近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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大本営発表11

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 「米英蘭軍は、オーストラリア、インド方面より逐次戦略要点を奪回してくる算、大なり」と判断し ておきながら、日本陸軍は米濠遮断作戦として、第17軍(実力1個師団)を、ニューカレドニア、フ イジー、サモア諸島から1千マイル以上離れた東部ニューギニアまでの広大な地域に配備していた。
 そしてその攻勢時期については、1943年(昭和18年)頃と予想していたのだ。

 ところが敵の反撃は早く、ニュージーランドの要港オークランドから出航した米軍輸送船団20数  隻は、2つの艦隊に護衛され、ガダルカナル島を急襲した。

 1942年(昭和17年)8月7日のことで、これが本格的な反攻の皮切りだった。
 ガダルカナルには日本海軍、陸戦隊員300人と2つの飛行場建設に従事する作業員2000人が常駐してい ただけで、2つの米機動艦隊掩護の下で、米海兵隊1個師団の将兵が上陸し、飛行場を占領した。

 米軍ガダルカナル上陸の知らせを受けた第8艦隊は、翌8日夜、重巡5、軽巡2、駆逐1計8隻の陣容で
 ルンガ泊地に殴りこみをかけ、得意の夜襲で米重巡4を撃沈した。敵艦隊は、上陸部隊や輸送船団を 置き去りにして遁走したので、日本艦隊はそのまま引き揚げ別の任務についたが、輸送船には攻撃を 加えていない。
 日本艦隊が立ち去ってから米艦隊は戻ってきて、積載してきた武器弾薬、食糧の荷揚げを掩護した  が、もし日本艦隊がこれら輸送船団を攻撃、撃沈しておれば、敵の補給に甚大な損害を与える事が出 来たことと惜しまれる。

 その後、第1次、第2次ソロモン海戦と日本艦隊の一部はガダルカナル島奪回をはかり、幾度も攻撃を 加えたが、陸揚げされた重火器、戦車の反撃に会い、上陸日本軍部隊800名は壊滅した。

 制空権を取られた日本軍は、このあたりで作戦を変更すべきだったが、この戦場を見切ることが出来 ず、ずるずると深みにはまっていった。日本軍の補給路は途絶し、米軍の補給は、1万トンクラスの
 輸送船が港に横づけし、豊かな食糧、武器弾薬、物資の中で、ラジオを聞き、テニスをやり、コーラ を飲みながら、生活を楽しみながら戦う毎日になった。

 そして今度は日本軍の反攻を、兵力増強を図りながら、待ち伏せる戦闘になる。
 日本輸送船は、いたるところで米潜水艦の待ち伏せに会い、主要輸送船11隻が沈没し、大打撃を被  る。

 日本艦隊は、苦しい中でもその熟練した勇猛さで、敵艦隊に被害を与えるが、1942年(昭和17年)10 月頃から米艦隊の先制攻撃をうけるようになり、とくに開発の進んだレーダーと砲撃の組み合わせに よる「電探射撃」が開始され、日本海軍の得意中の得意「夜襲」が不可能になっていく。

 だが、日本軍は情勢悪化の中で、益々むきになり、マイナスは増大し、日本軍の弱点を暴露すること になる。
 ガダルカナルへの補給は、潜水艦や小舟艇によるわずかな補給が唯一の頼りとなるが、昼間は爆撃、
 夜間は魚雷艇の攻撃で途絶えがち。栄養失調の続出で、文字通り悲惨の極みとなる。
 この関頭にたって撤退の決意までには、いろんないきさつがあった。

 「見敵必殺」「退く戦術われ知らず」など、退却は罪悪とされ、精神価値を極度に重視してきた日本 軍は、こんな場面での戦局の転換はもっとも不得意であった。

 *この写真は、フレップ(こけもも)の実。樺太名産「フレップ酒」の元。
  


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