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久しぶりの投稿です。本日で寝台特急トワイライトが最後の運行となりました。多くのメディアが取り上げ、又多くの鉄道フアンがその最後の雄姿に
別れを告げました。
かく言う私も鉄道フアンでは有りませんが、妻の強い希望で先月トワイライトの旅を堪能させて頂きました。

愈々乗車です。札幌から大阪に向かいます。


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廊下を渡り予約の部屋へ、以前サスペンスドラマでの撮影が
思い出されました。


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レストランの皆様の御好意により撮影を許可してもらいました。因みに奥のステンドガラスは定期的に図柄の違う物に交換されるそうです。

本日のデイナーは以下の通りです。本日、レストラン第一号客が私たちで、時間が少し早いかなとも思いましたが食事に2時間はたっぷり掛りましたので早い時間で納得。

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パンはこれを含めて3種類のパンが出ました。どれも美味しかったです。

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    北海道イクラのコルネ
    青森産鴨のテリーヌ
    新潟特産「おけさ柿」のチャツネ・ソース
    蟹と蛤のビスク、ようていJAユリ根のコンポート
    日本海あんこうのサルティンボッカ
    香草入り手打ちパスタ添え
    トワイライト厳選の黒毛和牛のグリエと牛舌の煮込み
    里芋のムースリーヌ
    パルフエ・グラッセ、マカロン、果実のサラダ、ハスカップのソース

メインデッシュの黒毛和牛のグリエと牛舌の煮込みは美味しくて写真を撮るのを忘れてしまいました。


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上2枚、朝食の画像です。内容、ボリュ−ウムとも満足でした。


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サロンの壁ですが周りの方から撮っていた方が良いですよと薦められ
撮りました。


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              車内より立山連峰を撮影


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敦賀駅にて、機関車交換が行われます。EF81 103号が去っていきます。


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           そしてEF81 44号がやってきます。


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                    連結完了


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車両にペイントされているマーク3種類です。これも同乗されていたマニアの方から3種類のマーク、必ず撮りなさいと薦められたものです。


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サロンでのフォトです。サービス良く車掌さん、ナイスポーズです。


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   レストランのサヨナラメニューや記念カード、カードキー等です。


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トワイライト号長い間ご苦労様でした。有り難う!!さようならトワイライト

            では***












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磁州窯とは華北地方一帯で制作された白化粧を施した民窯であります。
(宋〜明時代)
磁州窯の日本出土例は数が少なく、比較的に朝鮮半島の高麗古墳に多く出土が
見られます。そのせいか、絵高麗と言われる高麗の鉄絵青磁や、李朝初期の
刷毛目、粉引に、その影響が強く表れて居り、磁州窯が御手本になっていたと
思われます。
しかしながら一方、日本でも桃山時代から、志野、織部等の技法手本となり
江戸時代は尾形乾山,青木木米等、磁州窯が、やはり手本となっている物が
在ると推測される事から鉄絵に関して当時磁州窯の物が間違いなく日本に
将来されていたと思われます。(磁州窯系茶道具等伝世品多々有り)
 
京都市埋蔵文化財研究所所蔵、京都市中京区場之町出土の磁州窯枕は
乾山、木米に多大な影響を及ぼしたと考えられています。

 
 
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1920年、鉅鹿(キョロク 河北省南部、華南省との境の町)発掘調査以来
著名コレクターや各美術館等には磁州窯の優品が数多く所蔵されています。
 
 
 
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                         壺の内側は褐釉で塗りつぶされています。

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下部へ行くほど引き締まり、高台が小さい為、安定させるためか
台をはめていたと思われ,高台に三か所接着剤の跡が有りました。
結構取るのに時間が掛り大変でした。
 
 
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                                         白磁鉄絵褐彩壺  (元〜明) 高23.5cm
 
写真の磁州窯壺は、東京国立博物館蔵の白磁鉄絵褐彩人物図壺にその系列を
見ますが、出光美術館蔵の白磁鉄絵褐彩牡丹壺に関しては、同手と言って良く
元〜明時代の特徴を顕著に表現してると思います。
 
 
        その引き締まった、ボディフォルムにチョットした異性を感じるのは
         私だけでしょうか。

                  では・・・

加彩婦女立俑 

 
                  久々の投稿です。
 
 
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                        加彩婦女立俑  唐時代 高 約36㎝
 
中国の土偶の起源は殷代に有ると言われて居りますが実際には漢時代以降の
物に馴染が有ります。人物像、いわゆる俑に関しては漢時代のデフォルメされた
様式、正面性シンメトリーに尊んだ原則が、六朝になると身体の線が柔軟になり
略化されていた衣装なども克明になっていきます。そして唐時代になってくると
六朝のシャープな容姿からふっくらと優しい豊満とも言える姿態になっていきます。
豊満な美人俑は唐三彩より加彩俑にその完成度を見せていると思います。
(唐の美人俑が全て肥満体かというと痩身細腰のタイプも少なからずあります)
 
 
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中国では古来、死後の世界があり、そこでの生活が有ると考えてきました。
その為権力者や貴族達は、立派な墓を作り、死ぬと召使い達や家来、馬や馬車
なども一緒に墓に埋めました。所謂、殉葬です。しかし文明が進むに従って殉葬の理念は消え、木や石、陶器などで作った人形に代え、又動物や様々な道具なども作って一緒に副葬しました。人物は俑と言いそして道具や動物類、いろいろな素材で作った物を「明器」と呼びます。日本の埴輪も明器の一種です。
 
 
 
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この婦女立俑も唐時代の典型な様式を備えて居りますが、豊満さがイマイチ
美人俑の二番手です。赤褐色の胎土を用いて躰躯を作り、白土を化粧掛けし
さらにその上に赤、黄、緑、青、黒などで加彩を加えていたと思われます。
残念ながらほとんどの彩色は剥脱されています。ほんのわずかの朱が見られる
程度です。
 
 
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発掘された状態から洗いをかけ、顔にもしかしたら若干の手が加えられている
かもしれません。まあ加彩俑には良くある事だそうです。
 
 
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残念なのは輸送中に靴の部分と下の所が少し欠けてしまった事です。接着剤で
くっ付けました。厳重な梱包をして下さったのですが、下部をかたどって掘り込んで有る台に乗せた状態で箱に入れて、寝かして送ってきたので、台の部分がズレて
ぶつかり、欠けを起こしてしまった様です。
台付きの物を送る場合、輸送の仕方を指示しておけば良かったと悔やんでいます。
まして先方は昔の友人、そして御婦人であるが故文句も言えません。
 
 
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俑に関しては底に穴が開いたもの、塞がっているものが有りますが
底は穴が開いている方が物が良しと私は考えています。
 
 
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大昔は二番手な物でも、とても私では手に出来る物ではなく、又、パンクーニャンと言って、憧れの物でも有りました。
 
 
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約30年前頃から偽物が出回り今では偽物だらけです。稚拙な偽物もありますが
精巧な美人俑もかなり有りますので注意が必要です。でもそういう状態で
無かったならば私くしなんかには手に入らなかったやもしれません。

                  では・・・
 

 

那智大社

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熊野那智大社は、那智山青岸渡寺とともに熊野信仰の中心地として栄華を極め、古来より多くの人々の信仰を集めました。今なお多くの参詣者が訪れ、
熊野速玉大社・熊野本宮大社とともに熊野三山の一つです。
 
 
 
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                   (那智山青岸渡寺)

現在の本堂は、織田信長南征の兵火にかかり、天正18年(1590)豊臣秀吉によって再建され、桃山時代の建築をとどめ紀南で一番古い国指定の
重要文化財建造物です。
 
 
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                        (鰐口)

天正18年(1590)、本堂(如意輪堂)再建の際、豊臣秀吉公より寄進された
日本一の大鰐口。直径1.4m、重量450㎏。
 
 
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467段におよぶ石段の上に建つ6棟からなる社殿は、標高約500mに位置し
夫須美神(ふすみのかみ)を御主神としてそれぞれに神様をお祀りしています。
伊弉冉尊(いざなみのみこと)とも言われる夫須美神は、万物の生成・育成を
司るとされ、農林・水産・漁業の守護神、縁結びの神様また、諸願成就の
神としても崇められています。                (各資料より)

 
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社殿は、仁徳天皇の御世(317年)に現在の位置に創建され、平重盛が造営奉行となってから装いを改め、やがて、織田信長の焼討に遭ったのを豊臣秀吉が
再興しました。徳川時代に入ってからは、将軍吉宗の尽力で享保の大改修が行われています。                            
                                   (各資料より)
 
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境内には、日本サッカー協会のロゴにも用いられている“八咫烏(やたからす)”の
烏像、社殿並びに境内は、2004年7月、ユネスコの世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されました。
 
 
 
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毎年7月14日には、日本三大火祭りの一つ「那智の火祭り」が行われます。
その他、四季を通じて、さまざまな神事が行われます。(火祭りに使う松明が置かれています)
 
 
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              那智大社から見た那智の滝
 
さすがに467段におよぶ石段は完歩出来ずと判断しタクシーを呼んでもらう事になりました。しかしこれが大正解、運転手さんはガイドをかねており、丁寧な説明を聞かせてもらいました。でも金額的に言えばガイド付きは当然かなとも・・・
 
 
 
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神と仏が並列している地、熊野は古来より特別な場所で有るに違いないと思います
 
                    では・・・
 
 
 
 
 
 
 

那智の滝

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熊野那智大社の別宮、飛瀧神社のご神体として古くから人々の畏敬を集めてきた那智の滝は、「一の滝」とも呼ばれ、華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に
数えられ、日本三大名滝の一つです。
 
 
 
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落差133m、銚子口の幅13m、総合落差では日本12位ですが、一段の滝としては
落差日本1位を誇ります。銚子口の岩盤に切れ目があって、三筋に分かれて
流れ落ちるところから、「三筋の滝」ともよばれています。
 
 
 
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毎年7月9日と12月27日には、古来からの神事にのっとり、神社(飛瀧神社)の
御神体としてこの滝を崇め「御滝注連縄張替行事」が行われます。
かつて、諸国から那智の滝に詣でる人々は、写経を経筒に入れお滝入口の
大鳥居をくぐり左側にある「那智経塚」に、写経を納めました。(資料より)
 
 
 
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神社、寺社が融合し、更に那智の滝が一望出来る熊野スポットが有ると聞かされていましたが、ガセネタでありましたか・・・唯一三方が拝観出来るのは錯綜した結果
このショットと相成りました。
左、神木、しめ縄の左端に遠く三筋に流れる那智の滝が観えます。
 
 
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水しぶきが当たると良いと言われていましたが、残念ながらしぶきには
当たりませんでした。
那智の滝は妻がどうしても見ておきたい名所の一つだったそうですが
滝としては袋田の滝の方が見応えがあるみたいです。

                  では・・・
 

 
 
 
 
 

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