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ソ連の悪童を日本人学校の教師が柔道の巴投げで2,3メートルも投げ飛ばした話は村中に翌日には広 まり、日本人たちの反響は大きかった。先生の勇気ある行動を賞賛する声は多かったが、反面、ソ連の
父兄たちの報復を心配する村人もたくさんいた。
ソ連兵は1945年10月以降、赤軍(戦闘部隊)から沿岸警備隊に交代はしたが、沿岸警備隊の任務の中に 政治警察的な役割があるらしく、村には素性の不明なソ連人もかなりいた。
ソ連統治の樺太には、保安警察の役割の沿岸警備隊や民政署のほかに、ゲーペーウの名称でソ連人も
恐れる秘密警察がどこかに必ずいるといわれていた。
そしてソホーズ(集団農場)が設立され、日ソ両国民の学校も開設されたこの村にはどんなソ連人が
入り込んでいるかは誰もしらないのだ。
ソ連軍やソ連人に反抗した日本人が樺太各地で行方不明になったケースはきわめて多く、敗戦国民の
日本人はよほど慎重な言動をとらないといつ事件に巻き込まれるかわからなかった。
反面、ソホーズで働く日本人の働き振りと能力は次第に認められつつあり、その仕事振りを評価され て、ナチャーニクという名称の職場単位責任者に任命される日本青年もでていた。
じゃがいも(カルトーシカ)の反当たり収獲が、目標(ノルマ)以上だと余剰分は自由市場で売買する ことができ、自分個人の収入になった。
こういう制度の農場をソホーズと呼び、コルホーズ(国営農場)と区別していた。
それからノルマという言葉も元々ロシア語なのだ。
多分日本人学校長(父)も、ソ連児童の日本人教師による体罰問題が、ソ連父兄の抗議で大きくなるこ とも予想して対策は考えていたはずだが、まったく反応はなかった。
ほかの項目でも述べたことがあったが、当時のソ連は5ヵ年計画を推進中で、教育は最重点項目で、
そのためか教師の社会的地位は医師や文官より高く、父兄が学校の方針や出来事に対し、苦情などいえ ない雰囲気があったのではないかと思う。シベリア方面から入ってきたソホーズ労働者は、帝政ロシア
貴族の末裔という噂があったが、もしそうだったとしたらソ連の仇敵で、囚人のような存在だったのか
という疑問もふと起きた。
それにしてもソ連人学校長が、日本人教師のソ連児童への体罰指導を承諾するなどはきわめて珍しい
ことであった。(続く)
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