◆デカダンスの彼方へ.....◆

"デカダンス"「映画」「文学」「美術」を語りましょう♪

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 1

今回も前回のART BREAK Vol.0023:「生のフリーズ vol.01 『叫び』エドヴァルト・ムンク」に続きまして、「『カ−ル・ヨハンの夕暮』エドヴァルト・ムンク」をご紹介したいと思います。

■「生のフリーズ」とは

おもに1890年代に制作した『叫び』、『接吻』、『吸血鬼』、『マドンナ』などの一連の作品を、ムンクは「生のフリーズ」と称し、連作と位置付けています。「フリーズ」とは、西洋の古典様式建築の柱列の上方にある横長の帯状装飾部分のことで、普通浮彫などで飾られます。ここでは「シリーズ」に近い意味で使われています。

これらの作品に共通するテーマは「愛」「死」そして愛と死がもたらす「不安」であります。つまり、ムンクは彼の個人的体験に深く根ざした生の哀歓をモティーフとする精神の叙事詩「生と死と愛」の連作をフリーズになぞらえているのであり、このうち、"エロスとタナトス"という二つの致命的な力とかかわる現代人の魂の連作を描いて、これをはじめは「愛」とか「人の生」とかの、ついで「現代の精神生活から」などの標題で、最後に「生のフリーズ」という公分母で総括したのであります。

ムンクの代名詞ともなっている『叫び』は、その遠近法を強調した構図、血のような空の色、フィヨルドの不気味な形、極度にデフォルメされた人物など、独創的で秀逸な作品であります。ただ、あまりにも広く紹介されており、構図をまねたパロディなど、戯画的な扱いをされがちでもあります。
『叫び』の例でもわかるように、自己の個人的体験に基づく「愛」「死」「不安」を芸術表現に昇華し、世紀末の人々の孤独や不安を表現したことがムンクが高く評価されるゆえんでありましょう。(注1)

■『カ−ル・ヨハンの夕暮』(1892年)

暮れかかる宵空と街路の平塗りのブル−、青ざめた亡者のような形相の人物群...、タッチは、綜合主義的な技法で簡明に一気にしあげられています。主題とするところは、頑迷な公衆の芸術に対する態度と、ムンク自身の彼らに対する対応という二重の葛藤を象徴的に描写し、かつ仮借なく告発するところにあるといえるでしょう。

ニ−チェとキルケゴ−ルを耽読していたムンクにとって、まさに本作のモティ−フは「キルケゴ−ル的不安」。キルケゴ−ルが『死に至る病』(1848)で、本質的な病としての絶望を、"無限性の欠如による有限性の絶望ないし可能性の欠如による必然性の絶望"と解析しているように、まさにムンクにとって、度しがたい偏狭さと固陋さをみせつける公衆は、絶望的な偏狭さと固陋さで本来的自己を失っている亡者=打算的、表面的で無性格な自己疎外の時代の、一種の不安劇の書割でしかなかったといえます。この労作は、日没時の群集における憂苦と死の翳りを鋭くとらえることによって、この時期のものではもっとも表現主義的な画面になっていたといえるでしょう。

"通り過ぎる人々は...
みな...
とても異様であり、奇妙だったので、自分のこともそう見ているのだろう...
自分のことを凝視しているのだろうと彼は思った...
顔はどれも...
黄昏時の光をうけて蒼白かった...
彼は思考に縋ってみようとしたが、かなわなかった...
頭のなかが空っぽになったような気がした...
そこで、ずっと上の方にある一つの窓に視線を定めてみようとした...
またもや、通り過ぎて行く人々が邪魔になった...
躰じゅうが震え、汗が噴き出した..."

「生のフリーズ『カ−ル・ヨハンの夕暮』」(エドヴァルト・ムンク)

*注1:『ムンク 世紀末までの青春史ドキュメント』鈴木正明著(美術出版社)に拠る。

●以上、作品解題及び「生のフリ−ズ」翻訳は、『ムンク 世紀末までの青春史ドキュメント』鈴木正明著(美術出版社)(昭和53年1月31日発行)、『みずえ 特集:ムンク 孤独の翳の傷痕』(NO.788,1970)(美術出版社)「生のフリ−ズ」鈴木正明訳(P25〜45)に拠っています。

画像は、『ムンク画集 油彩、下絵、習作』アルネ・エッグム著/西野嘉章訳(リブロポート)(平成3年12月6日発行)より。

イメージ 1

イメージ 1

"病と狂気と死とが私の揺藍を守る黒い天使たちであった" 
(エドヴァルト・ムンク)
 
今回は、エドヴァルト・ムンク(Edvard Munch)(1863.12/12〜1944.1/23)の作品から、『カ−ル・ヨハンの夕暮』(1892年)、『叫び』(1893年)、『思春期』(1893年)、『接吻』(1892-97年)、『吸血鬼』(1893-94年)、『マドンナ』(1893-95年)といったいわゆる『生のフリーズ』の作品群をご紹介いたします。

芸術家(画家、彫刻家...)の作品を「ことば」で論じる場合、どれだけ、本来その作品が湛えている「実存的な本質」に肉迫できるのか?という疑問に苛まれますが、読了後、皆さんが美術館に行かれたり、書店で画集を手にとられることを期待して、進めてゆきたいと思います。

■エドヴァルト・ムンク(Edvard Munch)略年譜

1863.12.12 オスロ北方のヘドマーク郡リョイテンで生まれる。
1868 母が結核で死去。妹ビヨルスタ嬢が家事を引き継ぐ。
1877 15歳の姉ソフィーエが結核で死去。
1881 オスロの王立美術工芸学校へ入学。
1883 展覧会への初出品。
1885『病める子』の制作に取りかかり、これは翌年に完成する。
1889 初の大々的な個展。11月父が死去。
1892 ムンク事件:ベルリン芸術家協会から展覧会開催の要請を受けるが、協会員の論争と評決の後、一週間で中途閉幕。
1893 「生のフリーズ」の輪郭がまとまり始める。
1894 初めてエッチングと石版画を手掛ける。
1895 弟アンドレアスが死去。
1896 ボードレールの『悪の華(Les Fleurs du Mal)』の挿絵を手掛ける。彩色石版画と最初の木版画の制作、クロの工房の本格的始動。
1902 「生のフリーズ」をベルリン分離派展へ出品。
1904 ベルリン分離派の正会員となる。
1905 ベルリン、プラハで展覧会を開き、大成功を収める。
1908 秋、神経症の発作のためコペンハ−ゲン北郊のダニエル・ヤコブソン博士医院に8ケ月入院。聖オラーブ王立ノルウェー騎士勲章を授与される。
1912 ケルンの分離派国際(ゾンダーブント)展に名誉会員として招待され、セザンヌ、ゴッホ、ゴ−ギャンと並ぶ「現代絵画の柱」としてピカソとともに<特陳室>が設けられる。
1916 首都西郊のクリスティアニアの街はずれにある広大な土地とエ−ケリィ邸を購入し孤独の砦とする。
1923 ドイツ・アカデミーの会員となる。
1930-31 眼疾を患う。
1933 聖オラーブ大十字勲章を授与される。
1936 イギリスで最初の展覧会。
1937 ナチス・ドイツで公共コレクションにあった82点、「頽廃芸術(entartete kunst)」の烙印を押されて没収され、のち競売に付される。
1940 ノルウェーはドイツ侵攻軍に占領されるが、彼らとの接触を一切拒絶。
1943 80歳の誕生日に多くの賞賛を浴びる。
1944.1.23 占領下のエ−ケリィで深い孤絶のうちに永眠。遺言で絵画1,000点、版画14,500点、水彩と素描4,500点、彫刻6点など、手元に残っている作品を、多数の手紙や手稿などとともに、すべてオスロ市へ遺贈。

■『叫び』(1893年)

「生のフリ−ズ」の中核的テ−マとなった不安の系列のピ−クをなす異色作、『叫び』。
ムンクのもっともムンク的な作品として象徴主義的初期表現主義の代表作と目されるこの『叫び』は、当初『絶望』と題されていたその前代未聞の表現性にベルリン・ボエ−ムの仲間たちが与えた解釈から、そう呼ばれるようになったものだといわれています。
絶望は硬直した沈黙を破って叫びとなる...。『叫び』は自然の叫びではなく、人間自身の破局的な絶望と恐怖の叫びにほかなりません。そしてこの虚空にみちた悶絶の叫びに、中央の人物は耳をふさぎ、瞳孔の拡散した両目を虚空に放ち、顔面蒼白、驚愕反射のパニックに陥ったまま、口をあけ、声にならない声をあげて叫んでいます。そう考えれば、この人物は男でも女でもなく、追い詰められた個我の極限状態における実存的様相、みずからの不安に怯える自我自身の惨めな姿の形象化といえるでしょう。(注1)

さらにこの『叫び』の謎を解く鍵ともいえそうなムンクの「散文詩」(1971年に「生のフリ−ズ」のバリエイションとして発見されています)をご紹介しましょう。

"ある夕方、私は道を歩いていた...
片側には市街と港湾が眼下に拡っていた...
私は病んでいた...
私は立ちどまり、ひどく疲れて柵によりかかった...
湾越しに向うをながめた...
そのとき陽が沈み...
蒼黒い江湾と市街の上に...
したたり飛び散る血の雲がひろがっていた...
空は俄に血になった...
友人たちは先へ進み私は一人不安のうちに立っていた...
胸に傷口をあけたまま...
そして私は自然をつんざく「叫び」のようなものを感じた...
私は「叫び」を聞いたように思った..."

「生のフリーズ『叫び』」(エドヴァルト・ムンク)

さらに、1890年代のベルリンの友人の一人[フランス人美術批評家フランツ・セルヴァエス]をして次のように書かしめています。

"・・・人間の本性における原始を見たり、経験したりするため、わざわざタヒチまで出かける必要など彼にはなかった。自らの裡に自分のタヒチを持っているのだから・・・"(注2)

*注1:『ムンク 世紀末までの青春史ドキュメント』鈴木正明著(美術出版社)に拠る。
*注2:『ムンク画集 油彩、下絵、習作』アルネ・エッグム著/西野嘉章訳(リブロポート)に拠る。

●以上、「エドヴァルト・ムンク略年譜」及び「生のフリ−ズ」翻訳は、『ムンク 世紀末までの青春史ドキュメント』鈴木正明著(美術出版社)(昭和53年1月31日発行)、『みずえ 特集:ムンク 孤独の翳の傷痕』(NO.788,1970)(美術出版社)「生のフリ−ズ」鈴木正明訳(P25〜45)に拠っています。

画像は、『ムンク画集 油彩、下絵、習作』アルネ・エッグム著/西野嘉章訳(リブロポート)(平成3年12月6日発行)より。

イメージ 1

イメージ 1

好きな作家の書籍をオリジナル(初版本)でコレクションしてゆくというのは、「時間」と「労力」と「経済力」が必要な茨の道です.....

私も、澁澤龍彦のコレクションに関しましては、大学生時代から最近まで、神保町、早稲田、本郷をはじめ都内の「幻想文学」系図書を扱っている古書店を虱潰しにあたり、東京以外の古書店に関しましてはWEBの「日本の古本屋」「スーパー源氏」etc.で渉猟してまいりました.....経済的にどんなに苦しくても、"探してた本"をつい買ってしまうのが、コレクターの悲しい性であり、愉しみでもあります。
私はだいたい下記のような感じで、「澁澤コレクター道」を辿っていったのですが、まだまだといったところです.....ランクでいうと(5)の部分でしょうか...
本blog読者の皆さんは、どのランクにいらっしゃいますか?

◇「THE澁澤龍彦コレクターの道」◇

■ランク(1):「河出文庫」等で、ふと澁澤龍彦を知り、急速に"ハマる"。

                ↓

■ランク(2):「現代思潮社」、各社翻訳ものにも手をのばす。
    
●澁澤龍彦個人にも興味を持ち、『新潮日本文学アルバム54 澁澤龍彦』(新潮社)、『別冊新評 澁澤龍彦の世界』(新評社)、『ユリイカ〜総特集 澁澤龍彦〜』昭和63年6月臨時増刊号(青土社)及び「ユリイカ」特集号、『澁澤龍彦考』巌谷國士(河出書房新社):『澁澤龍彦を語る』巌谷國士、種村季弘、出口裕弘、松山俊太郎(河出書房新社)、別冊太陽『澁澤龍彦の世界』、『澁澤龍彦の驚異の部屋』(共に平凡社)、別冊幻想文学『澁澤龍彦スペシャル1・2』(幻想文学出版局)etc.で「澁澤龍彦」のプロフィール、作品を入念に辿る。

                ↓

■ランク(3):「澁澤龍彦」の全作品(仕事)を把握すべく、それぞれ大枚6〜8万円を支出して『澁澤龍彦全集』(全24巻)、『澁澤龍彦翻訳全集』(全16巻)(河出書房新社)を購入。
さらに、叢書のヴァージョン違い制覇の欲望にも火がつき、『サド選集』澁澤龍彦(全6巻)(桃源社)、『澁澤龍彦集成』澁澤龍彦(全7巻)(桃源社)、『ビブリオテカ澁澤龍彦』澁澤龍彦(全6巻)(白水社)にも手をのばす。

●関係の深い、三島由紀夫、ジョルジュ・バタイユ、A.P.マンディアルグ、種村季弘、薔薇十字社、牧神社、青土社にもハマりだす。

                ↓

■ランク(4):「桃源社」の初版本蒐集に脚を踏みいれる。
とりあえず、、『黒魔術の手帖』、『毒薬の手帖』、『秘密結社の手帖』の手帖3部作、
『異端の肖像』、『世界悪女物語』(以上、桃源社)あたりから。

                ↓

■ランク(5):よりレアな方向へ、【第一段階】。稀観本をリスト・アップしはじめる。
『血と薔薇』(全4巻)(天声出版)(オリジナル)、
『さかしま』(桃源社)(オリジナル皮装本)、
『貝殻と頭蓋骨』(桃源社)、
『夢のある部屋』(桃源社)、
『かも猟』(ユーゴー・クラウス)(小牧近江と共訳)(村山書店)、
『解剖学者ドン・ベサリウス』【限定200部】【著者本50部】(ペトリュス・ボレル)(しなの豆本の会) etc.

●「桃源社」の初版本も入手済みの初版本を売却し、著者署名本へ買い替える。

                ↓

■ランク(6):かなりレアな方向へ、【第二段階】。
                
『大またびらき』(ジャン・コクトー)(白水社)、
『恋の駆引』(マルキ・ド・サド)(河出書房)、
『エロチシズム』(ロベール・デスノス)(書肆ユリイカ)、etc.

                ↓

■ランク(7):相当レアな方向へ、【第三段階】。(総額500万円〜コース)

●いわゆる、「著者献呈(限定)(豪華)本」(シリアルNo.入りだったりします...)に脚を踏みいれる。
『エムペドクレス』(マルセル・シュオブ)【限定195部】(プレス・ビブリオマーヌ)(1966)、 
『狂王』【限定275部】「総皮装」「局紙装」「三方金」3種有(プレス・ビブリオマーヌ)(1966)、 
『異端の肖像』【限定40部】「夫婦函」(桃源社)(1967)、
『洋酒マメ天国29 NUDEのカクテル』(サントリー)(1968)、
『美神の館』【限定50部】「総皮装」(桃源社)(1968)、
『妖人奇人館』【限定5部】なんと「蛇皮装」(桃源社)(1971)、
『私の処女解体』【限定45部】(書肆科野)(1976)、
『マドンナの真珠』【限定185部】【著者本20部】(池田満寿夫銅版画)(立風書房)(1976)、
『城の中のイギリス人』【限定200部】【著者本30部】(米倉斉加年銅版画)(A.P.マンディアルグ)(白水社)(1982)、etc.

               ↓

■ランク(8):究極の「肉筆原稿」へ、【最終段階】。(青天井)

●澁澤龍彦独特の"カーヴ"を描いた文字.....

●それぞれの、ランクでの澁澤龍彦関連書籍の「品揃え」が素晴らしい古書店は、ほぼ全部把握しておりますが、全く「幻想文学臭のない」普通の学術書系の古書店のお店の片隅にこっそりとコーナーがあったりするから面白いです.....古書探求はやめられません(笑)

画像は、『さかしま』J.K.ユイスマンス/澁澤龍彦訳(桃源社)(初版本:昭和37年8月15日発行)(初回豪華限定/背緑革装)です。

開く トラックバック(28)

イメージ 1

イメージ 1

今回は堂本正樹氏の回想及び『血と薔薇』1〜4号の「背表紙」画像を取り上げてみました。

『澁澤龍彦スペシャル 1 シブサワ・クロニクル』(幻想文学出版局)の「『血と薔薇』の時代」から、『血と薔薇』設立当時における澁澤氏に関する堂本正樹氏の回想部分を抜粋してご紹介しておきます。

"三島由紀夫氏とも前々からの付き合いだったが、その三島氏がお正月、川端康成・林房雄両氏の宅にお年始に行った帰りに、澁澤氏の二階を訪れる。
そこで鎌倉まで乗って来たハイヤーを返す三島氏。気楽に腰を据える姿勢がここにも現れている。三島・澁澤両氏を中心に集った悪童達の大騒ぎは、当時の我らの楽しい、特権的な年頭の行事と成っていたのだ。
・・・・・この沸騰の中から、一冊の雑誌が必然的に生まれでる。
昭和四十三年十一月である。
(途中省略)『男色演劇史』を連載させて貰った私は、残念ながらこの時モデルのお声が掛からず、口惜しい思いをした。(注 1)それで後に、この雑誌の出版元「天声出版」の発展した会社「薔薇十字社」から一冊にして貰った時、白いトレンチコートを着て、レールの上でピストルに撃たれて死ぬ刑事ドラマ張りの場面を「若者ポートレート」として撮り、せめてもの心やりとしたのである。"
(堂本正樹)

(注 1)『血と薔薇 1』の巻頭を飾った「特集1 男の死 LES MORTS MASCULINES」(P1〜)のグラビアのこと

それから、堂本正樹氏は三島由紀夫氏の映画『憂国』、舞台(『熊野・葵上』、『三原色』)の演出家としても知られております。

最後に『憂国』のプレス・シートから主なスタッフetc.を抜粋しておきます。

『憂国』

配給=ATG1966年4月12日 
東宝=ATG共同配給 1966年6月15日
製作 1965年
28分 白黒
製作:三島由紀夫
製作並びにプロダクション・マネージャー:藤井浩明
監督:三島由紀夫
演出:堂本正樹
脚色:三島由紀夫
原作:三島由紀夫
撮影:渡辺公夫
美術:三島由紀夫
メーキャップ・アーティスト:工藤貞夫 
配役 武山信二中尉:三島由紀夫
   その妻 麗子:鶴岡淑子

画像は、『男色演劇史』堂本正樹(薔薇十字社)(初版本:昭和45年4月1日)です。

イメージ 1

イメージ 1

今回は、Vol.0019:『血と薔薇 3』第三号(澁澤龍彦責任編集)(天声出版)に続き、事実上「最終巻」となってしまった『血と薔薇 4』第四号(本号のみ平岡正明責任編集)(天声出版)をご紹介いたします。

神彰(じんあきら)氏から『血と薔薇 4』第四号の編集を任された平岡正明氏は、『ユリイカ』のなかで下記のように回想しています。

"『血と薔薇』は三号までが澁澤龍彦の編集であり、敗戦処理号のかたちとなった四号の編集者が俺だった。その旨を挨拶に行ったとき、澁澤龍彦はこう言った。
 
− きみが損するよ。神彰には金がない。

俺は、ひきうけてから事情がわかったが、こちらもひっこみがつかなくなった、やらせてもらいますと答えたように記憶している。
場所は北鎌倉の彼の家だった。書斎の籐椅子にすわり、つむぎの和服を着て、背後の壁には『英名二十八衆句』中、大蘇芳年の「稲田九蔵新助」(女を鮟鱇の吊し斬りにしている絵)がかかっていたような気がするが、それは以前に訪れた滑川わきの家と記憶がまざりあっているかもしれない。
彼を肝甕の如しと評したのは三島由紀夫だったと思う。この評言はサド裁判時の度胸のよさにてらして世人を納得させるものがあるが、そのほかに、ごく日常的な場面での澁澤龍彦の気腑のよさをさしているのではないかとも思っている。ただその種の澁澤龍彦伝説は住む世界を異にしたので俺は知らない。俺に言えることは、『血と薔薇』ひきつぎの時点で会った澁澤龍彦に侠客の風格を感じたということである。"
(平岡正明)

「澁澤龍彦の侠 ■雑誌『血と薔薇』とその後」
『ユリイカ〜総特集 澁澤龍彦〜』昭和63年6月臨時増刊号(青土社)所収

さて、最終巻コンテンツは以下のとおり。

特集=生きているマゾヒズム

マゾヒストの精神病理                 伊野 浩 P 20
いそぎんちゃくの思想−菊屋橋101号ノート       平岡正明 P 30
鬼胎誕生−A・チマサヲの出産記による交感価値の測定  足立正生 P 38
    (スクリーン)
切り裂かれた銀幕−映画におけるサド・マゾ幻想     佐藤重臣 P 47
ファンタジー
ガラスのヴァギナ 唐 十郎 P 67

カラーオフセット・子宮幻想 カメラ・吉岡康弘 P 3

ブラック・ポルノグラフィー家畜人ヤプー 沼 正三 P205
原理としてのマゾヒズム−<家畜人ヤプー>の考察    安東 泉 P274

エッセイ・日本の天上界 稲垣足穂 P 82

グラビア/まだとむらいの序の口 カメラ・吉岡康弘 P197

詩・みごとな新世界 田村隆一 P 78

小説『少女地獄』より 火星の女 夢野久作 P 93

<薔薇画廊>ハンス・ベルメール 解説 ・桑原住雄 P153

責め絵/英名二十八衆句         浮世絵提供・山本 孝 P 93

小説 美女破壊工房                 平岡正明 P162

悪魔儀礼と黒ミサ 吉田八岑 P 80
黄泉からのオルグ/M・モンロー解裂 木下成人 P186

血と薔薇 次号予告

表紙・イメージティレクション=粟津潔 木下太郎   カット=山本美智代 小笠原正勝
イラストレーション=渋川育由 中村宏 西部亮一 宮下芳子 橋本修

画像は、平岡正明責任編集『血と薔薇 4』第四号(天声出版)(昭和44年6月1日発行)です。

全8ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事