近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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 *写真は、樺太北西部、旧日ソ国境から125キロ南下した西岸の漁港「鵜城」

 3月2日、ロシアの軍事ジャーナリスト、イワン・サフロノフ氏(51)が「住まいの5階マンション から転落し、死亡した」ことが新聞で取り上げられ、(暗殺されたのではないか)と噂が流れている由 の報道を知り、樺太「鉄のカーテン」内での抑留生活を思い出し、久し振りで背筋に冷水が流れるよう な寒気を覚えた。
 氏は、ロシア製兵器の中東への違法輸出問題を追求していた最中で、知人,家族たちもその死が自殺と は考えられないと語っている。
 プーチン政権のロシアには、政財界人や反政権ジャーナリストなどの不審死が続出していて、その数  は、03年には2件04年には1件そして06年には2件と、この3年間で5件も発生している。
(産経新聞資料から引用)

 戦後の平和な日本で育った人たちには想像もできないことだが、体験者にとっては思い起こすだけで
 身の毛がよだつほどの恐怖の実感が戻ってくる。

 ほかの欄でも書いたが、かって私も似たような恐怖を一月以上も体験し、やがて食欲はなくなり、不眠 が続き、神経が過敏になり、心身の機能が次第に麻痺していく。精神的な拷問そのものだった。
 
 なぜそのような苦痛を体験したかというと、日本人学校長でソ連民政署日本人顧問の役割も持ってい  た父が、民政署ソ連人書記と連名して、ソホーズ(集団農場)長をソ連裁判所に告訴したためだっ  た。その農場長は、独ソ戦で国家英雄勲章を受けた共産党員のエリートだった。

 告訴してまもなく民政署秘書は解雇され、ソホーズ長は毎日、出勤、帰宅時に日本人校長宅前で、大声 で「お前たちはやがてシベリア刑務所行きだ。日本にも帰れない。ざまあ見ろ!」とさけんでいた。

 父はある日、私と母に「もし私が突然どこかに連行されたり、いなくなったら、他の日本人たちと
 日本に連れて帰ってもらえ。自分がもし生きていたら、いずれ必ず帰国する」と言い残した。
 このときは多分ゲーペーウ(秘密警察)による拉致,連行、処刑などが父の頭にあったのではないかと 思う。告訴して一月経っても裁判所からはまったく連絡はなく、元秘書は近くの国営企業に職を得てい て父とも連絡はとっていたが、やはり裁判所からは連絡はないという。

 ソ連の国家英雄を、敗戦国民の日本人学校長がソ連民政署の秘書と結託してソ連裁判所に提訴したとな れば、その秘書はすでに転職しており、日本人校長さえいなくなればその汚点は抹消できるとして、秘 密警察によりいずこかに連行し、行方不明にすれば済むことで、日本人なら誰しも推察することだっ  た。
 
 幸い父と元秘書は勝訴し、ソ連の国家英雄は、軍歴剥奪、共産党員除名等の処分を受けた後、シベリア
 刑務所に9年の重労働の刑に処された。
 
 樺太に抑留された日本人で、父のようにソ連の国家英雄をソ連の裁判所に訴え、シベリア刑務所に送り 込んだ例は無いはずで、振り返ると正に日本人の誇りと自慢できる快挙だった。
 でも私たち家族にとっては、今思い出しても恐怖の寒気が走るほどの極限の精神状態だった。

 そして今のプーチン政権のロシアも、スターリンの粛清時代とあまり変らぬ内情なのかと思わず
 疑念を抱きたくなる今日この頃なのである。
 
 
 
 

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こんにちは。
スターリンや粛清の問題は、奥が深い歴史の闇ですね。

2008/12/30(火) 午後 0:50 [ kemukemu ]


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