国体学のすゝめ

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白川静

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 小林秀雄も、白川氏も、『論語』の研究、あるいは『論語』の研究者を通じて、伝統の問題を考えたというところが面白い。これは江戸期の学問の雄、幕末の英傑達と同じ精神の流れに属している。

 応神天皇の御世に朝鮮半島より渡来した『論語』という書物は、学問が公家や僧侶で独占されてしまっていたが故に、容易に一般に普及することはなかった。しかし、後醍醐天皇の建武の中興の破綻に端を発する、いわゆる「南北朝の動乱」という、旧秩序崩壊の時代を迎えて、日本史上初の木版印刷本である『論語集解(しつかい)』が刊行された。正平十九年(一三六四年)のことである。

 このことには世界史的意義がある。
 支那文学者・貝塚茂樹は次のように述べている。

「木版印刷術が、まず『論語』から手がつけられたということは、『論語』という本が、あの乱離の時代に、心ある人々からどんなに強く求められたかをあらわしている。これは約一世紀おくれて一四五〇年ころ、ドイツのグーテンベルグがラテン語の『聖書』を、活字印刷によって刊行したのと並行する文化史的現象である。
 西洋において『聖書』が、暗黒の世界を救済するものとして希望の源泉とされたように、日本においても『論語』が乱世を脱する指針を蔵していると考えられたのであろう。」(『世界の名著 孔子・孟子』中央公論社)


 やがて日本は応仁の乱を経て戦国の世に突入する。
 これを収束せしめたのは、最下層の身分から天下人まで這い上がった豊臣秀吉であったが、豊臣家の天下は続かず、彼の死と共に幕を閉じた。
 日本は学問好きの徳川家康によって、ようやく秩序の安定期に入った。

 『慶長年中卜斎記』によれば、家康は、

根本、詩作・歌・連歌はお嫌いにて、論語・中庸・史記・漢書・六韜・三略・貞観政要、和本は延喜式・東鏡(吾妻鏡)なり。その外色々。大明(シナ)にては、高祖(漢の劉邦)寛仁大度をお褒め、唐の太宗・魏徴をお褒め、張良・韓信、太公望・文王・武王・周公、日本にては頼朝を常々おはなし成られ候。

 であったという。

 新しい物好きの秀吉と違って、家康は学問好きで、保守的な思想傾向を持ち、その晩年には、彼が好ましく思った古典の出版、普及に尽力している。 

 家康が最も好んだ古典の一つが『論語』である。
 彼は、秀吉が再び朝鮮半島に攻め込んだ慶長二年(一五九七年)に『論語』の講義を受け、さらに駿府に隠居した後も、林道春を召して、『論語』の講義を受けた事実がある。
 このとき使ったテキストが、朱子の注釈による『論語集註』であった。その前後から日本では四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)の本文や注釈が出版されるようになった。

 『論語』の表現に倣えば、君子の徳は風、小人の徳は草であり、風を上(くわ)えれば、草は必ず伏す、すなわち、下々は上の好むところに倣うのであり、支配者が拝金主義であれば社会はその風潮に染まるし、奸智であれば、庶民は生きていくためには奸智にならざるを得ない。支配者が反日自虐史観であればそれに染まるし、左翼であればそれに染まっていく。
 これはプラトンの描くソクラテスのたとえで言えば、民衆は巨獣の力に奉仕し、屈従せざるを得ないということである。
 しかし、孔子のたとえで言えば、民衆は草である。地表に出ている部分は、風に靡くかも知れぬが、それが地中に根を張ったものである以上は、暴風に根こそぎ引き抜かれぬ限りは、大地から養分を得て生きている。
 文化の土壌というものが大切なのはそのためである。
 それは生活の基盤であり、それを安定的に維持してきたものが、慣習とか伝統といわれるものだ。

 家康とは、そこに着目し、安定した秩序を創出しようとした人物だ。
 巨獣の首に伝統という手綱を掛け、これを統御しようと苦心した人物といっていい。荒れ狂う巨獣とて地球の重力から自由とはなりえず、大地にへばりついて生きていかざるを得ない宿命をどうすることも出来ない。

 家康の遺言とされるものはそういった認識に達していたことを窺わせるものとなっている。
 ソクラテスは巨獣には勝てぬことを達観していたが、家康はそれに根気よく取り組んで、大方の方向性を定めた人物と言えるのではないかと思われるがどうだろう。
 彼が文化的土壌を耕して創出した江戸体制は、二百五十年にわたる太平をこの列島にもたらしたのである。

 家康の遺言である。

 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。いそぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもえ。勝つ事ばかり知りて、まくること知らざれば害その身にいたる。 おのれを責めて人をせむるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり。 

 この遺訓は、家康本人のものか、後世の創作にかかるものかは諸説あるようだが、いかにも『論語』的で、彼の事跡を振り返ってみれば、その重厚にして波乱に満ちたな人生は、まさに こういった遺訓に結実せざるを得なかっただろう、という気がする。
 彼がその生涯を通じて、背負い続けた重荷とは一体何だったか。
 それはやはり、次の遺訓を読んで見れば、天下の政道というところに行き着かざるを得ないように思える。

わが命旦夕に迫るといへども、将軍斯(か)くおはしませば、天下のこと心安し。されども将軍の政道、その理にかなわず、億兆の民、艱難することあらんには、たれにても其の任に代らるべし。天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり。たとへ他人天下の政務をとりたりとも、四海安穏にして、万人その仁恵を蒙らばもとより、家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし  

 ここに言う将軍とは、息子の秀忠のことだ。家康はすでに征夷大将軍職を息子の秀忠に譲っていた。

 当時は戦国大名と言われる野獣たちの時代である。戦乱に倦んでいたとは言え、人々の気性は荒かった。
 家康は、武田信玄をして「海道一の弓取り」と言わしめたほどの武将であり、これを以て、群雄割拠の社会という、気の荒い巨獣に臨んだが、過ぎたるは猶及ばざるに如かず、でその力を過信してはいなかった。
 彼は関が原の勝利で、天下一の弓取りとしての地位を確立したが、そこから文武による秩序の確立を目指すようになる。彼が神仏儒の学者を側に置くようになったのはそのためである。
   
 当然、家康を神とし、祖法を重んじた江戸幕府は、学問を重んじ、その風潮は下々にまで伝播した。
 そして、儒学がその中心とならざるを得なかった。
 それが江戸期の古典復興(ルネッサンス)につながり、政治学・歴史学・国体論としては水戸学に、古典学としては、本居宣長の『古事記伝』という偉業に結実した。それらを前提に、幕末の危機を迎えて、王政復古と相成った。王政復古とはまさにルネッサンス(再生・復興)という思想運動の結実ではないか。
 家康の遺訓の中に、すでに大政奉還の芽は宿っていたのである。将軍の政道が理に適わず、億兆の民が艱難に陥った時、その任に代わったのは、家康が、学問に専念するよう規制した朝廷だったのである。
 これが近代における日本文明発展の礎となった。
 

 ともかく『論語』を中心とする儒学が日本人に文明再生の手掛かりを与えたのは、疑うべくもない。

 危機の時代を迎えて、凡庸な知識人が、あるいは、常識、知性の未発達な学生が、マルクス主義というアヘンを吸引して、迷走、暴走していく中で、それを横目に見ながら、感性の鋭い知識人が、この伝統に回帰して、名著を物した、というのは、ある意味、当然の成り行きであっただろう。

 宣伝、広告の氾濫した時代に名著と謳われる書物は多い。
 しかし、時代の風雪に耐え、本物として、古典的名著として生き残るものはごくわずかである。
 『本居宣長』にせよ、『孔子伝』にせよ、一度読んだだけでは歯が立たない。
 何度読んでも、どこかに咀嚼しきれぬ読後感が残る。
 しかし、それは『古事記』という意味不明の碑文、『論語』という、簡潔に見えながらも深遠な内容を持つ碑文に、精神の印しを読み取ろうとした、先人の苦心の痕跡だからである。

 最後に、白川氏の時勢に対する慨嘆の言葉を紹介しておこう。 

「孔子の時代と、今の時代とを考えくらべてみると、人は果たしてどれだけ進歩したのであろうかと思う。確かに悪智慧は進歩し、殺戮と破壊は、巧妙に、かつ大規模になった。しかしロゴスの世界は、失われてゆくばかりではないか。『孔子伝』は、そのような現代への危惧を、私なりの方法で書いてみたいと思ったものであるが、もとよりそれは、おそらく私の意識のなかの、希望にすぎなかったかも知れない。」

 絶望感が漂っている。
 
 先日、北朝鮮の金正日が亡くなったとの報道が衝撃を伴って世界中を駆け巡った。動乱の時代への扉が今開こうとしている。
 我々日本人は今、未来への展望を見出しえず、絶望の中に立ち尽くしているかのようにも見える。
 だが、人間はどんなに絶望しても、夢くらいは見れるものだ。だから見せ掛けの希望で民衆を誑かすイデオローグは後を絶たない。しかし、このような騙し騙されの関係から、新しい発展に向かうことなどありえない。
 今後も絶望は深まる一方だろう。
 そして、希望はより激しく求められていくことになろう。

 未来への希望を見出すなら、偉大な先人が絶望の中で見た希望、徹底した懐疑を潜り抜けた本物の希望を、胸に灯し続けたいと思うのは、この国に生を受けた者として最も自然で、理性的な態度と言えるのではないだろうか。
昭和四十三年に日本国内で発生した学生運動という騒乱の中で、小林秀雄とは別種の伝統の危機を感じて、名著を物した人物がいる。
 漢字の碩学・白川静である。

 この人もまた、小林同様、感性のずば抜けて鋭い文学者であった。
 漢字の起源である「金文」「甲骨文」という碑文の研究に没頭していた彼が横目に見ていたのは、昭和四十三年暮れから四十四年にかけて起きた、勤める大学における大学紛争であり、また、専門の対象である支那で荒れ狂っていた文化大革命であった。
 これも昭和四十一年より十年間に亘って、中国全土を蔽った、紅衛兵と呼ばれる学生の運動であった。背後にいたのは権力奪還を狙う毛沢東である。
 これによって、日本人が有史以来大きな影響を受けてきた、支那のある種の良き伝統は無残に破壊されたが、これは秦の始皇帝に始まる、独裁者による専制への回帰という点で、支那文明における復古的側面があった。
 この東アジアの伝統に対する危惧から白川氏の、日本の伝統的視点による画期的名著『孔子伝』(中公文庫)は生まれた。

 この名著誕生の経緯は、文庫版のあとがきに、氏自身が書き記している。

「(昭和)四十三年の暮近く、私の大学では、両派の学生の間に機関紙の争奪をめぐる闘争があり、前後二回に、約九十名の負傷者が出た。それを合図とするように、紛争は燃え上がった。
 紛争は数ヶ月で一おう終熄したが、教育の場における亀裂は、容易に埋めうるものではない。特に一党支配の体制がもたらす荒廃は、如何ともしがたいもののようである。私はこのとき、敗戦後によんだ『論語』の諸章を、思い起していた。そして、あの決定的な敗北のなかにあって、心許した弟子たちを伴いながら、老衰の身で十数年も漂泊の旅をつづけた孔子のことを、考えてみようと思った。」


 白川氏もまた、小林秀雄と同様、あの戦争という危機に直面して、伝統という問題と向き合ったのである。そして、共産革命という世界的な第二の伝統の危機に直面して、それを意識化し、文章につづった。
 それが『孔子伝』であるし、白川漢字学の集大成である『字統』『字訓』『字通』の辞書三部作の完成であった。
 そういった見方が出来ると思う。

 というのは、彼の漢字への取り組みには、次のような問題意識があったからである。

「敗戦後の五十年にわたって、わが国の文教政策は、占領軍の指示するままに、極めて貧弱な当用漢字表の規制を受けて、古典や漢字形式の資料の全体が、国民教育の場から姿を消した。古典はもとより民族文化の象徴であり、新しい文化はその土壌の上にのみ生まれる。自らの土壌を失った文化が、新しい発展に向かうことはもとより不可能である。国語の乱れ、国語力の低下は、戦後五十年に及ぶこの文教政策の上から、当然に予想される結果である。」(『文字講話』)

 現に日本は新しい展望を見出しえなくなっている。これは自らの土壌を見失った文化と化しているからである。
 例えば政治家や知識人は「維新」という言葉を乱用するが、そこには御一新、すなわち革命という浮薄な精神しか宿っていない。だから、そもそも「都」とは天皇陛下の居られるところを言うのに、大阪都構想という言葉が安易に語られて、誰もそのことのおかしさを指摘しようとしない。
 浮薄な精神文化にもとづく改革は人間生活を破壊する。
 だから何を語りかけるにせよ、それは根源的なところから発せられた言葉でなければならないのである。

 上記の問題意識を踏まえて、白川氏は続けて、次のように自らの遠大な志について述べている。

「漢字の理解を通じて、かつての漢字文化圏が回復されるならば、その時東洋の精神的連帯が回復され、かつての東洋的な理念の世界も、正当に理解されるであろう。また漢字を使用したかつての文化圏でも、漢字を回復することによって、自らの国語のうちに含む半数を超える漢字の使用を回復し、多くの語彙を、正当に本来の表記に復すことができよう。それはかつての東洋の文化圏を回復し、新しい東アジアの文化圏を組織することに連なるはずである。」


 この志にも日本人固有の国際主義(西洋のインターナショナリズムとは異なる)を精神を読み取ることが出来よう。
 西洋近代文明の席巻、なかでもアメリカニズムとコミュニズムによって破壊された、東洋的理念の復権の前提となる漢字文化の復興。
 そして、その中心として、東洋思想の縦糸をなす孔子の思想。
 それらの集大成をなす仕事が、『孔子伝』であり辞書三部作であるというのはそういうことである。

 〔ちなみに「集大成」という言葉は、そもそも孟子が孔子の中庸の徳を評した言葉を出典としている。

「以って速やかなるべくんばすなわち速やかにし、以って久しくすべくんばすなわち久しくし、以ってお処るべくんばすなわち処り、以って仕えるベくんばすなわち仕えるは、孔子なり。
 …(中略)…
 孔子は之を集めて大成せりと謂うべし。集めて大成すとは、金声して玉振するなり。(注…金声とは音楽の始まりに鳴らす鐘の音、玉振とは音楽の終わりの、磬と呼ばれる楽器を打つ音。)金声すとは条理を始むるなり、玉振すとは条理を終うるなり。条理を始むるは智の事なり、条理を終うるは聖の事なり。智はたとえばすなわち巧みさなり、聖はたとえばすなわち力なり。なお百歩の外にゆみ射るが如し、その至るはなんじの力なり、その中(あた)るはなんじの力にあらざるなり。」

白川静博士の大志

 今朝の新聞に、漢字学の碩学で一昨年お亡くなりになられた白川静博士の郷里福井県の小学校の漢字学習に、博士の漢字研究の手法が取り入れられるという報道がありました。非常に喜ばしいことです。
 生前博士は次のように述べておられました。
「敗戦後の五十年にわたって、わが国の文教政策は、占領軍の指示するままに、極めて貧弱な当用漢字表の規制を受けて、古典や漢字形式の資料の全体が、国民教育の場から姿を消した。古典はもとより民族文化の象徴であり、新しい文化はその土壌の上にのみ生まれる。自らの土壌を失った文化が、新しい発展に向かうことはもとより不可能である。国語の乱れ、国語力の低下は、戦後五十年に及ぶこの文教政策の上から、当然に予想される結果である。」(『文字講話』)
 白川博士は戦後日本人の文明的活力低下の背景に敗戦とその後のアメリカ化という大問題を見すえていたのです。確かに敗戦と敗戦に伴う諸々の諸改革は、日本人の伝統文化との断絶を大きく促進しました。特に日本のように長い歴史と伝統のある国にとって、長期的に見て、漢字文化を中心とする国語力の低下ほど、その国の文化的発展力を損うことはないでしょう。
 その意味で福井県の試みは、数十年後になってようやく芽を出す非常に素晴らしい試みだと思います。
 白川博士の問題意識はさらに大きく、漢字文化の復興によって東アジアの文化的連帯の復活をも見すえていました。遠大な志です。
 これは今を遡ること130年余りの、明治六年の政変、いわゆる征韓論争に内包するテーマでもありました。
 征韓派の中心人物の一人 副島種臣の対清外交には、白川博士の志につながるものがあります。というよりも白川博士の志が、一つの伝統に連なっているのだということが出来るでしょう。これも漢字を通じてのものであることが興味深いところです。
 和漢洋の学問に精通していた副島種臣は、特に西郷隆盛の思想にも通じる孔子思想への傾倒者であり、これを以て外交の教科書としていました。そして次のようなことをいって李鴻章を感服させ、清朝の官吏を沈黙させて、対清外交を成功に導いています。「支那の歴代王朝は、偉大なる中華文明の発祥地であることで、自らを中華(世界の中心であり文明である)と称して驕り、怠っているため、西洋列強に侮られ、衰退している。我国は東夷の国であることを恥じて、文明たらんと勉めるからこれから勃興していくだろう」と。これは江戸時代以来の漢学者の伝統的見解に則ったものであります。これに対し、科挙に合格したエリートである清朝の官吏(李鴻章もその一人である)は沈黙せざるを得ないのです。
 トインビーからハンチントンまで世の文明史家においては日本文明とシナ文明は別文明圏であるという見解が一般的ですが、それはその通りとしても確かに漢学的側面からの連帯というのは十分可能だったのです。もちろんそこには西洋列強の侵略に対する防御という利害が一致して初めて政治的成功に結び付くのですが、漢字文化こそがその架け橋となり安定的条件となりうるのは真理と言ってよいと思われます。
 現実には明治日本は征韓論破裂と西南戦争を経て西洋文明摂取に基軸をおくことになり、そこに西洋列強の思惑も加わって、日中戦争、大東亜戦争、そしてその無残な敗北となり、東アジア連帯の夢は大きく挫折し、今日に至っているのですが、再び連帯に着手するには、政治的利害の一致だけでは無理で、それこそ漢字文化の復興が必要条件となってきます。そのためには日本の漢字文化の復興だけでは無理で、相手方の漢字文化の復興も必要になってきます。白川博士の大志は、それこそ数百年単位での大志ということが出来るかと思います。
 

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前回白川静博士の大志について述べました。東アジアの連帯のための漢字文化の復活です。そのための壮大な試みとしての白川漢字学でした。
 残念ながら、白川博士が生きている間に、漢字文化復興による東アジアの連帯のための一歩を見るまでには到りませんでしたが、ここ日本国内においては、漢字ブームもあり、その業績が一般に認知されることによって、種子を蒔いただけではなく、小さな実を生らすことができたのではないかと思います。やはり一般に認知されなければ、漢字文化の復活に向けた第一歩とはいえないでしょう。
 たとえば「笑」という漢字と「咲」という漢字は、甲骨文では字形が同じだそうですが、これは笑うという表情が顔に花が咲くような感じがするからということで、同形の文字だったようです。多くの方が古代人の感性に共感を持つと共に、漢字というものに対して親しみがわいてくるのではないでしょうか。この親しみを持つということが大事なのです。その点、金文や甲骨文のユニークな象形、およびそこに込められた古代人の思想は、親しみを持たせるに十分なものがあります。
 さて白川博士は、この金文や甲骨文を解読するに当たって、膨大な文献・研究書を紐解くと共に、自らその文字を書くことで、そこに込められた古代人の意思を読み取ろうとしました。つまり文字を書くという行為を通して、古代人がこれを書くにあたって考えていたことを追体験しようとしたのです。それが白川博士の研究法のユニークかつ独創的なところではないかと思います。私は白川博士がこの研究法に行きついたのは、実は『論語』からヒントを得たのではなかったかと思っています。
 孔子は古代支那の各地に残された周の文化の残り香である、今はその意義さえわからなくなった礼楽文化を訪ね歩き、その実習を通じて追体験し、そこに込められた究極の意味を読み取ろうとしたのでした。そして秩序の乱れた時代に周の礼楽文化の復活を夢見たのですが、それは伝統的価値観を、時代の要請にあわせて再把握・再構成し、体系化するということで、もとの周の文化と全く同じものではなく、周の礼楽文化に仮託した孔子の独創による復古革命だったのです。
 白川博士の目指したものも同じ歴史的意味を持つものではなかったかと思います。
 実は白川博士が書いた『孔子伝』がそういった意図を持つものでした。
 この名著を白川博士が書かれた時代である昭和46年から47年は、日本国内では学園紛争が吹き荒れ、博士の学問の対象の大本である中国は、文化大革命という混乱の真っ只中でした。いわば、猛威を振るうアメリカニズムと共産主義の浸潤のなかで、それまで何とか持ちこたえてきたそれぞれの伝統的規範が、音を立てて崩壊していく時代に直面していたのです。当時はまだ白川博士も含めて戦前派が衰えながらもがんばっている時代でした。伝統文化がいまだ息づいていた孔子が生きた時代とよく似ています。
 白川博士もそういった自覚を持って『孔子伝』を執筆したのでした。博士はあとがきに言っています。
「孔子の時代と、今の時代とを考えくらべてみると、人は果たしてどれだけ進歩したのであろうかと思う。確かに悪智慧は進歩し、殺戮と破壊は、巧妙に、かつ大規模になった。しかしロゴスの世界は、失われてゆくばかりではないか。『孔子伝』は、そのような現代への危惧を、私なりの方法で書いてみたいと思ったものであるが、もとよりそれは、おそらく私の意識のなかの、希望にすぎなかったかも知れない。」
 博士は世界を覆い尽そうとしているノモス的なるものに対する抵抗として 『孔子伝』を記したのでした。それは日本人にとっての古典でもあった『論語』ひいては孔子思想の現代的意味を、できる限り実像に迫ることによって、提示しようとしたということができると思います。白川博士自身、孔子思想を自らの規範とし、学究生活においてそれを実践して生きることによって、その思想の歴史的意味を追体験していたのではないかと思います。
 おそらく博士が抱いた危惧は、冷戦崩壊後ますますその意義を増していると感じます。
超大国アメリカへの一極化と、それに対する各文明の抵抗、ハンチントンの唱えたいわゆる文明の衝突という現象が顕著になってきました。東アジアに限っても、北朝鮮の脅威やヘゲモニーを握ろうとしている中国の軍事大国化など、世界はノモス的なるものに飲み込まれようとしています。
 私は日本が危機に直面している今こそかつて白川博士が主張しようとしたことの重要性が多くの日本人に認識されなければならないと思います。
 私が記す『南洲伝』は私なりにそういった遺志を継ごうとするものです。今回、白川博士のご逝去を機に、『孔子伝』を改めて読み返してみて、もう一度その思いを新たにしたのでした。

去る10月30日、漢字研究の第一人者である白川静博士がご逝去されました。とても残念です。心から哀悼の意を表したいと思います。
 白川静博士は漢字の起源である甲骨文(亀の甲羅や骨に記された文字)や金文(青銅器に彫られた文字)を読みこなし、漢字文化の再興に尽力された碩学です。『字訓』『字統』『字通』の辞書を一人で書かれたことは有名です。
 これらの辞書は何気なく開いたページを読んでいるだけでも楽しいのですが、私は特に博士の名著『孔子伝』を愛読してきました。『新西郷南洲伝(上)』の最後に書きましたが、この本を書くにあたって大きなインスピレーションを得たのもこの著作でした。今執筆中の続編でも、この本の叙述を土台に議論を展開しているくだりがあります。それもかなり重要な視点としてです。
 しかし未だに白川博士の著作を読みこなせているとは言える自信はなく、今でも読み返して、新たに書かれていることの真意を悟ることが少なくありません。それでさえも白川博士の真意を汲み取れているのか確かではないのですが、この本はこれからもずっと、私にとってそういった本であり続けるのでしょう。このような本に出会えるとはなんと仕合せなことなのでしょうか。
 さて白川博士は生前漢字文化を復興する大志を抱いておりました。博士は次のように語っています。
「敗戦後の五十年にわたって、わが国の文教政策は、占領軍の指示するままに、極めて貧弱な当用漢字表の規制を受けて、古典や漢字形式の資料の全体が、国民教育の場から姿を消した。古典はもとより民族文化の象徴であり、新しい文化はその土壌の上にのみ生まれる。自らの土壌を失った文化が、新しい発展に向かうことはもとより不可能である。国語の乱れ、国語力の低下は、戦後五十年に及ぶこの文教政策の上から、当然に予想される結果である。」(『文字講話』)
 現在の日本の文明力の低下が、国語力、延いては古典や漢字文化との断絶に由来するものであることがわかります。日本人の活力の低下の原因は、最低でも六十年前の敗戦まで遡り、これを克服しなければならない。こう結論付けられるのです。我々が真正面から向き合って克服しなければならないのは、我々の文明力を封印した現在の同盟国アメリカなのです。
 博士はさらに自らの志について次のように述べています。
「漢字の理解を通じて、かつての漢字文化圏が回復されるならば、その時東洋の精神的連帯が回復され、かつての東洋的な理念の世界も、正当に理解されるであろう。また漢字を使用したかつての文化圏でも、漢字を回復することによって、自らの国語のうちに含む半数を超える漢字の使用を回復し、多くの語彙を、正当に本来の表記に復すことができよう。それはかつての東洋の文化圏を回復し、新しい東アジアの文化圏を組織することに連なるはずである。」
 東アジアの連帯。現在の日中韓の関係を考えれば、乗り越えるのが不可能なほどの困難さを感じざるを得ませんが、もしそれが成るとすれば漢字文化の復興を通じてしかありえないと思います。白川博士の大志は、後世何代にもわたって継承されていかなければならないものでしょう。私もこの精神を微力ながら継いで行きたいと思います。
 さて漢字とはすでにその中に思想が含まれています。古代人の思想のなかで生まれ、先人達の思索の中で発展していった文化ですから当然のことです。そのなかでも私は儒教こそ最も要となる最重要の思想ではないかと思います。それは大学で支那哲学を専攻することは、儒者になることを意味することでもわかります。
 そこで話題は西郷南洲翁につながってきます。
 近代において東アジアの連帯に向けて大きく動くチャンスが少なくとも二度ありました。その最大のものが、明治六年、日本中を沸かせた征韓論争です。あの時南洲翁が遣韓大使として渡韓していればと悔やまれてなりません。南洲翁が使命を無事果たせたかどうかは、究極的には神のみぞ知るですが、少なくとも東アジアの連帯に向けての種子を蒔くことはできたでしょう。当時、朝鮮も清も儒教を国教としていました。儒教思想のみが、3国連帯の架け橋となれたのです。南洲翁の意を受けた副島種臣が、清で堂々とした王道外交で成功し、また清崩壊後も汪兆銘のような人物が現れることを考えてもそう思えてなりません。汪兆銘は日本への留学経験があり、明治維新の元勲、中でも特に南洲翁と勝海舟に敬服していた人物でした。
 日清戦争までの朝鮮は清の属国であり、その言いなりでした。現在でもあの北朝鮮ですら中国には遠慮せざるを得ないのです。そういった精神構造は今でも残っています。
 そして福沢諭吉の「脱亜論」に象徴されるように、東アジアの連帯はますます難しくなっていきました。日本も脱亜入欧の方向に行ってしまいました。そして東アジア連帯の最後のチャンスがあの大東亜戦争ではなかったかと思います。
 ともかく日本が東アジアの連帯に向うのなら、儒教思想の復活が必要ですが、もし大アジア主義を否定するとしても、日本が自らの古典や伝統との断絶を克服し、文明力を再生させるには、儒教を見直すことが必要になってきます。時代遅れとも何とも言われようとも、日本が立ち直るにはこれを避けて通れません。日本が立ち直るために、西郷南洲を見習うよう主張する人がいますが、それはとりもなおさず儒教を再評価することを意味するのです。西郷南洲の思想は、日本の神道的な精神を儒教思想で陶冶して、普遍化・動態化したものなのですから。
 さあ我々も西郷南洲の爪垢を煎じ飲んで、日本の伝統文化に連なることで、日本再生の一もっこを担ごうではありませんか。それが西洋に対抗する東アジアの連帯への第一歩となるのです。
 

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