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新企画が立ち上がっては破綻してゆく・・・当ブログではありますが。 懲りずにまたまた新企画!「戦国史旧跡めぐり」 自称戦国マニアの私が家族サービスのお出かけを利用しながら、各地の戦国史上にゆかりのある旧跡をめぐりレポートしていきます。このコーナーでだんじり彫刻を鑑賞するときの奥行きが変わる!とまでは言いませんが・・・まあこの企画もいつまで続くかわかりませんが・・・とりあえず暇つぶしにでもしてください☆ 記念すべき第1回目は近場で済ませちゃいましたが・・・我らが堺の南宗寺!「何や?その寺?」と思われた方も多いかもしれませんが・・・とにかくレポートスタート! ↑これがその南宗寺の山門。このお寺さんはいくつも門がありますが一番北側の門です。 ↑門をくぐると数々の伽藍が並んでいます。中には国指定重要文化財に指定されているものも! ↑上の画像は本堂横にある枯山水の庭。きれいでしょう?本堂の縁に腰掛けてこの庭を眺めながらお茶などすすりたいものです。下は仏殿内の天井に描かれた八方睨みの龍。いかついなあ・・・ ↑堺といえば千利休。秀吉に愛され、秀吉に命を奪われた、その数寄者は平成のこの世にも茶の湯を通して侘びさびという一つの芸術を作り上げた天才。実は彼はこのお寺で修行をしていたのです。この画像は三千家(表千家、裏千家、武者小路千家)一門の墓です。右は千利休の墓。 ↑千利休と同じく「茶の湯三大宗匠」の一人津田宗及で有名な津田一門の墓。このほか武野紹?貎の墓もこのお寺にはあります。 ↑そしてこちらはこの南宗寺の開祖でもある三好長慶一族の墓です。畿内の支配をはじめ時の将軍までも追い落とした戦国期最初の天下人とも言われる武将です。もうこれだけでもすごいお寺でしょう? しかし!このお寺にはもっとすんごい伝説があるのです!それがっ!! みなさんもご存知の徳川家康公。彼は大坂の陣で豊臣家を滅ぼし天下を統一。徳川幕府という長期政権の祖であり、死後は東照大権現として神にまでなった・・・ということになっていますが・・・ 実は夏の陣において家康の乗っていた籠に向かって後藤又兵衛が繰り出した槍により負傷し、その逃走中に絶命したという伝説が残っているのです。そしてその遺体を葬られた場所がこの南宗寺。それではその説を裏付ける証拠となっているものを紹介しましょう! ↑まずこれが「坐雲亭」という建物。 この内部には徳川二代将軍秀忠、三代将軍家光がこの寺に来られたという内容を記した掛け軸があるのです。家康から見ると息子と孫。江戸から遥か遠くのこの寺になぜお参りされたのか・・・? ↑次にこれが東照宮跡と言われるところにある唐門です。日光の東照宮は有名ですが堺のお寺に東照宮があるとは・・・しかもこの唐門の瓦には徳川家家紋の葵が見られます。 庶民の間だけの伝説ならば、江戸時代に葵の紋をつけた東照宮を、徳川家に何のゆかりもないこのお寺に作ることが果たしてゆるされたのでしょうか・・・? ↑南宗寺の東照宮は空襲で焼失。そしてその東照宮あとに建てられている碑には「徳川家康墓」と刻まれています。この碑自体は新しいものですが、これを建てたのが徳川御三家の水戸徳川家の子孫なのです。うーん神様にまで登り詰めた自分のご先祖さまの墓と刻まれた碑を、作り話だけで建てるでしょうか・・・? ↑そしてその東照宮の背後には観音像があります。そしてそのまた背後には・・・ ↑ついに出ました、これが本当の徳川家康の墓と伝えられている碑です。 かつてこの場所には開山堂というお堂が建っていたのですが、その床下にあったというこの卵形の無名の碑・・・果たしてこれが・・・!? 江戸時代に堺のこのお寺に東照宮が建てられ、その唐門(葵の御紋つき)から入ると正面に東照宮本殿、その後ろに家康の墓がある・・・(ちゃんと唐門から無名の碑までは真っ直ぐ直線上にあるのです。) みなさん、どうでしたか?真偽は別としてこういうミステリーに思いをふけるのも戦国史の楽しみ方のひとつです。なかなかおもしろいでしょ〜☆ さて、今回はこの辺でおしまい!次回はいつになるかわかりませんが・・・お楽しみに☆
(この企画は決してミステリー特集ではないので、そのへんよろしくお願いします・・・) |
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2008年03月20日
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