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 四月一日、新元号が「令和」と閣議決定、発表されました。

 何でまたエイプリルフールなんかに、という感じも致しますが、新年度の始まりということでしょう。事務手続き的混乱を避けるため、という政府の従来の説明とも矛盾しません。

 新たな天皇の即位とともに発表されてきたこれまでのしきたりを破って、退位(本来なら譲位)される今上陛下の在位中に発表するという異例の事態も、国民主権を採用している現憲法に則って、この手続きを踏んだのだとすれば、法治主義を採用している以上、一応説明がつきます。

 そもそも、わが国の長い歴史において、外国の軍隊の占領期間中に押し付けられた、何ら正統性を持たない憲法(天皇を国民統合の象徴と規定するなど一部正当性はありますが)を、立憲君主の立場に立たれて、これを頑なに守ってこられた今上陛下の御代自体が異例なのであって、平成の御代においてむしろ日本国憲法という拘束服による締め付けはますます完成されたと言ってよいのではないでしょうか。長年の締め付けにより、日本の体質・体格までそれに見合ったものになってしまっているかもしれません。

 ところが皮肉なことに、この御代は、今上陛下が譲位の御意志を国民に訴えかけるという、現憲法下ではありえない、詔の発布に匹敵する御行為によって、終わりを告げることになったのです。

 陛下もそのことを認識しておられたのか、公の御存在である天皇陛下のお言葉としてはあってはならない、「個人的に」という表現を用いられました。これは皇室伝統を知り、これを重んじる者にとって非常に衝撃的な御言葉であったわけですが、ある意味、この御言葉によって、この国民への語りかけは立憲君主制を外れることになる詔勅としての意義づけを免れているとも言えるのではないでしょうか。

 いつの時代も現在は、過去の歴史の継承であると同時に、次の時代への過渡期であります。
 皮相単純な現象も、さまざまな歴史的、あるいは政治的配慮に支えられて、メディアを通じてわれわれの目に届けられるものです。
 今回の新元号についてもそれは言えそうです。

 安倍首相は今回の元号選定に当たって、わが国の古典から選びたいとの意向を示していましたが、一応、政府声明はそれに則って選定したことになっています。

 出典は万葉集の巻五、梅花の歌三十二首の序文に由来しているとのことです。
 
「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す」 

 「和」を好む日本人全般にとって、何ら文句のつけようがない選定で、国民もまた好印象を持ったようですが、海千山千の政治家の選定した文字ですから、そこに様々な含意を汲み取ることが可能です。 

 元号を日本の古典から選ぶという決断の表明は、『隋書』「倭国伝」に記録するところの有名な、聖徳太子が隋の煬帝に送った国書「日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや」云々と同等のシナ王朝に対する対等意志の表明にほかなりません。
 筆者は日本における儒教を中心とする漢学受容の伝統を文章によって闡明することで、日本の骨太い伝統、政治文化の再興への露払いをしようとしてきたわけですが、それは漢学崇拝ということではなく、わが国の優れた先人たちが受容し、それを政治や文化に活かすことで血肉と化してきた伝統を復興させるためで、あくまでも日本の神道的世界観と習合した、忘れられ、失われはしたものの、国風化した強靭な伝統の一つを復興させることを目指してきたのです。

 われわれはすでにシナの古典から学びうるものはすでに学び終えています。かの国の古典から新たに学ぶことはすでにないと言っていいでしょう。
 そういった意味で、今上陛下の御代の終わりに際して、安倍首相が行った英断を言祝ぐものです。


 しかし、安倍首相の元号選定に対する配慮はこれで説明できる程、皮相なものではありません。
 元号発表数日にしてすでに判明してきましたが、実は万葉集のこのくだりは、歌そのものではありませんので本歌という表現は当たりませんが、歌で言えば本歌に当たるシナの古典があるようなのです。
 岩波文庫編集部がいち早く、古典文学大系『萬葉集』のこのくだりの註を根拠に、『文選』にも採用されている後漢・張衡の『帰田賦』「仲春令月、時和し気清らかなり」からの引用を指摘しています。
 戦後、親共産主義、親中派に転向した岩波書店らしい底意地の悪い指摘ですが、日本人としてのアイデンティティに立つならば、すでに触れたように、日本には古くから本歌取りの伝統があり、それが海外の文物からであっても、謙虚にこれを学び、これに手を加え、新たなものを創造していく優れた伝統の発現と見るべきです。

 安倍首相は聖徳太子の「和を以て貴しとなす」を座右の銘とし、人にも書いて贈ると伝えられていますが、これを道徳のみならず、政治思想としてとらえた時の深謀遠慮についても触れておきたいと思います。
 いま自民党総裁としての安倍首相は、中国大陸の利権にのめり込んでいる公明党と連立を組み、田中角栄以来の親中派利権を継承している二階俊博氏を幹事長として、政権運営、党運営を余儀なくされています。

 「令和」の元号が日本最古の歌集を典拠にしていると称しつつ、シナの古典にも典拠を持つということは、これら国内の親中派政事家を満足せしむると同時に、既に元号というものを捨てて久しい中国共産党の自尊心の一端を満足せしめることになるのです。

 また、「中央日報」の報道によると、諮問会議の一員で考案者と伝えられる『万葉集』研究の泰斗・中西進氏は、かつてシンポジウムにおいて「朝鮮半島で百済と高句麗が滅亡し、多くの人たちが日本に渡ってきた。その当時渡来人が万葉集に大きな影響を及ぼした」と述べている人物で、異常に高い朝鮮民族の自尊心の一端をも満足させる選定となっているのです。

 さらに深く穿ってみましょう。
 現在の安倍政権は戦後の政治史上、最もグローバリズム政策を推し進め、日本の移民国家化を完成させようとしている政権です。

 本来ナショナリストであることを売りにしてきた安倍首相にとって皮肉以外の何ものでもありません。最近も、トランプ大統領の懐刀であるスティーブ・バノン氏が来日して、トランプ大統領登場以前のトランプは安倍首相であった(つまり、トランプ大統領登場以前に、大統領がアメリカン・ファーストと唱えて成そうとしているナショナリスティックな政策、すなわちグローバリズムに対抗しての各国ファースト政策を推し進めてきた政治家が安倍首相であった)という応援演説をしてしていましたが、安倍首相が従来の信念を曲げざるを得ない政治状況が日本の内部に存在していることを示唆しています。
 その安倍首相の首根っこを懐からつかんで締め上げているのが、「令和」をカメラの前で和やかに掲げた菅官房長官で、今や安倍政権やマス・メディアは彼に牛耳られていると伝えられます。
 彼こそは官房長官として首相の女房役でありながら、影の支配者として、海外の金融資本勢力を中心とするグローバリズム勢力の手先となって、日本を移民国家化へと舵取りしているようなのです。確かにマスコミは彼を批判攻撃していないどころか持ち上げていますから、グローバリストの支持を受けていることは事実でしょう。

 元号に話を戻すと、「令」という字はわれわれ一般人の教養においては「法令」「律令」「命令」というように、「させる」という意味も持ち、「令」と書いて「せしむ」と訓ぜられます。われわれが普段親しんでいるのはむしろこちらの用法でしょう。
 筆者の周辺では、公表の翌日、漢字に弱い初老のおじさんが「令」を「命」と混同しての事でしょうが、「めいわ」「めいわ」と連呼して失笑を買っていましたが、実は漢字に弱い海外のメディアではそう受け止めるところが多かったのです。
 英国営放送BBCやロイター通信などは「令」の主意を【order】あるいは【command】に翻訳し、権威主義的な「命令」の意味で伝えているそうです。

 「令」をこの意味で受け取るなら、「令和」は「和せしむ」となって、移民政策に象徴されるグローバリズム政策の導入という、いわば「不和」の種を導き入れた政府としては、日本国民がこれから経験するであろう混乱・苦難を認識し、敢てこれらを乗り越えて異民族間を「和せしむ」という意志、あるいは国民に対する要望を示したとも言えます。グローバリズムにかぶれた一部の傲慢な政事家や官僚などはこの意味で受け止めるのではないでしょうか。

 では、海外のグローバリストたちはこれをどのように受け止めるのでしょうか。

 「そうか、われわれの思惑通り、移民国家化を推し進めるのだな、よしよし。」

 あるいはヒトラーが予言したように、彼らユダヤ人の聖典である旧約聖書にあり、彼らが長い年月をかけて世界中に実現してきた民族大相剋状態に対する最後の砦としての国民国家日本の抵抗の意志と受け取るのでしょうか。

 自民党は十年程前、中川秀直氏や現東京都知事の小池百合子氏などが中心となって、3000万人の移民受け入れ政策を掲げましたが、西欧などでは10%の特定異民族の移民受け入れによって政治は大きな影響を受けて、今日の大混乱に陥っています。
 現在日本で急増しているのは中国系移民ですが、これは中国共産党政権の覇権主義的膨張政策である世界各国への植民と一致する政策で、これに対する日本における親中派やグローバリズム政事家の呼応が推測されるのですが、三千万の移民が入り込み、同化せずにコミュニティを作り、政治的影響力を行使するようになれば、平和ボケによる政治文化の衰退著しい日本において、この島の本来の住人であり、国民である日本人は従属的地位に置かれてしまう事になります。いや、既にそうなりつつあります。
 ある保守系の歴史学者は、日本は昔から「渡来人」と言われる海外からの移民を受け入れ、同化させてきた伝統があるから、30%ぐらいの人口が移民として入ってきても大丈夫、と言っていましたが、日本の伝統が失われ、政治力、文明力の衰退している今日、その見解を素直に受け入れることはできません。大体渡来人はそのように大量の異民族が一気に流入してくるようなものではなかったはずです。しかも、日本の支配者になろうとの奸謀を抱いていなかった。
 このまま移民受け入れが進むにせよ、進まないにせよ、日本国民の生活を守るには、どうしても異民族を同化させるだけの文化力・政治力の復興、出来るならばそれらの強靭化が必要です。
 そういった意味で、新元号「令和」の持つ深い伝統的意義、歴史的意義を理解しておくことは、日本人の未来にとって大変重要なことだと思われるのです。
 

 安倍首相が闡明した日本の古典、それも万葉集という日本最古の国民的歌集から元号を採るという自己主張は、毛沢東の昔から、日本属国化を虎視眈々と狙い、その謀略を着々と推し進めてきた中国に対する独立対等の意志表明としては、中国共産党の工作によって、沖縄【琉球独立論】・北海道【アイヌ先住民族自治論・北海道独立政府論】・大阪都構想(地域主権論である道州制に基づく】が一斉に唱えられている今日、大変重要です。
 彼ら分離主義者たちの名前を敢て挙げるなら、玉城デニー知事・石川知裕北海道知事選候補(元小沢一郎秘書)・橋下徹元大阪府知事などがこれに当たるでしょう。

 分離主義者とはアメリカの南北戦争の時に北の連邦主義者たちが南軍指導者をこう呼んだことに由来していますが、南軍はよく知られるように奴隷制の擁護者で、南部は奴隷を酷使しての大規模プランテーションの輸出先として、かつての宗主国たるイギリスやフランスと経済的に深く結んでいたのです。ですから、戦争中もイギリスやフランスは経済的植民地たる南軍に肩入れして、内戦に干渉しましたし、連邦政府はこれを根切りするために奴隷制廃止を訴えたのです。つまり、南北戦争はアメリカにとって対英独立戦争の総仕上げを意味したがゆえに、南軍の分離主義者を憎悪し、悪のレッテルを貼ったのです。リンカーンの奴隷解放は政治的プラグマティズムに基づいて唱えられたのであって、必ずしも純粋な道義心から唱えられたのではありませんでした。

 筆者は先に挙げた現代の分離主義者の背後には外国勢力、具体的には南北朝鮮と中国共産党の工作、そして、その背後にディアスポラ系・ユダヤ人を中心とする国際金融資本勢力の工作があると見ています。
 無智な若者に人気がある橋下氏や、かつて韓国ソウル大学で日本人を馬鹿にし、皇室を蔑ろにする発言を行って、これが知られると日本に帰れなくなるといい(ユウチュウブに映像も出回っています)、民主党政権時代は幹事長として北京に朝貢し、自ら人民解放軍野戦司令官と称して当時の国家主席胡錦涛にゴマをすった小沢一郎氏などは、日本人としての出自に疑いがあることがまことしやかに噂されている人物です。
 日本文化チャンネル桜の水島総氏は、北海道政府樹立を選挙で訴えている石川氏を内乱予備罪に当たると言っていますが、全くその通りで、地域主権による独立後は、独自の条約を結んで、中国や朝鮮から移民を積極的に受け入れ、彼らの軍隊まで招き入れる危険性を持っています。それらは低賃金の経済的な奴隷階層を作ると同時に、他国の内政干渉を導き入れるという点で、まさに南北戦争における分離主義者と同じ目的を持つものであるのです。

 北の連邦主義者はこれと徹底的に戦うことで、アメリカという強い国家を創り上げました。日本は同じ時期に明治維新を経験していますが、これもまた薩摩や長州の指導者を中心とする王政復古討幕派の強固な國體観とそれを成し遂げんとする強い意志によって、天皇を中心とする統一により強い国民国家を創り上げたのです。
 だから、アメリカ人にとって南北戦争が特別な意味を持ち続けているように、近代日本にとっても明治維新は特別な意味を持っています。ところが日本の場合、この明治維新を腐すことに変な情熱を燃やす変態日本人が多くいるのが問題です。が、彼らはグローバリズムを肯定する視点から確信犯的にこれを主張していると見ていいでしょう。

 こう言った日本文明の危機に対し、「令和」を選んだ安倍首相の深謀遠慮がどこまでのものなのか、はかりかねますが、少なくとも深読みは可能で、それは聖徳太子の「和を以て貴しとなす」精神に則って、それを最大限に発揮する希望を抱かせるものです。
 すでに触れたように、「和」は対立とは反対のそれを乗り越えた状態であり、「令和」もまた、本来なら対立するはずの勢力の自尊心を満足させる玉虫色の光を放つ言葉です。
 「和」の思想にとってこれは重要で、この思想の一つの起源である聖徳太子もまた、特に崇仏派・崇神派に代表される党派の対立を超えて、それが達成されるよう、これを第一条に据えたのです。
 しかし、近い将来の「和」の達成は聖徳太子の昔より実現困難な事業であることは間違いないところです。

 孔子は「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」とその困難を言いましたが、現代の指導者はその伝統を蔑みながらも君子たりうるでしょうか。
 やはり西欧由来の政治思想に学んで、目的のためには手段を択ばずで、金で釣り、力で押さえつけようとするのではないでしょうか。
 北京五輪を前に中国共産党が唱えたスローガン「和諧社会」の実態がどのようなものであったかを知れば、それはわが国の伝統とは著しく異なるという結論にいたるはずです。

 今、わが国は、高度な「令和」の達成か、それでも最後の国民国家としての消滅かという、大東亜戦争に続く、有史以来の困難に直面していると言えるかもしれません。
 十一月三日にラグビー日本代表は、現在来日中の世界最強ニュージーランド代表「オール・ブラックス」と対戦します。

 先週土曜日、来年日本で開催されるラグビーワールドカップ決勝会場となる横浜日産スタジアムで、タスマニア海峡をはさんで毎年対戦してきたライバルであるオーストラリア代表「ワラビーズ」(ワラビーは小型のカンガルー)に快勝したオール・ブラックスは、史上初のワールドカップ2連覇中であり、今のところ、来年日本開催の大会でも優勝候補筆頭です。

 対するワラビーズも決して弱いチームではなく、むしろ強豪であり、昨年はオール・ブラックスとの定期戦(ブレディスローカップ)三戦を戦って、1勝2敗の戦績でした。
 第一戦は大敗でしたが、勝負が決まった後半は、オール・ブラックスの油断につけこんで、逆にトライ数で上回り、自信を取り戻すと、第二戦は猛烈な気迫で攻め立てて、勝利寸前までオールブラックスを追い詰めましたが、終了間際の逆転トライで、惜しくも敗れました。
 そして続く第三戦、ワラビーズはさらに激しく攻め立てて、オールブラックスを僅差で破りました。

 あの戦いを見ていて、筆者は今年のブレディスローカップを楽しみにしていましたが、ふたを開けてみれば、結果は三戦ともオールブラックスが後半突き放しての大勝でした。

 筆者は昔から判官贔屓の感情からでしょうが、強すぎて隙の見当たらないオール・ブラックスよりも、毎年退けられながらもライバル心で挑んでいくワラビーズを応援するのですが、ワラビーズが勝利を手にするのはまれです。やはり、オール・ブラックスはワラビーズにとって格上なのです。

 筆者が世界のラグビーに関心を持ったのは高校生の時に開催された第一回目のワールドカップからで、その時の開幕戦で、オールブラックスが見せた強さに度肝を抜かれたのが最初でした。開幕戦でのオール・ブラックスの怪物ウィング、ジョン・カーワン(エディ・ジョーンズ監督の前の日本代表監督)の独走トライは今見ても圧巻です。
 この大会で優勝したのは、圧倒的な強さを発揮したオールブラックスだったのですが、大会の終盤になって印象に残るようになったのが、華麗にはじけて決勝まで勝ち上ったフランスのシャンパンラグビーではなく、ワラビーズだったのです。

 ワラビーのように、力強く機敏に跳ね回る若手中心選手の動きに可能性を感じたように思います。ニック・ファー・ジョーンズ、マイケル・ライナー、ブレット・パプワース、デイヴィッド・キャンピージなどが若手として躍動していた時代です。

 大会後、スランプに陥るワラビーズですが、先の中心選手たちを中心にチームは成長し、オールブラックスと対等に戦う力を身につけ、第二回大会では、準決勝でオールブラックスに快勝し、優勝を遂げます。
 第三回大会では過渡期にあって世代交代に失敗したワラビーズは、準々決勝でイングランドに敗れます。この時、オールブラックスは決勝まで駒を進めましたが、初参加の強豪南アフリカ代表「スプリング・ボクス」に敗れます。

 その優勝のドラマはクリント・イーストウッド監督によって映画化されています。悪名高いアパルトヘイトを乗り越えた新生南アフリカの象徴である黒人大統領ネルソン・マンデラと代表チーム「スプリング・ボクス」の白人主将フランソワ・ピナールを中心に据えた『インビクタス 敗れざる者たち』がそれです。マンデラは名優モーガン・フリーマン、ピナールはマット・デイモンが演じました。

 この大会での失敗に学んだワラビーズはその反省に立って、結束力の高いチームを創り上げて、第四回大会の優勝チームとなります。初めてワールドカップで2度目の優勝を果たしたチームです。

 一方のオールブラックスはラグビー王国として、常にブレディスローカップでは優勢で、ワールドカップでは、常に優勝候補筆頭に挙げられ、爆発的な強さで決勝トーナメントまで順調にコマを進めながらも、準々決勝、準決勝敗退の時代が続きます。
 ニュージーランドは王国の威信をかけて、問題の根本的解決に取り組み、その努力がようやく実るのが、2011年自国開催の第七回大会からです。この大会で、オール・ブラックスはようやく二度目の優勝を遂げましたが、すでに前回第六回大会で南アフリカが二度目の優勝を遂げた後でした。

 しかし、本質的に問題が克服されていることは、連覇を達成し、未だにその強さが継続していることからも明らかです。続々と若くて新しい才能がわき出てきて、選手層は厚く、誇り高い上に結束力は高く、来年日本で開催される大会でも優勝候補筆頭であることは揺らいでおりません。
 ワラビーズは不可能ではないでしょうが、このままいけばそれを脅かすことは難しいでしょう。現状、オールブラックスの優勝を阻止しうるのは、八月にオール・ブラックスから価値ある一勝を挙げた南アフリカと、ヨーロッパ勢では、前日本代表監督の名将エディー・ジョーンズ監督率いるイングランドとアイルランドでしょうか。この2チームとはこれから行われるヨーロッパツアーで対戦しますから、ファンにとっては目が離せません。

 こういったラグビー強国盛衰の歴史、特にタスマニア海峡をはさんで対峙する両国の対戦の歴史を見てきてつくづく感じてきたのは、その時代、その時代で個別の要因はそれぞれありますが、それはまた別の機会に譲るとして、本質的に大事なのは、その背景となっている国の歴史、文化やそれによって形作られる国民性ではないか、ということです。

 今年、日本の名門チーム神戸製鋼「コベルコ・スティーラーズ」の監督に就任し、いきなりトップリーグ全勝優勝の偉業を遂げた名将ウェイン・スミスのインタビューは興味深いものでした。この名将はオールブラックスのアシスタント・コーチとして、現在の2連覇に貢献したまさしく世界の名将の一人です。 

記事を引用します。

【神戸製鋼を変える名将ウェイン・スミス

「1960年代から日本のラグビーが好き」
WOWOW
2018年10月5日(金) 09:45
https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201810050001-spnavi





世界一の司令塔ダン・カーターの加入でトップリーグの最注目チームになった神戸製鋼。王座奪回を目指す古豪にあって、チームを変えたと言われるのが、ウェイン・スミス総監督だ。スーパーラグビーでクルセイダーズを黄金時代に導き、オールブラックスのアシスタントコーチとしてワールドカップ連覇に導いた智将は、復活を目指す神戸製鋼にどんなエッセンスを加えようとしているのかを聞いた。


――総監督就任に当たり、神戸製鋼にどんな印象をお持ちでしたか?


 神戸製鋼の試合は昨年、ニュージーランドにいる時からたくさん見ました。選手の能力はものすごく高いけど、フィールドでは持てる能力をあまり生かしていない、チームとしては、選手の能力ほどのパフォーマンスをしていないという印象を持ちました。

 それから、神戸製鋼というチームが選手にとってどういう意味があるのか、神戸製鋼の歴史や、どういう選手が以前このチームにいたのかをクラブのマネージャーから聞きました。なぜなら、私としては、それこそがフィールドで表現されるべきだと思ったからです。


――クラブの文化をとても大事にされるのでしょうか?


 私の哲学は、コーチはとても大事な存在だけど、自分たちが思っているほどには大事ではない、ということです。それよりも大きいのがチームの歴史、文化です。実際、私がコーチして成功したチームは、何のため、誰のためにプレーをしているのか、自分たちは誰を代表してフィールドに立っているのか、それをみんなが明確に認識していました。

 たとえ短い間でも、一度チームのジャージに袖を通したなら、そのジャージを次の人に渡す時は、ジャージを受け取った時よりも価値を高めて渡すのが選手の責任。それが、ニュージーランドのチームの哲学なのです。


――コーチングや戦術、戦力よりも、根本にあるラグビー文化ですね。


 今のラグビーはプロフェッショナルの時代を迎えています。プロの視点で考えると、結果を出すべきスポーツのひとつ。ですが、近年は忘れられがちだけど、ラグビーはまずゲームであり、好きでやっていることがベースにあるんです。

 だから、まず神戸製鋼に関わる全ての人には、自分がやっていることが好きであってほしい。ゲームを愛し、試合を愛し、コンテスト(競争)をエンジョイする。皆それぞれが毎週、ベストを尽くすこと。「LOVE RUGBY」です。これは、どんなチームであっても根本にあることです。


――コーチとしては、実際に選手に対してはどういう言葉でメッセージを伝えたのですか?


 まず、ラグビーを愛すること。それが第一で、次に大事なことは、ゲームは自分一人のものではなく、私たちみんなの物なのだということです。自分が代表しているチームの歴史、そのチームの名誉がかかっているということ、誰のためにプレーしているのかを理解すること、試合はそのひとつの試合の勝ち負けだけではなく、未来に続く、歴史の一部を作っているのだということ。

 誰もがそれぞれの歴史を持っているけれど、「自分」ではなく「われわれ」という意識を持つこと。だから私は、自分の役割を果たし、自分が出せる力を出し切る、それが集団のためになるのだということを選手に伝えました。なぜなら、一人ではゲームはできないのです。だから、私たちは自分一人よりも大きな目的のために、強い絆で結びつき、力をあわせてコミットしないといけないのです。


――世界各国でコーチをして、各国のラグビーの特徴にはどんな印象を持っていますか?


 ラグビーのコミュニティは、各国でそれほど違うとは思っていないんです。私は、イタリア、イングランド、ニュージーランド、そして日本とさまざまな国でコーチをしました。その経験を通じて実感したのは、ラグビーというのは、お互いを尊敬しあい、お互いのためにプレーをする、という文化が残っているユニークなスポーツだということです。

 お金のためではなく、対戦相手をリスペクトし、試合を楽しむ。大前提として、ラグビーは好きだからやっているのであり、毎週の練習を楽しむ。それでいて、自分が楽しむだけでなく、歴史やコミュニティ、あるいは仲間など、自分よりも大きなものを代表しているという敬意の意識。そういうスタイルは、どこに行っても変わらない。私はどこの国へ行っても、いつも選手にそれを伝えてきました。


 もうひとつ、呼びかけてきたのは、選手全員が感動できるゲームをしようということ。それは、選手全員をゲームに巻き込むということです。1チーム15人の選手全員のインスピレーション(ひらめき)を生かす。だからスクラムを組んだらペナルティを狙って、ペナルティキックをもらったらタッチに出して……というような機械的な決めごとでゲームを進めるよりも、選手自身がクリエイティブに判断してプレーしているところ、エンジョイしているところを見るのが好きなんです。そして、選手たちが、自分たちがやっていることが好きだということ、お互いを好きでいること。それが大事だと思っています。

(以下省略)


 引用は以上です。

 チームの歴史、文化を敬愛し、その一員としての誇りを持ってプレーし、その価値を高めて次世代へと引き継ぐ。

 その集積集約として、オールブラックスという国を代表するチームの強さがある。


 ニュージーランドは、オーストラリアと共に英連邦の一員であり、かつて大英帝国の一部でした。ともにエリザベス女王を君主としていますが、その成立の事情はかなり異なります。

 オーストラリアは英国の流刑地でした。流された罪人や無頼漢は小さな部族ごとに分かれて石器時代の生活を営んでいた原住民(アボリジニー)から略奪し、迫害、虐殺してきた歴史があります。その点、インディアンを虐殺したアメリカの歴史に似ているところがある。
 タスマニア島のアボリジニーなどは絶滅してしまいました。動物が、ではありません。人間の一種族が絶滅してしまったのです。
 古くからのオーストラリアの白人には原罪意識があり、あるいは罪人の末裔という血統に後ろめたさがあり、、国の歴史に誇りを持てないようですが、その裏返し、反動としての白豪主義と呼ばれる白人の優越意識には根強いものがあるようです。
 
 一方、ニュージーランドは原住民のマオリ族が、部族間の連帯も強く、また勇敢で戦に強かったこともあって、白人に容易に征服されませんでしたから、融和政策を取らざるを得なかった。
 オールブラックスが試合の前に披露するマオリ族の戦いの踊り、有名なハカはその象徴で、彼らの文化を取り入れたものです。オールブラックスの選手には、マオリ族やその混血も多く、彼らのみで編成されたマオリ・オールブラックスというチームが編成され、遠征することもあります。彼らは誇りたく、歴史・文化を保持し、自信を失っていません。

 これら対立緊張をはらんだ融合協調文化が彼らの歴史に対する敬愛を涵養してきたのです。それは自らの誇り、自信となり、他国の文化・歴史への敬愛へと繋がります。
 オールブラックスが相手への敬意を失わず、戦いに手を抜かないのも、これらの現れなのでしょう。
 それらを土台にして今のオールブラックスの強さがある。
 それらに対する自信があるから、創意工夫、新しいチャレンジに貪欲に取り組める。

 一方のオーストラリアは、ラグビーの盛んな土地で、他にもリーグラグビーやオーストラリアン・フットボール【オージー・ルールズ】などがあります。
 ユニオン・ラグビーの代表ワラビーズのスターの一人、イスラエル・ファラウは各競技を渡り歩いてユニオン・ラグビーで大活躍している天才プレーヤーです。

 オーストラリアにも、ニュージーランド同様、フィジー・トンガ・サモアなどポリネシア系の選手も多く、白人との混合でチームを編成していますが、アボリジニーの選手は少なく、現在ではカートリー・ビールというスター選手が居るくらいです。
 去年、オールブラックスに勝利した試合では、歴代のアボリジニー選手に敬意を表して、アボリジニー文化の図柄をデザインに取り入れた記念ジャージーで戦いましたが、やはり勝利への執念、一つの目的に向かっての一体感にはいつもと違うものが感じられました。

 しかし、いつものワラビーズはというと、別に手を抜いているわけではないのですが、何か一体感と迫力に欠ける印象があるのです。

 それが一つの目的に向けまとまった時、異様な強さを発揮するのですが。
 前回のワールドカップでも、しばらく不振で、大会一年前の監督交代とあって、準備不足にもかかわらず、大会に入るや、現監督マイケル・チェイカの下で急速に結束し、決勝まで進出してオールブラックスに挑むまで成長しました。
 しかし、それが大会が終わるとやはり長続きしない。高いレベルを維持できない。

 そう言えば、今年のスーパーラグビーでは、オーストラリアのチームが20何試合か連続で、ニュージーランドのチームに勝てない時期が続くという珍記録がありましたが、これらの底上げがなければ、ニュージーランドのように選手層の厚みを増すことが出来ないのですが、そこにもやはり何か、両国の歴史・文化の違いが表れているように思われるのです。

 さて、外国チームの話ばかりしていてもなんですから、今週末、この世界最強チーム、オールブラックスに挑む日本代表の話に移りましょう。

 来年のワールドカップに向けて、ニュージーランダーであるジェイミー・ジョセフ監督の下、めきめきと力をつけている日本代表ですが、ラグビーが所属協会主義を採用していることもあって、今やフィジカル面で明らかに日本人に勝っている外国人ばかりです。もちろん日本人にもいい選手がいて、日本をよく知り、日本代表選手としてワールドカップにも出たこともある元オールブラックスのジョセフ監督ということで、日本人に合ったチーム戦略に基づいてチーム作りを行っていますが、やはり日本代表として見ると違和感がぬぐえないのも確かです。

 勝負事に勝つ、という基準がありますから、体格や身体能力で一まわりも二まわりも大きな選手相手に勝つには、尋常でない努力と才能が必要になってきます。そもそも日本人中心でチーム作りをしていた時代、ティア1と呼ばれる強豪と対等に戦う上で、同じ土俵に立てていなかったのです。
 そこで問題を解決するには、一つは体格、身体能力に優れた外国人を入れる。これは比較的安易で、即効性のある対策です。
 ジョセフ監督自身、当時かつて代表経験がある選手でも、別の国で代表になることが許された時代に、プレーしていた日本で、オール・ブラックスの同僚スクラム・ハーフであったバショップ選手と日本代表に選ばれ、ワールドカップに出場したのです。

 そして、ジョセフ監督は現在、合理的科学的でありながら、しごきと言えるような激しい練習を課しているようです。これはエディ・ジョーンズ前監督が忍耐強く逆らわない日本人の特性に注目して、激しい練習量を課したのが始まりですが、これで日本代表はめきめき力をつけ、あのワールドカップ開幕戦における南アフリカ戦の勝利へと結実させたのです。格上相手に最後までタフに戦える日本代表を見たのは、筆者は初めてでした。

 エディ前監督はあの時、あのようなタフな練習はオーストリアでは無理、と言っていました。こういった日本人の特性は外国人の方がよくわかるようですね。
 一方で、ラグビーという集団競技では、チームに対する献身、義務を果たす責任感が大事で、科学的合理的でありながらも、最後はハートが大事になってきます。考えても見て下さい、全速力で走り込んで体当たりしてくる大男にタックルをかますには勇気が必要で、これを試合中最後まで継続するには折れないタフなこころが必要です。それらはいくら精神主義と言われようと、ハートの問題で、科学的合理主義で養えるものではありません。

 故平尾誠二氏は日本代表監督時代、外国人選手を評して、「和魂洋才」をもじって「和才洋魂」と表現していました。「和魂洋才」は明治の時代精神を表す言葉ですが、これは本来、「和魂漢才」をもじったものです。こちらは確か菅原道真の言葉ではなかったかと思いますが、それ以前よりあって『源氏物語』では別の意味合いで使われていたように記憶しています。

 この明治の「和魂洋才」から「和才洋魂」への逆転現象はやはり、第二次世界大戦の敗戦に遠因があると考えるのが自然でしょう。

 戦後、それまで日本でうるさく言われてきた価値観は否定されてしまいましたが、それは敗戦で打ちひしがれている日本人に、米占領軍が検閲や焚書や指導者の公職追放、マスメディアを通じての世論工作などによって、日本人を日本人たらしめてきた伝統的な価値観を否定し、日本人を彼らの都合の良いように洗脳してしまったからです。
 戦前の教育を受けた人々がいる間はまだよかったのですが、世代交代が進み、彼らが現場から引退するにつれて、日本にはニヒリズムが蔓延し、閉塞感が漂うようになってしまいました。快調であった経済の成長でさえ、ここ二十年以上は止まったままで、世界でも最下位クラスの成長率となっています。

 ウェイン・スミス氏も言っているように、ラグビーは旧い価値観が残っているユニークなスポーツです。泥臭いところがあるからか、今の日本ではあまり人気がないようで、素人でも楽しめるサッカーなどのスポーツの方が盛んです。単なるスポーツ観戦にしても、ラグビーはハードルが高く、重厚で素人には面白さがわかりにくい。

 もちろん日本代表の躍進は応援していますし、頑張っている日本人選手、世界レベルで活躍している日本選手がいることは誇りでもありますが、その背景となる日本の文化、歴史認識の本当の意味での敗戦からの復興がなければ、ラグビーというスポーツ文化の底上げも難しいのではないでしょうか。
 そのためには、占領軍や共産主義者たちによって、日本の伝統文化、歴史が、どのように意図的に歪められたのかを直視する必要があります。

 しかし、洗脳されている人は、洗脳されていること自体に気づかない。それが実情です。
 そもそも日本は和の国であり、融合文化ということならお家芸と言ってよく、現在移民政策と言えるような外国人受け入れが進んで、日本国民はますます貧困化していますが、先ほど言った事情から日本人と歴史との融和は大きく阻害されています。

 今ある琉球独立論やアイヌ自治区独立の運動は、共産主義者やグローバリストによる分断工作で、これまで長い年月を進めてきた融和を壊すものです。彼らは国内の矛盾対立を煽り、混乱の中で革命を起こすことが狙いです。そして背後にいるのは一帯一路政策という対米世界戦略を進める中国なのです。
 戦前の日本を日中戦争の泥沼に引きずり込み、英米との開戦に導いていったのも、彼らの先輩たちです。彼らにうまく操られた近衛文麿首相は敗戦間近になってようやくその事に気づいて昭和天皇への奏上を行いましたが時すでに遅しでした。

 江崎道朗氏の近刊『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』『日本占領と「敗戦革命」の危機』(PHP新書)は最新の研究に基づいて、その事情を明らかにした日本国民必読書です。

 実は、嘘も百万回繰り返せば真実となる、と言ったのはヒトラーではなく、ソ連の共産主義者カール・ラデックで、彼らは目的は手段を正当化するというのがモットーで、目的を達成するためには手段を選びません。もちろん平気で嘘をつきます。白を黒と言い包めることもいといません。
 彼らが流す政治的デマに騙されてはいけないのです。戦前のアメリカ人はかれらが民主勢力であると装っていたこともあって、ルーズベルト大統領を筆頭に、見事に騙されて、一党独裁の全体主義であることに気づかなかったのです。

 日本の指導者でも騙されていた人は多かった。だから戦争末期になってソ連に仲介を頼もうという動きが出てきました。彼らの内の確信犯的な共産主義者たちはソ連を導き入れ、敗戦革命の仕上げをしようとしていたのでしょう。
 それはソ連の衛星国、つまり植民地になることを意味していました。
 それほどインテリジェンスの混乱は致命的な事なのです。

 日本における融和の象徴は行きつくところ天皇の御存在ということになりますが、レフト(左)までウィング(翼)を広げると言った安倍首相が近衛文麿首相と同じ過ちを犯さないことを願ってやみません。

 それはともかく、横のつながりだけでなく、歴史を知って、過去と融和し、文化を取り戻す。
 スポーツにしろ、何にしろ、創造的発展はその上に築かれるのです。
西部邁氏が敬愛したイギリスの保守思想家ギルバート・キース・チェスタトンの名著『正統とは何か』の冒頭付近に次のような文章があります。

 「私が前々から書きたいと夢見てきた物語がある。主人公はイギリスのヨット乗りで、ほんの僅か進路の計算をまちがえたばっかりに、実はイギリスに漂着しながら、これはてっきり新発見の南海の孤島にちがいないと思いこんだのだ。」

 このおっちょこちょいな船乗りが、実はこの本の著者チェスタトン自身であり、彼は当時の西欧の思想的混乱状況にあって「私はイギリスを発見したのだ」と嘯くのです。
 チェスタトンは西欧社会における正統を論じ、弁護するために、自己のたどり着いた信仰を告白するのですが、その際明らかに、当時イギリスで活躍していた近代合理主義言論人のほかに、【アンチ・クリスト】ニーチェが強く意識されていました。彼は言わば「アンチ【アンチクリスト】」で、狂気に対立するものとしての正気―キリスト教的正気―を称揚しているくだりにそれはよく現れていると言えるでしょう。

 ニーチェの文章を読むと、一度脳をぐちゃぐちゃにかき乱されるような、そんな感じがありましたが、チェスタトンの文章は、彼が正気を旗に掲げるだけあって、非常に読みやすく、すんなりと入ってくるものでした。キリスト教に対する信仰をもたない自分にもいろいろ共感するところが多く、正統の知識人たらんとした西部氏が共感したのも分かるような気がします。

 伝統再発見の旅に出た自分をヨット乗りに例えるあたりは、いかにもイギリス人らしい。諧謔や逆説を織り交ぜたユーモアに満ちた文体で、信仰が揺らいでいたとはいえ、西欧における正統として確乎たる地位を占めているキリスト教を擁護しました。
 筆者にもまた「私は日本を発見したのだ」と嘯きたい衝動がありますが、船に乗り、帆一杯に風を受け、さっそうと旅発つイメージではありません。
 ここと目ぼしをつけた活火山の麓を深く穿って、鉱脈や水脈を探り当て、そして山頂に上って、天体を含む遠くを見渡すようなイメージです。
 
 それに比べれば、いろいろな葛藤があったとはいえ、キリスト教に対する信仰の世界が身近に開かれていたチェスタトンは、ふとした回心で、キリスト教に回帰することはさほど難しくなかったでしょう。西部氏がそれを見つけることが出来なかったように、現代日本に生きながらそれを見つけることは非常に困難であると言わなければなりません。
 確固たる地位を占めた教団など存在しないのですから。

 浄土真宗の僧侶の家に生まれた西部氏がそれに背を向けたように、仏教信仰の中にそれはありません。
 共産主義を含む西洋文明が目の敵にしているように、皇室の御存在(それを彼らは天皇制と呼びますが)及び神道がそれにあたるというのは見当違いでなく、日本の正統はそこに、あるいはそれらとともにあると言っても過言ではないのですが、そこには教義と言えるものが存在せず、宗教としての比較において、西欧におけるキリスト教に比肩しうるものとしては何か足りないものを感じざるを得ません。もちろんこれは、わが国の伝統がキリスト教の伝統に劣っているとか、そういった意味では全くありません。

 日本は聖徳太子の昔より、神儒仏に加えて道教の習合した世界観をもって生きてきた経緯があり、その軸となる神道(もちろんその中心的存在として皇室があります)のみならず、その他外来の宗教を含めて、伝統の探究は行われるべきです。
 少なくとも、敗戦までの日本の庶民は文明開化の世にあっても、またデモクラシーの世にあっても、インテリたちが西洋由来の思想にかぶれていく中で、その世界観を濃厚に生きていたのです。

 筆者は西郷南洲翁に興味を持った経緯から、その探究の過程で、伊藤仁斎が画法の如しと言った「語孟」、すなわち『論語』『孟子』という、いわゆる「孔孟の教え」を研究したことで、この太く根深い伝統に深く思いを致すようになりました。

 それがいかに深いものか。
 それはわれわれ日本人が日常読み書きしている日本語、すなわち平仮名・片仮名・漢字の組み合わせの書き言葉としての言語の由来が、伝説的な応神天皇の御代にまでさかのぼり、それが『論語』の渡来に始まると伝えられることからも明らかでしょう。
 筆者の見解では、応神天皇は文字の徳、そこに含まれる智徳に心を動かされて、これを導入したのです。伝承はそれを表わしています。

 さて、昨年末に電子書籍で出版し、今回Amazonオンデマンドで紙の書籍として出版した『十人の侍(上)』はその一つの試論(エッセイ)です。
 この、一般大衆社会では姿を消し、どこにあるかも定かでない伝統を再発見し、再興させる試みとして、まずは武家政治の伝統を、混乱した秩序を立て直そうと悲壮な決意をした十人の侍を中心に再検証したエッセイ群です。

 その文明史的意義はこのブログにも全文掲載したプロローグをお読みいただければ十分お分かりいただけるでしょう。
 本文の方は、この伝統面から見た武家政治家の思想と実践で、特に戦国三覇者、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の天下思想は、権謀術数で語られるだけの人物像しか知らない一般の人々には意外なものであるに違いありません。
 彼らが、戦国という、日本の混乱しきった秩序をどのように立て直そうとしていたのか、晩年の彼らがどのような天下構想を描き、それを実現しようとしていたか、の検証は、筆者自身にとって実にスリリングな経験で、もうそれだけで満足しそうになってしまうのですが、真実を垣間見たものの義務として世に問う次第です。

 チェスタトンは言っています。

「正統は何かしら鈍重で、単調で、安全なものだという俗信がある。こういう愚かな言説に陥ってきた人は少なくない。だが実は、正統ほど危険に満ち、興奮に満ちたものはほかにかつてあったためしがない。正統とは正気であった。そして正気であることは、狂気であることよりもはるかにドラマチックなものである。正統は、いわば荒れ狂って疾走する馬を御す人の平衡だったのだ。」

 かつて『(新)西郷南洲伝』を上梓し、そして『十人の侍』に取り組んでいる筆者は、チェスタトンのこの言葉の真実性に心から共感できます。
 そして、現代社会にあって、「進歩」「改革」という名の俗信のもとに進められる、自己の怨望に突き動かされた破壊の情念―狂気に取り囲まれた皇室の伝統が今危機に晒されていることをひしひしと感じるに及んで、チェスタトンの言葉はますます重みを増していくように感じられるのです。


Amazonオンデマンド『十人の侍(上)』(MyISBN-デザインエッグ社)

税込価格3240円
 

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内容紹介

「日本は武士の国だ。」
日本を擁護した親愛なる某超大国大統領はある時側近にこぼしたという。
「なのに、なぜ北朝鮮のミサイルを迎撃しないのだ」と。
知ってて言ったのだろうが、答えは簡単だ。
貴方の先輩方、そしてわが国の先輩方が、その骨太い武家政治の伝統を根絶して、忘却のかなたに押しやってしまったからだ。

彼を知り、己を知れば、百戦してあやうからず。
このニヒリズムに覆われた、サバイバル困難な国際情勢下にあって、今、われわれはあの骨太い武家政治の伝統をもう一度思い出し、これを取り戻す必要があるのではないか。本作はその試み、試論(エッセイ)である。
取り上げたのは日本の歴史において、既成秩序の崩壊、その混乱期にあって、立ち上がった代表的な十人の侍。上巻ではそのうち、明治維新に向けて、伝統の土台を築き上げた八人を取り上げる。

平将門、源頼朝、北条泰時、楠木正成、足利義満、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康。

特に最後に挙げた戦国三覇者については、彼らもまた頼ったであろう、和辻哲郎が言うところのいわゆる「人類の教師」「世界の四聖」の一人、孔子の思想を手掛かりに、思想的に解明しうるギリギリのところまで追究してみた。それが将来の日本にとって、新生面を切り拓く、画期的内容となったかどうかは読者の判断に委ねることにしよう。

なお、下巻では江戸時代の学問の英雄たちと、残る二人として、幕末維新の英雄、島津斉彬と西郷隆盛を取り上げる予定である。


 
明治維新の意義について、水戸学に基づく國體観を軸に自己の見解を述べましたが、反応がないようなので、独り言になりますが、もう少し補足してみたいと思います。

 最近、一月に自決された西部邁氏の業績について気になって、たまに、以前から所有し、十分に読み込んでこなかった本を読み返してみることがあります。
その死、その死に方についてはどうこう言える立場ではありませんが、日本文化チャンネル桜における氏のお弟子さんたちを集めての追悼討論番組をみて、認識を新たにするところも多くありました。
 討論では、氏の死に方についての批判もあり、また別の方からは、姥捨て伝説を題材にした深沢七郎の『楢山節考』や柳田國男の『遠野物語』『山の人生』を連想したという方もおられましたが、これは氏のこれまでの言説からも予感できるものでもありました。

 一方で、氏の思想家としての業績から言えば、論理的明晰さを欠く、という批判も確かに一理ありますが、やはり死の問題はそもそもが不条理なものなのであり、論理で割り切れるものではない、というのが本当のところではないでしょうか。

 死の問題は今の筆者には手に余る問題なので追々考えていくとして、ここのところ引っかかっていたのは、氏が西欧の保守思想家の言葉を引用駆使していくら伝統の大事さを訴えてみても、どうしても氏の言動に伝統が見えてこないというもどかしさ、不可思議さについてでした。

 逆に言葉に勢い余って、むしろ日本の歴史や伝統を否定してしまう一歩手前まで行ってしまうようなこともあって、たとえ保守ではあっても、西欧的知性のかたまりにしか見受けられませんでした。

 氏が影響を受けた西欧の保守思想家たちを取り上げて解説を施した『思想の英雄たち 保守の源流をたずねて」(ハルキ文庫)という著作があります。その中で、氏が非常に共感を持って書いていると感じられるのが、ギルバート・チェスタトンとホセ・オルテガです。この二人に、氏は知識人としてのお手本を見ていたように思われるのです。

 氏がよく語っていたのは、伝統の希薄な北海道出身者であること、吃音、すなわち「どもり」であったことであり、東大在学中の安保闘争で、全学連のリーダーの一人として、一万人以上の群集を前に演説を行った際、言葉が、論理が整然と滞りなく、あふれるように出てきた経験であったようです。
 これが思想的に転向した後も、大衆相手に語り掛ける彼の姿勢の原体験になったように思われます。

 その上で、オルテガの次のような姿勢を模範としたのでしょう。

「オルテガの凄さは、(大衆社会に跋扈する似非知識人の贋物性を)そこまで見通していながら、断じて隠棲の道を選ばなかった点にある。彼は大衆社会のどまんなかへと足を踏み入れ続けた。文筆と講演だけを武器にして、大衆に挑戦した。いや表では大衆の顔を持つ民衆が、裏では(真正の知識人が唯一頼りとする)庶民の顔を、つまり危険な生の行路を歴史の英知に導かれて黙々と歩んでいる人々の顔を、持っているに違いないと信じ(込むことにし)て、オルテガは人々に語りかけたのであった。」

 これは知識人としての西部氏の姿勢そのままでしょう。
 「朝まで生テレビ」への出演は氏を一気に有名にしました。
 イラク戦争の際は、孤立をものともせず、アメリカ批判を主張し続けました。これは安易にアメリカ支持になびきそうな大衆社会に対する批判でもあったでしょう。
 その果敢な態度は称賛に値します。
 
 一方で、西部氏の表現を借りるなら、彼が大衆の裏の顔として想定し、信じることにした「危険な生の行路を歴史の英知に導かれて黙々と歩んでいる人々の顔」に対しては、彼らを導くべき日本の歴史の英知についてはほとんど触れられることがなかったように思われます。むしろ慎重に避けていたようにさえ、感じられることがありました。
 そこには氏が伝統というものの希薄な、日本における異端の地である北海道出身者という自己認識が大きく影を落としていたように思えます。

 西欧保守思想を潜り抜けた経験もなく、日本の歴史や日本に本来からある保守的な思想を潜り抜けてきた筆者が、西部氏の態度を伝統的な言葉で表現するなら、それは「鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし」という所に行きつくと思います。
 「鬼神」とは神霊ということで、言わば超越的価値ということであり、宗教的信仰ということでありますが、「敬遠」の語源でもある「敬してこれを遠ざける」ということ、本来、これは「鬼神」を敬するがゆえに、狎れ合わず、謙遜するという意味です。
 西部氏はこの伝統的な意味で「知」識人としての態度を徹底したと言えるのですが、日本の「鬼神」を心底敬していたかというと、どうも怪しく感ぜられることが多々ありました。

 西部氏が共感していたもう一人の正統派知識人チェスタトンの解説を読むと、氏が共感したチェスタトンの思想は、江戸時代の学問の伝統を身につけた知識人にあっては常識に類する内容であって、筆者にとって何の珍しい見解でもありません。キリスト教を正統とし、絶対的価値として「神」を崇拝するか、儒教的規範を正統とし、日本の神々や仏や天道を崇拝するかの違いがあるだけです。

 先に引用した「鬼神を敬して」云々は『論語』の言葉ですが、学問好きであった徳川家康によって興された民間における学問の盛行は、儒教を軸にした言わば日本版の諸子百家が活発に活動した時代であり、それが國学を生む契機となり、水戸学に集約されていったのです。「王政復古の大号令」「五箇条の御誓文」「教育勅語」、それどころか『大日本帝国憲法』まで、これらの伝統の中から生まれたのです。

 要は明治維新の文明開化による自己喪失が、日本における大衆社会化現象が起こる大正デモクラシー以来の大衆社会を骨抜きにしてしまったのです。それ以来の共産主義思想の浸潤や大東亜戦争敗戦後のアメリカの統治による日本人民洗脳工作は我が国の伝統にとって致命的な打撃となりました。

 そういう意味で、学生運動で芽を吹き、西欧保守思想の正統に目覚めた西部氏の言論活動は、大衆社会に背を向け、歴史の英知に導かれて黙々と歩んでいる筆者にとっては、美しく限りなく本物に近くても、戦後の大衆社会に咲いたあだ花のようにも映ります。
 
 思想も含めて舶来ものを喜ぶ大衆に、真正の舶来ものでそれらは新たな流行品であり、贋物であると訴えても、舶来ものをありがたがる精神に変わりはなく、日本という国に生きる者にとっての本物を実物として提示することにはなりません。それは真打登場前の露払いの役割ということが出来ます。
 日本にとって今や危機は差し迫っており、真打登場の舞台は整いつつあります。西部氏はもうやりたいことはやりつくしたと言っていたそうですが、その役割を見事に果たし切ったと言えるでしょう。
 

 氏にとって惜しむらくは、日本の大衆社会の現実から離れ、留学中に西洋保守思想を潜り抜けたように、今一度沈黙し、日本の保守的な思想、歴史、伝統を潜り抜ける機会を持たなかったことでしょう。
 保守論壇の重鎮の中には、例えば小堀圭一郎氏のように、日本の歴史・伝統を潜り抜けている方もおられますから、その仕事はそういった人々に任せて、自己の天性にあった仕事を、役割を、果たし続けたということであったかもしれません。ならば天命に尽くした人生であったとも言いうるでしょう。

 小堀氏の著作『日本に於ける理性の傳統』はその名の通り、日本における理性の伝統、天道思想を発掘した労作ですが、これは和辻哲郎の戦中の著作『尊王思想の傳統』、これを戦後になって編集加筆した『日本倫理思想史』を発展継承したような内容です。これらの著作の内容は著作を残した知識人に限られていて、筆者の『十人の侍』は危機の時代を伝統に則って克服し、日本国家を創り上げてきた武家政治家までその範囲を広げたものです。
 この著作の後は、武家政治家に限らず日本全体の伝統に範囲を広げたものを執筆するつもりです。

 ともかく、明治維新はそれらの伝統の一つの結実です。
 西部氏はその面での明治維新を全く理解していなかったようで、岩倉遣欧使節団が帰国後に敷いた欧化路線、近代化路線のみで明治維新の意義を判定されていたようです。
 しかし、それは明治六年の征韓論破裂、西南戦争への過程でようやく定まった路線であって、それは前回の記事で叙述したように、明治維新本来の精神とは必ずしも一致するものではなかったのです。

昭和の日

四月二十九日は「昭和の日」と呼ばれる祝日である。

 この祝日の意義は、昭和天皇の御誕生日であるくらいのことは誰でも知っているが、過ぎ去りし昭和の御代を偲ぶ、くらいの意義しか、多くの人は感じていないのではないだろうか。

 戦前、天皇の御誕生日は「天長節」として祝われた。

 「天長節」の名は、天子の誕生日を意味し、『老子』の「天長地久」という言葉に由来している。

 
天は長く、地は久し。
 天地の能く長く且つ久しき所以の者は、その自ら生ぜざるを以てなり。故に能く長生す。
 ここを以て聖人は、その身を後にしてしかも身は先んず。
 その身を外にしてしかも身は存す。
 その私無きを以てに非ずや、故に能くその私を成す。


(『老子』)


 意訳すれば次のようになろうか。


 天は長く、地は久しい。
 それは天と地が自ら生きようとの意思を持たないからだ。だからこそ長く生きられるのである。
 これによって聖人はその身を後方に置きながら、人より先んじている。
 その身はほかにありながら、そこに存在している。
 それは、聖人が私欲を成そうとの意思を持たないからで、だからこそその私(道を成さんとの志)をよく成すのである。

 これは前回紹介した儒学思想における天子の概念と矛盾しない。

 昭和天皇を偲んでどうしても思い浮かぶのが昭和の大戦であるが、ポツダム宣言受諾の聖断を下された時の大御心を詠んだ御製は次ぎのようなものであった。


 爆撃に 倒れゆく民の 上をおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも


 生涯一万首以上の和歌を詠まれたという昭和天皇が、和歌の規範を外れて、ここまで字余りの御製を詠んだということは、いかに意余りで、その感情に堪えないものであったかということを表し、少し経って冷静になられてから、次のように調えられている。


 身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて


 当時、国際世論(といっても勝利を手中にしていた連合国側の世論だが)は天皇処刑を求める声が強かったから、降伏は天皇の御命を敵に差し出す覚悟を必要としており、当時の緊迫した状況下において、「身はいかならむとも」との表現は、決して大げさなものではなかったのである。
 
 昭和二十年に始まる米軍の占領期間中に天皇が御詠みになられた御製はこの大御心をあらわされたものが多い。
 昭和二十一年元旦の詔書は、日本復興の指針を国民に示したものであり、その第一義は明治天皇の「五ヶ条の御誓文」であったが、これは教育勅語に繋がる儒学受容の伝統から生まれた精神であった。
 昭和天皇は、わが国の固有の神道的伝統と渡辺浩氏が言うところの人類史上「最強の体系的政治イデオロギー」である儒学が習合した幕末維新以来の伝統に絶対の自信をお持ちになられていたのだろう。天皇は詔書の中で御誓文を御示しになられた後、「叡旨公明正大、又何をか加えん」と付言して、占領軍、延いてはマッカーサーの要らぬ干渉に警戒感を示し、これを排除しようとの大御心を示していられる。


 直後に行われた歌会始の御題は、天皇御自身が定められたもので「松上雪」であった。

 ここで詠まれた御製は、


ふりつもる み雪にたへて いろかへぬ 松そををしき(松ぞ雄々しき) 人もかくあれ


 で、『論語』の一節「歳寒くして、然る後に松柏の彫(しぼ)むに後れることを知る」を本歌(?)とするものであった。



 この占領期間が正式に終わって、一応、主権を回復したのが昭和二十七年四月二十八日のサンフランシスコ講和条約の発行した日であり、すなわち昭和二十七年の「天長節」の前日であった。

 この主権回復を詠んだのが次の御製である。


風さゆる み冬は過ぎて まちにまちし 八重桜咲く 春となりけり

 


 国家の祝日としての「天長節」の始まりは明治元年九月二十二日だが(明治六年の太陽暦の採用より十一月三日)、朝廷の祝典としては古く、宝亀六年(775年)の光仁天皇の御世にまでさかのぼる。

 日本において天長節を祝う意味合いは、天子、聖人として、日々、道を成そうと努めておられる今上天皇の御存在を祝すると同時に、ご長寿を祈るということにある。
 『老子』の原典を読む限りそういうことになろう。
 しかし、この天長節が歴代天皇に対して長く祝われてきた歴史事実から見て、その意味合いは、御皇室が現在まで、天地とともに、存続してきたことを寿ぐとともに、これからのいやさかを祈る、ということに重層的に積み重なってきていることになる。
 つまり、天長節が毎年、これからも祝われ続けるという意識の前提からすれば、この伝統を続けるということは、自然に、御皇室の繁栄が長久に続くことを祈ることを含むことになるということだ。

 やはり「天皇誕生日」などという軽薄な名称はやめて、「天長節」に戻すべきだろう。
 そもそも祝祭日の名が改変されたのは、占領期間中のことであって、「神道指令」などを発して日本人の宗教意識を攻撃したGHQに対する配慮からだったのだから、戦前の名称の復活は、日本が立ち直る上で非常に重要な意味を持っている。
 十一月三日の「文化の日」も、戦前の「明治節」に戻すべきで、「明治節」とはすなわち明治の御世の「天長節」に他ならないのである。四月二十九日の「昭和の日」はまだましと言えるが、これもまた昭和天皇の御世の「天長節」であり、「昭和節」と改められるべきだろう。

 これらの御代を偲ぶということは、明治開国以来、わが国が歩んだ苦難の道のりを振り返るということでもある。歴史認識の回復に格好の機会を与えることになる。

ちなみに昭和二十一年の昭和天皇の御誕生日にいわゆるA級戦犯は起訴された。
 処刑は昭和二十三年十二月二十三日、すなわち当時皇太子であらせられた今上陛下の御誕生日に執行された。
 マッカーサーらは、明らかにこれらの日を選んで、事を運んだのである。
 そこにこめられた彼らの意図はともかく、この事実もあわせて、頭の中に刻んでおく必要があるだろう。

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