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ソ連は、日本がポツダム宣言を受諾(8月15日)したあとも樺太での武力による侵攻をやめず、日本人 に多数の犠牲者が続出したので、日本軍は自衛戦争を継続し、その戦いは8月25日すぎまで続いた。
そして千島列島には、第91師団はじめ第73旅団の日本軍将兵約7万人が守りについていたのだが、
8月18日午前2時すぎ、カムチャッカ半島から13キロの占守(しゅむしゅ)島に、突然国籍不明の艦隊 が現れ、砲撃を行い上陸を開始した。
その数は輸送船数隻に護衛艦艇24隻、上陸用舟艇30隻余に及ぶ大艦隊だった。
千島列島周辺海域は、以前から米軍の潜水艦が活発に活動する海域だったので、誰もが米軍かと思い、 まさか日本と「不可侵条約」を結び、米軍との和平交渉の仲介を依頼しているソ連とは予想もしていな かった。
前述したように樺太師団(第88師団)の兵力、装備は、千島、北海道地域の重点防衛のため飛行機や戦 車、大砲などもとられ、きわめて劣悪な状態になっていたが、千島列島(占守島、幌筵島)の兵力、装 備を比較(ソ連側の資料)すると、火砲、飛行機、重機で劣るほかはまず同等で、日本側には満州など から持ってきた戦車(42両)があり、上陸したソ連兵に対して使用し、戦果をあげたが、ソ連側も 新式の対戦車銃で日本軍の戦車20数両を破壊している。
なぜソ連側の資料を参考にしたかといえば、日本軍は戦況その他を調査、報告する余裕もないままに、 部隊の組織が分散されて、即刻、捕虜収容所に送られたからだ。
その結果、日ソ両軍には多くの死傷者が出たが、日本軍戦傷者約1000人(死亡者700人)に対して、
ソ連軍死傷者は3000人(死者1000人以上)。但しソ連軍資料では死傷者は日本軍と同じくらいになって いるが、信頼できる日本軍指揮官の一部報告からは、ソ連軍に日本軍の3倍近い犠牲者がでている。
そして私も日本軍将校の優秀な戦況報告の素質、能力を信じるものである。
ソ連軍は、8月18日から9月3日にかけて日本軍の協力のもと、全千島列島の日本軍の武装解除を行い、 北方四島までも占領し、現在に至る。
なおここで明言しておきたい事は、日本領土で戦争が行なわれたのは、沖縄、樺太、そして千島(占守 島)である。
残念ながら過去3代の日本総理大臣は、本土戦は唯一沖縄だけだと言っているが、戦争が行なわれて いた1945年8月以降、サンフランシスコ講和条約までは、上記島嶼は国際法上の日本領土なのだ。
そしてこの3島にはそこで生活する日本民間人がいた。
(千島列島)
長さ:本州に匹敵
広さ:東京、神奈川、茨城3県とほぼ同じ
特徴:世界の3大漁場のひとつ
千島列島は世界の3大漁場のひとつで、戦前は日本の魚介類の缶詰工場(主に日魯漁業経営)があっ た。樺太も同じく魚介類の宝庫で、歴史的にも日本が千島、樺太をロシアより60年、100年前から
発見、実効支配、交易していたが、その後のあまりの国力の差から、ロシアの強引で、巧妙な方法で
最後にはヤルタ密約で奪取され、しかも北方四島までも奪われ、返還される見通しもない現状を、深く 愁うる者である。
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