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文学

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HIDETO.K的「文学」書評、作家・作品紹介。
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さて、コンテンツは以下のとおり。

タイトル:『血と薔薇 1』 エロティシズムと残酷の綜合研究誌

■血と薔薇宣言                        
P22

■特集1
P 1

男の死 LES MORTS MASCULINES

"エロティシズムとは 死にまで高められた生の讃美である"
ジョルジュ・バタイユ

「聖セバスチャンの殉教」/「溺死」 
モデル:三島由紀夫、カメラ:篠山紀信
「オルフェの死」
 モデル:中山仁、カメラ:細江英公
「サルダナパルスの死」
モデル:澁澤龍彦、カメラ:奈良原一高
「情死」
 モデル:土方巽、萩原朔美、カメラ:深瀬昌久
「横死」
 モデル:唐十郎、カメラ:深瀬昌久
「ピエタ」/「キリストの昇天」
モデル:土方巽、カメラ:早崎治
「決闘死」
モデル:三田明、カメラ:細江英公

エッセイ

All Japanese are perverse 三島由紀夫
P26
アフロディテ=ウラニア      稲垣足穂
P32
一枚の魔女の図に       埴谷雄高
P58
妄想の構図 吉行淳之介
P70
処女である男たち 小川徹
P174
沈黙といけにえ 宗谷真爾
P136

東洋のエロス〜特に中近東を中心に〜 大場正史 P62

食事には、女陰もなく死もない
〜ヘンリー・ミラー手紙抄〜      訳 中田耕治 P40

ムッシュー・ニコラ
〜むきだしの男心〜  ド・ラ・ブルトンヌ 訳 生田耕作
P126

女性と性        マリー・ボナパルト 訳 佐々木孝次
P138
  
*血と薔薇コレクション
ポール・デルヴォー
Collection "Le Sang et la Rose" PAUL DELVAUX P48 
  
アポリネールの猥褻小説(ポーノグラフィ)
「一万一千の鞭」         飯島耕一
P120

ヴィタ・セクスアリス   太初に足ありき    長沢節
P172

■特集2

吸血鬼 VAMPIRE
P72

吸血鬼幻想           種村季弘
吸血鬼の城           亀山巖
吸血鬼A             野中ユリ
吸血鬼の肖像―鈴木康司 アルバム吸血鬼―堀内誠一

■特集3

苦痛と快楽 Musee des Supplices
P177

拷問について            澁澤龍彦

*悦楽園園丁辞典 1        塚本邦雄
P106   

*男色演劇史 1   堂本正樹
P100

わがカーマスートラ   
序章=愛する少年よ    高橋睦郎
P168

斜めになった狭い道を歩いていくと
ロジェ・ペールフィットのエロティックな物語    植草甚一
P212

インド古詩
シュリンガーラ・ティアラカ
 ―恋愛の額飾り―    訳 松山俊太郎
P161

*カラーフォト・エッセイ
Daphnis et Chroe
ダフニスとクロエ             カメラ 立木義治
P145

■特集4

オナニー機械 ONANIE MACHINE
P88
競作/カラー・オフ

飯田善国   中西夏之
池田満寿夫  長沢節
カルロス・マルキオリ
金子國義   堀内正和
鈴木康司   横尾忠則

資料編   トミー・ウンゲラー/他
P97

独身者の機械             種村季弘

■小説

膣内楽                 加藤郁乎
P112

八重霞    武智鉄二
P193

*『閉ざされた城の中で描かれたイギリス人』              
          P・モリオン    訳 澁澤龍彦
P204

血と薔薇次号予告
P224
扉/血と薔薇宣言カット=水野卓史
題字/編集美術=堀内誠一

【本文より】

"「猥褻な行為が羞恥心の冒涜的逆転であるように、拷問は憐憫の冒涜的逆転である」とティエリ・モーニエが書いているが、たしかに、拷問は猥褻行為に似て、非連続の人間が連続を求めるための手段、ほとんど絶望的なコミュニケーションのための手段であると見なすことができるようである。"

"拷問の最終的完成、拷問のオルガスムは死である。"

(特集3 苦痛と快楽 Musee des Supplices所収 「拷問について」澁澤龍彦より)

さらに、澁澤氏は「拷問の動機分類」として、ロラン・ヴィルヌーヴの『拷問博物館』(1968年)より、次の9項目を挙げています。
(1)戦争の後遺症
(2)復讐
(3)宗教
(4)魔術
(5)刑罰の要求
(6)実利的な動機
(7)自白の強制
(8)いわゆる科学的研究
(9)エロティシズム

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『血と薔薇』.....。
"幻妖"な雑誌です。.....計算されたタイトルもマニア心を擽ります。
皆さんは、澁澤龍彦氏が責任編集をしていたこの幻の雑誌をご存じですか?

今回は、Vol.0012:『ユリイカ〜総特集 澁澤龍彦〜』昭和63年6月臨時増刊号(青土社)の中でふれた『新潮日本文学アルバム54 澁澤龍彦』(新潮社)の「評伝 澁澤龍彦」(種村季弘)の第3章(P50)"『血と薔薇』の時代"(昭和41年〜昭和45年)で紹介されている『血と薔薇』(天声出版)をご紹介しましょう。
さらに、『血と薔薇』はビジュアルを駆使した叢書で"表1"の画像をご紹介するだけでは、とてももったない中身の濃い"グラビア"や"図像"が各号とも多数収録されておりますので、機会あるごとに、「COFFEE BREAK」コーナーでスキャンした画像をアップしてゆきたいと考えております。

『ユリイカ』の向こうをはった"高級エロティシズム雑誌"(昭和43年当時で1,000円 !!)。
創刊当時、時代はまさに"高度経済成長時代"。大量生産、大量消費という表層的な美徳のもとに、"昭和元禄"と呼ばれた世の中で人々が平和と倦怠のなかに安住していた時代.....。
こうゆう時代は、頽唐期のローマがネロやヘリオガバルスを生んだように、われわれの弛緩した感性を覚醒するような(時代にとっての)"暴君"や"毒"(サブ・カルチャー)の生まれてくる恰好の土壌なのでしょう。
"地獄の華"がぽつりぽつりと咲いてゆくように、「桃源社」、「薔薇十字社」、「牧神社」、「創土社」etc.が挙って、19世紀末の頽廃的・デカダンな文学、幻想文学を世に送り出してゆきます。

創刊号から第3号までは編集主幹を澁澤龍彦氏がつとめ、経済的、その他の事情により、最終号となった第4号で康芳夫氏プロデュース、平岡正明氏責任編集として引き継がれています。

タイトルの『血と薔薇』は官能的でデカダンな映画を撮らせたら右に出るものはないロジェ・バディム監督の、『血とバラ Et Mourir de Plaisir』(1960年)から発想を得ているそうです。

本誌に寄稿した作家、詩人、評論家たちはすべて当代一流 !!さすがは、澁澤ブレーン。

ちなみに、創刊号から第3号までの寄稿者に、三島由紀夫、稲垣足穂、埴谷雄高、吉行淳之介、武智鉄二、堀口大學、高橋鐡、吉岡実、塚本邦雄、加藤郁乎、松山俊太郎、出口裕弘、植草甚一、中田耕治、堂本正樹、種村季弘がいます。
写真家、画家、オブジェ作家、写真モデルとして登場した人には、石元泰博、篠山紀信、細江英公、奈良原一高、立木義浩、飯田善国、中西夏之、池田満寿夫、金子國義、長沢節、横尾忠則、谷川晃一、四谷シモン、堀内正和、貞操帯製作者の土井典、「聖セバスチャンの殉教」を演じた三島由紀夫、「情死」「ピエタ」を演じた舞踏家の土方巽、それに、「サルダナパルスの死」を演じた澁澤龍彦がいました。
種村季弘氏が指摘するように、1960〜70年代をリードする才能の大半がここに顔を並べたといっても過言ではないでしょう。

最後に、種村季弘氏の回想による、『血と薔薇』設立秘話を.....。

"芸能プロモーターの神彰(じんあきら)が出版事業を思い立ち、昭和42年末に天声出版という出版社を創設した。代表責任者は矢牧一宏。吉行淳之介も同人の一人だった同人雑誌『世代』の元同人で、『脱毛の秋』という小説を書いたこともある編集者だった。矢牧の『世代』同人仲間の妹で新書館にいた内藤三津子(のちの薔薇十字社社主)が、かねて編集者として澁澤の知遇を得ていた。そのあたりから火種がきざしてくる。矢牧の飲み仲間の松山俊太郎と種村季弘がのった。内藤三津子と上記三人が北鎌倉のサロンに企画を持ち込むと、話はその場で決まった。澁澤龍彦責任編集の高級エロティシズム雑誌。雑誌名は「血と薔薇」。ロジェ・バディムの吸血鬼映画「血とバラ」から頂いた。デザイナーは旧知の堀内誠一。"(種村季弘)

             ■「血と薔薇」宣言■

一、本誌『血と薔薇』は、文学にまれ美術にまれ科学にまれ、人間活動としてのエロティシズムの領域に関する一切の事象を偏見なしに正面から取り上げることを目的とした雑誌である。したがって、ここではモラルの見地を一切顧慮せず、アモラルの立場をつらぬくことをもって、この雑誌の基本的な性格とする。

一、およそエロティシズムを抜きにした文化は、蒼ざめた貧血症の似而非文化でしかないことを痛感している私たちは、今日、わが国の文化界一般をおおっている衛生無害な教養主義や、思想的事大主義や、さてはテクノロジーに全面降伏した単純な楽天的な未来信仰に対して、この雑誌をば、ささやかな批判の具たらしめんとするものである。エロティシズムの見地に立てば、個体はつねに不連続であり、そこに連続の幻影を垣間見るにもせよ、一切は無から始まるのであり、未来は混沌とした地獄のヴィジョンしか生まないであろう。

一、血とは、敵を峻別するものであると同時に、彼我を合一せしめるものであり、性を分化するものであると同時に、両性を融和せしめるものである。薔薇とは、この決して凝固しない血を流しつづける傷口にも似た、対立と融合におけるエロス的情況を象徴するものである。本来、エロスの運動は恣意的かつ偏在的であるから、エロティシズムは何ら体系や思想を志すものではないが、階級的・人種的その他、あらゆる分化対立を同一平面上に解体、均等化するものは、エロティシズムにほかならないと私たちは考える。

一、性を前にした笑いの本質を、私たちはジョルジュ・バタイユ氏にならって、恐怖のあらわれであると規定する。江戸時代以来、わが国の性は陰湿な笑いによって歪められてきた。本誌『血と薔薇』は、いわゆる艶笑的、風流滑稽的、猥談的、くすぐり的エロティシズムの一切を排除し、エロティシズムの真相をおおい隠す弱さの偏見を根絶やしにせんとするものである。

一、心理学の領域では、アプリオリに正常あるいは異常のレッテルを貼りつけるべき、何らの現実的根拠もないことを確信している私たちは、フロイト博士の功罪を正しく見きわめ、何よりもまず、コンプレックスという言葉にまつわりついた貶下的なニュアンスを取り払わんとするものである。また同様に、倒錯とか退行といった言葉も適当ではないと判断する。本誌『血と薔薇』によって、いわゆる倒錯者が、倒錯者として生きるための勇気を得ることになれば幸いである。私たちは、あらゆる倒錯者の快楽追求を是認し、インファンティリズム(退行的幼児性)を讃美する。

一、現在、わが国の文筆業者のうちで、刑法第百七十五条によって実害を蒙っている者が何人いるであろうか。司法権力との摩擦を生じたことさえ一度もなく、ただ口先だけで、お題目のように"表現の自由"を唱える観念的な進歩的文学者を、私たちは信用しない。オリンピア・プレス(アメリカ)やポーヴェール書店(フランス)が私たちにとって偉大な手本たり得るのは、検閲制度(念のために申し添えておくが、日本国憲法には制度としての検閲はない)の転覆という抽象的美名のために闘ったからではなく、むしろ不屈の意志によって、司法権力を刺激するような内容の書物をも敢えて次々に刊行したからである。原因と結果を取り違えてはいけない。(この項は、あらゆる政治状況の比喩としても読まれたい。)

一、最後に、本誌『血と薔薇』は、コンプレックスに悩む読者のためにはコンプレックスの解消を、またコンプレックスのあまりに少ない読者のためにはコンプレックスの新たな贈与を、微力をもって心がけんとするものであることを付言する。読者の大いなる共感と御支持を期待する。

一九六八年十月                        
編集者一同

『血と薔薇』創刊第一号(天声出版)(昭和43年10月発発行)P22〜25掲載

画像は、澁澤龍彦責任編集『血と薔薇』創刊第一号(天声出版)(昭和43年10月発発行)です。

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今回は、『血と薔薇 1』創刊第一号(澁澤龍彦責任編集)(天声出版)(昭和43年10月発発行)所収の巻頭グラビア■特集1 男の死 LES MORTS MASCULINES(P 1) より、「聖セバスチャンの殉教」(三島由紀夫氏)をご紹介します。

Vol.0006:『三島由紀夫おぼえがき』(立風書房)に澁澤龍彦氏の興味深い以下の論考があります。

"三島氏は最近のエッセーで、「道義的革命」という、まさに私たちの意表をつくような新語(ネオロジスム)を創始した。この氏独特の革命概念が、果して社会学的に普遍妥当性を得るものか否かの検討はさておき、体制の全否定には決して向かわず、制度自体の純粋性をめざし、つねに敗北をくりかえすという(ロマン主義的イロニーを絵に描いたようなものだ!)、その道義的革命なるものの本質的性格が、三島氏のすべての作品の底に横たわっている暗い死への衝動と、微妙な照応を示していることは否めないだろう。

おそらく、この道義的革命のイメージにぴったり対応するものは、ブルータスではなくて、あの三島氏のお気に入りの聖セバスティアンであろう。(私は、セバスティアン・コンプレックスという言葉を使っている心理学者はいないかと思って、片っぱしから手もとの文献に当ってみたが、ついにこれを発見することを得なかった。)

ディオクレティアヌス帝に愛されたセバスティアンの叛逆は、父なるローマと皇帝に背きつつも、それが窮極的には反対衝動を志向し、自己破壊の欲求につながってしまうというところに特徴がある。フロイトならば自己懲罰というだろう。三島氏の作品にしばしば登場する、挫折の宿命をもった叛逆的青年のあらゆるイメージは、この原型のなかに吸収され、ぴったりおさまってしまう。
私は、三島氏の文学を解明すべきもっとも重要な鍵の一つが、ほかならぬ、この「セバスティアン・コンプレックス」ではないか、と思っている。"

(澁澤龍彦)

画像は、『血と薔薇 1』創刊第一号(澁澤龍彦責任編集)(天声出版)(昭和43年10月発行)所収■特集1 男の死 LES MORTS MASCULINES(P 1) より、「聖セバスチャンの殉教」 モデル:三島由紀夫氏、カメラ:篠山紀信氏です。

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「新宿アートシアター」前の『憂国』ポスターと三島由紀夫氏です。

ポスターには、下記の「推薦文」が添えられています。

"《愛と死の儀式》に於て、三島由紀夫と堂本正樹は、抒情的色彩に彩られた臨床学的な精密さで、一人の青年将校の腹切りと、その死體の上に自ら短刀で咽喉を突いて果てる彼の若き妻との物語りを詳述する。

突如としてスクリーンの上に迸り溢れ出る血潮と内臓は、まさに、愛ゆえに身を生贄に捧げる行為の最後の成就を證しするものに他ならぬ。
残酷さの中にある何という優しみ、屠殺台上における何という安らかな陶酔、情熱に燃え滾る茨の上の何という慎み。
それらは観音をして茫然自失たらしめ、その魂を揺り動かし、雷にて打ち砕くのである。

ねがわくは、四十才の小説家、三島由紀夫が、
この映画製作の経験を生かし、
再びこのような映画を製作し、更に立派な作品を生み出してくれんことを。"

(ピエール・ビラール氏)

シネマ'66誌 三月号

画像は、『グラフィカ 三島由紀夫』(新潮社)(初版本:平成2年9月10日発行)より。

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「辞世の句」

"益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐えし今日の初霜"

"散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐"

昭和四十五年十一月二十五日
楯の会隊長 三島由紀夫

画像は、『STUDIO VOICE Vol.182 特集★再考 三島由紀夫の檄』(INFAS)(平成3年2月1日発行)(P16)所収。モデル:三島由紀夫氏、カメラ:篠山紀信氏です。

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