「世紀末ウィーン」.....
このことばを聴いただけでも、何かしら得体の知れない"やるせない倦怠"と"頽廃(デカダンス)"を感じてしまうのは私だけでしょうか?
"世紀末パリ"、"世紀末ロンドン"、"世紀末ニューヨーク"........なんだかもう一つしっくりきませんよね。
やはり世紀末は、ウィーンであり、プラハであり、チューリヒであり、ベルリンであり、ミュンヘンでなくてはいけません。
「世紀末ウィーン」という伽藍を、幻想的な"ロマンティシズム"と"エロティシズム"で支えた2大作家。アルトゥール・シュニッツラー Arthur Schnitzlerとフーゴー・フォン・ホフマンスタール Hugo von Hofmannsthal.....。
グスタフ・クリムトもエゴン・シーレもグスタフ・マーラーもリヒャルト・シュトラウスもこの2人の多大な影響を受けております。
学問・芸術が絢爛たる花々を咲かせた「精神の世界都市」世紀末ウィーン.....
いずれも一筋縄では行かぬ天才たちが輩出し才を競いあった都市。
1897年、グスタフ・クリムトを中心として「ウィーン分離派」が誕生しました。「分離」とは十九世紀の歴史絵画からの分離であり、それは新しい時代への窓をひらいたといえるでしょう。絢爛たるグスタフ・クリムトの作品が生まれ、若いエゴン・シーレやココシュカが息せき切って活動を開始します。コロマン・モ−ザ−やヨーゼフ・ホフマンによる「ウィーン工房」も大胆な試みをはじめます。
ウィーン「分離派」の機関誌「ヴェル・サクルム(聖なる春) VERSACRUM」の創刊号には、高らかにこう記されていました。
"われわれはもはや<大芸術>と<小芸術>の相違を知らない。富者のための芸術と貧者のための芸術との相違を知らない。芸術は公共のための富である。"
美術ばかりではありません。新しい音楽がマーラーやシェーンベルクやアルバン・ベルクによって、新しい建築がオット−・ヴァ−グナ−やアドルフ・ロースによって、精神分析がフロイトやアルフレート・ア−ドラーによって、言語哲学がヴィトゲンシュタインによって、美術史のテーゼがリーグラーによってひらかれました。「ウィーン学団」の名のもとに哲学にいそしんだ者たちがあとにつづきます。そして、文学においては前述のようにアルトゥール・シュニッツラーやフーゴー・フォン・ホフマンスタールやカール・クラウス、ヨーゼフ・ロート、ツヴァイク、ム−ジル.....が登場します。
それらの絵画をみるたびに、大好きなアルトゥール・シュニッツラー Arthur Schnitzlerの『夢小説 TRAUMNOVELLE』とその実写版(スタンリー・キューブリック監督の遺作)『EYES WIDE SHUT』に思いを馳せてしまいます.....
さて、ここで『接吻 Der Kuss』(1907〜1908年)をご紹介いたしましょう。
■『接吻 Der Kuss』(1907〜1908年)
【解題】
『接吻 Der Kuss』は、クリムトの「黄金の様式」をその絶頂まで導いています。
主題のエロティシズム、金箔や銀箔、また、瞠目すべき装飾を使用した点で、クリムトの「黄金の時代」のクライマックスにしてこの時期の特質を端的に表わしており、「分離派」の標章ともいわれる作品であり、「世紀末ウィーン」の象徴でもあります。
クンストシャウ Kunstschau Wien(「ウィーン総合芸術展」1908年)でもそれ以後でもクリムトの絵画中で最も評判の高いこの作品は、写実の場を犠牲にして象徴の場を拡げることで、官能的効果の強度を増幅させています。
『喜び、美しき神々の火花よ』「ベートーベン・フリーズ Beethobenfries」(1902年)のパネルでは、さらにそれ以上に『ダナエ Danae』(1907〜1908年)では、エロティックな効果は塑像的なヌードの肉体で伝えられました。『接吻 Der Kuss』では肌はおおわれていますが、しかしその官能的効果は愛撫する身振りの線で高められています。着衣においても、恋人たちが跪いている花一杯の土台におけるように、装飾的要素がシンボルとしても役立っています。
男女双方の掛け布は、その装飾的デザインによってくっきりと区別されています。
『ダナエ Danae』ではゼウスの男根(penis)のシンボルだった単一の長方形が、『接吻 Der Kuss』では男性のマントに繁殖し、他方女性のドレスは、卵子でも花でもあるシンボルで満ち満ちています。これらのものは伝統的シンボルではなく、クリムトの無意識の貯蔵庫から引き出された創案であります。
はっきりと限定された二つの性的シンボルの場は、共通の下地となった"黄金の揺れる被い"によって、対立物の統一にもたらされています。
動きと文学的暗示の芸術とから静的抽象の芸術へ進んで、クリムトは『接吻 Der Kuss』では、いまでは和合的ながらも力強いエロティックな感情をもう一度描くために、象徴的コラージュの間接的表現法を修正して用いたのでしょう。
本作はエロティシズムと極めて装飾的な要素を前面に訴求していた「黄金の時代」のクリムトが新しい展開に至った結果といえるでしょう。これまで、何にもまして両性の闘争をテーマとしてきたクリムトが、いまやひとつの統合を描く境地にいたり、「ベートーベン・フリーズ Beethobenfries」や「ストックレー・フリーズ Der Stoclefries」と共通の要素を包摂するこの作品は、ほかの作品では男性像に君臨している「ファム・ファタール famme fatale」がここでは従属させられています.....彼女は男に身を捧げ、身を委ねています。紛れもないエロティシズムは燦然と輝く衣裳を通じてあらわになっていますが、その行為自体は衣裳の下に隠されています。
"接吻"というテーマが登場したのは1895年の『愛』(「ウィーン大学大講堂天井画」)においてですが、『接吻 Der Kuss』に直接影響を与えたのは『喜び、美しき神々の火花よ』「ベートーベン・フリーズ Beethobenfries」(1902年)や『成就 Die Erfuellung』「ストックレー・フリーズ Der Stoclefries」(1905〜1909年)でしょう。
『接吻 Der Kuss』は「ベートーベン・フリーズ Beethobenfries」の最後の部分『喜び、美しき神々の火花よ』に登場する男女を一層装飾性豊かに描いたものであり、また「ストックレー・フリーズ Der Stoclefries」の『成就 Die Erfuellung』をあまり変えずに描いたものです。しかし、その2点と違うのは、前にも書きましたが『接吻 Der Kuss』の男女は跪いていることです。これは愛情に満ちた瞬間であり、この女性がエクスタシーの状態にあることは、彼女の表情と"掻き抱くような手"を見れば明らかであります。
『接吻 Der Kuss』では、直線と曲線という対照的な2つのタイプの装飾は区別されながらも並置され、それは絵画の中心を占める黄金のフォルム(男根のようにさえ見える)に包み込まれています。抱き合う男女はこれにすっぽり覆われ、2人の愛の成就ばかりか、自己陶酔も示唆されています。この黄金のフォルムは『エミーリエ・フレーゲ Emilie Floege』(1902年)や『フリーツァ・リトラー Fritza Riedler』(1906年)の肖像画で、彼女らの顔を取り巻く光輪(ニンプス)のようなものが拡大したものと考えられます。
一体となった2人が溺れる官能性は、星を連想させる背景や2人が跪く花園によって一層強調されています。しかし、この花園はまた、途中でばっさりと切れて深淵の存在が暗示され、そのために、2人の幸福の脆さも示唆されています。つまり、この絵の雰囲気と意味はまず具象的な部分で示され、さらに、装飾的、抽象的手法によって強化されているのであります。
この装飾的、抽象的手法の中でとりわけ目立つのが、金箔と銀箔の使用です。
黄金は富を象徴するだけではなく魔力をも連想させます。高価な材料を使った華やかな装飾のために、本作の官能性は高まり、絵画の帯びる性的な含みも増幅しています。"愛の行為"はほとんど宗教的秘儀のごとく表され、絵画の方は肉体的な愛を崇拝する神殿を飾る祭壇画のようでもあります。
最後に、『ひまわり Die Sonnenblume』(1906〜1907年)との関連について。
クリムトと同時代=世紀末ウィーンの詩人のペータ−・アルテンベルクは、"クリムトは風景を女性であるかのように描く"と書いています。クリムトの「ひまわり」の"肖像"は、たしかに彼の描いた何点かの肖像画を想起させます。
最も顕著なのは『接吻 Der Kuss』であります。おそらくクリムトは、ヴァン・ゴッホの同じ主題による作品に動かされて、「ひまわり」を描いたのでしょう。ゴッホの作品は1903年の「分離派展」に出品され、1906年にはウィーンのミートケ画廊でも展示されました。
タブーの題材である『接吻 Der Kuss』は検閲を免れ、ピューリタン的ウィーン市民の偽善をなじったクリムトは、大衆の熱狂的賞賛を享受します。
画のモデルはエミ−リエ・フレーゲを抱擁するクリムト自身であるともいわれています。
国王フランツ・ヨーゼフの即位60周年を記念する大展覧会の開催に寄せて、国から依頼された講演のなかで彼は次のように語っています。
"人間の生のいかなる分野にも、あまりにも無意味で小さくて、芸術的努力を容れる余地がないなどというものはありません.....どんなにとるに足らないものでも、すっかり完成すれば、この世の美を高めるのに役立ちます。文化の進歩というものは、絶えず前進しつつ芸術的意図を生活のあらゆる側面にまで行きわたらせること、唯一このことに根ざしているのです。"と.....。
●グスタフ・クリムト Gustav Klimtの"ファム・ファタール famme fatale"
クリムトが描いた数多くの女性像のなかで、肖像画とならんで重要なのが愛と死の問題を寓意的に取り上げた一群の作品です。
なかでも1901年の「ユディト?」は、象徴主義の画家たちが頻繁に採り上げた「宿命の女」(ファム・ファタール)=男を惑わせ破滅に導く悪しき女、の典型的作例として知られています。ユディトは聖書に登場する女傑で、敵将ホロフェルネスを討ち取ってユダヤ人を救った英雄的人物ですが、クリムトが描くユディトのなんとなまめかしいことでしょう。豪奢な黄金の首輪や衣装、男の生首をつかむ指、頬を紅潮させ薄目を開いた陶然たる表情は、ユディットというよりむしろ、同じ聖書の登場人物である淫蕩なサロメに似つかわしいといえます。世紀末には多くの芸術家がサロメのイメージに挑戦しましたが、クリムトこそがもっとも印象的なファム・ファタール像を打ち立てたといえます。
■参考文献
●『GUSTAV KLIMT』ジル・ネレー Gilles Neret(タッシェン社)
●『クリムト』フランク・ウィットフォード Frank Whitford / 関根秀一/吉岡昌紀/片桐頼継/越智博美訳(洋販)
●『世紀末ウィーン』カール・E・ショースキー / 安井琢磨訳(岩波書店)
●『絵画への視線』坂崎乙郎(白水社)
●『世紀末と楽園幻想』池内紀(白水社)
●『ウィーンの世紀末』池内紀(白水社)
●『世紀末の窓』池内紀(白水社)
●『世紀末の肖像 〜池内紀の仕事場 第1巻〜』池内紀(「池内紀の仕事場」全8巻より)(みすず書房)
"自然より出たからには、わが身をば
いかなる自然の具象にも形を似させることはすまい。
ただ願う
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