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つくば市の、小野崎城を見てきました。
開発の波にあおられている地域なので、はたして遺構の状態はどうなのか、大して期待せずに訪れたのですが、いやいや見事な遺構がよく残っていて感激でした。
城内は宅地なので(城主の御子孫?)、外から見せていただいただけですが、方形の城域全体を囲む堀がほぼ完璧に残っていて、特に北側は堀が3重になっています↓
2重目3重目はごく浅くなっていますが、それでもちゃんと確認できます。
その外側にも土塁があるので、現在の道路部分も堀だったとすると、もともとは4重だったのかもしれません。
西側も2重は確認できます。東側は1本だけでその外側は消滅していますが、道路まで宅地分の幅があるので、本来はやはり2重あるいは3重だったのでしょう。
*東側の現存堀の書き方が間違っていたので修正しました。
南側も片側は浅く残っているし、もう片側は広い水堀になっています↓
いや〜実に見事な遺構を見ることが出来きてうれしかったです。
周囲の開発の波に飲み込まれることなく、いつまでもこのままの状態を維持して欲しいものです。
勝手な願いではありますが。
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城跡
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【黒丸城】 西城を下って車で10分ほど移動して黒丸城の麓へ。 神社の脇の公民館の駐車場に車を止めさせていただき、城跡に続く尾根を登ってゆきます。 段々になった曲輪(下部は畑跡かも)をいくつも越え、15分くらいで主要部に着きました。 堀切を越えて城塁を登りきると細長い曲輪です。 大正時代に植えたという桜が満開でした。この感じ、なんとなく真田本城に似てるような。 この西側斜面には畝状竪堀があるはずなんですが、なんと見るのを忘れてしまいました。 この竪堀群は主郭の西斜面だと思い込んでいたための不覚でした。 さらに1段登って主郭へ。 やはり細長い曲輪で、奥の高い土塁を越えると、その先の堀切は度肝を抜かれるような巨大な堀切でした。 ほんとうは上から見た迫力が凄かったんですが、写真ではさっぱり分からないので下から撮ったものを載せます。それでも大きさは感じられると思います。高さは15mくらいはあるでしょう。 越えた先から振り返ると、尾根をばっさり断ち切ったこの迫力! 西城でもそうでしたが、こういうのに出遭うと、山城の魅力はいろいろあって人それぞれでしょうが、私にとっては堀切の占める割合が一番かなと感じます。 【寄り道】 城を下りてから、すぐ近くにある大法寺に美しい三重塔があるそうなので行ってみました。 ところが、現在屋根の葺き替え工事中というこでご覧のとおりでした。残念。 【浦野城】 翌日、朝一で訪れました。 この城は以前知人から素晴らしい城だと聞いていたので、いつか訪れてみたいと思っていました。それで今回は黒丸城とともに一番楽しみだった城です。 ここは登り口や全体像がちょっと分かりづらいとも聞いていましたが、たしかに縄張りが変則的なので正確な縄張り図等がないとそうかもしれません。最近「信濃の山城と館」というたいへん詳しい本を購入したのでその点で大いに助かりました。 墓地公園というところから適当に登ってゆくと、まもなくこの広場に行き当たりました。 馬場跡、あるいは御射山祭広場跡と推定されているようですが、どちらにしても馬が走り回るに十分な広さがあります。山城にはよく馬場跡といわれるちょっとした広場がありますが、これだけ広い馬場をを持つ城はめったにないでしょう。しかもそれがきれいに整備されていてほんとうに気持ちの良い空間でした。 広場の奥に見える段上が主郭部ですが、その前に物見松砦という尾根上の遺構を見てみます。 物見松砦の主郭。たしかに樹木を切り払えば周囲を一望出来そうな場所です。今は松が点在する美しい曲輪でした。 物見の砦と言っても背後には4本の連続堀切があって見事です。これは堀切から続く竪堀の1本。 そこから尾根上を200mほど進んだところにある堀切。 両側に長大な竪堀が掘り下げられて、主郭を含めた城域全体を画しています。 主郭へ降りてきました。ススキの薮でしたが、やはりかなり広いです。 周囲は低いけれど総石垣だったようです。 主郭の外側は2〜3段の腰(帯)曲輪が取り巻いています。これは西側。 その先には上部堀切から続く長い竪堀が深く掘り下げられ、主郭部の西側を厳重に限っています。 東側帯曲輪から馬場跡をみたところ。 馬場に下っていちおう城内を一回りしましたが、もう一回りしたいくらいほんとうに素晴らしいと感じたた城でした。 |
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子檀嶺岳から南側に下る尾根に城跡があるので行ってみました。 東城、西城と呼ばれています。なんか安易な命名のようですが、シンプルすぎてかえって個性的かもしれませんね。 西城の先にもう一ヶ所あるんですが、そこは登り返す気力がなく断念しました。 山頂から見た写真に場所を記入してみるとこの辺りになると思います。 登山道はちょうど両城の間あたりから西城側の尾根をトラバースしながら登ってきているので、少なくとも西城は楽に行けるかと思ったんですが、どこも急斜面でなかなか踏み込む地点が見つからず、結局林道まで下って、まず東城を先に攻めました。 登山口から林道を少し登って適当なところから尾根に取り付き、松林のなかを下ります。 この辺りの山はどこもそうですが、ここもマツタケ山なので秋には入りづらいでしょうね。 尾根上は藪が薄く楽に進めました。ちょっとした岩場を過ぎるとまもなく堀切が現れ、まずはほっとしました。マイナーな城跡の場合、山中をさ迷ったあげく結局たどり着けないなんてこともよくありますから。 堀切は2本ありましたが、これは主郭手前の堀切で、想像以上に大規模だったのでうれしくなりました。じつはこの城、あまり期待してなかったもので。 堀切の両側に落としてある竪堀もなかな良いですね。 主郭(といっても主要な曲輪はここだけですが)は10m×30mほどで削平もしっかりしています。いかにもマツタケが生えてそうな... 少し戻って斜面の緩そうなところを下ると、ちょうど登山口のところでした。 そこから林道を少し下り、西城の少し上側に出られるよう見当をつけて斜面をのぼって行きます。 途中、目指す方向から外れたところにこんな紛らわしいものがあったりして、余計な体力を使ってしまいました。遠目には石垣のように見えるので、たぶん違うだろうなぁ... とは思いながらも、やっぱり気になりますからね。 ちょっと遠回りしましたが、ここから上まで登って尾根筋を下ると小さな堀切(搦手口)にでました。 この先は次々と堀切が現れるので気分はどんどん盛り上がります。山城好きにはこういうのはたまらないんですよね。 これなどかなり大きな堀切と城塁で、この上が主郭でもおかしくないくらいですが、主郭はまだまだ先です。 3本連続した堀切を越えると・・・ なんとまあ巨大な堀切なんでしょう。びっくりしました。 もしかすると自然の鞍部を利用してるのかもしれませんが、それでもすごいです。雄大な... という表現が大げさじゃありません。 主郭は中央が膨らんだ形の長方形で、資料には33m×15mとなっています。 薮もなくたいへん気持ちの良い曲輪で、しばし瞑想に耽りたくなるような雰囲気です。 曲輪の外周には土留め用と思われる石垣が各所に見られます。もともとは全周にわたって築からていたのでしょう。 振り返ると子檀嶺岳の山頂が見えます。 搦め手を下ったところにあった平場。かなり広く石垣で何段かにわたって区画されています。 石垣は比較的新しく見えるものもあるので、すべてが城のもではないとしても、場所と地形を考えると当時も何かしらの構えがあったのではと思わされます。もっとも資料には段々畑の跡と書いてありますが。 このあとはすぐ近くの黒丸城へ向かいました。
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長岩城も10年くらい前に城郭本で知って以来、いつかは行きたいと思い続けていた城です。 その本に掲載されていた、斜面を豪快に這い上がる石垣の写真がなにより印象的だったので。 写真は三之城戸の石垣。 一之城戸、二之城戸に続いて現れるこの石垣は圧巻でした。 北向きの谷間で、ちょっとじめじめした杉林の中に苔むした石垣が延々と斜面の上のほうへ続いています。 このあたりの高さは1.5mくらい。竪堀が付属していないので、乗り越えようと思えば簡単に越えられる高さですが、当時はこの上に土塀でも築かれていたのかもしれません。 三之城戸の石垣にそって登ってゆくと東之台という曲輪に出て、そこからさらに本丸まで長い石垣が続いています。これは中間地点付近から上を眺めたところなので、その規模がおおよそ窺えると思います。 この付近は石垣の向こう側に竪堀が2本付随しているので、防御力はかなり高いと思われます。 上の写真と同じ場所から下をみたところ。丸く囲ってる石垣は櫓台の跡でしょう。 この上の本丸も石垣で囲まれてはいますが、案に相違して小規模でした。 その先、西之台という詰の丸的な曲輪までの尾根上にも石垣が続いていて、豪快な堀切も数本ありましたが、個性的な登り石垣とくらべるとまあ普通の堀ですね。 ところで、この城にはもう1つ特異なものがあります。 本丸のある山域から深い谷を挟んで反対側の痩せ尾根の続く山上にある、石積櫓とか石積砲台とか呼ばれている珍しい遺構です。 これがその石積櫓。 石垣を馬蹄形に築いて、そこに銃眼のような穴が3箇所開いています。 近代戦で多用された、いわゆるトーチカのようにも見えますが、その穴は尾根正面を向いていないので、銃眼の役割は果たせないように思えます。 そんなわけで専門家は戦闘用の櫓というより見張りのための番小屋ではないかと推定しているようです。 尾根の下側からみたところ。 見張り用としても、穴は正面にあったほうが意味をもつので、もしかすると崩れたものを後に積みなおしている可能性はないのでしょうか。 これはもう1つの石積み遺構で、案内板に弓形砲座と表示してあるものですが、中世城郭事典で使われている名称の「衝立形石積み遺構」というのが妥当な感じです。ちなみに前記石積櫓も事典では「馬蹄形石積み遺構」としています。 この遺構は石積櫓のように内部空間がなく、ほぼ衝立状に石が積まれているだけです。 尾根上のスペースも円形に作るほど広くないので、大部分が崩れてしまい一部が残ったとは考えずらいように感じました。 とすると、このぎりぎり崩れ残った窓穴?が意味不明ですよね。 もしかしてインカの遺跡みたいに天体観測用... ってことは99.9%ないでしょうね。 「弓形砲座」から振り返って見た景色。 石積櫓から続く尾根はこんな感じです。いちおう立ち入り禁止の表示はありましたが、私はこういう岩尾根歩きは好きなほうなので却って楽しめました。 岩場が苦手な人には反対側の麓からもルートはあるようですが。 前の写真で奥に見える岩峰上から眺めた弓形砲座のあたり。 たぶん矢印のところがそうだと思います。こうして見るとすごい絶壁です。 こんなところを攻め登ってくる敵がいたとは思えませんけどね。 長岩城があるのはけっこうな山奥だし一般的でもないので、訪れる人はかなりの城好きだけかと思いますが、最近は見学者も多くなったそうです。入り口においてあるノートには全国各地から訪れた人が1週間に数人という程度で記帳してありました。
長岩城は黒田氏によって攻め落とされ廃城になっているので、これも大河ドラマの影響が多少あるのかもしれませんが、訪れたときには新たに駐車場を作っていました。これまで路上駐車するしかなかったので助かりますね。 |
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今月のはじめころ行ってきた岡城です。 長年、あこがれの城だったんですが、ついに訪れることが出来ました。 大分県竹田市... 関東の田舎に住んでいる私にとってはずいぶん遠いところだと思っていたんですが、成田発のLCCで大分便が出来たので、それを利用すれば岡城も日帰りでさえ可能なくらい近くなりました。といってもそんな強行軍はやりませんでしたが。 上の写真は登城口。 岡の上に大手門の石垣が眺められるこのアングルは岡城の定番写真ですが、ほんとに良い雰囲気です。 通路脇の石垣は上辺を丸く削ってあり、優雅というのか、なんかしゃれてますよね。 この日は真冬なのにやけに暖かくて、少し靄った曇り空でしたが、「荒城の月」のモデルとも言われる岡城で感慨に耽る?には絶好の天気だったかもしれません。 大手門の石垣。これもなんか独特の美しさを感じます。 二ノ丸の石垣(三ノ丸だったかな)。ここも良く紹介されているアングルですが、なるほど見事な石垣です。 本丸南側の石垣。やはり本丸だけあって一番きっちり積んであって素晴らしいです。 家老、中川覚左衛門居館の床面の復元。 スリッパに履き替えて内部を歩くことが出来ます。 間取りが良く分かるし、雰囲気を壊さない復元でなかなか好感が持てました。 谷を挟んでその向こうに見えるのが城の中枢部です。驚くほど広大な城域なのが分かると思います。 長大かつ優美な西ノ丸の石垣。この石垣も手前の隅が曲面になっています。 城といえば普通は無骨な印象ですが、この城は石垣の一部に曲線を取り入れたりして、なんか粋だねぇ、って感じがしますよ。 西の丸西側下。 このあたりの石垣も直線と曲線のバランスが見事で美しいですね。 近戸門。この門は大手門よりも威圧感を感じるほどで、厳しい印象です。 竹田市の町中に今も当時の面影を残す武家屋敷。 武家屋敷散策も含めて早朝から4時間、岡城をたっぷり堪能しました。 ここはけっこう人気のある観光スポットだと思いますが、この日は観光客らしき人はほとんどいませんでした。岡城も私一人貸しきり状態でしたからね。まあ季節はずれの平日ならこんな感じなんでしょうか。 この点では熊本城とか姫路城とは違いますね。私的には(感動の度合いは)ほとんど同格でしたけど。 客観的に見てどうか分かりませんが、少なくとも建造物のない城のなかでは、兵庫県の竹田城、奈良県の鷹取城と並んで日本三(石垣だけの)名城と言って良いのではないでしょうか。 しかしまあ、岡城の印象があまりに強すぎて、このあと訪れた城がどれもこれもいまいち感動できなかったのは、岡城の罪ですかね(笑)
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