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*この写真は、「角巻き婦人と樺太犬」 角巻きは樺太婦人にとって欠かせない防寒衣装
樺太で生活していた人たちの多くは北海道、東北の出身者だ。いずれも日本国土の北東に位置する
雪国に育ち、厳しい寒さの生活にも慣れた人たちだったことは自分を振り返ってみるとわかるような気 がする。
幸い日本列島は、亜熱帯から亜寒帯まで連なり、国内旅行をするだけでこれらの自然に触れることがで き、生活習慣や言語も多少の相違があるだけで、南国から北国までの生活を味わうことができる日本人 はつくづく幸せだなあと思う。
熱帯の人たちは一生が盛夏で、寒帯に暮らす人たちは冬だけかせいぜい春か秋らしい季節しか知らず、
四季を知らない民族も少なくはない。
もし私が南国で生まれ育っていたなら、突然、寒さ厳しい北国に行く機会が出来たとして、そこで生活 するためにすぐに決断して移住に踏み切るかといえば、「ノー」だ。
逆に自然環境厳しい北国の生活から熱帯あるいは亜熱帯への移住を考えるかと言えば、答えは残念なが ら「イエス」となる。
私は自分が北国生まれの北国育ちだからこそ、いまだに南国に憧れる気持は強い。
その理由は極寒の地の生活の厳しさをいやというほど知っているからである。その厳しさにくらべれば
たとえ熱帯といえどもまだ北よりはましではないかと思ってしまうのだ。
日本人は、歴史的に北の軍事大国「帝政ロシア」より樺太は60年、千島列島は100年も早く発見し、
原住民と交易し、この地域で活動していた。
にもかかわらず、これらの地域は到頭、現ロシアに占拠されてしまったのだ。
当時の国際慣習からも発見された島嶼は、その発見者が所属する国の所有とされていたが、それが
なぜ日本の領土にされなかったかといえば、当時の日本は鎖国中で、国際的に知られていなかったこと
と、北方地域に対しての偏見など幕府自体が乗り気ではなかったことが大きな要因である。
だからその後、南下政策を積極的にとってきたロシアに完全に遅れをとり、当初は千島14島は「日本領 土」だと認めていたロシアに、日露修好条約でウルップ島以北をとられてしまうことになる。
北方地域(樺太、千島列島)に幕府がもっと関心を持っていれば、先手を打ち、もっと有効な手立てが
出来たのでは、と推察するが、考え方によっては、極寒の地に対する関心の薄さは当時の日本としては
止むをえなかったのかな、などと、自分の南国への憧れを思いながら、徒然なるままに筆を運んでしま った。ごめんなさい。
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