◆デカダンスの彼方へ.....◆

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私の愛する作家、三島由紀夫。三島由紀夫の文学の世界に入れば、すぐそばに、三島の僚友澁澤龍彦のドアが開いています.....。

『マルキ・ド・サド選集』(全3巻)(彰考書院)(昭和31年7月)の序文を三島由紀夫氏が快く引き受け、『マルキ・ド・サド選集』(全6巻)(桃源社)の第6巻(昭和39年9月1日)の『サド侯爵の生涯』にインスピレ−ションを得て、三島氏が名戯曲『サド侯爵夫人』を書き下ろしたのは、周知の事実であります。

本書、第1章のなかで、澁澤氏は下記のように記しています。

"世代の新旧を問わず、三島文学あるいは三島現象に対して拒絶反応をおこす人がいるようだが、これはやむをえまい。私にかぎっていえば、おそらく一生その呪縛から完全に解放されることはないだろう。三島作品をひっくりかえす頻度もめっきり減ったが、それでも去年はユルスナ−ルの翻訳をやったから、久方ぶりに主要作品を精密に読んだ。同時代意識というのは恐ろしいもので、三島が死んだ今となっても、私は彼を共にすすむ僚友と思っているのである。"
本書P23、「三島由紀夫をめぐる断章」の章より抜粋(初出「すばる」昭和58年7月号)。

亡くなる4年前に、澁澤氏ははっきりと、「私にかぎっていえば、おそらく一生その呪縛から完全に解放されることはない」、「三島が死んだ今となっても、私は彼を共にすすむ僚友と思っている」と断言しています。しかもその自覚は、三島氏の死後いよいよ強いものになったであろうことは疑いをいれないでしょう。

サド侯爵を戦後「文化」に「工作」した澁澤氏と、サド侯爵夫人を「工作者」に選んだ三島氏とは、澁澤氏自身がのべているように、サドをめぐる二つの極に立ちながらも、戦後「文化」に対しては、その反時代精神においてしっかりと握手するまことに対照的な共犯者であったといえます。

"故三島由紀夫氏は、どちらかといえば筆まめな方で、私が氏から頂戴した手紙は、封書および葉書を合わせて三十数通に及ぶが、それも足かけ十五年間にわたる付き合いだったと思えば、平均して一年にニ、三通ということになってしまうから、それほど多いとはいえないかもしれない。"

と澁澤氏が本書第3章「三島由紀夫の手紙」のなかで回想しているとおり、二者の僚友的緊密度はかなり高かったといえるでしょう。

下記は澁澤氏から三島氏宛の書簡です。

"お忙しいなかを、いつに渝らぬ御懇切なお手紙をいただき恐縮しております。
この前貴兄に差し上げた手紙が、舌足らずで、何か誤解を生じたのではないかと気になりますので、また筆をとった次第ですが、貴兄が最近追求しておられる「鋼鉄のやさしさ」ともいうべきtendernessについては、小生、十分わかっているつもりなのです。
ただ、貴兄が小生の知らない行動の世界、文武両道の世界へ、まっしぐらに走ってしまわれたような気がして、ちょっと淋しくなり、怨みごとのようなものを申し述べたにすぎません。
貴兄は小生にとって大事な人であり、貴兄と同時代に生きる仕合わせを、、小生はいつも感じております、
尊敬や友情を、あんまりべたべたしないやり方で示すことは、貴兄もお嫌いでしょうし、小生も好みませんから、このへんで止めておきます。
お目にかかってお話しなくても、貴兄はいつも小生の気持を分って下さる、と勝手に解釈して、小生は楽しんでいます。
春になったら、ビアズレ−の彫心縷骨(?)の翻訳をお送りいたすことが出来るでしょう。
                             
澁澤龍彦
三島由紀夫様      (昭和43年1月22日)"

それから、巻末の澁澤氏と三島氏の対談「鏡花の魅力」も必見でしょう。

画像は、『三島由紀夫おぼえがき』澁澤龍彦(立風書房)(初版本:昭和58年12月4日発行)です。


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