みずき〜「草の根通信」の志を継いで〜(資料庫)

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(4)前田朗さんのメール(その4) CML 003987(2010年5月6日付)より
東本さん

(略)

イメージ 1野村浩也編『植民者へ――ポストコロニアリズムという挑発』(松籟社、2007年)からのもう1回だけ。
 現在、沖縄人がけっして望んでいないにもかかわらず、七五%もの在日米軍基地が押しつけられたままである。基地を集中的に押しつけられる現実とは、戦闘機や軍用ヘリがいつ頭上に墜ちてもおかしくない日常を強制されることであり、一日として恐怖から解放されることのない生活を強いられることである。実際、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事件は記憶に新しいし、軍事演習や訓練による被害は日常茶飯事である。また、基地に沖縄の土地を奪われることは、生産と居住の場を奪われ、経済を破壊されることでもある。そして、基地は何も生産しないがゆえに、基地の存在そのものが経済を破壊する要因といっても過言ではない。さらに、基地が身近に存在するということは、米軍兵士によるレイプ・殺人・強盗など暴力のターゲットにされるということでもある。しかも、米軍兵士とは、合州国の国家公務員にほかならない。本来、政府の命令で派遣された国家公務員が派遣先の国で暴力犯罪をはたらけば、深刻な外交問題に発展してもおかしくはないし、一件起きただけでも致命的である。にもかかわらず、日本国政府はこの問題にまともに対処しようとしない。つまり、沖縄人の生命や人権よりもアメリカ軍の活動の方が優先されているのである。

 この理不尽きわまりない現実を沖縄人に強制することを決定した張本人こそ、ひとりひとりの日本人にほかならない。しかも、その決定は民生主義の手続きを経てなされてきたのだ。日本人は、民主主義によって沖縄人の意志を踏みにじり、七五%もの在日米軍基地負担を暴力的に強制しつづけているのである。つまり、沖縄人は、アメリカ軍の暴力のみならず、日本人の暴力による苦痛をも強いられているのであり、暴力が民主的に承認され、暴力に支配された空間が沖縄なのだといっても過言ではない。したがって、沖縄を「アジア最後の植民地」と呼ぶ論者がいるのも不思議ではない。

 この「アジア最後の植民地」は、それこそアジアの植民地化されてきたひとびとに対する軍事的暴力に否応なく加担させられてきた。沖縄という土地は、アジアに対する軍事的脅威であり、朝鮮半島およびベトナムにおける大量殺戮を直接担った「悪魔の島」にほかならない。この「悪魔の島」の住人は、その後も、パレスチナ、イラク、ユーゴ、アフガニスタン、そして再びイラクヘと、殺戮に加担することを強要されてきた。この現実が示しているのは、植民地主義の被害者が、同じ植民地主義によって、加害者に仕立てあげられてしまう矛盾である。そして、民主主義を通じた米軍基地の押しつけによってこの矛盾を沖縄人に強制した張本人こそ、ひとりひとりの日本人にほかならない。<以上、同書63〜64頁>
以上3回ご紹介したので、ある程度見えてきたと思います。もっとも、「良心的日本人」や「沖縄ストーカー」への批判は、前著の方に詳しく、この論文では追求されていません。

重要なことは、第1に、植民者と被植民者の関係で、植民者がいかなる態度を取っているか。事実を隠蔽し、自分の責任をのがれ、第三者的に振舞い、中立のふりをしたりすることへの批判です。

第2に、そうした植民地主義者の典型例として、前著では、「沖縄が好きだ」という「良心的日本人」をあげています。口先では「基地反対」と言っても、実際に沖縄の基地をなくすために本土に基地を移転しようという日本人はいないことをめぐって詳細な記述が為されます。

第3に、植民地主義と民主主義の共存です。民主主義はつねに植民者の都合に合わせて利用され、沖縄に負担を押し付けるために民主主義が持ち出されます。

天木氏の次の発言が、まさに植民地主義丸出しであることもご理解いただけたと思います。

>沖縄県民が怒りに震えて立ち上がれば、私は打倒鳩山に全面的に参加する。
>沖縄県民が、このまま米軍基地の県内移転に譲歩するのであれば、もはや私は
>沖縄の基地闘争を一切支援することはないだろう。勝手にやってろ、ということだ。

天木氏の発言は、言葉が乱暴だから問題なのではありません。植民者の立場で無自覚になされた「無意識の植民地主義」そのものなのです。

沖縄に基地を押し付けているのは本土の日本人です。沖縄の基地を撤去できるのも本土の日本人です。1%に満たない沖縄人には「自分の運命を自分で決定することのできない境遇」が押し付けられているのです。民主主義的に基地を押し付けたのも日本人であり、民主主義的に基地を除去できるのも日本人です。しかし、ほとんどの日本人はそうはしないのです。あれこれと理屈をつけて、沖縄の基地を維持してきたのです。

沖縄に基地を押し付けてきた日本人=植民者の一員であり、その立場に立っている天木氏が、「沖縄県民が怒りに震えて立ち上がれば、私は・・・」というのは、第1に、沖縄県民に決定することのできないことを押し付け、自分がやるべきことをあいまいにし、あたかも中立・第三者的に振舞う所作なのです。

第2に、沖縄の基地を撤去せず、さらに押し付け続けようとしている日本人=植民者の一員である天木氏が、「沖縄県民が、このまま米軍基地の県内移転に譲歩するのであれば」などと述べていることも明らかなごまかしです。沖縄県民が「譲歩」するか否かなど現実の問題ではありません。沖縄県民には譲歩するか否かの判断権すら奪われているのです。押し付けるとはそういうことです。譲歩する事さえできない状態であるにもかかわらず、「譲歩するのであれば」などと述べるのは、押し付けている側の責任を解除するためでしかありません。

イメージ 2第3に、「沖縄の基地闘争を一切支援する・・・」と書いているのが、まさに植民者の立場表明です。植民者の一員である天木氏が、被植民者にされ、基地を押し付けられ、決定権を奪われている沖縄県民に「支援してやっている構図」を正直に表明しています。問題は逆ではありませんか。基地撤去を決めることができるのは日本人です。決定するべきは日本人です。天木氏は、自らの課題として基地撤去を唱え、自らの課題として打倒鳩山を呼びかければいいのです。

念のために補足しておきますが、ここでの問題は天木氏が植民地主義者であるかどうかではありません。私もそんなことは考えていません。天木氏が沖縄県民と「連帯」し、基地撤去実現を願っていることは了解しています。問題は、天木氏の発言、その発想、その思考枠組みが、植民地主義そのものであることなのです。

それにしても情けないのは、「天木さんは知り合いだ。天木さんはいい人だ」などと愚劣な言葉を撒き散らす人間です。

第1に、天木氏がいい人かどうかなどということは全く関係ありません。「いい日本人」とは「いい植民者」なのかもしれないからです。

第2に、ここで議論しているのは沖縄の基地問題です。上記から野村氏の言葉を2つだけ再度引用します。

1)「基地を集中的に押しつけられる現実とは、戦闘機や軍用ヘリがいつ頭上に墜ちてもおかしくない日常を強制されることであり、一日として恐怖から解放されることのない生活を強いられることである。」

2)「沖縄人は、アメリカ軍の暴力のみならず、日本人の暴力による苦痛をも強いられているのであり、暴力が民主的に承認され、暴力に支配された空間が沖縄なのだといっても過言ではない。」

こうした周知の沖縄の現実問題を議論しているときに、「天木氏は雨の中をデモしたいい人なんだ」とか、「天木氏は奥様の苦労話を」などと、呆れ果てた話を持ち出してくる精神の退廃、堕落です。ここに植民地主義者の姿がくっきりと見えてくるのです。同じような話は野村氏の前著にはいくつも書かれています。深刻な植民地被害の解決が議論されている場に、植民者の側の一員の雨の中のデモだの奥様の苦労話だのを持ち出すことができるのは、腐りきった精神だけです。

私たちの中にあるかもしれない、こうした弛緩、怠惰、逃避、はぐらかし、欺瞞を突きつけ、抉り出しているのが、野村氏の論文や著作です。
(略)

(写真1:沖縄 ガジュマル)
(写真2:本土と連帯して名護市長選の勝利を)

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