近代戦史と国際情勢の研究、考察

旧北方領土(樺太、千島列島)の史実伝承

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 1945年(昭和20年)9月下旬頃、樺太各地に駐屯していたソ連軍(赤軍・戦闘部隊で軍帽や肩章に 赤や赤筋が入っていた)は本国へ帰国し、替わって沿岸警備隊(軍帽や肩章が薄緑)が現れた。

 彼らの主な任務は、ジャガイモ(カルトーシカ)の輸送だった。
 わたしたちの村でも、畑の要所要所にジャガイモを集積しておくよう通達があり、ある日、幾台ものソ 連軍用トラックが入村し、手際よく荷台にジャガイモを積み込み、やがて去っていった。
 説明によると日本軍捕虜用の食糧だというが、実際には窮乏したソ連国民のためにソ連本土へ送られた という説もあった。
 そして彼ら沿岸警備隊は日本から占領した「ソビエット連邦サハリン州」に新たな民政を築こうとして いた。この沿岸警備隊はKGB(国家保安警察)の役割ももっていた。

 旧日本の町役場や村役場そして学校などにソ連軍将校や背広姿のソ連人民政官がひんぱんに姿を現わす ようになる。日本語を話せるソ連人が次第に増えていく。
 
*国際法(ジュネーブ条約)で「捕虜」とは、交戦国同士が正式に認めた戦闘中に相手国に捕らえられ  た将兵をいい、人道上その階級により保護されるものだが、ソ連軍は日本が終戦(8月15日)を宣言し た後も一方的に攻撃をやめず、停戦協定のあとに捕らえた日本軍将兵(中国大陸の日本軍も同様)を捕 虜扱いし、シベリアなどの極寒地刑務所で過酷な待遇で重労働を強いた。
 そのため7万人の日本軍将兵が病死その他で死亡した。

 
 

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こんばんは。時々訪問させて頂いて、興味深く読ませて頂いています。戦後、ソ連によって多くの日本人の命が奪われたことを、現在の教育の中でどれほど教えられているのでしょうね。気になるところです。

2006/11/28(火) 午後 10:13 [ syohyo ]

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いつも有難うございます。わたしもおっしゃることにまったく同感です。

2006/11/29(水) 午後 0:52 [ hig**a78* ]


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