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先日に引き続き我が東八田の先代だんじりの紹介をしたいと思います。本日は彫物編。 残念ながら私は、上だんじりの構造や部位名はまったくの無知といっていいほどなので、その辺はだいたいの雰囲気でお願いします☆ それでは早速いってみよー! ↑下だんじりで言うところの松良の部分。左右で「龍・虎」となっていました。なかなか粋やと思いませんか? ↑勾欄の下の部分。縁葛でいいのでしょうか・・・それとも土呂幕?題材は「二十四孝」。 ↑平の屋根廻りです。ここは?虹梁・・・車板? ↑いよいよ見送り三枚板。まずは右平から・・・三国志の張飛らしいです。 ↑後正面。これまた三国志の「劉備玄徳、壇渓を渡る」だそうです・・・ ↑左平もやっぱり三国志で「諸葛孔明と関羽」。 ↑幟台。図柄は不明ですが、東八田時代は赤と黒のツートンカラーの2本の幟が立てられていました。 ↑内部の彫刻もなかなかいい味出てるでしょ? ↑私が一番好きな正面主屋根の車板の龍。昔もこれはイカツクてかっこいいと思ってました。 ↑後正面の三枚板にある「大佐」の銘。このだんじりは江戸末期から明治初期の作と考えられていますが、大正10年ごろに「大佐」による修理がされた時につけられた銘であるとのこと・・・。 私がこのだんじりと親しんでいた少年時代は、まだまだ彫物がどうこうと思えるほどではなかったので、このたびの先代だんじりとの再会でじっくり見せてもらい、なつかしいはずのだんじりが新鮮な感じがしました。
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東八田先代だんじり
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三枚板は、諸葛孔明以外の武将の顔は、改修されているように見えま
すね〜(ちょっと、勿体無いね〜)ええ彫もんですね〜
2008/2/23(土) 午後 11:34
お約束の“住吉 大佐”の銘がいいです!
もっと詳しい解説は、上地車マニアの「かずさん」にコメントを依頼してみては・・・??
2008/2/24(日) 午前 9:23
国松君さん
そうなんです!孔明以外の顔がぶさいくでしょ!?東八田時代からこれでした・・・。本物の顔はどうなったんでしょう?謎・・・
2008/2/24(日) 午後 11:29
館長さん
今日はどうもでした!
ぜひ「かずさん」にもウチの先代を鑑定してもらいたいと思います!
2008/2/24(日) 午後 11:31
こんばんわ〜
上地車マニアって言われる程知識ないですよ〜^^;
先代だんじり拝見させて頂きました!
先代はぎぼし勾欄式堺型地車やったんですね〜
現存しているこの型の地車の殆どは制作年がはっきりしていないのですが、最盛期は江戸末期位だと思われます 確証は無いのですが理由はこのタイプの地車の彫り物を手掛けた彫師の活躍時期が江戸期の方が殆どである事が一番の理由です。時代が下っても明治の極初期やと思います。例えばこのタイプの地車を多く手掛けている彫又初代又兵衛は天保期まで、二代目又兵衛は書籍等では明治初期までとなっていますが、私は江戸期までだと推察しています。又兵衛さんについてはこの二代目以降何代か続いたのでは?っと言われています。この地車の彫り物を拝見すると服部清七か辻田友次郎かと思われます。服部さんは江戸末期、辻田さんは明治初期まで活躍されていました。恐らくこの地車も江戸期の作でしょうね〜 大佐の銘板に関してですが大佐が請け負った地車を記した「地車請取帳」に大正10年から11年までの項に泉北郡久世村字八田と記されています。
2008/2/25(月) 午後 9:06
先ほどの続きですが、記されているのは町名の他に役員と思われるお名前が記されているだけなので、修理されたのか購入されたのかは分かりませんただ大佐は板勾欄式堺型は作っていましたが、ごぼし勾欄式は修理はされていたようですが、新調はされていなかったみたいです。購入となると何処かの地車を下取りされたあるいは買い取った地車を購入された可能性が高いですね。持ち送りの「龍・虎」ええですね〜♪この型の持ち送りにはよく虎は彫られている事が多いですが龍は少ないと思います。後平の屋根廻り枡合でいいと思います。間仕切りの龍もええ味の彫り物ですね〜^^旗台はよく力人や力士と言われています。因みにこのぎぼし勾欄式は堺にいた木村一門(孫兵衛など)がよく手掛けていたそうです。大和高田の高田地車には大工の銘が入っているそうです。私もこの車板めちゃ好きですわ〜たまらんね〜^0^ ええもん見せてもらいました^^それと長々とすんません><凄い長文になってしまいました^^;
2008/2/25(月) 午後 9:22
この銘板東成郡となっていますね!これは明治29年から大正14年までに大佐で制作されたあるいは修理された地車の銘板に書かれているので修理の可能性が高いです。中古で買い取っただんじりには細工人となっている事から銘板はつけなかったと思われます。新調も江戸期制作から考えるとありませんね
2008/2/25(月) 午後 9:52
かずさん
素晴らしいコメントありがとうございます!感動しました☆
先ほど町内の先輩にお聞きしたところ・・・
1.見送り三枚板の裏側に天保○○年・・・と薄い墨の字が残っていた。
2.昔のウチのだんじり小屋は鍵がついていたものの簡単に入ることができので、何者かに三枚板などの人物の顔が鑿でハツられた。
3.車板の龍も昔はもっと前に張り出していて素晴らしいものだったが、これも何者かに頭だけ盗難された。
などの証言をいただきました。
かずさんのお見込みのとおり、やはり江戸時代(天保年間)の新調で大正に住吉大佐が修理したということでしょう!
「泉北郡久世村字八田」とはまぎれもなく我が町の旧の町名ですので最低でも大正のころから我が町にあったということなんでしょうね・・・
さすが上だんじりマニアさん!素晴らしいご鑑定をありがとうございました☆
2008/2/25(月) 午後 11:54
三枚板裏に墨書きがあったんですね!
それは初めてお聞きしました!!!
以前彫り物の一部分盗難にあっているんですね。。
車板も三枚板もええ貴重な彫り物なので残念ですね・・・
ほんまマニア心をくすぐるだんじりですわ〜
貴重な写真見せて頂きありがとうございます
2008/2/26(火) 午後 7:22
かずさん
マニア心をくすぐれてよかったです☆
私にとっては少年時代のいい思い出のだんじりです☆
2008/2/26(火) 午後 11:01