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村の主な産業は農業、林業で、村人の多くはこの2つの仕事を兼務していました。
自給自足が原則の殖民山村でしたから、鶏(白色レグホーン)や山羊、豚、兎なども飼っていました。
そしてこれら家畜の世話は、子供たちの日課になっていました。
村の川の上流には「鉄砲堤」があり、夏場の決まった時期に放流の準備がされ、子供たちに伝えられます。それはたいていが放課後で、子供たちに合わせて組まれていました。
目的は冬場に伐採され、川に運ばれた材木を一気に海に流し、河口ではイカダを組み、あるいは貨物船で目的地に運ばれるのです。冬場の材木の伐採には、みな上等な狐の毛皮で作った小さな座布団を腰から吊っていて食事、休息などのときに座っていました。温かく腰が冷えないのです。
切り出された丸太は一定の長さに製材され、刻印を焼き付けられて川面に浮かんでいます。
この浮かんだ丸太の上を大人たちはトビ一丁を手で操り、河口まで搬送する人の乗るいかだを作ります。
丸太を巧みに操る大人たちは子供たちの憧れの勇姿で、子供たちは幾度となく失敗し、水中に落下しながら次第にこの技を身につけるようになるのです。
材木搬送の目的地は製紙やパルプの工場で、樺太には大手の会社(王子製紙など)の拠点が数箇所点在していたのです。
ダム放流の報せを聞いた子供たちは急いで帰宅し、手に手にバケツなどの容器を持って川岸に駆けつけます。堤で流れがせき止められると、川の水かさは見るみる内に減り、川底の数箇所のくぼみに魚類がかき寄せたようにたまります。
主にヤマベやイワナ、カジカなどで、ヤツメウナギが岩に吸い付いていることもありますし、大粒のシジミがかたまって姿を見せていることもあります。
収獲した魚をいっぱいにつめたバケツを重そうに両手に持ち、嬉しそうに帰っていく子供たちがほとんどで、当分は多くの家庭の食卓を賑わすことになるのです。
鉄砲堤と魚集めそして丸太乗りのことは、いつまでも樺太の良き思い出として残っていることでしょう。
(終わり)
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