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前回は徳川家康、大坂の陣討死説のミステリー堺・南宗寺をレポートしましたが、今回はその家康を死に追い込んだといわれる(あくまでも討死説の中でですが・・・)大坂方の天才軍師・後藤又兵衛基次の最期の地、大阪府柏原市の玉手山公園を紹介したいと思います。 時は慶長20年(1615年)。徳川家康のうす汚い策略により大坂夏の陣が勃発。ほとんどの堀を埋め尽くされた大坂城に籠もって戦うよりも、ここは討って出て野戦でいこかえ!と大坂方の後藤又兵衛、真田幸村、毛利勝永ら1万8000が出陣。又兵衛は小松山(現在の玉手山公園付近)に陣を敷き3万5000ともいわれた徳川方を迎え討ちました。これを道明寺の戦いといいます。 しかしなんぼなんでも兵力が違いすぎる・・・天才又兵衛もついには力尽き、この地で自害。56歳でその生涯を終えるのでした・・・ ↑現在、又兵衛が布陣した小松山は玉手山とよばれ公園になっています。その頂上付近から東を見た風景。私が訪れた日は、のどかなお花見ムードでしたが、夏の陣のその時はこの方向に徳川方の大軍が迫っていたのでしょう・・・有名な独眼竜正宗もその中にいました。 ↑公園内にある又兵衛の碑。その立派な佇まいが又兵衛の男ぶりを物語っているようです。(注)これはお墓ではありませんぞ! ↑その隣には吉村武衛門の碑があります。彼は又兵衛の忠臣で又兵衛自害のとき介錯をした人です。 ↑主従が並んで座っているように・・・ふたつの碑は寄り添って建てられています。ちょっと感動☆ ↑玉手山公園の頂上には「大坂夏の陣両軍戦死者供養塔」があります。「両軍戦死者」というところに温情を感じます。合掌・・・ ↑この公園にはちょっとした資料館もあります。資料そのものは貴重なもの等ありませんが道明寺合戦の内容が詳しく説明されていました。 ↑その資料館の中に神輿が展示されていました。明治31年新調の神輿で地元の祭で担がれていたものらしいです。現在は平成15年に新調された神輿が活躍しているとのことでこの神輿は先代にあたるものですね。 ↑公園内の展望台から大坂城を望む。城を出た時すでに又兵衛は「ここには帰らない」と覚悟していたことでしょう・・・どういう心境でこの山から大坂城を眺めていたことか。 ↑公園内に又兵衛を偲んで「後藤又兵衛しだれ桜」と名づけられた桜が植えられており、この日はちょうど花が咲きだしたころでした。現在はまだ小さい木ですが、将来この木も大きく育ち又兵衛のように豪快に美しい花を咲かせて欲しいものです。 おまけですが、戦国史につきもののミステリーが実はこの後藤又兵衛にもあります。後藤又兵衛は夏の陣で討死せず、奈良県の宇陀に逃げ落ちたという説。これまた興味深々なミステリーです。宇陀には又兵衛が老後に植えたという「又兵衛桜」と呼ばれる桜の木が残っているのですが、やっぱり又兵衛に桜はよく似合う!桜の花のごとく咲き乱れて散っていった後藤又兵衛基次。私は夏の陣討死を信じたいと思います。 それでは最後に、わが町のだんじりより正面土呂幕「後藤又兵衛の勇戦」の画像で今回のレポートを締めくくりたいと思います。それではまた次回☆ |
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