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新札の肖像に孔子を。
日本史を振り返ってみても、このことは見当違いな考えではありません。
これからの日本の政治家は、たとえば西郷隆盛から多くを学ぶべきですが、今後中国とますます近密な関係を結ばなければならない経済人は、渋沢栄一から多くを学ぶべきでしょう。現に今後一層の経済発展を目指す中国が見習うべき人物として挙げている日本人は渋沢栄一なのだそうです。
西郷隆盛にせよ、渋沢栄一にせよ、ともに孔子の思想をその行動の規範としていた人物です。
古代のことはさておき、近現代史における中国の教師は日本です。彼らは次の時代の覇権国家としてやっていく為に、明治日本の成功と、昭和の失敗から一生懸命学んでいます。そして戦後の経済的繁栄と、国家的溶解からも。
我々は、後進国と侮ることなく、そういった貪欲な中国から謙虚に学ぶべきです。
そのことによって日本が今の迷走状態から抜け出し、未来を果敢に生き抜くヒントとなるでしょう。
もちろんそれは中国のような覇権国家を目指せということではありません。
それは彼らが日本の失敗や成功から学んだことが何であったのか、そして彼らとは明らかに異なる日本文明とは一体何で、その文明力を最大限発揮するにはどうすればよいかを学ぶことに他なりません。それが覇権国家中国の脅威から、日本が自我を、そして身を守る一番の態度ではないでしょうか。
彼を知り、己を知れば百戦して殆うからず。
おそらく日本の今後の安全保障問題は、軍事的にアメリカと組んで安心しているだけでは不十分なことだと思います。もはやアメリカの軍事的な圧倒的優位は揺らいでいるのです。彼らは自国を守るのに精一杯で、日本のことなど二の次になるに違いありません。何よりも中国とロシアの勃興がそうさせることになるでしょう。
ところで、中国が孔子を引っ張り出してきたということは、これまで一切言葉の通じない相手であった中共に初めてコミュニケーションを可能にする素地が出来上がることを意味します。
彼らが孔子思想を持ち上げればあげるほど、我々にとって都合のいい物になります。どうせ彼らは歴史的に見て、またここまでの経緯を見ても、孔子を政治的に利用はしても、実態は全く違った孔門の劣等生に過ぎないからです。かりに彼らの中に、心から孔子の思想を信奉する政治指導者が現れても、中国という国家の構造自体が孔子の思想を拒んでいます。かの文明が内発的に孔子思想への変革を成し遂げることは不可能でしょう。
同じ理想を持った日本の政治指導者と提携して初めて、中国の自己変革は可能になるのではないでしょうか。
もちろんそのための前提として、日本は国力を蓄え、充実させておかなければなりません。政治の両輪である軍事と経済のバランスを回復して、戦後60年以上続けてきた片輪走行を改めるべきです。そのためには東京裁判を克服して、憲法の改正を強い意志でやり遂げなければなりません。
もちろん軍事の片輪走行に走った戦前を省みることは大事ですが、それはあくまで失敗したことを反省するためであって、道徳的反省のためではありません。
そしてこれらを為す素地として、日本人は孔子の思想を再評価する必要があるように思われるのです。
今後中国が孔子の思想を掲げるようになった場合、日本が為すべき外交の一つの模範として、副島種臣の対清王道外交が挙げられます。
『新西郷南洲伝』で詳述しましたが、孔子の思想を外交の規範とした副島は、それを公言して、清朝官吏を堂々論難して沈黙させ、かなりの譲歩を引き出して、著しい外交的成果を挙げています。そして清朝で実力を蓄えつつあった儒教徒でもある李鴻章を感服させ、意気投合しました。西郷や副島が征韓論政変で敗れることなく、そのまま外交を継続していれば、おそらく西南戦争に代表される国内における士族の反乱も、日清戦争も日露戦争も必要なかったでしょう。私は満州事変さえなかったと思います。
歴史問題を持ち出されて政治的にも、また個々の交渉の場においても、中国に対し何もいえない日本人ですが、温故知新的で名を正すことを重視する孔子の思想に自覚的に取り組んで自らを正すことによって、我々自身が彼らに対して毅然とした態度を持てるようになるとともに、彼ら自身を批判する根拠が見出せたうえに、将来的には親日的な人士を育むことが出来るでしょう。
戦略面からみても、彼らより先に孔子をお金の肖像にするというのはかなり有効な戦略なのです。そのことで日本の他文化受容の文明性も諸外国にアピールできますし、自己の拠って立つ規範も示すことになり、また日本人にもその規範を示すことになります。
当初中国は文句を言ってくるでしょうが、これをはねつけることで日本人の気概を呼び覚まします。
そして孔子に学ぶことは、戦後大きく歪んだ日本人の歴史に対する認識を正常なものに導いてくれるでしょう。
そんなこと言ったって、孔子は日本人じゃねえじゃないかという人がいるかもしれませんが、そんなことを気にする必要は全くありません。西洋がキリスト教を社会統合の規範としているように、孔子の思想はすでに日本人の血肉になって、社会統合の規範となってきましたから、これを自己のものとして掲げて何の問題がありましょう。そもそもイエス・キリスト自身がヨーロッパの人ではありません。イエス・キリストは彼らが差別してきたユダヤ人であり、パレスチナの地で預言者として活動し、そして迫害にあって死んだ人なのです。ヨーロッパ人とは何のかかわりもなく死んだ人でした。
我々にとってのイエス・キリストは、日本の歴史の成り立ちから見て孔子でなければなりません。
次回の新札の肖像に孔子を。
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