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10月20日、台湾航空部隊は、栗田艦隊支援のため、フイリピンに南下の下命を受けた。
全艦隊(3つ)はレイテへ進撃し、囮の小沢艦隊は、無線通信を発信しながら、米艦隊の誘致につと めた。10月23日、栗田艦隊は敵潜水艦の攻撃を受け、重巡3隻が沈没した。台湾沖の海戦で、空母に損 傷を受けた栗田艦隊には空母がなく、基地航空隊が掩護することになったが、実効兵力は、陸100機、
海50機で、第2航空艦隊350機は、台湾からマニラに移動中だった。
栗田艦隊主力:戦艦5、重巡10、軽巡2、駆逐15
西村中将率いる一部:戦艦2、重巡1、駆逐4
小沢囮艦隊:空母1、軽空母3、改造空母2、軽巡3、駆逐10
10月24日、栗田艦隊は、敵機30機の空襲を受け、猛烈な戦闘になるが、敵の3回目攻撃で、
大和、武蔵に爆弾と魚雷が命中し、5回目攻撃では武蔵は顛覆し、乗員2200名中、半数が戦死し た。空母のない栗田艦隊は度々基地航空隊に掩護依頼の無電を打ったが応答はなく、一時進路を西 方へ反転したが、再び予定のサン・ペルナルドへ向け東進した。
ところが、予想された敵潜水艦の攻撃はまったくなく、最大の難所を無事に通過した。
レイテ海戦では、神風特別攻撃隊が初陣で、その世界戦史上はじめての体当たり戦法は、ジェーム ズ・フイールドによると「神風の攻撃はゾッとするように凄くて、効果的だった」と評し、その戦果 は、護衛空母1隻を撃沈し、敵を恐怖で寒からしめた。
レイテ湾内には、敵護衛空母と輸送船団がひしめき合っていて、栗田艦隊はレイテ湾直前にいた。
一方、北の海で小沢囮艦隊を発見した米策敵機は、空母もいる囮艦隊を栗田艦隊と誤認し、主力艦隊 発見の無電を打つ。ここで日本には絶好のチャンスが到来したのだが、栗田艦隊に発した「敵、誘致 成功」の小沢艦隊からの無電はなぜか届かず、栗田艦隊は敵空母は遁走したものと判断し、全艦隊に 北向きの航路に集合するように信号を発した。
この段階で米第7艦隊はレイテへ向かいつつあったが、連日の上陸掩護やスリガオ海戦で弾丸、魚雷 は使い果たしていて、もし栗田艦隊と交戦しても太刀打ちできる状態ではなかった。
ところが栗田艦隊は、レイテ湾直前で突然、決心を変更し、北上することになり、戦局を変えるほど の絶好のチャンスを永遠に失う事になる。
米軍は台湾沖海戦で、栗田艦隊の空母が損害を受けたことを知らず、栗田艦隊を偵察した米機の疑問 は空母のいないことだった。だから小沢囮艦隊の空母を見て主力艦隊(栗田艦隊)と誤認した。
ハルゼー艦隊をして「レイテ作戦にもっとも脅威を与えるものは、北方より南下中の小沢艦隊なり」
と結論せしむるに充分であった。
ただ西村、志摩の両艦隊がスリガオ海峡に向かっていることを偵知していたので、第7艦隊の戦艦群 と巡洋艦群がスリガオの出口に待ち伏せしていて、この2つの艦隊はひどい目に合わされた。
レイテ海戦5日間の日本軍の損失は、空母4、戦艦3、重巡6、軽巡4、駆逐11の大損害となり、
日本海軍最後の決戦場となった。
詳細は省くが、彼我ともに全然予期せざる遭遇戦が起こったのがこのレイテ沖海戦だった。
栗田艦隊は、米第7艦隊の護送用空母7隻(基幹)と遭遇し、大和そして全戦艦が巨砲を開いた。
敵は逃げの一手。合い間をとって飛行機を使いたかったのだ。敵空母は18ノットの護送空母で、
こちらは25ノット出せた。直路急進すればこの敵を料理する機会はあった。
ところが栗田艦隊は、夜間の隊形から昼間の隊形に転換中で、不意の遭遇。追跡の隊形に移るには
相当の混乱があった。敵は煙幕を張って退避しながら、飛行機による攻撃と護衛艦船による猛反撃
を繰り返してきた。敵は危機の絶頂にあった。敵機の来襲も刻々増加し、やがて戦艦に集中するのを
みて、栗田中将は追撃を中止して隊形を整え、レイテへの突入を決意した。事実は今一息で止めを刺 そうとしていたところだったのだ。
*この写真は、樺太・鵜城多景。鵜城は旧日ソ国境から125キロ南下した西海岸の漁港。
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