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私の趣味と自己満足の塊でお送りしているこの企画。 前回は大坂の陣で大活躍した天才、後藤又兵衛基次の最期の地をご紹介しましたが、今回は大坂の陣もう一人の天才、真田左衛門佐幸村をピックアップ! 大坂の陣での彼の奮戦の地である大阪市天王寺区の三光神社と、幸村最期の地になった同じく天王寺区の安居神社をご紹介します! まずは三光神社近辺から。 この場所は大坂の陣の時、幸村が大坂城の防衛拠点として作った要塞、真田丸の跡とされている所で、現在は真田山公園として親しまれています。 ↑真田山の北端には宰相山西公園というのがあります。真田山は宰相山とも呼ばれているのですが、宰相とは君主の右腕とも言われる最高補佐官という意味があり、そういう意味では幸村は豊臣秀頼の右腕とも言うべき活躍をしたからそういう名前で呼ばれるようになったのかもしれません。 今はごく普通の公園です。この日はこの公園の満開の桜の下で弁当とビールでほろ酔いになりました。 ↑真田山公園には日本陸軍の戦没者墓地があります。日本のために戦いそして散っていった勇者たちのお墓がならんでいます。その勇敢さには幸村と通ずるところがあります。 ↑いよいよ三光神社の社殿です。この神社は日本で唯一の中風除けの神社らしいです。宰相山西公園のすぐ隣にあるこの神社には実はすごいものがあるんです! ↑境内に建てられた真田幸村公の像。采を振りその堂々とした立ち姿はやはり浪速のヒーローです。 ↑あまりにかっこいいのでアップでどうぞ! さてこの神社のメイン。「真田の抜け穴」をご紹介しましょう! この付近が大坂の陣のころ徳川方の武将を散々に痛めつけた最強の要塞「真田丸」であったことは先ほども説明しましたが、実はその真田丸と大坂城とを地下で結ぶ連絡通路があったというのです!! 三光神社はJR玉造駅の近所ですのでまあ大坂城には近いといえば近いのですが、あのころにそれほどの土木技術があったかどうか・・・またまたこれも真偽のほどはわかりませんが、とにかくその「真田の抜け穴」をご紹介しましょう! ↑これがその「真田の抜け穴」の入り口です。現在は鉄扉がつけられており、その鉄扉にはご存知真田の家紋、六連銭が施されています。しっぶー! ↑興味深々、穴の中をフラッシュ撮影!左に曲がってますね。あー!入ってみたい☆ さて、続いてはちょっと場所をかえて天王寺一心寺の向かいの安居神社です。 ここは幸村最期の地として伝えられている場所。大坂夏の陣で茶臼山に陣を張った幸村は家康本陣を急襲し一時は家康に死を覚悟させるほどの奮戦をしたものの、やがては寡兵敵せず疲れ果て体中に幾多の傷をうけ、この神社の境内にある松の根元に腰掛け休んでいるところを討ち取られるのです。 ↑安居神社社殿です。ごく小さい神社ですが由緒は深いみたいです。 ↑この神社の絵馬はやっぱり幸村公。この絵かなり渋いですね。このほかにも手ぬぐいなど真田グッズが売ってました。 ↑奉賛者の掲示板におもしろい団体の名前が!! ↑この神社にも幸村の像を!ということで寄付の募集がされていました。私は最近金欠なもので・・・すんません。 ↑そしてこれが幸村戦死の碑。幸村のその壮絶な最期とは対照的に碑の石段では猫が昼寝してました。これもまた一興。。。 ↑実際、幸村が討たれるときに腰掛けていた松は枯死してしまったらしいですが、現在はその場所にまた松が植樹されており「さなだ松」と呼ばれています。思わず合掌・・・ 今回は真田雪村奮戦の地・最期の地をご紹介しましたが、いかがでしたか? 信州の武将でありながら大阪の地でもすごい人気の真田幸村。やはり滅び行く豊臣家のため生涯最後の大戦で華々しく散っていったその生き様が、多くの人の心を惹きつけたのでしょう。 私ももちろん惹き付けられている一人です。 それでは最後にわが町のだんじりより幸村の勇姿で今回はおしまい〜!
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2008年04月10日
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