◆デカダンスの彼方へ.....◆

"デカダンス"「映画」「文学」「美術」を語りましょう♪

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大富豪ゲラルディーニ邸で開かれていたパーティーの夜明け・・・ゲラルディーニ邸の庭からそのまま繋がっているプライベート・ゴルフ場に歩いてゆくジョヴァンニ Giovanni(マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianni)とリディア Lidia(ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau)・・・。

以前(10年前)、2人が愛に溢れていた時期に、ジョヴァンニ Giovanniがリディア Lidiaに贈った「ラブ・レター」を、リディア Lidiaが"夫婦の愛の倦怠の哀しみに打ちひしがれ"、失意のあまり、バンカーのへりに腰掛けて、ジョヴァンニ Giovanniに朗読して聴かせるシーンがあります。

まさに"一撃必殺"のラブ・レター。

結婚10年目。
当代一流の人気作家に上り詰め、上流の社交界でのサイン会、パーティーが日常になっているジョヴァンニ Giovanni。
ジョヴァンニ Giovanniは、"その手紙"が、自分が10年前にリディア Lidiaに書いた「恋文」であることさえ忘れてしまっています。


■リディア Lidia(ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau)はジョヴァンニ Giovanni(マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianni)に語りかけます。

リディア Lidia:"今夜、死にたいと思ったのは、あなたを愛していないからよ。
        だから絶望しているの・・・。
        私が老婆なら、あなたに生涯を捧げたことになるのに、もう愛せないのだから、生きてても無駄よ・・・これが私の考えよ。
        あなたがナイト・クラブで退屈してた時にね・・・。"
ジョヴァンニ Giovanni:"君がそういうのは・・・死にたいというのは、僕を愛している証だ。"
リディア Lidia:"いいえ。同情してるだけよ。"
ジョヴァンニ Giovanni:(バンカーの脇に腰をおろし)
             "君に与えたものは何もない。僕は少しも気づかなかった・・・。
             愚かにも、人生を無駄に生きてきた・・・取るだけとり、与える事はしなかった.....。
    価値のない男だと言うならそれが正しい。"
リディア Lidia:・・・・・・。
ジョヴァンニ Giovanni:"愛してる.....今も君を愛してる。言えるのはそれだけだ。
              さあ、帰ろう!"
リディア Lidia:(ハンドバックから、便箋を取り出して、突然朗読を始める・・・そして、朗読が終わる。)
ジョヴァンニ Giovanni:(あまりにも"情熱的"な「恋文」に圧倒された感じで・・・)
             "誰からの手紙だ?・・・"
リディア Lidia:"あなたからのよ・・・。"
ジョヴァンニ Giovanni:(言葉を失い.....愕然として恥入るジョヴァンニ。
              リディアの手の甲に浴びせるようなKISSをし・・・そして感極まったジョヴァンニはリディアをバンカーに押し倒し、情熱的に掻き抱き、愛撫する・・・。)
             
(ジョルジョ・ガスリーニ Giorgio Gasliniの咽び泣くテナー・サックスのメロディーとともに"FINE"のクレジット)


■ジョヴァンニ Giovanni(マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianni)からリディア Lidia(ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau)への「ラブ・レター」

"今朝、目覚めたら君は眠っていた・・・。
眠りから覚めながら君の優しい寝息を感じた。
君の顔にかかる髪を透かして君の閉じた目が見えた・・・。

いとおしさで、息苦しい程だった・・・。
僕は叫びたかった。
疲れ切った君を揺さぶり起したかった・・・。

薄日の中で君の腕や喉が生き物の様に見えた。
君のその肌に唇を寄せたかった・・・。
だが眠りを妨げない様に
僕は君を腕の中に抱きはしなかった・・・。

僕だけの君をそっとしておきたかったからだ。
永遠に君の像を
君の持つ清らかさが僕をも清めてくれた。

君は僕を包んでくれた・・・僕の全生涯を・・・僕の未来を。
君に出会う前の何年間までも包んでくれた・・・。
それは目覚めの奇跡だ。

その時僕は、君は僕のものと感じた。
今も・・・寄り添って寝る夜も。

君の血の温かさや考えや意志が僕に溶け込む。
その時、君に深い愛を感じ、
僕は感動の余り、目に涙さえ浮かべるのだ。

僕は永久に変わらぬと思った。
毎朝同じ目覚めの奇跡を感じると思った。

君は僕のものだけではなく、僕の一部だ。
これを崩すことは何ものにもできない。
ただ日々の習慣が、冷酷にもこれを崩すかと不安だ・・・。

その時、君が目覚め、微笑んで僕に接吻した。
僕たち2人の間には、何の不安もない事を確信した。
僕らの絆は時や習慣より強いことを・・・。"


●『夜 / LA NOTTE』(1961)
監督:ミケランジェロ・アントニオーニ Michelangelo Antonioniより。

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あなたは.....誰かに"渾身のラブ・レター"を書いたことがありますか?

そう、"渾身で"です。

全身全霊で、相手の女性の"髪の匂い"を感じ、"美しい瞳"、"愛らしい唇"、"しなやかな指先".....光輝燦然たるわが"ミューズ"に想い焦がれながら.....。

相手が便箋を開けると、あなたの"愛の雫"が滴り落ちるような「恋文」をです。


1960年代を代表する最高のイイ男とイイ女、マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianniとジャンヌ・モロー Jeanne Moreau....."ファム・ファタール famme fatale"を演じさせたら世界一似合う女=ジャンヌ・モロー Jeanne Moreauも、『わかれ路 / INTERSECTION』(1994)に出演していたときのシャロン・ストーン Sharon Stone並に、((『クレーブの奥方』までとはいいませんが)"貞淑"で"たおやかな"カワイイ女を演じています。

■『夜/LA NOTTE』(1961)ミケランジェロ・アントニオーニ Michelangelo Antonioni

■解題

ある土曜日の昼間から翌日の夜明けまでのミラノ.....。
無味乾燥な町の、風景や建築物がシンボリックに映し出され、現代人の言い知れぬ孤独が浮かび上がってきます。

1960年代、イタリアの高度経済成長はピークを迎えました。ミケランジェロ・アントニオーニの「愛の不毛」3部作やフェデリコ・フェリーニ Federico Fellini『甘い生活 / LA DOLCE VITA』(1960)は、高度経済成長下のイタリアの中産階級やブルジョワ社会を鋭く描き出しています。
これらの作品の主人公は建築家や作家、株式仲買人、ジャーナリストなどの知的職業に就いています。彼らは経済的に安定していますが、生きる目標を失い、彼らの生活からは"倦怠感"が漂っています。この"倦怠"こそ(かれらが認知することもなく静かにかれらの体内で進行していた)かれらの精神を蝕む病巣だったのであります。

アントニオーニの「愛の不毛」3部作の主人公たち(『情事 / L'AVVENTURA』(1960)のサンドロ、『夜 / LA NOTTE』(1961)のジョヴァンニ、『太陽はひとりぼっち / L'ECLISSE』(1962)のピエロ)は『甘い生活 / LA DOLCE VITA』(1960)のマルチェロと似たところがあります。マルチェロはエンマ(イヴォンヌ・フェルノー)と同棲していますが、彼女と結婚する決心がつきません。彼はブルジョワの娘マッダレーナ(アヌーク・エーメ)とも関係を持っています。ハリウッドから来たグラマー女優シルヴィア(アニタ・エクバーグ)にうつつを抜かしますが、結局徒労に終ってしまいます。そして、貴族の舘でのパーティー(肝試し)でアメリカ人の女流画家と一夜を共にしてしまいます。一方、嫉妬深いエンマに辟易しながらも、彼女と別れるでもない。このようにマルチェロ及び他の3主人公の女性関係は、惰性で行き当たりばったりで、彼らの愛情生活はまさに"不毛"というほかはないでしょう。

■解説

「愛の不毛」3部作、『情事 / L'AVVENTURA』(1960)、『夜 / LA NOTTE』(1961)、『太陽はひとりぼっち / L'ECLISSE』(1962)で有名なミケランジェロ・アントニオーニ Michelangelo Antonioniとエンニオ・フライアーノ Ennio Flaiano、トニーノ・グエッラ Tonino Guerraが共同で脚本を執筆、結婚10年目の"倦怠期"の夫婦の生活を描いたもので、ベルリン映画祭でグランプリ(「金熊賞」)を受賞しています。撮影監督は、アントオーニ組のジャンニ・ディ・ヴェナンツォ Gianni Di Venanzoで、音楽はイタリア・ジャズ界の鬼才といわれるジョルジョ・ガスリーニ Giorgio Gasliniが担当しています。

出演者には『死刑台のエレベーター/ SACCO E VANZETTI』(1957)、『恋人たち / LES AMANTS』(1958)、『危険な関係 / LES LIAISONS DANGEREUSES』(1959)、『雨のしのび逢い / MODERATO CANTABILE』(1960)、『突然炎のごとく ジュールとジム / JULES ET JIM』(1961)、『エヴァの匂い / EVA』(1962)、『鬼火 / LE FEU FOLLET』(1963)、『小間使いの日記 / LE JOURNAL D'UNE FEMME DE CHAMBRE』(1963)、『審判 / LE PROCES』(1963)etc.の"famme fatale"を演じさせたら世界一(今回は違いますが...)のジャンヌ・モロー Jeanne Moreau、『甘い生活 / LA DOLCE VITA』(1960)などフェデリコ・フェリーニ Federico Fellini作品では常連で、ルキノ・ヴィスコンティ Luchino Visconti、ヴィットリオ・デ・シーカ Vittorio De Sica作品などに出演し、イタリアを代表する俳優マルチェロ・マストロヤンニ、『情事 / L'AVVENTURA』(1960)をはじめ「愛の不毛」3部作には全て出演し、一時はアントニオーニの"プライベート"なパートナーでもあったモニカ・ヴィティ Monica Vitti、またドイツから『橋』の監督ベルンハルト・ヴィッキ Bernhard Wickiがジョヴァンニ Giovanni(マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianniの親友の文芸評論家トマゾの役で特別出演しています。

■あらすじ

ある日の午後、作家のジョヴァンニ Giovanni(マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianni)と妻リディア Lidia(ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau)は、病床の夫婦共通の友人である文芸評論家トマゾを見舞います。トマゾの病気は回復の見込みがない末期癌です。トマゾはジョヴァンニの親友であり、若い頃から3人は友人で、以前、ジョヴァンニもトマゾもリディアにそれぞれ別に告白した間柄でした(結局、リディアはジョヴァンニを選んだのであります。)。2人の文士、新進作家と文芸評論家に、ほぼ同時に愛の告白を受け、(巻末の大富豪ゲラルディーニのパーティーの明け方、リディアの独白でもわかるように)単に"愛を語る"のではなく、自分の"主張""物語"を熱心にリディアに話してきかせることを喜びとしていたジョヴァンニの"新鮮さ"に惹かれてゆきます。以前からトマゾはリディアを愛していましたが、彼女は結局ジョヴァンニを選び結婚してしまいました。

彼女は作家夫人として何不自由のない毎日を送っていますが、その生活に何か得体の知れない茫漠たる不安が徐々に広がっていきます。結婚前には固く二人を結びつけたはずの「愛」を見失ってしまったと感じたとき、彼女の心にポッカリ空洞があいてしまいます.....。2人の乗った車は近代的なミラノの街並みを縫っていきます。自動車は近代的で最先端の美しい建物の前へ止ります。そこは、各界のセレブ達が集う"サロン"と化していました。そこではジョヴァンニの「新作」の書籍のサイン会が行われるのです。なぜかその"空気"にいたたまれなくなったリディアはひとり近代的なミラノの街に徒で吸い込まれていきます.....。幾何学的な白いコンクリートの直線風景。郊外のうら寂しい家並み。そのまま彼女の心象風景を表しているかのような、表通りの華やかで近代的な町並みとは対照的な荒涼とした原風景的なシークエンス.....。

その夜、二人は男女の黒人ダンサーが妖艶かつデカダンなダンスを披露している「ナイト・クラブ」に遊びにゆきます。「ナイト・クラブ」に退屈したニ人はそれから、大富豪ゲラルディーニのパーティーへ行きます。会場でジョヴァンニは、ゲラルディーニの娘バレンチナ(モニカ・ヴィッティ Monica Vitti)に出逢い、魅了されてしまいます。彼の視線はたえず彼女を追います。ジョヴァンニはゲラルディーニの娘バレンチナ(モニカ・ヴィッティ Monica Vitti)に、妻リディアはゲラルディーニのパーティーの招待客ロベルト(ジョルノ・ネグロ Giorno Negro)にとそれぞれ、パーティーで出会った男女に誘惑され、パーティーの一夜を別々に過ごしてしまいますが、一抹の"アヴァンチュール"の香りを残しただけで、不発に終ってしまいます。一方、トマゾの容態が心配で病院へ電話したリディアはトマゾの死を知ります。リディアの胸中で何かが音をたてて崩落してゆきます.....。ポーチの隅で夫ジョヴァンニとバレンチナが接吻してるのを見ても、嫉妬の感情すら...つまり何の感情もわかなかったのであります。PARTY IS OVER.....。

「夜」を別々のシチュエーションで過した夫と妻に「夜」は何ももたらしはしませんでした。"愛撫"も"波瀾"も"憎悪"も"事件"もなかったのであります。二人はゲラルディーニ邸の広漠とした庭に彷徨い出ます.....そして、プライベートゴルフ場の一隅(バンカー)に辿り着き、座ります。「トマゾが死んだわ.....。」リディアはポツリと言います。それからトマゾへの過去の自分の気持、それから、リディアは"夫婦の愛の倦怠の哀しみに打ちひしがれ"、失意のあまり、ハンドバッグから"便箋"を取り出し、ジョヴァンニに朗読して聴かせます。それは実は、10年前(婚約〜新婚時代)にジョヴァンニがリディアに書き贈った"ラブ・レター"でした.....いったい燃え滾る"その愛"はどこへいったのか?.....今は二人の間には冷々とした"倦怠"があるだけです。あまりにも"情熱的"な「恋文」の文体に圧倒されジョヴァンニはリディアに尋ねます。「誰からの手紙だ?.....」と。リディアは答えます。「あなたからのよ.....。」

ジョヴァンニは言葉を失い、愕然として恥入ります.....リディアの手の甲に浴びせるようなKISSをし.....そして感極まった(自分がまだリディアに対する愛の炎の残滓が残っていることを確認した)ジョヴァンニはリディアをバンカーの砂の上に押し倒し、情熱的に掻き抱き、愛撫します.....。


●スタッフ

監督:ミケランジェロ・アントニオーニ Michelangelo Antonioni
脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ Michelangelo Antonioni / エンニオ・フライアーノ Ennio Flaiano / トニーノ・グエッラ Tonino Guerra
撮影:ジャンニ・ディ・ヴェナンツォ Gianni Di Venanzo
音楽:ジョルジョ・ガスリーニ Giorgio Gaslini
美術:ピエロ・ズッフィ Piero Zuffi

●キャスト(役名)

ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau(Lidia)
マルチェロ・マストロヤンニ Marcello Mastroianni(Giovanni)
モニカ・ヴィッティ Monica Vitti(Valentina Gherardini)
ベルンハルト・ヴィッキ Bernhard Wicki(Tammaso Garani)
ロージー・マッツァクラーティ Rosy Mazzacrati(Rosy)
マリア・ピア・ルージィ Maria Pia Luzi(Patient/Ninfomania(色情狂))
ヴィンツェンツォ・カルベラ Vincenzo Corbella(Mr.Gherardini)
ギット・マグリーニ Gitt Magrini(Mrs.

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■監督 Michelangelo Antonioni (ミケランジェロ・アントニオーニ)・・・1912年9月29日〜 

■イタリア中部フェラ−ラ生まれの映画監督・脚本家にして、画家。ボローニャ大学で経済学を学んでいます。学生時代からイタリアの地方紙に映画批評を寄稿し、1939年に映画雑「チネマ」の編集部員となっています。1940年、ローマに移り、「チネチッタ」の撮影技術センター(CENTRO SPERIMENTALE DI CINEMATOGRAFIA)で技術を研鑽します。ここで彼は、その後に一緒にイタリア映画を先導してゆくことになる何人かの映画技術者(監督)たちと運命的な出合いがあります。

なかでも、ロベルト・ロッセリーニ Roberto Rosselliniとの出会いは重要で、1942年に監督のもとで『飛行士還る / UN PILOTA RITORNA』のシナリオを執筆、同年にマルセル・カルネ Marcel Carne監督の『悪魔が夜来る / LES VISITEURS DU SOIR』(1942)に助監督として参加、1950年に『ある愛の記録 / CRONACA DI UN AMORE』(1950)で長編監督デビューを果たしています。1960年の『情事 / L'AVVENTURA』がカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞、世界的に名を知られるようになりました。『太陽はひとりぼっち / L'ECLISSE』(1962)、『赤い砂漠 / DESERTO ROSSO』(1964)など、「愛の不毛」、「現代人の孤独」や荒涼とした"砂漠のような"(ある意味、初期のピエロ・パオロ・パゾリーニ Pier Paolo Pasolini監督的な)「絶望感」を描くのが得意であり、作風ともいえるでしょう。1967年、『欲望 / BLOW-UP』(1966)でカンヌ国際映画祭パルム・ド−ルを受賞しています。

■監督作品

●『ある愛の記録 / CRONACA DI UN AMORE』(1950)
●『敗北者たち / I VINTI』(1952)
●『巷の恋 AMORE IN CITTA』「第二話 自殺未遂 TENTATO SUICIDIO」(1953)
●『女ともだち / LE AMICHE』(1956)
●『さすらい / IL GRIDO』(1957)
●『情事 / L'AVVENTURA』(1960)
●『夜 / LA NOTTE』(1961)
●『太陽はひとりぼっち / L'ECLISSE』(1962)
●『赤い砂漠 / DESERTO ROSSO』(1964)
●『欲望 / BLOW-UP』(1966)
●『砂丘 / ZABRISKIE POINT』(1969)
●『中国 / CHUNG-KUO』(1972)
●『さすらいの二人 / PROFESSIONE:REPORTER』(1974)
●『オベルヴァルトの謎 / IL MISTERO DI OBERWALD』(1979)
●『ある女の存在証明 / IDENTIFICAZIONE DI UNA DONNA』(1882)
●『愛のめぐりあい / AL DI LA DELLE NUVOLE』(1995)
●『愛の神、エロス / EROS』(2004)*ウォン・カーワァイ、スティーヴン・ソダ−バーグとのオムニバス作品。

■原作

●『欲望 / BLOW-UP』(1966)
●『砂丘 / ZABRISKIE POINT』(1969)
●『ある女の存在証明 / IDENTIFICAZIONE DI UNA DONNA』(1882)

■原案

●『さすらい / IL GRIDO』(1957)

■脚本

●『女ともだち / LE AMICHE』(1956)
●『さすらい / IL GRIDO』(1957)
●『情事 / L'AVVENTURA』(1960)
●『夜 / LA NOTTE』(1961)
●『太陽はひとりぼっち / L'ECLISSE』(1962)
●『赤い砂漠 / DESERTO ROSSO』(1964)
●『欲望 / BLOW-UP』(1966)
●『さすらいの二人 / PROFESSIONE:REPORTER』(1974)
●『ある女の存在証明 / IDENTIFICAZIONE DI UNA DONNA』(1882)

■脚色

●『砂丘 / ZABRISKIE POINT』(1969)

■編集

●『ある女の存在証明 / IDENTIFICAZIONE DI UNA DONNA』(1882)

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"1週間前にベティと出会い、毎晩セックスした。"
"嵐の前ぶれだった....."

(『ベティ・ブルー〜愛と激情の日々〜 / 37°2 LE MATIN』巻頭字幕スーパーより)

"狂気の愛"、"愛の狂気".....。


■わたしの『ベティ・ブルー〜愛と激情の日々〜 / 37°2 LE MATIN』論

●映画関係のサイトでレビューを覗いてみると、"賛否両論"。

それは何故でしょう?

それは、この映画が身をもって「理解できた」か「理解できなかった」かの違いなのでしょう。
常夏の赤道直下の国へ行って、凛とした「雪」の降る美しさを"言葉"のみで語ってその本質が果して伝わるでしょうか?
ユーラシア大陸の内陸部(たとえばモンゴル)に行って、紺碧の「海」の潮騒や潮の馨りを"言葉"のみで語ってその本質が果して伝わるでしょうか?
答えは「否」です。

人生にはその個人の「経験値」を超えてしまうと、「想像」や「情報」でしか理解できないことがたくさんありますし、われわれ自身が"百科事典"になる必要は全くないのですから、学校で学習する「最大公約数」的な必須の知識を超える「専門的」な知識と「アウトロー的」な知識、逆にわれわれはそういった知識を全部鵜のみにして取り込む(知る)必要もないと考えます。

映画関係のサイトのレビューで本作を「くだらない...」云々のコメントを見るとがっかりします。このような、「映画のほうで観る人間を選ぶ」ような映画の場合、「映画(監督、製作者サイド)」のほうでも、八方美人的な阿諛は一切ないはずです。

「くだらない」「皮層的だ」と"偽善者ぶる"前にひとこと、(わたくしも本作を完全に理解しているなどと僭越なことは申しませんが)「自分の理解の限界を超えている。」、「理解できない。」、ただそれだけでいいのではないでしょうか?

●これは、実際にベティみたいな女性と付き合ったことがなければ描けないリアリズム、エミール・ゾラ以上のリアリズムです。

間違いなく原作・脚本のフィリップ・ディジャンは、ベティと等身大の女性を愛したことがあるのでしょう.....

"femme fatale(ファム・ファタール)"の最左翼.....

わたしも10年くらい前にベティそっくりの"気質"をもった女性と付き合ったことがありました(現在は全く連絡をとっておりませんが、その女性は現在も健在のはずです).....
ベティのような女性は、"こわれやすい"しかし常人の何倍も"繊細"で"pureな魂"を持った天使だといえます。

リチャード・ギア主演の『心のままに / Mr.JONES』ではありませんが、もしその女性を愛しているなら決して「治そう」と思うのは間違いです。
何故なら「現状」が、彼女にとっての「スタンダード(正常)」なのですから.....

こっちに「合わせさせる」のではなく彼女に「合わせて」あげましょう。それができないのであれば、彼女のために"きっぱり"別れてあげましょう。そのほうがお互いのためです。
私も精神科医ではないので、"統合失調症(躁鬱病)"や強度の"ヒステリー"に対する正確な臨床的な対応、カウンセリング術は知らないですけれども、自分がかつて愛したベティのような女性との経験からすると、彼女の世界の"正常なバランス"を保つには、"愛"しかありません.....それも全てを犠牲にして、"献身的におしみなく与える愛"しかありません。それに必要なのは、男のキャパシティ(包容力)。精神的、肉体的な強靱さ。

現実の世界で、ベティのような女性と知り合ってしまった男性諸氏!彼女を本当に愛しているのであれば"愛"に殉じてください。
われわれは、6・3・3制の偽善的、マークシート的画一化社会の中で「根拠なきスタンダード」を盲信し、安逸を貪っている。そして豚のように眠る.....

いったいこの世の中何が「確か」なのでしょうか?何故、誰もその根源のところ、「本質」を疑わないのでしょう?
われわれからみれば「狂人」でも、「狂人」の側からみればわれわれが「狂人」にちがいありません。まさにピエール・ブールが『猿の惑星 / PLANET OF THE APES』で暴いてみせた世界。

『ベティ・ブルー〜愛と激情の日々〜 / 37°2 LE MATIN』のベティ(ベアトリス・ダル)と、『心のままに / Mr.JONES』のジョーンズ(リチャード・ギア)はこの欺瞞に満ちた現代の「統合失"疑"症」的社会という伽藍を突き崩しているといえましょう。

■内容に関して

●タイトルについて

これも山のような解釈があるようですが、わたくしは下記のように解釈しております。
「37°2 LE MATIN」、直訳すると"朝、37度2分"。

一般的には、女性が一番妊娠しやすい体温だとされており、これに関連づける解釈が多いようです。
わたくしは、「微熱」と解釈しております。われわれの通常の体温は36°前後。しかし、血液型でRh-AB型の方もいれば、身長が2m超の方もいます。
37°2の体温を「平熱」と考えると、36°は異常に低い体温になります。つまり37°2 という「微熱」の体温は、ベティの「平熱(スタンダード)」=「激情型(躁鬱、強度のヒステリー)」という人格のアレゴリーと解釈しております。

●ベティの炯眼について

"こわれやすい"しかし常人の何倍も"繊細"で"pureな魂"を持ったベティ.....
それゆえ、その神がかった、ことの「本質」をとらえてしまう"天使の眼"は、社会のさまざまな欺瞞を見抜いてしまい、それに我慢ができません。

ゾーグの足元を見てそれにつけ込むずる賢い親方、大手出版者の編集長の座に胡座をかいて"新人発掘"の気が全然ない怠慢編集者、ピザ・レストランで店員であるベティに"欲求不満"の八つ当たりする女性客、彼ら全員にベティはキレる.....さらに、ゾーグの小説家としての才能を発見し、近所の雑貨店(スーパー)の少年のピアノの天才的な才能も見抜いてしまいます。

●ベティ="あげまん"

精神と人生の破滅という下降線を辿ってゆくベティとは対照的に、ゾーグは、「修理工」→「ピザ・レストラン店員」→「ピアノ店主」→本物の「小説家」と人生が上昇してゆきます。ベティのお蔭で.....

●オープニングについて

クレーン使用による、俯瞰カットからのオープニング。押し掛け女房的に登場する、ベティ(ベアトリス・ダル)。

よく見ると、「裸にエプロン」です。
ここからジャン=ジャック・ベネックス監督のベティに関する常軌を逸した"アブナイ女"の気配を漂わせる演出がスタートします。

●ゾーグの職業について

まあどうでもいいことですが、たまたま巻頭の海浜地区のレンタルのコンドミニアムの住込み管理人をやってて、オーナーに足元を見られて"ペンキ塗り"をやらされているので、ペンキ職人と書かれていますが、リサ(エディの彼女)の配管を直してたくらいですから、修理屋、今で言う「便利屋」といったところではないでしょうか?

●ジャン=ジャック・ベネックス監督の「小わざ」いろいろ

巻頭のペンキ塗りのシーンでゾーグの脇でアルト・サックスを吹いていたおじいさんは渋かったですよね。それから、旧式のイエローのベンツのバック・トランクからゾーグがベティの誕生日のケーキを取り出すシーン、自分のピアノ店に戻って来ると近所の雑貨店(スーパー)の悪戯好きな少年が驚くべき腕でピアノを弾きこなしているシーン.....とりわけ、好きなのは「テキーラ・ラピド」!! わたくしも学生時代、ディスコやBARで、カウンターで"バーン""シュワー"とやってました。


"ボクは人生の意味を求めてきた.....。"
"君と生きることこそボクの生きがいだ。"

(『ベティ・ブルー〜愛と激情の日々〜 / 37°2 LE MATIN』字幕スーパーより)

P.S.ジャン=ユーグ・アングラード Jean-Hugues Anglade、まさにフランスのAL PACINO、シビレます。


■『ベティ・ブルー〜愛と激情の日々〜 / 37°2 LE MATIN』1986年(フランス)

監督:ジャン=ジャック・ベネックス Jean-Jacques Beineix
脚本:フィリップ・ディジャン Philippe Djian
原作:フィリップ・ディジャン Philippe Djian
撮影:ジャン=フランソワ・ロバン Jean-Francois Robin
音楽:ガブリエル・ヤーレ Gabriel Yared
出演:ベアトリス・ダル Beatrice Dalle
ジャン=ユーグ・アングラード Jean-Hugues Anglade
コンスエロ・デ・ハヴィランド Consuelo de Havilland
ジェラール・ダルモン Gerard Darmon

画像は、映画『ベティ・ブルー〜愛と激情の日々〜 / 37°2 LE MATIN』(オリジナル・レンタルビデオ)CFX-3907(CBS / FOXビデオ・ファーイースト株式会社)です。

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