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村に常駐したソ連兵2人が私たち日本人にタブーの1つが日ソ戦の模様を語ることであることは前述した が、2つ目は自分たちの任務に関する質問と宿舎内部の状況を知られることだった。
彼らソ連兵は親密になった子供のわたしにさえも宿舎内部には入らせなかったし、父の彼らの任務に関 する質問にも、「近くに駐屯するソ連軍部隊が村へ入ってきて乱暴狼藉を働かないように監視する役目
だ」と説明しただけで、それ以上の彼らの役割や装備品に関しての質問には「機密事項にふれる」と返 答を避けた。
彼らの任務のひとつが憲兵役だったことはたしかだが、そのほかには徹底抗戦する日本軍が潜んでいな いか探索する目的もあったのではないかとふと考えた。
しかしそれなら後日、森に鳥撃ちにいって自動小銃をわたしに「撃て」と平気で手渡し、自分はかなり 離れた場所で巻紙たばこを作っていたコーリャ伍長の言動はあまりにも無茶すぎると思うが、あるいは
直属上官ワーシャ軍曹のみが知る機密事項だったのかもしれない。
後年、シベリヤその他でソ連兵と生活を共にした経験のある日本人が書いた回顧録を2,3読んだが、 共通していたのがソ連兵の不器用なまでの自分の任務に対する責任感や主張だった。
そしてわたしもこれら著者の鋭い観察に(なるほど)と真に共感した。
村にソ連兵数人が侵入し、農道を歩いていた村人から時計を奪った事件が発生した。
その人は校長宅に駆けつけ父にそのことを訴え、父がソ連兵駐屯所に知らせると、顔色を変えた
2人のソ連兵はやにわに自動小銃を肩にしてその村人、父と現地に急行した。
ソ連兵たちは農家に押し入り、そこで家財を床に撒き散らして物色中だったというが、ワーシャ軍曹が
農家に飛び込み、銃を構えてソ連兵たちを外に出し、コーリャ伍長が彼らの銃を取り上げ、さらには
ワーシャ軍曹が首謀者らしいソ連兵の肩章をもぎ取ると地上に叩きつけ、トラックの荷台にこれらソ連 兵を足蹴にして押し込み、本隊に護送していったという。
勿論、腕時計を取られた村人はその場で時計を返却されたというが、父や村人が驚いたのは2人の
憲兵役のソ連兵の行動だった。
同じソ連兵でありながら、制服の肩章をもぎ取ったり、罵声を浴びせながら、荷台に蹴り上げたりする さまは日頃の素朴な農村青年の面影など微塵も無く、厳正に職務を遂行する憲兵そのものだったとい う。
このことがあってからソ連兵駐在所に直接か校長宅を通して「ソ連憲兵にあげてください」と農産物を 置いていく農民が増えたのだ。
村の日本人を安全に守るために駐在するソ連兵だとは聞いていても、実際に事件が発生し、そのことが 実証されない限り、人は警戒心を解く気にはなれないものなのだ。(続く)
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