近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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日本軍雑記4

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 戦場以外での外出時の服装は、諸外国軍隊が武器類を身につけない制服姿であったのに対し、日本軍は
 兵隊であれば銃剣を腰に付け、さらには公用腕章をつけ、将校ならば、指揮官としての象徴である軍刀 を必ず腰につけていた。そして尉官なら朱、佐官ならば黄の飾り房を軍刀につけており、公用車に乗る ときにも軍刀と同様の朱や黄の三角旗をなびかせていた。
 この習慣は、武士の伝統である大小の刀を身につけていたところからくるのではないかと思う。
 帯刀を許されるのは、陸軍では軍曹以上で、戦場では拳銃(南部14年式)も支給される。
 ただ例外は憲兵で、全員が帯刀していたが、下士官(軍曹)以下はサーベルだった。

 入営すると、その経歴(学歴)に応じて、幹候(幹部候補生)や下士候(下士官候補生)受験を
 勧められるが、それを断る者はほとんどいなかった。戦後は、よく体験談などで(思想的に軍隊に反  発、抵抗していたので、断った)とか拒否したという手記がでまわったが、私は眉唾ものと思いたい。
 その証拠に今のマスコミ、朝日はじめ大半の左傾メデイアも、みな積極的な戦争協力者であったのは
 事実だからだ。

 話を戻すと「幹候」は、合格して所定の要件を満たすと少尉に任官し、「下士候」は伍長に進級する。 だから軍隊ドラマで、下士官に散々いじめられた初年兵が、「幹候」を志願し、合格し、その下士官を 飛び越して進級し、見返すことができた、などということは、現実に数多くあったのである。

 下士官が内務班(兵営内の日常生活)で新兵いじめをしたという伝説は、あまりにも有名だが、事実
 そのたぐいのことはあったようだ。でもそれは左翼が事実以上に実態を歪曲し、反戦気風を盛り上げる
 ことが目的で、実際には社会人気風からいつまでも抜けきれない新人を意識的に鍛える目的で、班長で ある下士官が実践した精神教育で、上官である将校や部隊長もその主旨は理解して黙認していたのだ。
 だから部下思いの部隊長は、その精神教育が度を越さないように、週番士官などに命じて絶えず目配り をしていたようだ。それでもたしかに自殺などの事件は起きていたようだ。
 実際の戦闘では、分隊長である下士官(主に軍曹)が指揮官だから、日頃から部下の掌握が必要で、
 日本軍に限らず米軍などでも、班長(軍曹)の日頃の厳しい部下教育は、若干度を越す事があっても
 大目に見られていた事はまちがいない。

 ただどこの軍隊でも、戦争のベテランである、兵隊から叩き上げてきた下級将校や下士官のそれ以上の
 昇進率は少なく、だから消耗品などの噂が絶えない下級指揮官なのである。
 時代とともに戦争のやり方も変り、これら現場指揮官の殺害に的を絞った狙撃部隊が編成されるように なり、精密な望遠レンズ付の狙撃銃も開発されている。
 そういう点では日本軍歩兵が手にした村田銃は、5連装ながら射程距離も長く、命中率も良い狙撃銃
 として及第点の銃だった。
 最後に日本軍の名誉のために言及するなら、日本軍でも連発発射できる自動小銃の研究は進んでいて、 落下傘部隊など一部兵科では専用自動小銃が開発され、装備されていた。しかし自動小銃は命中率が劣 り、弾薬の消耗も激しく、村田銃の手動操作に慣れた兵士の発射時間、命中率等を総合すると、全兵科 に自動小銃を採用するにはあたらない、と技術将校が結論付け、採用を見送ったいきさつがあり、
 決して日本軍武器の技術開発が遅れていたわけではないのである。

 *写真は、樺太師団(第88師団)主要幹部の英姿


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