明治から大正にかけて北海道西海岸の鰊漁は全盛を極め、特に鬼鹿の海岸は千石場所とも言われ、中でもこの地「天登雁村」の前浜一帯は鰊の群来と共に海の色が乳色に変わり、群れ飛ぶカモメと、波間を渡るヤン衆の沖揚音頭、もっこ背負いの人の波で浜は湧き返っておりました。
重要文化財に指定されたこの建物は明治後期当地の素封家、花田伝作氏によって建てられ、屋号を○二といい、最盛期には18ヶ統の鰊定置網を経営する道内屈指の鰊漁家でありました。 この番屋はその本拠として、5ヶ統の漁夫の外船大工、鍛冶職、屋根職等総勢200人前後の人を収容しておりました。 当番屋は道内に現存するものでは最大の規模を有し、木割りは大きく豪壮であり、空間は雄大で、玄関から奥に土間を通し、その北側に親方居住部分を、南側に漁夫の生活部をもうけ、漁夫の寝台(ねだい)と中二階に備えて三段とし、その機能と合理性を求め、俗に番屋と呼ぶ鰊漁家特有の平面構成となっています。かって一起こし千両と謳われた鰊は既に幻の魚となりヤン衆のさんさめく声も絶えて久しく、今はただ番屋のみがその影を残し、ヤン衆の息吹を今に伝えております。 掲載参考資料:小平町観光案内資料より 入館料は、350円/人となっています。 :
中へ入ると、とても広い空間だいどころが広がります(漁夫の生活間)
いろりの周りでは、漁夫が酒を酌み交わし漁の疲れを癒やしていたのでは
総勢約200名が寝食を共にここで暮らしていました
真ん中には、なかのま(親方の部屋が)帳場の左に金庫の間、仏間とあります
旧花田家の記録などが手前のはなれに展示されています ' 時代の流れの中で、ニシン漁は衰退しましたが、現在は育てる漁業を目指し、
ニシンを保護する活動が続けられ、現在は時折海に群来の兆候が見られる時もあります。 乳色で海が色づきニシンが少しずつ水揚げされる様になってきました。 これは、育てる漁業の根幹である森を豊にする活動を長年続けてきた 成果の表れでは無いかと言われています 自然界は、海の魚介類全てが森の落ち葉等からでる栄養素で生態系を享受しています 厚岸の牡蠣も森造りから今日の育てる漁業を開花させて、現在も森造りを進めています。 海の生物はすべからく、森から、太陽からの自然の恵みによって生態系が営まれ 森を大切に育てていくことが、北海道の漁業を支えているのでは無いかと思っています ': |
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2011年07月28日
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