|
1941年(昭和16年)12月15日、中国・広東付近にいた第23軍は、香港を攻略。12月末〜1月末、川口、 坂口支隊は、ボルネオ油田地帯を攻略。1942年2月、セレベス、バリ、チモール島を占領した。
制空権を握った日本陸軍は、2月14日、さらにパレンバン精油所を急襲、占領する。
海軍は、2月4日ジャワ沖海戦、2月20日バリ島沖海戦、2月27日〜3月1日スラバヤ沖海戦で連合国
艦隊を撃破して、制海権を握る。
そして上陸部隊は、3月5日バタビア、3月7日スラバヤを占領して、3月9日蘭印軍は遂に降伏して、
待望の蘭印作戦は終結した。
一方、真珠湾から反転した南雲部隊は、トラック島に進出、東部ニューギニアの要地やラバウルを空 襲。パラオ、濠北のポート・ダーウインを空襲。ジャワ南方洋上では、遁走艦隊の遮断にあたった。
南部ビルマ作戦も着々と進捗し、3月7日ラングーン付近で英印軍の主力を撃破、5月13日にはビルマ中 部、カレワ付近で英印軍2万を撃破して本作戦は打ち切られた。
東はウエーク、ギルバート諸島、南はビスマルク諸島からチモール、ジャワ、スマトラ、西はビルマに 至るまでの広大な地域を領有することになり、本作戦は予定通り5ヶ月で完了したのだった。
(この大戦果は、日本のみならず世界戦史に残るほどの偉業、戦歴なのだが、残念ながら米国はじめ連 合軍側の意向は、この事実を抹殺したいかのようで、彼らから語り継がれることはなさそうだ)
ここで勝利の主因を「大本営発表」の著者・松村元大本営報道部長(陸軍少将)はこう語る。
1)真珠湾の奇襲が東方からの進攻を遅延させた
2)優勢日本空軍が連合国空軍を叩きつけた
3)制空、制海権を握った日本軍が、弱勢な地上軍に対していたるところ、その強力さを発揮した
以上
そして「勝つべき戦いに勝ったのだ」と。
南方作戦が順調に遂行されている1942年3月7日、政府と大本営は連絡会議を開き、世界情勢を次のよう に分析、判断した。
1)米英は急速に戦力の増強をはかり、戦争の重点は欧州。日本に対しては、まずインドとオーストラ リアを反抗拠点として確保を強化。
2)米ー有力な海空軍を太平洋方面に集中し、海上交通の妨害をはかり、日本内地への奇襲をはかる
3)米英はロシアを対日戦に参加させるため方策を講じ、シベリアの飛行場を密かに利用するかもしれ ない
4)大規模反攻は1943年(昭和18年)以降で、主力はオーストラリアまたはインド方面からやってくる だろう
以上の4点で、おおむね当たっていた、と著者は回想する。
*この写真は、樺太「日ソ国境」(北緯50度線)を守る警察隊
|