次のような記事もある。http://www.asahi-net.or.jp/~bv7h-hsm/koji/soujo.html

 つまり、大東亜戦争とは「泓水の戦い」であったということであり、昭和天皇は宋の襄公ということになる。

 「えんだんじ」先生の昭和天皇批判はそういうことである。


 私はもう一つ別の視点から大東亜戦争を見ているが、ここから先は、書評の枠を外れて、私の大東亜戦争観、天皇観、ひいては国体観の話になってくるので、また別の機会に譲りたいと思う。
世界を驚愕させた日露戦争における日本の勝利。
 これは、有色人種の全ての奴隷化を目指す、白色人種の社会を震撼させた。
 彼らは日本を脅威視するようになった。
 それは特にアメリカにおいて著しかったのである。

 硫黄島における抗戦において、市丸利之助海軍中将は、玉砕を前にして、ルーズベルトに手紙を書いて次のように言った。


 卿等のなす所を以て見れば、白人、殊にアングロ・サクソンを以て世界の利益を壟断せんとし、有色人種を以って、その野望の前に奴隷化せんとするに外ならず。
 これが為、奸策を以て有色人種を瞞着し、いわゆる悪意の善政を以って、彼等を喪心無力化せしめんとす。
 近世に至り、日本が卿等の野望に抗し、有色人種、ことに東洋民族をして、卿等の束縛より解放せんと試みるや、卿等は毫も日本の真意を理解せんと努むることなく、ひたすら卿等の為の有害なる存在となし、かつての友邦を目するに仇敵野蛮人を以ってし、公々然として日本人種の絶滅を呼号するに至る。これあに神意に叶うものならんや。

 
 日本人種の絶滅を呼号したアメリカ人。
 これは決して誇張ではなく事実であった。
 それが戦争末期の日本の都市に対する無差別爆撃による民間人の大量虐殺、二つの原爆投下となって結実したのである。
 
 これについては「えんだんじ」先生の著作『大東亜戦争は、アメリカが悪い』でも、その歴史的経緯からしっかりと触れておられる。

 第五章  「アメリカの対日憎悪と対日敵視」

 第六章  「アメリカの侵略主義」

 第十二章 「大東亜戦争への道になったワシントン会議」

        第三節〔『人種的憎悪』から生まれた排日移民法〕

        第四節〔『人種的偏見』と『人種的憎悪』〕

 などである。

 我々の先人もまた、彼らを鬼畜米英を呼号して敵対心を煽ったが、これは彼らの人種差別という作用に対する反発、反作用であったことが、「えんだんじ」先生が叙述する戦争に至る経緯から明らかになるであろう。

 日米戦争における人種差別を書いた知日派アメリカ人学者ジョン・ダワーの『人種偏見』〔文庫版『容赦なき戦争』(平凡社ライブラリー)〕という、この分野では草分け的な存在の著作がある。

 「えんだんじ」先生はこの著作を批判して、「戦争による憎悪」と「人種的憎悪」を混同していると述べておられるがまさにその通りだろう。

 アメリカ人には「人種的憎悪」がまず先にあって、「戦争による憎悪」が上乗せされたが、日本人には得体の知れぬ、彼らの「人種的憎悪」に対する反発と「戦争による憎悪」で戦ったのである。
 そして、この「人種的憎悪」に対する反抗が、それ以前から国民感情としてはあった東亜の開放という理想(思想的淵源は幕末にまで遡る)を高々と掲げさせたのである。
 確かにどちらの精神が豊かで、どちらが貧弱にして狭量かは明白だろう。

 我々には、肌の色は違えど、皆同じ人間であり、話し合えばわかるはずだ、という感覚を持っている。
 そして、罪を憎んで人を憎まず、というところがある。
 だから戦争が終わってしまえば、鬼畜米英という世論は消え去った。
 水に流したのだ。
 しかもお人好しにも、彼らの流すプロパガンダを真に受けて、罪を犯したのは我々であるとまで思い込んでしまった。
 
 戦時の真相を知る人も、彼らアメリカ人がいまだに認めない罪については忘れていないが、もし彼らがこれを認めて謝罪すれば、すぐにこれを水に流すであろう。
 その点、ありもしない罪をおっ被せた上に、謝罪させ、償わせておいて、さらにこれを許さないシナ人や朝鮮の人々とは、明らかに違う国民性を日本人は持っている。

 
 ジョン・ダワーのような、アメリカ人の知日家といわれる人でさえ、日本人に対する理解はこの範疇をでない。
 彼らは自己の中にある人種偏見、人種的憎悪に無警戒であり、史実の選別において、彼らが流した反日プロパガンダの反響に聴き入ってしまって、これと心地よく結びつく、シナ人や朝鮮人が流す反日プロパガンダに容易にだまされてしまう。
 あるいは、これらに同調し増幅する軽薄な日本の知識人やマスコミの出す音を聴き取ってしまう。
 
 何年か前に公開されて話題になったクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」にも同じことがいえる。
 彼が、硫黄島の戦いの歴史的意義に真正面から取り組み、日本を本当に理解しようとしたならば、「硫黄島からの手紙」の主役は市丸利之助海軍中将の手紙にならざるを得なかったはずである。
 そうすればスケールの大きな戦争映画、歴史映画になったはずだ。
  あの作品は戦後的視点で描かれていて、日本人を描ききれていない。
 よって大した感動もない。

 私はむしろ、この戦争をアメリカ側の視点から描いた「父親たちの星条旗」の方が、人物が生き生きと描かれていて、作品としてよく出来ていたと思う。アメリカの戦時プロパガンダの欺瞞と人種差別という視点と、これに対する様々な苦悩も描きこまれている。

 日本と米軍の双方の視点で描くという構想自体は画期的で優れているのだから、日本側の大義という重大な視点が欠けて、画龍点睛を欠く点を惜しむのである。 

 当初、日本側の視点から見た「硫黄島からの手紙」は日本人監督がメガホンを取る予定であったらしいが、クリント・イーストウッド監督が意欲を示して、彼が撮ることになったそうだ。
 しかし、日本の著名な映画監督で、硫黄島の戦闘を反戦平和以上の価値観で描ける監督がどれほどいたか甚だ疑問である。

 インディアンを虐殺、黒人を奴隷として使役し、ゴッドから与えられたという有色人種対する生殺与奪の権利(彼らは有色人種を人とは見ず、動物と見なした)を行使してきたアメリカの人種差別が、太平洋のはるか西の向こうの列島に住む一つの民族を絶滅させようしていたのだ、という深刻な問題を描けておらず、これが一般の理解となっていない以上、日米の和解は、いまだ同盟という、戦略上の便宜からくる以上のものではないのである。

 本物の日本人の視点で描かれた「硫黄島からの手紙」は、自分を取り戻した日本人の手によってアメリカに向けて発信されなければならないだろう。これは日本人に課せられた歴史の宿題といっていい。

 (「硫黄島の星条旗」ウィキ記事;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%98%9F%E6%9D%A1%E6%97%97

 西村慎吾時事通信「嗚呼、硫黄島」

 http://www.n-shingo.com/jijiback/253.html


 「えんだんじ」先生の「大東亜戦争は、アメリカが悪い」は大東亜戦争に至る過程を検証した作品であって、硫黄島の戦闘については、市丸海軍中将の手紙に触れる必要上から、戦闘の概略が述べられているだけであるが、市丸中将の「ルーズベルトに与うる書」に象徴されるように、日本軍人の奮闘振りは、より劇的なものであった。
 実を言えば、硫黄島の戦闘はすり鉢山に二度目の星条旗が翻った昭和二十年三月二十三日に終わったわけではないのである。

 戦意ますます盛んな日本兵は翌朝には山頂を奪取して、日章旗を翻らせているのだ。
 その日、山頂は米軍に奪取され三度目の星条旗が翻ることになるが、日本軍も負けていない。
 また日章旗を翻した。
 栗林中将以下数百名のすり鉢山の残存兵が総攻撃で玉砕した二十六日の前日、二十五日早朝であったとされる。
 今度は手元に日章旗がなく、日の丸は、白地の布に血で染め上げられていたという。ほとんど茶色に見えたという記録があるそうだ。
 水も、食料もなく、火山性で50度近い地熱と硫黄ガスの中、彼らの行動を屹立せしめていたのは、市丸中将の手紙にあったように、正義は我にあり、という自信だけであっただろう。

 これがすり鉢山に翻った最後の日の丸となったが、二六日、栗林中将以下の玉砕で組織的抵抗は終わったものの、その後もゲリラ的な反撃は続き、米軍の硫黄島掃討戦は六月末まで行われることになる。
 最後の日本兵二名の投降が終戦から四年を過ぎた一九四九年正月元旦であったというから驚きである。
 
 市丸中将の手紙に現れているように、従容と大義に向かった日本人の姿。
 これを描かずに、硫黄島の戦闘、ひいては大東亜戦争を描いたことにはならない。
 それは、あくまでもアメリカ人から見た「太平洋戦争」でしかない。


 絶望的な戦況の中で、

 我等今、物量をたのめる貴下空軍の爆撃及艦砲射撃の下、外形的には退嬰の己むなきに至れるも、精神的にはいよいよ豊富にして、心地ますます明朗を覚え、歓喜を禁ずる能はざるものあり。
 これ、天業翼賛の信念に燃ゆる日本臣民の共通の心理なるも、貴下及チャーチル君等の理解に苦むところならん。

 と、戦後のアメリカ人のみならず、日本人までが驚くような心境を書いた市丸中将。
 義憤という、抑制された憤りをろ過して、高い知性と理性で書かれた、この透徹して見事な文章は、狂信者のそれではないし、精神主義といったものでもない。

 艱難に遭ってますます道を楽しむ境地の市丸中将の精神は、アメリカ人の精神の貧弱を憐れんだが、戦後もいまや70年にならんする今も、熱狂と偏見とを和らげるのに十分な「時」が経過したにもかかわらず、いまだに白人世界は、日本人の精神世界を理解できずにいるのだ。
 戦勝国や反日左翼のプロパガンダに洗脳され、白人の描いた「硫黄島からの手紙」に感動している程度の戦後日本人も、市丸中将から見れば憐れむべき存在に堕してしまっていることになろう。


 アメリカが犯して認めない罪のうち最大のものは、先に触れた日本の各都市への無差別爆撃と二つの原爆の投下だが、これが日露戦争直後に始まる日本人に対する人種偏見に由来し(その根はもっと先にさかのぼる)、やがて彼らの中に育っていった、あるいは、彼ら自身によって育てられていった日本人種絶滅の思想が結実したものであるなら、これがナチスのホロコーストとどのように違うというのだろうか。

 かつて福田恒存は「端的に言えば、大東亜戦争は罪悪なのではなく、失敗だった」と言ったが、事実を知れば、アメリカが悪であったとどうして言い切れないのだろう。

 人種憎悪によるホロコーストは悪ではないのか。

 非西洋世界に対する侵略、有色人種の奴隷化は悪ではなかったか。

 これに全力で抵抗したことに正義はなかったか。

 白人に侵食された東亜の解放は善ではないのか。

 
 少なくとも「えんだんじ」先生は大東亜戦争の罪悪はアメリカの方にあると断言しておられる。
 全く同感だ。
 

 さて、以上は、前回に引き続いての大東亜戦争の道義性についての話である。
 次回は福田恒存が「失敗」と言った意思決定の過ち、戦略の誤りのことに ついて触れたい。
大東亜戦争は、アメリカが悪い。
 戦争勃発の要因を探っていって、「えんだんじ」先生はそういった結論を出された。

 もちろん、戦争である以上、双方にお国の事情があり、双方の正義が掲げられることになる。
 アメリカが掲げる大義名分はいつの時代の戦争でも大体想像がつく。
 自由・平等・人権や民主主義といった価値である。
 これと独裁や全体主義との対決といった構図を彼らは描く。
 9・11以降はそこにテロリストとの対決という構図が持ち込まれた。
 彼らにとって自由・平等、あるいは民主制度といった政治制度は、戦って勝ち取るものなのである。
 どうしても血なまぐさいものとなる。

 移民国家であるアメリカは人工国家であり、正義によって結束するほかない。
 しかし、その正義を推進する要因が、よく調べてみると、実は下心にあったりする。
 それを指摘したのが「軍産複合体」という言葉だ。(「軍産複合体」ウィキ記事:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E7%94%A3%E8%A4%87%E5%90%88%E4%BD%93
 「軍産複合体」とは、軍需産業などの民間企業と軍などの官僚組織、および政府が形成する連合体である。
 彼らが国家を利用して自己の利益追求を行う。
 もちろん、民主政体では広範な支持をえなければ目的は実現し得ないものであるから、これは国益や正義の名の下推進されることになる。
 そこに巧妙にして大胆なプロパガンダが成立する余地がある。
 

 かつて、咸臨丸でアメリカを実見した勝海舟は、

「左様、少し眼につきましたのは、アメリカでは、政府でも民間でも、およそ人の上に立つものは、みなその地位相応に怜悧で御座います。この点ばかりは、全く我国と反対のように思いまする」

 と言った。

 同じく咸臨丸でアメリカを実見した福沢諭吉は、確か、アメリカの男は金儲けばかり考え、女はその男の子供を産もうと追い掛け回している、というような趣旨を発言をしていたように記憶している。

 伝説的なピルグリム・ファーザーズの伝統もあるには違いないが、国是として私欲を否定しないアメリカでは、その正義と私欲・私情は密接に複合せざるをえない。勝が観察した怜悧なアメリカのエリートは、この複合、追求に最も長けた人たちと言っていい。
 彼らはダブル・スタンダードを巧妙に使い分ける。
 これに日本の指導者はまるで子供のように翻弄される。

 もちろん、今回の東日本大地震の災害支援で、「トモダチ」作戦を実行した米軍の現場には、かの国民が持つ素朴な正義感、善意が見て取れるが、指導層が日本への大々的な支援という政治行為を決断した背景には、怜悧な国益計算があるし、それはあって当然である。 
 
 大東亜戦争とて例外ではなかった。
 アメリカの一般国民は、日本に対する、野蛮と隣り合わせの素朴な正義感を燃え立たせたが、それは当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトとそのスタッフ、および、そこにもぐりこんだコミンテルンのスパイが、巧妙に日本を戦争に追い込んで、「リメンバー・パールハーバー」の一大プロパガンダを創出したからである。

 あの戦争にはさらにアングロサクソンの有色人種に対する根深い人種差別が加わった。

 幕末の志仕上がりの実業家・渋沢栄一は、親米家であったが、やがて顕わになった、アメリカという国家の、有色人種に対する差別感情の根深さに直面して全く当惑することになる。

 そういったことを考えなければ、あの戦争への過程のみならず、戦時中、および戦後の日本人に対するサディスティックな扱いは全く理解できないだろう。
 もちろんアメリカは、あえて皮肉で言うのであるが、素朴な正義の国であるから、すべてを日本のせいにした。
 自らの不正を包み隠して、日本の行為を不正で多い尽くした。彼らが持つ怜悧さを総動員して、である。

 これを真に受けている日本人が未だに多くいるが、「えんだんじ」先生はその虚構を、戦争への過程を解きほどいていくことによって、暴いて見せている。

 では、蔽い尽くされた日本の正義とは一体いかなるものであったのか。
 「大東亜共栄圏」のスローガンは嘘八百だったのであろうか。
 もちろん、このスローガンが、日本人の多くが切実に抱いた理想であったし、豊かな実相で満たされていたことは、『大東亜戦争は、アメリカが悪い』を読まれれば明らかになるだろう。

 この充実した書の中で、私が白眉に感じたのは、「えんだんじ」先生が最終章で取り上げておられる市丸利之助海軍中将の手紙であった。

 この一般には余り知られるところの少ない人物は、クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』で有名な栗林忠道中将の指揮下でアメリカ軍との死闘を演じ、玉砕した人物である。

 硫黄島の戦闘は、栗林中将が、この島で一日でも長く米軍を食い止めることで、本土防衛準備のための時間を稼ごうと持久戦を選択したために、戦史に残る激闘となった。
 日本軍守備隊二万千はほぼ全員が戦死したが、アメリカ軍の死傷者は二万九千にのぼり、内七千が死亡という、甚大な被害を敵方に与えることに成功したのである。 (「硫黄島の戦い」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A1%AB%E9%BB%84%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

 市丸中将は、この激戦の中で、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに対する手紙を書き、最後の突撃の直前に、部下の前でこれを読み上げた。
 
 苦しい戦いが続く中、市丸中将によって、改めてこの戦争の大義を徹底された部下達は、自分たちの死の意義に付いては何ら迷うことなく、確実な死の待つ最後の戦闘へと赴いていったことであろう。

 市丸中将はこの手紙を、ハワイ生まれの日系二世の部下に英訳させ、日本語、英語各一通を作り、敵が将校の遺体を検査することを見越して、これを村上治重大尉に渡した。村上大尉は最後の突撃の際にこれを懐中に抱いて出撃して戦死したが、中将の目論見どおり、手紙はアメリカ軍の手に渡り、七月十一日、アメリカの新聞に掲載された。しかし宛名のルーズベルト自身は四月十二日に死去しており、この痛切なメッセージを目にすることはついになかった。

 市丸中将の「ルーズベルトに与うる書」は、当時の軍人がどのような知性を以て世界を眺め、そしてどのような使命を胸に困難な闘いを戦っていたかを知る上での貴重な史料だろう。

 手紙の内容に付いては次のブログ記事を参照されたい。(全文は本文の後にも掲載する。)

 http://goodlucktimes.blog50.fc2.com/blog-entry-260.html

(「市丸利之助海軍中将」ウィキ解説;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E4%B8%B8%E5%88%A9%E4%B9%8B%E5%8A%A9


 「えんだんじ」先生は、大東亜戦争における日本側の言い分を、大義を、市丸中将の「ルーズベルトに与うる書」によって代表させれば足ると考えて、この大著の締めくくりに持ってこられたことと思われる。
 
 
 「開戦の詔」に始まり「終戦の詔」、「昭和二十一年元旦の詔」(いわゆる「人間宣言」)、あるいは、開戦時に首相だった東条英機の東京裁判における宣誓供述書や遺書にまで、一貫して現れている大東亜戦争開戦の大義、趣旨が、日本人の真情よりのものであったことが、この『大東亜戦争は、アメリカが悪い』によって事実を以て裏づけられる。


 先生はこの書の帯に、

「この本は、いまだに大東亜戦争悪玉論を主張してやまない外国人や日本人知識人に対する凡人定年サラリーマンの挑戦です。
 私はいずれこの本を英文翻訳し、米英をはじめ英語を母国語とする国々の図書館に送るつもりです。」

 と宣言しておられる。

 ある意味、この書は、いまだにルーズベルトを最も偉大な大統領の一人としている多くのアメリカ人に対する手紙、つまり「アメリカ国民に与うる書」という性質を持っていて、市丸海軍中将の遺志を継いだものともいえるだろう。
 伝統の継承とはこのようにして行われるものなのだろう。

 それがアメリカを中心とする戦勝国による洗脳を受けた「戦後の日本国民に与うる書」にもなっている。
 これは第二次世界大戦後、今日までの世界の主流を成しているパラダイムに対する挑戦でもある。

 先生によれば、英文翻訳、そして出版の試みは、すでに本格的に起動しているそうである。(2013年に英訳出版の目的は達成しておられる。)
 この一銭にもならぬ、時間と労力ばかりかかる試みに、先生は、一人ぐらいこういった男がいてもいいだろう、との心意気で取り組んでおられる。
 
 
 私もまた、この大志に賛同の意を表するとともに、主流に群がる利口者が馬鹿にするであろう、その心意気に敬意を表したいと思う。

 東日本大震災で明らかになっているように、日本の主流が白痴化、無能化していく現状の中で、日本を支えているのは、こういった、日本文明が持つ貴重の元素を受け継いだ無名の草莽であることに思いをいたさずにはいられない。

 自分も、「えんだんじ」先生のこの心意気を見習って、国體論に取り組んでいくつもりである。


(「書評 『大東亜戦争は、アメリカが悪い』 鈴木敏明著 (碧天舎)  (その弐)」 終わり)





「ルーズベルトに与える書」


 日本海軍市丸海軍少将、書を「フランクリン・ルーズベルト」君に致す。

 我、今、我が戦いを終わるに当り、一言貴下に告ぐるところあらんとす。

 日本が「ペルリー」提督の下田入港を機とし、広く世界と国交を結ぶに至りしより約百年。この間、日本は国歩艱難を極め、自ら慾せざるに拘(かかわ)らず、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変を経て、不幸貴国と干戈を交ふるに至れり。
 これを以って日本を目するに、或は好戦国民を以ってし、或は黄禍を以って讒誣し、或は以て軍閥の専断となす。思はざるの甚きものと言はざるべからず。

 貴下は真珠湾の不意打ちを以って、対日戦争唯一宣伝資料となすといえども、日本をしてその自滅より免るるため、この挙に出づる外なき窮境に迄追い詰めたる諸種の情勢は、貴下の最もよく熟知しある所と思考す。

 畏くも日本天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明なる如く、養正、重暉、積慶を三綱とする、八紘一宇の文字により表現せらるる皇謨に基き、地球上のあらゆる人類はその分に従い、その郷土において、その生を享有せしめ、以って恒久的世界平和の確立を唯一念願とせらるるに外ならず。これ、かつては

 四方の海 皆はらからと思ふ世に 
など波風の立ちさわぐらむ

 なる明治天皇の御製は、貴下の叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下の感嘆を惹きたる所にして、貴下もまた、熟知の事実なるべし。

 我等日本人は各階級あり各種の職業に従事すといえども、畢竟その職業を通じ、この皇謨、即ち天業を翼賛せんとするに外ならず。
 我等軍人また干戈を以て、天業恢弘を奉承するに外ならず。

 我等今、物量をたのめる貴下空軍の爆撃及艦砲射撃の下、外形的には退嬰の己むなきに至れるも、精神的にはいよいよ豊富にして、心地ますます明朗を覚え、歓喜を禁ずる能はざるものあり。
 これ、天業翼賛の信念に燃ゆる日本臣民の共通の心理なるも、貴下及チャーチル君等の理解に苦むところならん。

 今ここに、卿等の精神的貧弱を憐み、以下一言以って、少く誨える所あらんとす。
 卿等のなす所を以て見れば、白人殊にアングロ・サクソンを以て世界の利益を壟断せんとし、有色人種を以って、その野望の前に奴隷化せんとするに外ならず。

 これが為、奸策を以て有色人種を瞞着し、いわゆる悪意の善政を以って、彼等を喪心無力化せしめんとす。近世に至り、日本が卿等の野望に抗し、有色人種、ことに東洋民族をして、卿等の束縛より解放せんと試みるや、卿等は毫も日本の真意を理解せんと努むることなく、ひたすら卿等の為の有害なる存在となし、かつての友邦を目するに仇敵野蛮人を以ってし、公々然として日本人種の絶滅を呼号するに至る。これあに神意に叶うものならんや。
 大東亜戦争により、いわゆる大東亜共栄圏のなるや、所在各民族は、我が善政を謳歌し、卿等が今を破壊することなくんば、全世界に亘る恒久的平和の招来、決して遠きに非ず。

 卿等は既に充分なる繁栄にも満足することなく、数百年来の卿等の搾取より免れんとする是等憐むべき人類の希望の芽を何が故に嫩葉において摘み取らんとするや。
 ただ東洋の物を東洋に帰すに過ぎざるに非ずや。卿等何すれぞ斯くの如く貪慾にして且つ狭量なる。

 大東亜共栄圏の存在は、毫も卿等の存在を脅威せず。かえって世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものにして、日本天皇の真意全くこの外に出づるなきを理解するの雅量あらんことを希望して止まざるものなり。
 ひるがえって欧州の事情を観察するも、又相互無理解に基く人類闘争の如何に悲惨なるかを痛嘆せざるを得ず。

 今ヒットラー総統の行動の是非を云為するを慎むも、彼の第二次欧州大戦開戦の原因が第一次大戦終結に際し、その開戦の責任の一切を敗戦国独逸に帰し、その正当なる存在を極度に圧迫せんとしたる卿等先輩の処置に対する反発に外ならざりしを観過せざるを要す。
 卿等の善戦により、克くヒットラー総統を仆すを得るとするも、如何にしてスターリンを首領とするソビエトロシアと協調せんとするや。

 凡そ世界を以って強者の独専となさんとせば、永久に闘争を繰り返し、遂に世界人類に安寧幸福の日なからん。

 卿等今、世界制覇の野望一応将に成らんとす。卿等の得意思ふべし。然れども、君が先輩ウイルソン大統領は、その得意の絶頂において失脚せり。
 願くば本職言外の意を汲んで其の轍を踏む勿れ。

                                                市丸海軍少将




A Note to Roosevelt

Rear Admiral R. Ichimaru of the Japanese Navy sends this note to Roosevelt.
I have one word to give you upon the termination of this battle.

Approximately a century has elapsed since Nippon, after Commodore Perry's entry to Shimoda, became widely affiliated with the countries of the world. During this period of intercourse Nippon has met with many national crises as well as the undesired Sino-Japanese War, Russo-Japanese War, the World War, the Manchurian Incident, and the China Incident. Nippon is now, unfortunately, in a state of open conflict with your country.
Judging Nippon from just this side of the screen you may slander our nation as a yellow peril, or a blood thirsty nation or maybe a protoplasm of military clique.

Though you may use the surprise attack on Pearl Harbour as your primary material for propaganda, I believe you, of all persons, know best that you left Nippon no other method in order to save herself from self-destruction.

His Imperial Highness, as clearly shown in the "Rescript of the Founder of the Empire" "Yosei" (Justice), "Choki" (Sagacity) and "Sekkei" (Benevolence), contained in the above three fold doctrine, rules in the realization of "Hakko-ichiu" (the universe under His Sacred Rule) in His Gracious mind.

The realization of which means the habitation of their respective fatherlands under their own customs and traditions, thus insuring the everlasting peace of the world.

Emperor Meiji's "The four seas of the world that are united in brotherhood will know no high waves nor wind" (composed during the Russo-Japanese War) won the appraisal of your uncle, Theodore Roosevelt as you yourself know.

We, the Nippon-jin, though may follow all lines of trade, it is through our each walk of life that we support the Imperial doctrine.
We, the soldiers of the Imperial Fighting Force take up arms to further the above stated "doctrine". Though we, at the time, are externally taken by your air raids and shelling backed by your material superiority, spiritually we are burning with delight and enjoying the peace of mind.


This peacefulness of mind, the common universal stigma of the Nippon-jin, burning with fervour in the upholding of the Imperial Doctrine may be impossible for you and Churchill to understand.
I hereupon pitying your spiritual feebleness pen a word or two.

Judging from your actions, white races especially you Anglo-Saxons at the sacrifice of the coloured races are monopolizing the fruits of the world.

In order to attain this end, countless machinations were used to cajole the yellow races, and to finally deprive them of any strength.
Nippon in retaliation to your imperialism tried to free the oriental nations from your punitive bonds, only to be faced by your dogged opposition. You now consider your once friendly Nippon a harmful existence to your luscious plan, a bunch of barbarians that must be exterminated.
The completion of this Greater East Asia War will bring about the birth of the East Asia Co-Prosperity Area, this in turn will in the near future result in the everlasting peace of the world, if, of course, is not hampered upon by your unending imperialism.

Why is it that you, an already flourishing nation, nip in bud the movement for the freedom of the suppressed nations of the East.
It is no other than to return to the East that which belongs to the East.

It is beyond our contemplation when we try to understand your stinted narrowness. The existence of the East Asia Co-Prosperity sphere does not in anyway encroach upon your safety as a nation, on the contrary, will sit as a pillar of world peace ensuring the happiness of the world. His Imperial Majesty's true aim is no other than the attainment of this everlasting peace.

Studying the condition of the never ending racial struggle resulting from mutual misunderstanding of the European countries, it is not difficult to feel the need of the everlasting universal peace.

Present Hitler's crusade of "His Fatherland" is brought about by no other than the stupidity of holding only Germany, the loser of the World War, solely responsible for the 1914-1918 calamity and the deprivation of Germany's re-establishment.
It is beyond my imagination of how you can slander Hitler's program and at the same time cooperate with Stalin's "Soviet Russia" which has as its principle aim the "socialization" of the World at large.

If only the brute force decides the ruler of the world, fighting will everlastingly be repeated, and never will the world know peace nor happiness.

Upon the attainment of your barbaric world monopoly never forget to retain in your mind the failure of your predecessor President Wilson at his heights.
 『大東亜戦争は、アメリカが悪い』の著者・鈴木敏明氏は日本の再生に執念を燃やす、先輩にして同志の「えんだんじ(炎男爺)」である。
 そんじょそこらの壮年、青年よりよほど熱い。

 「えんだんじ」先生は一九三八年生まれの外資系の定年サラリーマン。
 私の父と同年代である。
 三十を過ぎた頃から、戦前・戦中の日本のすべてが悪かったとする世論、いわゆる自虐史観を中心とする反日世論に疑問を抱くようになり、定年後、一発奮起して、このパラダイムに挑戦しようと、大東亜戦争に関する本を書くことにした。それまで一度も本を書いたこともなかったにもかかわらず、である。
 そして、六年の歳月を掛けて、大東亜戦争に至る過程を調べ上げ、『大東亜戦争は、アメリカが悪い』という大著を上梓された。
 二〇〇四年のことである。

 理系出身で、それまでほとんどまともな文章など書いたこともなく、三〇代に入って、西郷南洲翁という人物の謎を解く手がかりを得たと感じ、これが大東亜戦争に関する議論を含めた、「この国のかたち」を明らかにする手がかりとなり、ひいては日本の再生に繋げうるとの直感から、無謀にも、衝動的に南洲翁の伝記執筆に取り組んだ私の経験と一部重なるところがあった。

 先生、あるいは先輩とするのは、日本再生のためという志を同じくし、立場・視点を異にするも、先にその目指すところの大著をものにされたからであるし、大東亜戦争の戦前・戦中・戦後のことについて色々教えられる知見が多いからであるし、人生の先輩だからでもある。
 ちなみに、私が『(新)西郷南洲伝』の上巻を上梓したのが二〇〇六年、下巻を上梓したのが二〇〇八年のことである。
 私もまた同じように、思い立って、すぐ書き始めてから下巻の出版までに六年あまりかかっている。


 「えんだんじ」先生のことを知ったのは、私が以前から関心を抱き続けている思想家・西尾幹二氏のブログだったか。それとも、同氏が主催している坦々塾のブログに寄稿されていたからであったか。
 いずれにしても、昨年の正月ごろのことである。
 早速、ブログを通じて、本を取り寄せ、読み始めた。
 内容は事実を以て語らせるスタイルで、引用されている史料が多いが、先生の文章は常識的で読みやすい。
 読み始めたが、何せ、700ページ近い大著である。
 真ん中あたりまで、すなわち満州事変に関する内容のところまでは、一気に読んだが、一時的に関心が別のことにいったりしたので、それきりとなってしまっていた。

 一方で「えんだんじ」先生の方も拙著をご購入いただき、こちらの方は上下巻あわせて1000ページ近い大著である上に、大判でページあたりの字数も多く、さらに古典の引用が多くて、こむずかしい内容であるにもかかわらず、二ヶ月後にはご感想を頂いた。
 
 その後私のほうはずっと気がかりだったのが、最近後半部分を読み終えることが出来たので、感想を書評に代えて、ようやくここに記す次第である。
 すでに拙著の感想を頂いて、一年が過ぎている。

 
 大東亜戦争は世界史的視点を要する大事件であり、わが大和民族の一大叙事詩である。
 すでに色々な論考がそれこそ汗牛充棟をなしている。
 しかし、すべてに目を通すことが不可能である以上、どれを選択するかは大変重要である。

 その点、私の大東亜戦争に対する知見を啓かせてくれたのが、西尾幹二氏の『国民の歴史』であったし、小林よしのり氏の『戦争論』であった。以降それなりに大東亜戦争に関する読書は継続しているが、それまでよく読んでいた司馬遼太郎や山本七平氏の大東亜戦争に関する議論は、日本の歴史に対する接し方が、どこか他人行儀で未熟であるかのように感じられるようになった。

 西尾幹二氏の『国民の歴史』『国民の文明史』(中西輝政氏との対談)はよく読んだ。
 それ以降、しばらく離れたが、ここ数年、私にとって再び目が離せない言論人となっている。

 「えんだんじ」先生はこの稀代の言論人を師と仰いでいる。
 私は西尾氏の一読者に過ぎないが、氏の言論が取り持つ縁というべきか。氏の言論の徳が「えんだんじ」先生のご著作と私を結びつけた。


 
 私がこれから大東亜戦争について知りたいと思っている人に薦める本があるとするなら、先ほど紹介した『国民の歴史』『戦争論』のほかに、わかりやすさで、渡部昇一氏を本を薦める。

 さらに通史として本格的に大東亜戦争にいたる過程を、あるいは歴史的意義を、巨視的に眺めたいなら、お薦めしたいのが次の三冊である。

 一つは、渡部昇一氏の『日本史から見た日本人 「昭和」篇』(祥伝社黄金文庫)

 一つは、昨年亡くなられた中村 粲 氏の『大東亜戦争への道』(展転社)

 そして、「えんだんじ」先生の『大東亜戦争は、アメリカが悪い』(碧天舎)である。


 それぞれが気合の入った著作である。

 「えんだんじ」先生のご著作は、前二著に引用史料の豊富さにおいて、決して引けを取らず、それでいて読みやすい。
 一般国民の感覚から見た、常識的な目線で歴史を眺めていて、私の文章などよりよほどわかりやすいだろう。
 もちろん前二著がわかりにくいということでは決してない。

 しかし、必要な知識を欠いた初心者が入りやすいのは明らかに、「えんだんじ」先生のご著作である。
 渡部氏もそういった人々にわかりやすく語りかける必要を痛切に感じているからであろうか、近年は口述による著作が多い。
 内容的には『日本史から見た日本人「昭和」篇』で突き詰めた視点を、語り口を工夫することで少しでも多くの人に理解してもらおうとの態度の著作が多いように思える。

 
 渡部氏の大東亜戦争に関する議論には、その前史である明治時代に対する考察がしっかり含まれているが、通史である『大東亜戦争への道』 『大東亜戦争は、アメリカが悪い』もやはり幕末や明治草創期の外交からその記述は始まっている。
 前者は、明治初年の対清、対朝鮮外交から。
 後者は幕末の外交および王政復古維新運動から。
 大東亜戦争とは大日本帝国の歴史の結末でもあるから、その起承転結の起に当たる、明治維新という近代日本の立国から話を始めるのはある意味当然のことだ。


 「えんだんじ」先生は第一章「『砲艦外交』による日本の開港」の中で、

「どうして大東亜戦争が起きたか、その原因をさぐるには、その一八五四年の日米和親条約の締結から一九四一年の大東亜戦争勃発までの八十七年間の歴史を知ることなのです。この八十七年間の歴史を学べば、敗戦国、日本にも言い分がたくさんあることがわかります。それにもかかわらず戦後から現在までのおよそ六十年間、私たち日本人自らが、日本の言い分を全く無視して、勝利国であるアメリカなどの言い分を鵜呑みにして、祖国である日本をどうしようもない悪い国にしたてあげてきたのです。」

 と述べておられるが、全くその通りである。

 だから、そのことを事実に即して明らかにしようと思えば、大著にならざるをえないのである。
 この本の厚さはひとえに、「えんだんじ」先生がそのことを忠実に成そうとしたことの証である。

(続く) 

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