国体学のすゝめ

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お札の顔

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 新札の肖像に孔子を。
 日本史を振り返ってみても、このことは見当違いな考えではありません。
 これからの日本の政治家は、たとえば西郷隆盛から多くを学ぶべきですが、今後中国とますます近密な関係を結ばなければならない経済人は、渋沢栄一から多くを学ぶべきでしょう。現に今後一層の経済発展を目指す中国が見習うべき人物として挙げている日本人は渋沢栄一なのだそうです。

 西郷隆盛にせよ、渋沢栄一にせよ、ともに孔子の思想をその行動の規範としていた人物です。
 古代のことはさておき、近現代史における中国の教師は日本です。彼らは次の時代の覇権国家としてやっていく為に、明治日本の成功と、昭和の失敗から一生懸命学んでいます。そして戦後の経済的繁栄と、国家的溶解からも。
 我々は、後進国と侮ることなく、そういった貪欲な中国から謙虚に学ぶべきです。
 そのことによって日本が今の迷走状態から抜け出し、未来を果敢に生き抜くヒントとなるでしょう。
 もちろんそれは中国のような覇権国家を目指せということではありません。
 それは彼らが日本の失敗や成功から学んだことが何であったのか、そして彼らとは明らかに異なる日本文明とは一体何で、その文明力を最大限発揮するにはどうすればよいかを学ぶことに他なりません。それが覇権国家中国の脅威から、日本が自我を、そして身を守る一番の態度ではないでしょうか。
 彼を知り、己を知れば百戦して殆うからず。
 おそらく日本の今後の安全保障問題は、軍事的にアメリカと組んで安心しているだけでは不十分なことだと思います。もはやアメリカの軍事的な圧倒的優位は揺らいでいるのです。彼らは自国を守るのに精一杯で、日本のことなど二の次になるに違いありません。何よりも中国とロシアの勃興がそうさせることになるでしょう。

 ところで、中国が孔子を引っ張り出してきたということは、これまで一切言葉の通じない相手であった中共に初めてコミュニケーションを可能にする素地が出来上がることを意味します。
 彼らが孔子思想を持ち上げればあげるほど、我々にとって都合のいい物になります。どうせ彼らは歴史的に見て、またここまでの経緯を見ても、孔子を政治的に利用はしても、実態は全く違った孔門の劣等生に過ぎないからです。かりに彼らの中に、心から孔子の思想を信奉する政治指導者が現れても、中国という国家の構造自体が孔子の思想を拒んでいます。かの文明が内発的に孔子思想への変革を成し遂げることは不可能でしょう。
 同じ理想を持った日本の政治指導者と提携して初めて、中国の自己変革は可能になるのではないでしょうか。
 もちろんそのための前提として、日本は国力を蓄え、充実させておかなければなりません。政治の両輪である軍事と経済のバランスを回復して、戦後60年以上続けてきた片輪走行を改めるべきです。そのためには東京裁判を克服して、憲法の改正を強い意志でやり遂げなければなりません。
 もちろん軍事の片輪走行に走った戦前を省みることは大事ですが、それはあくまで失敗したことを反省するためであって、道徳的反省のためではありません。
 そしてこれらを為す素地として、日本人は孔子の思想を再評価する必要があるように思われるのです。

 今後中国が孔子の思想を掲げるようになった場合、日本が為すべき外交の一つの模範として、副島種臣の対清王道外交が挙げられます。
『新西郷南洲伝』で詳述しましたが、孔子の思想を外交の規範とした副島は、それを公言して、清朝官吏を堂々論難して沈黙させ、かなりの譲歩を引き出して、著しい外交的成果を挙げています。そして清朝で実力を蓄えつつあった儒教徒でもある李鴻章を感服させ、意気投合しました。西郷や副島が征韓論政変で敗れることなく、そのまま外交を継続していれば、おそらく西南戦争に代表される国内における士族の反乱も、日清戦争も日露戦争も必要なかったでしょう。私は満州事変さえなかったと思います。

 歴史問題を持ち出されて政治的にも、また個々の交渉の場においても、中国に対し何もいえない日本人ですが、温故知新的で名を正すことを重視する孔子の思想に自覚的に取り組んで自らを正すことによって、我々自身が彼らに対して毅然とした態度を持てるようになるとともに、彼ら自身を批判する根拠が見出せたうえに、将来的には親日的な人士を育むことが出来るでしょう。
 戦略面からみても、彼らより先に孔子をお金の肖像にするというのはかなり有効な戦略なのです。そのことで日本の他文化受容の文明性も諸外国にアピールできますし、自己の拠って立つ規範も示すことになり、また日本人にもその規範を示すことになります。
 当初中国は文句を言ってくるでしょうが、これをはねつけることで日本人の気概を呼び覚まします。
 そして孔子に学ぶことは、戦後大きく歪んだ日本人の歴史に対する認識を正常なものに導いてくれるでしょう。
 
 そんなこと言ったって、孔子は日本人じゃねえじゃないかという人がいるかもしれませんが、そんなことを気にする必要は全くありません。西洋がキリスト教を社会統合の規範としているように、孔子の思想はすでに日本人の血肉になって、社会統合の規範となってきましたから、これを自己のものとして掲げて何の問題がありましょう。そもそもイエス・キリスト自身がヨーロッパの人ではありません。イエス・キリストは彼らが差別してきたユダヤ人であり、パレスチナの地で預言者として活動し、そして迫害にあって死んだ人なのです。ヨーロッパ人とは何のかかわりもなく死んだ人でした。
 我々にとってのイエス・キリストは、日本の歴史の成り立ちから見て孔子でなければなりません。

 次回の新札の肖像に孔子を。
 ご意見お待ちしております。

 西郷隆盛には、福沢諭吉と本居宣長という正反対の思想を(しかも聖徳太子の和の思想をも)一身に体現しているようなところがあるのですが、彼らには共通する、精神の背骨となっている思想がありました。
 それが実は孔子の思想です。
 福沢は「孔孟は稀有の思想家なり」(『文明論の概略』)、本居は孔子は聖人などという類のものではなく「よき人なり」、西郷は「孔子を教師とせよ」(『西郷南洲翁遺訓』)と言っています。
 実際、彼らは孔子をある時は教師とし、ある時は反面教師として、彼らの直面している困難に立ち向かっていったのです。
 そう考えれば、孔子をお札の肖像にというのも一考の価値がありそうです。

 孔子は「道行われず、いかだに乗りて海に浮かばん」(「公冶長」)と、中華文明において道が行われないことを歎いて、海に漕ぎ出したい衝動に駆られましたが、現に彼の思想はむしろ、海を渡った、彼らにとっての東夷の国日本で非常に学ばれ、実を結んだのです。
 そのことを林泰輔は『論語年譜』の中で次のように述べています。
「中国および朝鮮・安南(ベトナム)においては『論語』を挙業(文官選抜)の試験に用いたるがゆえに、盛はすなわち盛なりと雖も、名利のためにこれを読みこれを誦し、あるいはその粗を咀(す)いて、その精を棄つるの憾(うら)みあり。我が邦人のこれを読むは、すなわち然らず。その外皮を棄ててその神髄を取る、ゆえに国本培養の効を奏することを得たるなり。」
 つまりだからこそ、支那や朝鮮は、日本が明治維新という自己変革を行って、新しい時代に対応していったようなことができなかったと述べているのです。

 現在の中国は経済発展に伴い、大国への道を歩んでいますが、アメリカに対抗する覇権国家としてやっていくために、国際社会に対して普遍的価値を掲げる必要に迫られ、政治的発想から再び孔子を引っ張り出してきて、国際政治に利用しようとしています。
 終わったばかりですが、北京五輪開催を控えた時期に、チベットの独立運動や法輪功の弾圧など、中国における人権蹂躙問題がクローズアップされましたが、これから益々人権蹂躙はひどくなるでしょうし、これらのことを糊塗する為にも、孔子の言葉は、スローガンとして高々と掲げられる必要性が高まるでしょう。
 漢帝国が興った時に行われた儒教の国教化による政治利用という、あの文明の本能が目を覚ましつつあるようです。この動きを見れば、共産主義を掲げてきた毛沢東の中国こそ、あの文明にとって異形の姿であったということになるでしょう。
 孔子の末裔である孔健氏も中国共産党のエージェントとして、これからますます大忙しです。(ちなみに台湾にも孔子廟があり、こちらにも孔子の末裔の方がおられるそうです。)
 やれやれ、また利用されるのかと、孔子も草葉の陰で歎いているに違いありません。
 
 中国は今日本をかつての朝貢国のように、配下におさめようとしていますが、これに日本が対抗する為にも、逆転の発想で、我々こそ孔子思想の継承者であることを押し立てていくことも戦略的に一考の余地ありではないでしょうか。(続く)

 一万円札の肖像に聖徳太子がふさわしいというのは、日本人が自己喪失に陥っている今日の方が、二十四年前よりも、その必要性が格段に高まっているように思えます。
 そして私はお札の肖像にふさわしいもうひとりの人物を挙げておきたい。
 もちろんそれは西郷隆盛です。

 世界各国を見回してもお札の肖像には、当然その国の歴史上の偉人が用いられている。
それはその国の歴史や国民性、あるいは文明性のある側面を良くも悪くも体現する人物であるからです。

 私が小さいころのお札の肖像は、先の聖徳太子のほか、五百円札は岩倉具視、千円札は初代総理大臣で明治憲法の起草に携わった伊藤博文でした。いずれも維新の元勲で、日本の国民性や文明性を象徴するという面で、個人的には物足りない感じを抱くのですが、近代日本の創生に携わった人物で、一応納得は行きます。
 これが次の新札発行で、千円札は文豪夏目漱石、五千円札は新渡戸稲造、一万円札は福沢諭吉となりました。やや偉人度は小さくなりましたが、いずれも近代日本における偉大な仕事をした人物で、これもまあ、その前のお札の肖像ほどではないけれども納得がいきます。
 この中で、新渡戸稲造は、当時あまり一般の知名度が高い人物ではなく、その業績もさほど知られていなくて、一般に知られているのはせいぜい『武士道』の著者としてでした。おそらくは武士道の象徴として選ばれたのでしょう。しかし、彼はあくまでも武士道を西洋へ紹介した人物であって、武士道の体現者としては、もっとふさわしい人物がいっぱいいたはずです。やはり小物の印象は免れません。

 そして次の二〇〇四年十一月の新札発行では、一万円札の肖像は福沢諭吉のまま差し置かれ、その他はぐっと小物になりました。
 五千円札の肖像は樋口一葉、千円札の肖像は野口英世です。
 樋口一葉は文学史上に大きな足跡を残した人物で、初の職業的女流作家として、清貧の内にその短い一生を終えた人物。彼女が肖像に採用されたについては、紙幣の肖像として初の女性の採用を、との意向が強く働いたらしい。
 一方の野口英世は、細菌学の権威で、黄熱病と斬り結んだストイックな研究者です。
 私には小さい頃、野口英世の生誕地に近い猪苗代湖に行ってキャンプをし、野口英世の記念館か何かに行って、彼が1歳の時、囲炉裏に落ちて手に火傷を負い、指が癒着してしまったところを再現した生々しいジオラマを見た記憶がおぼろげながらあります。小学校に上がるか上がらないかの年頃でしたが、よほど衝撃的だったのでしょう。野口英世といえば、このハンデを克服して、偉大なことを成し遂げた偉人というイメージが小さな頃からあります。
 しかし、それでもお札の肖像ということになると首をかしげざるをえません。
 おそらく野口英世に関しては、世界で活躍した日本人として、このグローバリズムの時代の要求にこたえる人物として選ばれたのではなかったでしょうか。もちろんそういった人物が選ばれること自体に問題があるわけではありません。
 しかし、一万円札の福沢にせよ、野口にせよ、グローバリズムの時代に果敢に乗り出して行った偉人であって、ある意味、路線を同じくする人物です。
 ひとり選ばれていれば十分国民へのメッセージとなるし、また日本人の進取の精神を体現する象徴的人物となりえます。つまり福沢諭吉一人で十分それは象徴できると思うのです。

 彼らにどうしても欠けているのは、日本人とは何か、日本文明とは何かを深く掘り下げるような仕事です。特に福沢は表面的には非常にこれを軽んじているような印象を与える言論を展開しました。
 もちろんこれは時代の要請として重視しなかったということであって、その根がつながっていなかったということではありません。
 彼の反動的な言動、たとえば西郷隆盛を弁護した「丁丑公論」や、宋学的規範を説いた「痩せ我慢の説」などに強く表れていますが、彼の主張を実践する上で、武士的気質を非常に重んじていたことは、様々な記録や証言に残されています。
 彼は儒教思想を全否定していたのではありません。儒教を奉じる者全般に見られる気風・風潮を排斥していたのです。
 彼の活躍の素地をなした明治維新を用意した江戸時代の学問は儒教にあり、それを日本という大きな舞台で統合しようとし、そしてそれを成し遂げた最大の人物が西郷隆盛です。その西郷隆盛を、福沢は、文明精神の体現者として欽慕し、それを公言して憚ることがなかったことはある意味彼の眼識の鋭さの表れです。

 西郷隆盛の成したことを、そしてその思想を解明していくことは、日本の歴史を、そして日本文明の本質を解明していくことです。「西郷南洲伝」を書いて私はこの事を痛感しました。
 西郷隆盛は福沢の思想に共鳴すると同時に、それとはまた違った復古的志向も持っていました。これもまた彼の言動の重要な側面です。
 世界に向け大きく日本文明の枝を伸ばそうとした福沢とは思想のベクトルが正反対になりますが、古典学を究めることで、もののあはれを追及し、解読困難な「古事記」を解明し、日本文明の根源を掘り下げた本居宣長もまたお札の肖像にふさわしい人物だと私は思っています。

 しかし、これらを総体的・統合的、また動態的・躍動的に体現した西郷隆盛こそ、日本の長い歴史を背負いながら、これを一新し、新生させた人物として、お札の肖像に最もふさわしい人物と思えるのです。(続く)

 前回紹介した岩見隆夫氏の記事によると、今から二十四年前、1984年の日銀の新札発行の際、哲学者の梅原猛氏が、一万円札の肖像が聖徳太子から福沢諭吉に代わったことに対し反対運動をしようとしたことがあったとのこと。結局その運動は取り止めになったのですが、梅原氏自身によるとその理由は次のようなものであったといいます。

「一万円札はやっぱり聖徳太子のほうがいいんですよ。どうも福沢諭吉さんになってから日本に悪いことが多くなった。聖徳太子は日本の国の基礎をつくった。福沢さんは近代国家の基礎をつくったというけれど、そうとも言えないところもある。
 福沢さんが唱えた脱亜入欧、日本はアジアから脱してヨーロッパに近づいていくというのが近代日本のあり方ですね。しかし、脱亜入欧という考えは、隣国の韓国や中国に対する侮蔑になって表れているのです。
 それで脱亜入欧理論が日本のアジア侵略理論にもなってくる。だから福沢さんの思想には問題があります。福沢諭吉より、日本の基礎をつくった聖徳太子を一万円札に残しておくべきだったと私は思っているんです。聖徳太子から日本を考えないと、日本はだめになると思っています。」

 私も実は聖徳太子の一万円札の肖像復活には大賛成なのですが、ここに語られている梅原氏の理由とはかなり違っています。
 というのは梅原氏の主張には肝心なところで誤謬が含まれているからです。
 梅原氏の古代史研究は非常に独創的で教えられるところが多く、また聖徳太子についても『隠された十字架 法隆寺論』や大著『聖徳太子』などがあって、聖徳太子にはかなり詳しいはずなのにも関わらず、こういった間違ったことを述べているのには首をかしげざるをえないところがあります。

 聖徳太子が日本の基礎を作ったというところはその通り、福沢諭吉が日本の基礎を作ったとはいえないところもあるとはその通りで、福沢は確かに路線の大方定まった明治社会のなかでのオピニオンリーダーの役割を果たしたに過ぎません。
 とはいえ、偉大な思想家であることは間違いないので、お札の肖像になることに対し特に反対する理由はないのですが、聖徳太子の国家形成に対して果たした役割に比べれば見劣りしていることは否めません。

 梅原氏は基本的に戦前嫌いの儒教嫌いで、仏教の精神を高く評価している方です。
 ただ日本の近現代史に弱いところがあり、大東亜戦争については東京裁判史観をそのまま受け入れているようなところがあるし、明治維新に関してもかなり謀略的要素が強い革命だったように理解しているようです。司馬遼太郎に代表される戦中派知識人が陥ったトラウマは、梅原氏をも強く捉えて放さなかったのです。
 日本の大陸への進出についても、侵略と単純に割り切れるものではないのですが、日本は特に福沢諭吉の『脱亜論』で、朝鮮や支那に対する対外政策を決定していったわけではありません。大陸に出て行ったのが侵略であったのか否かも議論の分かれるところです。
 それは福沢が『脱亜論』を書く十年以上前の明治六年に、征韓論が起こり、これが大きな要因となって政府が分裂にいたることでもわかります。政変の勝者である外遊派が台湾征伐を実施して、清朝との戦争を覚悟して交渉に当ったのが明治七年、江華島事件を起こして砲艦外交を行い、当時鎖国していた朝鮮を無理やり開国させたのが明治八年のことです。
 その後も福沢は朝鮮の開明派を援助・指導し続けたわけで、脱亜論はその帰結だったわけです。
 当時の李氏朝鮮がどのような状態であったかご存知ですか?梅原さん。その実態は軍事的裏付けをなくした現在の北朝鮮のような状態だったのです。

 しかも梅原氏は知っているはずですが、実は聖徳太子その人が朝鮮半島への遠征を強硬に推し進めていった人物でした。新羅を討って任那を回復する為です。
 これが中止されたのは、遠征の責任者であった太子の実弟が、いざ渡海という段になって、急死したからです。
 しかも太子が当時の超大国隋の悪名高い煬帝に対して、『日出ところの天子、書を日没するところの天子に致す、恙無きや』云々の当時の東アジアの常識からすれば破天荒な国書を送りつけたのはあまりにも有名です。このように聖徳太子は「和を以て貴し」の精神だけでは語ることの出来ない人物なのです。
 梅原氏は仏教者としての太子を高く評価しているらしく、有名な「和を以て貴しとなす」も仏教思想に由来していると解釈していますが、私はどうもそうとは言えないように思えます。太子は十七条憲法において「三法を敬え」と定めつつも、全体を読み通せば、神儒仏の教えをその柱にしようとしているからです。
 太子が若かりし頃崇物論争があり、仏教の受容派である蘇我氏と排除派である物部氏との間で争いがありました。この時太子は崇仏派に属して戦ったように、個人的には仏教を篤く信仰していたが、国政においてその第一義として和を唱える以上、非仏教派との和のために、仏教の強制はしなかったはずです。現に十七条憲法には三教が混交しています。

 私はこういった太子の、他国に対し自主独立を主張し、大義名分のための武力行使も辞さない態度も踏まえて、その上で一万円札の肖像には聖徳太子がふさわしいと考えています。
 太子の「和」の精神には、壮絶な自己犠牲、あるいは芯の強い無私の精神が横たわっているのです。

 そう考えれば、岩見氏の言う
「幕末・維新を成し遂げた吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬らの革命家は確かに偉かった。しかし、激しい。その激しさが成熟した漂流国家の再生にそぐうかどうか。
 聖徳太子の〈和〉の精神こそ、と着眼する人が増えている。私もそんな気がしているのだが」
 という考えも、不十分な認識に基づく意見であることは明らかです。
 ここに挙げられた吉田松陰・高杉晋作・坂本龍馬らは晩年の聖徳太子に比べると確かに激しい印象があります。
 しかし彼らは志半ばで夭折した人たちです。
 彼らが明治まで生きていれば、より成熟し、また違った成熟した面も見せていたでしょう。
 それも太子同様、いざというときは正義のために戦うという激しさを秘めたものであったはずです。維新を成功に導き、成熟した面を見せた西郷隆盛や大久保利通がやはりそうであったように。(続く)

 サンデー毎日 2008年7月13日号の「聖徳太子になぜ人気があるのか」と題された岩見隆夫氏の記事に大変興味を持ちました。
先ずはその記事を紹介したいと思います。

《 一万円札の肖像が聖徳太子から福沢諭吉に代わったのは一九八四年十一月一日だった。日銀が十五年ぶりに新札を発行したからである。

 その時、五千円札は新渡戸稲造、千円札は夏目漱石だった。お札の顔は歴史上の偉人とされてきた。

 だが、二十四年前に一万円札が福沢諭吉になったとき、哲学者の梅原猛さんとSF小説家の小松左京さんは〈聖徳太子を守る会〉をつくろうとする。それを知った当時の竹下登蔵相が梅原さんを訪ねて、

「やめてほしい。五万円札が出るときのために聖徳太子をとっておくから」

 と頼んだという。竹下さんらしいうまい説得だ。〈会〉は取りやめになった。その後、竹下さんは亡くなり、五万円札が発行される気配はない。

 梅原さんらはなぜ福沢登場に異を唱えようとしたのか。梅原さんは次のように話している。

「一万円札はやっぱり聖徳太子のほうがいいんですよ。どうも福沢諭吉さんになってから日本に悪いことが多くなった。聖徳太子は日本の国の基礎をつくった。福沢さんは近代国家の基礎をつくったというけれど、そうとも言えないところもある。
 福沢さんが唱えた脱亜入欧、日本はアジアから脱してヨーロッパに近づいていくというのが近代日本のあり方ですね。しかし、脱亜入欧という考えは、隣国の韓国や中国に対する侮蔑になって表れているのです。
 それで脱亜入欧理論が日本のアジア侵略理論にもなってくる。だから福沢さんの思想には問題があります。福沢諭吉より、日本の基礎をつくった聖徳太子を一万円札に残しておくべきだったと私は思っているんです。聖徳太子から日本を考えないと、日本はだめになると思っています」

 この話は七年前、梅原さんが京都の洛南中学で講義したなかで述べられたものだ。当時、梅原さんはどこかの小学校か中学校で道徳を裏づける宗教の授業をしてみたいと思い立ったのがきっかけになった。

 講義内容は『梅原猛の授業 仏教』(二〇〇二年・朝日新聞社刊)に収録されている。七十六歳の老哲学者と中学生、というユニークな取り合わせだった。

「飛鳥・奈良時代、仏教を日本に定着させるのに功績のあった人が二人います。一人は聖徳太子、もう一人は行基。この二人の仏教者によって、仏教は日本の民衆の底辺まで広まった。日本が仏教国家になったのは、この二人のおかげです。……」

 と梅原さんは語り始めて、一万円札の話に及んでいる。

 聖徳太子(五七四〜六二二)と福沢諭吉(一八三五〜一九〇一)では、生きた時代も役割も違う。聖徳太子は推古天皇の摂政(天皇に代わって政治を行う、いまの首相)、つまり政治家であり、福沢諭吉は思想家、教育者、慶應義塾をつくり、『時事新報』を創刊したりした。

 ◇「和をもって貴しとなす」の精神で漂流国家を再生せよ
 梅原さんのような批判の一方、福沢諭吉については高い評価があるが、それはともかく、聖徳太子である。

 約千四百年も前に活躍した聖徳太子に今、人気があり、熱い目が注がれている。なぜだろう。しばらく続いた幕末・維新の志士ブームでは次第にあきたりなくなってきたためか。どうしようもない昨今の欠落感を埋めてくれる人物がほしいということか。

 こんな催しもあった。〈聖徳太子なら今の日本をどう活性化するか〉という文化フォーラム(大和ハウス工業主催)だ。東京で四月に、大阪でも五月に開かれている。活性化をゆだねられそうな歴史上のリーダーを探し求めて聖徳太子までさかのぼってしまった、という感じがタイトルににじんでいて、共感するものがある。

 私には、三年前、亡くなる直前の後藤田正晴元副総理が中曽根康弘元首相(当時、自民党新憲法起草委員会の前文小委員長)に、
「前文案には聖徳太子の十七条憲法にある『和をもって貴しとなす』の精神をぜひとも入れてほしい。このままでは日本がおかしくなる」
 と懇望した記憶が焼きついているからだ。後藤田さんの危機意識の中心に、日本社会の〈和の喪失〉があった。

 さて、東京のフォーラムでは作家の堺屋太一さん、哲学者の中沢新一さんらが語り合い、堺屋さんは、
「こんな時代だからこそ、聖徳太子のような人が出てきてほしい。独創性と勇気がなくなった二十一世紀の日本人だが、先祖にはこれほど大胆で多様性に富む人物がいた。太子が生み出した文化を、現代の日本にどう生かしていくか。いまこそ聖徳太子の精神に立ち返ることが必要だ」
 と言っている。
 また、大阪では梅原さん、塩川正十郎元財務相らが参加、塩川さんは、
「後期高齢者医療制度は家族制度を破壊するものだ。〈和〉を重んじた太子の精神に反する。今の無気力な政治についても、彼なら官僚まかせにしないだろう。私の出身地(東大阪市)周辺には、太子にまつわる史跡が今も多く残っている。国家形成のために天が授けてくれた稀有な偉人が、地元にいたことを誇りに思っている」
 などと語った。

 聖徳太子が言う〈和〉について、梅原さんはさきの授業で、
「意見が対立したら足して二で割るような和ではない。和があり、皆が互いに信用していれば、徹底的に議論できる。議論できれば必ず正しい意見が用いられ、世の中はよくなるという和ですね。そういうやり方を、太子は国の根本においたのです」
 と説いた。中学生に理解できたかどうか。

 幕末・維新を成し遂げた吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬らの革命家は確かに偉かった。しかし、激しい。その激しさが成熟した漂流国家の再生にそぐうかどうか。
 聖徳太子の〈和〉の精神こそ、と着眼する人が増えている。私もそんな気がしているのだが。ご議論を。》

 せっかく議論をと仰っているのだから、皆さん議論しましょう。

 私の見解はまた次回。

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